みどりの野原

野原の便り

3月31日 田原本法貴寺周辺 池坐朝霧黄幡比売神社・大和川蛇行跡・街道の辻・・モチノキ大木・ヤマナラシ

2018年03月31日 | Weblog

午後から息子とお出かけ。(いつも遅い)

行く先は途中で法貴寺周辺と決めて・・大和川(初瀬川)の満開のサクラの下に車を止めた。


水を満々とたたえた大和川(初瀬川) 堰を作って水をせき止めているよう。
平地で流れを作るためか??

集落(法貴寺(東地区))を少し入ると・・


久しぶりで見た麦生畑。せいせいと青い葉をなびかせている。

 
そばの畑にはダイコンの白い花       ブロッコリーの薄黄色の花 
菜っ葉(名前わからない)の濃い黄色い花も満開 きれい。


集落の中の民家のうだつ 龍の模様?

 
法隆寺 大坂 三輪 初瀬 丹波市への道標  右)地蔵堂

 
法貴寺大橋を西(法貴寺(西地区))へ渡る。 右)流れのない大和川の水はよどんで茶色い。


変わった形のおかげ灯籠 

この辺りから蛇行していた大和川(初瀬川)が付け変わっている。

蛇行跡は後で行くことにして・・先ずは「池坐朝霧黄幡比売神社」(いけにますあさぎりきばたひめみことじんじゃ)へ。

説明版によると『聖徳太子創建の法貴寺伽藍を賜った秦氏が、その始祖の守り神として崇敬した古社』
後に『北野天満宮より菅原道真公を勧進し相殿とした』とある。縁起式内社である。

祭神は天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと 機織りの神)と菅原道真公。
 
鳥居の額には「池坐神社」と書かれている。   右)樹に覆われた参道

 
唐破風の屋根の拝殿には「天満宮」の額   境内のハランにつぼみがあった。

 
池坐神社境内の向かって左手に鐘楼と山門があり、入る。

千万院
 
千万院は、昔あった法貴寺の名残の子院らしい。  
      右)お堂の中には平安・室町の仏像が祀られている。(格子戸から写す)
左から2体目、不動明王像は国の重文
『聖徳太子の創建で秦河勝に賜ったという「法貴寺」の創建は法隆寺よりも古く、推古帝のころ。
当初、仏法を起こす寺として法起寺と命名されたが、後に法貴寺と呼ばれるようになり、七堂伽藍を巡らし盛大を極めたが、江戸時代半ばには実相院と千万院だけになり、明治の廃仏毀釈で千万院だけとなる』

堂内には不動明王像の他に、薬師如来坐像(鎌倉)・11面観音菩薩(室町)・御堂の中の薬師如来坐像(室町)・聖徳太子像(南北朝 柱の陰で写っていない)
右端の三鈷杵をもっているのは弘法大師かな?
賓頭盧尊者坐像(室町)は前面格子戸の近くにあったがなでるには手が届かない。

お堂は小さいが、貴重な仏様がぎっしりと並んでおられ、法貴寺の栄華が偲ばれた。

 
昔の街道らしい四つ辻
         
  
四つ辻の大神宮灯篭   中)道標(すぐ たつた・こうり山 裏・すぐ みわ・はせ)
お堂の中のお地蔵さまも道標だった。(北 たつた・南 はせ・東 こうしん? 西 おおさか と読める) 

きっと街道の1等地の重要な辻だったに違いない。

大和川(初瀬川)蛇行跡へ。

 
案内図より。緑色の所が蛇行跡。今は「しきのみちはせがわ展望公園として整備されている。
後で息子が調べてくれたところによると、1982年の洪水がきっかけで河川改修が行われ、大和川は直線になったらしい。
この台風は私も覚えがあり、近くの曽我川も決壊し、県内でもあちこち被害があった。
川の付け替えはもっと昔のことかと思ったが、そうでもなかった。

