みどりの野原

野原の便り

6月30日 うちのツバメの記録③ その後 卵4個 殻1つ落ちている

2020年06月30日 | Weblog

うちのツバメ その後・・

6月21日15:01 巣にいる。1羽?2羽

毎日巣にいる。


6月29日7:19 巣は空


6月29日 18:21 巣は空    留守が多い。 
ずっと温めていなくても大丈夫なの?
ほんとに卵はあるのか?抱卵してるの?

辛抱たまらずに・・ついに留守を見計らって脚立を出して巣の中を見る。

 
6月29日 18:29 あった! 4個の卵が並んでいた。 ずっと抱いていなくてもいいの?
    右)途中で親鳥が帰ってきた。私たちがいるのを見て、電線の上で毛づくろいをしたりして時間調整。
その後、巣に入ったので一安心。

卵を確認できたのはうれしかったが、黒っぽい模様が気になる。
ネットの写真を見ても、こんな黒い模様のはない。腐ってるのではないのか?
気になって、またまた学芸員さんにお尋ね。
「ちょっと色合いは濃いですが、それがこれを産んだメスの個性なのでしょう。こうした模様は、メスごとに概ね決まっていて、自分が産んだ卵だと確認するのに役立つと考えられます」「まだ可能性はある」とのことで、気を取り直す。

 
6月30日 10:03 巣に入っている。 親鳥はまだあきらめていないようだ。

・・と思っていたら・・

6月30日 16:58 下のコンクリート床に卵の殻が半分落ちていた。
どうしたの~? 1羽生まれたのか? 生まれない卵と知って捨てたのか? 謎・・
卵の中身はない。長さ2㎝ 小さい。


6月30日 17:00何事もなかったように巣に座っている。

まだしばらく、はらはらドキドキが続く。早く生まれてくれ~!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月29日 大和小泉 街歩き 慈光院茨木門 庚申堂 親子塚 小泉神社 高林庵

2020年06月29日 | Weblog

コロナ騒ぎで、帰省を遠慮していた娘が久しぶりに帰ってきた。
町歩きをしたいというので、息子と3人で出かけた。

    
富雄川のほとり 古い字体の「當美越はし」の石柱 
               右)道標 中央に「矢田寺地蔵大菩薩」
横には「古れより二十二丁北・・ 慾日(慾参りの日)の案内も細かく刻まれている。

 
     慈光院の案内板。   登り口に小さい道標「観世音道 左山の寺 松尾」
慈光院
小泉藩2代目藩主 片桐石見守貞昌(石州)が、父貞隆の菩提寺として建てたものだが、境内全体が1つの茶席として作られているとのこと。
茶道石州流発祥の地 

 
  坂を上っていくと「一之門」 直角に曲がる石畳の参道 木漏れ日が心地よい。

 
「茨木門」 ちょうど茅葺屋根を葺き替え中 
1国1城令で取り壊されることになっていた摂津茨木城の門をもらい受け、茅葺にしたものとか。
茨木は片桐石州の出生地であったそうだ。   右)きれいに整えられた茅の束

以前1回来たことがあるが、ゆっくりと来たいところだ。
今日は時間がないので、この門で引き返す。

 
奈良から大阪へ、竜田を越える大阪街道(奈良街道)
街道沿いの街並みというのは奈良では珍しいそうだ。
面格子のはまった家も見られるが、新しい家も多い。
               右)古い街灯が1本残っていた。
娘や息子それぞれに自分の興味のあるものを見、撮っている。


軒先に庚申信仰の魔除けのお守り「身代わり猿」を吊るしている家も多い。


 
「一国一宇 庚申堂」(庚申堂 金輪院)大和の国の庚申信仰の総道場だという。
         右)「片桐村道路元票」村の中心部に設置されたもの。
村の中心地に庚申堂があるということ。