河川付け替えで大和川は直線となり、蛇行跡は公園に整備された。
花木が植えられ、藤棚のフジはつぼみが膨らんでいた。足裏健康の小石が敷いた場所や簡単な遊具もあり蛇行跡の形にずっと続いている。

 
堤防のように端が少し高くなっていて、川の中を歩いているような感じがする。

 
向こうに大きい木が見えてきた。木の根元に私(大きさ比較)
モチノキの雄木だった。ちょうど花盛りで花を確認した。
こんな大きいモチノキはあまり見ない。かなり大きいと思うのに、この木のことを調べても全く見つからないのが不思議。


モチノキの根元の小さい祠に布をかぶせた石仏があった。布に「大日如来」と書いてある。
エプロンのような白い布ですっぽりと覆ってあるのはなにか意味があるのかな? 
その横にさらに小さい「福高明神」が祀られていた。

ネットで「田原本の昔話」の「砂かけババ」の話が載っている。
『砂かけババというお化けがいて、森蔭や神社の影など淋しいところ歩いていると、砂を振りかけておどかす』という話。
似た話として『法貴寺の川堤にある大きなクロガネモチの木も「砂かけの木といい”たたりの木”とされている』との記述があった。
この話にはクロガネモチと書いてあり、ここにあるのはモチノキだが、蛇行していた大和川の堤にあるということからこのモチノキのことを書いているのかもしれない。それらしい記述はこれだけだった。

蛇行跡の公園はコの字型に続き、大和川手前で終わる。

展望台
 
展望台に登る。東西南北見晴らし抜群。 近くに見えるのは奈良県フットボールセンター(元志貴高校)。奥に人工芝のグラウンドが見え、手前は工事中だ。


ヤドリギがいっぱい付いた木 エノキ? 

 
近くに植栽されていた2本の木、枝いっぱいに雄花序が垂れていた。何の木かな?
ヤナギの仲間かと思ったが、次の日、植物に詳しい人に尋ねたらヤマナラシではないかという。 
そうか~。ヤナギ科ではあるがヤマナラシとは思い至らなかった。

 
 昭和38年と書かれた古い橋     左・西門川と 右・布留川の合流点

天理市に入ったらしい。白山神社などに立ち寄って・・

「もう少し行ったフェンスの中に道標がある」という通り、フェンスの草地の中に道標があった。

 
左・なら こおりやま 右・丹波市 道 とはっきり読める。中央は妙覚信女
        右)その上の字は? 字を組み合わせたような・・

天皇神社(天理市備前町)

 
天皇とは牛頭天皇のことで、素戔嗚命を祀る。
 右)本殿は室町時代初期のもので、大正時代には国宝であったが、後、昭和25年に重文に指定されている。

長柄運動公園そばののコンビニでおやつを買って食べる。
このコンビニのできる前からあった道標は、壊されず、行方不明にもならず、植込みの所にちゃんと残してくれたらしい。他では工事で行方不明になるものもあるとか。

帰り、少し細い農道を通ったら・・

 
ヤギさんが2頭寄ってきた。かわいい。少しの間ヤギさんで疲れを癒す。
                  右)これは麦藁の俵? 珍しい。

  
17時10分 日が傾いて長く伸びた私の影。 右)大和川のサクラ並木に戻る。

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3月30日 鵜殿 ノウルシ群落 

2018年03月30日 | Weblog
春3月の鵜殿ヨシ原

 
堤防の斜面はセイヨウカラシナで真っ黄色。新しい鉄塔も立ち、クレーン車が遠くに見える。

前に1度見に来たことがあるヨシ焼き。毎年は2月25日に行われた。
今年はよく焼けたそうだ。ヨシを刈り倒しておいてから焼かれる。

いつもより水路に早く水が入ったので、下見した場所へ行けなくなったところもあるらしい。 
そして、工事が始まっている新名神高速道路

今日はどんなところを見られるのか。鵜殿に精通したお世話役さんに案内していただく。

 
    今日の見どころはノウルシ     群生しているところもあった。
枝分かれを繰り返す面白い花序 黄色い苞が花のように見える。群生は壮観だ。
琵琶湖周辺で群落を見たが、負けないぐらいの群落があった。
ヨシが成長してくる頃には地上部は枯れる。今の内・今の内・大阪府の絶滅危惧Ⅱ類

 
ヨシの芽とオギの芽が混じったところ。  
    右)赤みがあり葉が横に開くのがオギ・細く尖るのがヨシとのこと。

 
飛び石を渡る。

この時期、ヨシ原には芽吹きがたくさんある。
この芽はカナムグラ 細い双葉のイシミカワ・オオイヌタデの芽・クルマバナの芽 ・・
これでよくわかるねえ。感心する。


これはゴキヅルの芽 なるほどウリの仲間 カボチャの芽に似ている。厚みのある双葉。
ゴキヅルの果実は可愛いので好きだが、鵜殿ではヨシを覆うやっかいもの。
水につかると枯れてしまうものがある中、ゴキヅルは水の中でも平気で成長するのだとか。

水の通った水路

 

まるで湿原のようなきれいな景色 水辺にヨシが生えていてゆったりとして心が和む風景だ。


工事現場近くに来た。このあたりに橋脚が建つのか。

 
深く掘りこまれているその斜面を見ると、ブツブツと切断されたヨシの根(地下茎)が見えた。
 右)斜面を上から見たところ。ヨシの地下茎は深さ3メートルぐらいまで広がっているらしい。

 
今年初めて見つかったというアマナ 細い棒やすりのような胞子葉を付けるトネハナヤスリ
珍しい植物も今の内。そのうちヨシなどに覆われて地上から姿を消してしまう。

  
「鉄塔にチョウゲンボウが止まっている」どこどこ? あの赤いところの・・ アッ分かった。

広い空、広いヨシ原には混通や小動物も多く猛禽類もよく見られるようだ。

シロガシラという南西諸島に生息する鳥が昨年はここで繁殖したそうだ。
飼い鳥が逃げ出した?? 朝から何人かはしっかり見たようだが、私もちらっと姿を見た。


ヨシ復元の試みで水をヨシに近づけるために地面を切り下げたところ。

広~い鵜殿ヨシ原、今は見通しがいいので迷子にはならないだろうが、ヨシが繁る夏は全く見通しがきかない。
道のないところもあっちへ入ったりこっちへ行ったり・・どこにあるのかまるでわからないが、いろいろ見ることができた。

次に来た時にはいみられるだろうか?
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3月29日 キトラ古墳・岡宮天皇真弓丘陵・束明神古墳・春日神社狛犬・櫛玉命神社狛犬

2018年03月29日 | Weblog
壺阪山駅からキトラ古墳へ。

 
高取町のジャンボ雛  もう3月も終わりだな~。 
         右)田んぼの溝のオオカワヂシャが花が咲きだした。

キトラ古墳
 
     墳丘へ上る。     四神の館で キトラ古墳 石室模型
被葬者は飛鳥時代の誰か?忍壁皇子?弓削皇子?高市皇子?葛野王?・・諸説あるらしい。

2階の展示も見て、昼食後、壺阪山駅から岡宮天皇真弓丘陵へ。


斜面にタチツボスミレ群落  

 
今歩いているのは紀路 遠くに見えるのが岡宮天皇真弓丘

岡宮天皇とは皇位につくことなく亡くなられた草壁皇子の諡号。 

 
  岡宮天皇真弓丘陵(宮内庁)  
     横の素盞雄神社からは岡宮天皇陵の神域を示す玉垣が巡らされているのが見えた。


       素盞雄神社

『今から草壁皇子の本当の墓の可能性が高いと言われているところへ行きます』と講師先生

束明神古墳

 
   階段を上った春日神社   束明神古墳」はその境内にある。何でもない塚に見えるが・・

明治の頃、岡宮天皇の御陵を指定するため調査するとの通知があった。以前より玉垣を巡らせてお祀りしていた村人は、ここが天皇陵に指定されると