 
境内も広い。 戦後間もないころまで、庚申縁日には門前市が出て賑わったそうだ。
本堂には大青面金剛絵像が納められている。
庚申信仰とは、人間の体内には3匹の虫がいて、庚申の夜、人間が寝ている間に、天帝に主の日頃の所業を報告するのだとか。
だから庚申の日には一晩寝ないで夜明かしをすると前に聞いたことがある。          
         右)鐘楼がある高みに登ると、すぐ横は富雄川 風が通り抜けて涼しい。

庚申堂の門の前に「親子塚」の小さい石碑があったので、見に行く。

 
階段を上ったところに「親子塚」の大きい石碑や五輪塔があった。
「育てられた義理の親の仇が実の親だとわかり・・実の親も自害し・・息子も自害した」という悲しい伝説があるそうだ。

 
富雄川の近くにあった 門扉と玉垣に囲まれた立派な太神宮灯篭

小泉橋を渡ったところにある地蔵堂を見に行く。


   市場の楠地蔵 
中央には南無阿弥陀仏の碑。右にお地蔵様
お地蔵様の右肩に付いた赤い色は、この前で遊んでいた子供が倒れかかった地蔵の下敷きになった時の血の跡だという生々しい伝説がある。

小泉神社
 
小泉神社は桃山時代に、この地方一円の守護神として祀られたものらしい。
                      右)変わった形の門

 
(門を内側から見る)「袖付き門」といい、元は小泉城の城門だったらしい。
          右)本殿は室町時代のもので、重文に指定されている。
横から檜皮葺の屋根が見えた。

片桐城跡 高林庵

 
細長い池、なぎなた池というそうだ。亀がたくさん寄ってきた。お堀のように見える。
              右)池の向こう側にシャチホコのついた屋根などが見えた。

 
ぐるっと回って見ると、建物の裏手に出る。「高林庵」の説明板があった。
『ここは片桐石州の片桐城跡で、現在は財団法人高林庵という石州流宗家の本部になっている。
また片桐家の居宅ともなっている』  右)軒丸瓦の紋は片桐且元の家紋「片桐違い矢」

戻り道に見えた古墳

小泉大塚古墳 全長88mの前方後円墳だとか。

もう1つ右側に古墳の墳丘が見えたが、疲れてきたのでパスして駐車場所に戻る。

 
  ナンキンハゼ 花序    アーチ状の植栽 紫の花はベンガルヤハズカズラかなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 三本松周辺 ヤマトテンナンショウ アクシバつぼみ オニカナワラビなど ベッコウヒラタシデムシ

2020年06月25日 | Weblog

三本松駅から山手へ。


竹藪のそばで、萎れたキヌガサダケにベッコウヒラタシデムシが群がっていた。
もっと撮りたかったのに、みんな隠れてしまう・・
前に山で動物の死骸に群がっているのを見たことがある。
動物の死体や腐敗物に集まる掃除屋さん。
きれいなキヌガサダケも見たかったなあ。

シダが多い。

 
オニカナワラビ ゴワゴワの手触り。     ゲジゲジシダ
キジノオシダ・トラノオシダ・・他にもシダはたくさんあったが、むつかしい。

 
ヤマトテンナンショウが多い。濃い紫の長い仏炎苞   アクシバ 残念!開花までもう少し!

お弁当を食べ始めた頃、雨が降り出した。
傘の中にうずくまってどうにか食べ、下ることになった。


    下って 宇陀川

 
  川沿いのニワウルシ 果実     オニグルミも果実が見えた。

海神社あたりまで行って駅に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月24日 うちの庭 ボタンクサギ アロエ不夜城 ハマナデシコ

2020年06月24日 | Weblog


   ボタンクサギ 満開


    アロエ不夜城


     ハマナデシコ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月23日 栢森~石舞台まで下る。オオバノハチジョウシダ コウヤマキ球果 

2020年06月23日 | Weblog

バスがなくなって奥飛鳥も行きにくい。
今日は、車で送ってもらい、栢森の山中の林道で降ろしてもらい、そこから稲渕~石舞台まで、ひたすら下った。
距離は長いが、下り道で楽々。
花の時期でもないので、のんびりと歩いた。

1本道の下り。植林の道はシダが多い。

 
背丈を超す大型シダ オオバノハチジョウシダと後日教えてもらった。
羽片の先端が尾状に伸びている。     右)クリハラン

 
     ミヤコミズ        分岐の湿地にクリンソウが植えてあった。           
木蔭の林道は涼しい。

 
   ハナイカダ  多い。       ナラガシワも多い。

 
ツリバナ、果実がたくさついていた。果皮はまだ割れていない。
                      右)クマノミズキ 少し遠い。


オニグルミ 葉陰に果実が見えた。


庭の植栽のコウヤマキに、若い球果が付いていた。
球果のてっぺんから葉が出ているのも不思議だ。
もう1か所コウヤマキの植わっている所があるが、球果はついていなかった。


  ヤブカンゾウはまだつぼみ

帰りは石舞台からバスに乗る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月22日 カラマツ 婆羅門杉 氷室神社 ラミーカミキリ ヤマトシリアゲ

2020年06月22日 | Weblog

カラマツを見に行ったついでに、福住あたりをまわる。
桜井市・奈良市・天理市・・と広範囲に回り、運動した気分はしたが、車の移動で、歩数は7400歩・・

 
カラマツ球果 だいぶ大きくなった。まだ少し小さめのものもある。

都祁に向かう途中、石碑があり下車。

 
左に「元郷社泊瀬明神状宮 式内」細長い灯籠
 その右に「曽我尾池之跡」の大きい石碑 池の跡か~。
大きい字の左に彫られた細かい字の判読を試みる。字は見えにくい。
「上古泊瀬河の水源として此の溜池お築造す」「中世池廃して・・藺繁茂し藺生庄と稱す」
そうか。この石碑の後ろの田んぼは溜め池の跡なのか。
池を廃して後、イグサが繁茂したところから、このあたりを藺生と言うようになった。(奈良市)
石碑は昭和51年に建ったもの。


道の反対側には「嫁取橋」と書かれた石柱があった。
曽我尾池から流れ出た水路に架かっていた橋なのかなあ。
謂れがありそうだが不明。

三陵墓・西古墳(奈良市)でお弁当を食べる。

 
車道沿いの石仏 このあたりには石笠付きの石仏が多いそうだ。

 
小橋を渡り「下之坊の大杉」を見に行く。 山の方へ登っていくと間もなく大杉が見えてきた。

 
「下之坊の大杉」は「婆羅門杉」とも言われ、幹周6.8m樹高48mの杉と幹周5m樹高43mの杉の2本
どちらも樹齢約800年 奈良県の天然記念物に指定されている。
 右)境内から撮影。太い枝が立ち上がっている様は見ごたえあり。

 
下之坊 簡素なお堂があるのみ。   階段の下の石垣のお不動さま どういった謂れがあるのかわからない。

説明板によると『普光山永照寺は長谷寺の末寺で、天平11年(739)聖武天皇の勅願により、良弁僧正の創建と言われる。
中世までは上之坊・中之坊・下之坊を始め、湯屋坊など六坊があったが、戦や大火で焼け、今は下之坊1宇を残すのみである』
『本尊11面観音菩薩は藤原末期の優美な姿を残す』

 
ここから少し下って、七曲り峠への道を登る。
            右)植林地は以前は棚田だったような痕跡あり。

 
もう少し歩くかと思えば、ほどなく「七曲り峠」に着く。あまりに近くちょっと拍子抜け。
 右)峠は、ここ福住地方と奈良の平坦部を結ぶ峠の1つの古道。
村人が薪や炭を荷車に積んで国中(奈良平坦部)へ売りに行ったり、行商人が往来、上級学校への通学路にもなっていたとか。戦国時代には敵が攻め込んできた道でもあった。
   右)奈良盆地側へ道は続く。ちょっと覗いてみたが草が繁りぬかるんでいた。(向こうへは降りない)
荒れ果てていた古道を整備されたとのことだが、つづら折れの細い、勾配のきつい道らしい。


右)峠の右側に大きい石屋根のついたお地蔵様。「受取り地蔵」。
鎌倉時代の建長5年(1253)。 野にある石仏では最古のものだそうだ。
「受取り地蔵」の名の由来は、峠を越えてきた荷物を受け渡しするからかな?と思ったが、違うらしい。
調べたネット記事では『地蔵の手前にある(写真に撮っていない)2つの石にお棺を置き、葬儀が営まれ、後ろの広場で法要して土葬していた』とのこと。
そういえば峠の左側に墓地があり、受取地蔵の右手には6地蔵?7体の地蔵が並んでいたなあ。
あら~。お棺を乗せた石とは知らないでその石に腰かけてお茶を飲んだわ~。
登ってきてホッとするようないい按配の石だったが・・私と同じことをした人、多いのではないかしら。

下におりて・・


 泥掛け地蔵 2体のお地蔵様

氷室神社へ

 
氷室神社への分岐にあった「十王仏」 これも石笠石仏
1.2.3.・・あれっ11ある。と思ったが、上段の中央は阿弥陀如来だそうだ。
十王というのは、亡者の審判を行う十人の王のこと。
亡くなると、初七日・二七日・・・百箇日・一周年・三周年・と十王を順番に廻り、娑婆での罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるのだとか。(十王説)閻魔さまも十王の一人だそうです。

氷室神社 全国最初の氷室神社 (天理市福住)
夏に氷のなかった時代、厳寒期に氷を山中の氷室に保存して、夏に切り出して献氷した。

 
 氷室神社 氷の神様を祀る。拝殿と左の方に2摂社がある。
祭神は7神 名前を聞いたことがあるのはその内2神のみ。大鷦鷯命・大己貴命 
ちょうど今年5月に20年に1度の式年造工が行われたばかり。
             右)本殿と2摂社の檜皮も葺き替えられたばかり。
他に修理や神具の新調も行われたとのこと。檜皮を取ったヒノキもあった。
仁徳天皇のころから献上された「福住の氷」1600年前から今も献氷祭は行われているそうだ。

2015.7.20 氷室跡を見学したことがある。 ここ参照

見た昆虫や草花や生き物

 
ホタルブクロ 山裾にあちこちあった。     ウツボグサ

 
ヤマユリ つぼみは多いが開花はまだ先   ツルアリドオシ

 
  トノサマガエル         アマガエル 極小のがあちこちに。


トノサマガエルでもなし、ツチガエル?ダルマガエル?と思ったのですが・・二ホンアマガエルとのことです。
こんなイボイボで、まだら模様で・・アマガエルとはわからなかった~。
鼻先が尖らずに、ブタ鼻が特徴だそうです。色や模様だけでは調べづらいです。

 
ラミーカミキリ カラムシをなどイラクサ科の他、アオイ科の茎や葉を食べるらしい。
タチアオイに群がっていた。        右)ヤマトシリアゲ


     クロヒカゲ
ウォーキングにはならなかったが、いろい珍しいものを見れた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月17日 うちのツバメの記録②(6月1日~6月17日)・・やっと抱卵 

2020年06月17日 | Weblog

うちのツバメ観察日記 続き。 前回ブログ参照

5月6日、昼間に初めて巣に止まっているツバメを確認してから、1羽、又2羽が夜、巣に帰ってきたり、帰ってこなくなったと思えば、また2羽揃って帰ってきたり。・・と思えば30日31日は外泊?。どうなってるんだか・・

6月に入っても1日・2日・3日と帰宅(巣)せず、いよいよどこかへ行ってしまったかと思っていたら・・
4日、朝と夕方に2羽がガレージに出入り。(巣に止まったかは未確認)
5日・6日の夜は帰宅せず。
7日夜、1羽巣の縁に止まっていた。
8日夜、帰らず。


9日、午前10時、2羽、巣の縁と止まり木に。巣の1羽は藁クズをくわえていた。
   やっと産む気になったかと思えば・・夜は帰らず。
10日、昼間に道路に2羽いたらしい。夜は帰らず。

 
11日、朝8時 電線に2羽離れて止まる。
                 右)午後14:24 2羽の距離が接近。

 
     左のツバメ             右のツバメ
夫の報告で、写真を撮る。この後、結婚したのでは?とのこと。
家族みんながいつも気にかけている。
「産むのか産まないのかはっきりせえ、って巣の前に張り紙しとこか」と夫


11日、夜、巣の縁で眠る2羽。

 
12日、朝10:46、巣の中に1羽。座っているよう。卵を産んだか? ガレージの車の上で1羽は見張り?
(車の上にいるので、近寄れず網戸越しに写す)

            
12日、18:30いなかったが、22:44巣に2羽止まっている。1羽は巣の中に。

 
13日、20:47、巣の縁で1羽、止まり木で1羽。


14日、19:59 1羽が巣の中に座っている。


15日、23:11 抱卵? 1羽のみ。
巣に羽毛らしい綿毛が見える。柔らかいものを敷いているのかも。


16日、18:58 1羽、深く座っている。抱卵?

 
  17日06.05 まだ巣にいる。 
9:20まだ巣にいたが、11:27朝ご飯を食べに出かけたか?留守。
14:52・18:11・18:55巣に座っていた。
18:30雄?前の電線に止まってそれとなく見守っているよう?

●6月11日以来、夜には帰っていること。
巣の縁に止まっていたのが、中にしゃがんでいるように見えること。
「抱卵確実」と思う。

●今の疑問は
①建て増しして深い巣になっているが、中はどうなっているのか? 見たいが見えない。
②14日からは夜、巣に1羽しか見えない。もう1羽(雄)の寝床はどこ?

夫は「雄も巣の中にいるのでは」というが・・それはないと思う。
「朝、雌は巣を離れ、電線の上にいる雄と餌を取りに行く」ともいう。・・私は未確認。

抱卵日数は13 - 17日と書いてあるネット記事もある。
早く”孫”じゃなかった”ヒナ”の姿が見たいなあ。
とりあえず、卵を産んだようでホッとした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月16日 岡寺駅~欽明天皇陵~川原寺~甘樫丘~橿原神宮前駅 キアゲハ カラスアゲハ ヒメコウゾ バショウ

2020年06月16日 | Weblog

知らない道がいっぱいあるので、今日もできれば新しい道を探したいと思った。

ここから歩き始めたことのない岡寺駅を出発。
旧道を通って欽明天皇陵へ。

 
      欽明天皇陵
 
亀石を通って、天皇社(八阪神社)どんな神社なのかよくわからない。
こんもりと繁る杜の中に鳥居。中にはご神木らしいサカキが1本。
エノキなど大木の他リンボクが数本ある。

川原寺から寺の西の道を入る。


川原寺(弘福寺)の裏山にある板葺神社の横の山すそを通る。木蔭で涼しい。
途中から左の小山を越えると甘樫丘の南に出た。この道は先日お試し済み。

甘樫丘の横を西へ。


近頃は珍しくなった手植えの田んぼ。


飛鳥養護学校への道を入る。ここは通ったことがない。

方角を考えながら曲がって曲がって歩いてどこに出るか?
橿原市の菖蒲町の住宅の中に出た。

ここを北?へず~っと行けば、出るところはわかるが・・

それでは面白みもないので、住宅地の中をジグザグ斜めに歩く。
植山古墳が見えるところまで来たが、橿原神宮前駅はもっと北だと、またジグザグ・・

下っていくと・・見たことのある木立が見えてきた。ここへ出たか~。


  孝元天皇陵 剣池・石川池
濠の中にコンクリート製の杭が何本か立つ。剣池に、後年灌漑用ため池 石川池が増設され、その境界らしい。

ここまで来ればいつも通る道はすぐそばだが・・
違う道を試したいと、手前で西へ折れる。
結局は、剣池から少し西の、いつもの車道に出た。橿原神宮前駅も近い。

今日出会った虫や花

 
  スターチスにキアゲハ          アオスジアゲハ

 
    ニガナ               コヒルガオ

 
カラスウリ 花が終わったばかり。  ピンポン玉より小さいミカン

 
 イチジク 果実の極小赤ちゃん    イヌマキ 先日見たより小さい雌花

 
ナワシロイチゴ 粒は大きいがクサイチゴの方がおいしい。
               右)ヒメコウゾの果実 色づいたのがあった。

                
花も終わりのオトメフウロ 果実は神輿型に裂開して種子を飛ばす。

 
                       バショウ                  バナナに似た果実が房に付いていた。
どんな味だろう?種があるだろうな。

知らない道を探して歩いてみたけれど、後半の住宅地あたりは面白いものもなかったが仕方ない。
帰ってから、写真に撮った住宅地にあった地図を見ると、植山古墳や丸山古墳のあたり、小さい神社やお寺もある。
次の機会に半日コースで歩きに来ようかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月15日 昆虫 アオマダラタマムシ アカシマサシガメ セスジナガカメムシ ミドリカミキリ ハゴロモの幼虫 

2020年06月15日 | Weblog

久しぶりの昆虫観察会。たくさんの昆虫を見ることができた。
カメムシの仲間とカミキリムシの仲間が多かった。

下記①②③④⑤は特にお気に入り。

 
①アオマダラタマムシ 重厚な金属光沢  ②ヒシモンナガタマムシ 菱紋のある小さいタマムシ

 
   ③アカシマサシガメ         ④セスジナガカメムシ  赤黒の警戒色の2種


アカスジカメムシ ウイキョウでよく見る。イタリアンパセリについていた。

 
     ミドリカミキリ   
  右)⑤エグリトラカミキリではなく、キイロトラカミキリのようです。スマートなカミキリムシ


  キマダラカミキリ 大型

 
ヒメアトスカシバ「ハチじゃなくて ガ だよ」との声 ハチの仲間に擬態しているらしい。 
                右)クロマドボタル 胸部に透明な部分(窓 →)がある。

 
ハゴロモの幼虫 毛をまとっている。危険を感じると、ピンっと飛んで逃げる。逃げ足?は速い。
       右)クズの新芽についていた卵。持って帰ってしまった。・・いかに・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月13日 ジャコウアゲハ幼虫 ウメエダシャク ハナハマセンブリ

2020年06月13日 | Weblog

毎日雨で「おうち生活」
今日は小雨が降ったり止んだりの中、久しぶりに近くを散歩。

 
 ほとんどの田んぼは田植の済み。 吉野川分水が通る水路も水量たっぷり。

 
    田植真っ最中の田んぼ   うまいこと苗が植えられていくなあ。
この田んぼ、人が植えたらどのぐらい時間がかかるだろう。
機械を考えだす人間ってすごい。

 
ウマノスズクサにジャコウアゲハの幼虫     右)終齢幼虫か?

 
道端の草むらの中にハナハマセンブリ。  ヒナキキョウソウ
小雨・風・小さい植物・揺れる・・なかなか撮りにくい。

 
ウメエダシャク サクラの木のあたりで、たくさん飛び回っていた。
 右)ちょっと遠かったが・・短い尾羽、丸く大きい目 キジバトの幼鳥?
(友達に確認中なので、違ったら訂正します。⇒イソヒヨドリではとのことです)
虫をくわえているが、大きすぎたのかなかなか飲み込まない。


初めての道を通った。周りの家や道路とは違うカーブした道路。
大昔の曽我川の流路ではないかと息子はいう。そういえば・・
航空写真で見ると、川跡のように見えるのだそう。 へえ~。

 
石がたくさん放置?置いてある?所。右の石と合わせて「唐臼」だという。
右の石はテコの支点となるものだとか。 へ~~。
私は「唐臼」見たことがあるけど、なんで昔人間の私より昔のこと知ってんの?  
いつも石を気にかけているので、あちこちでよく見るのだそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする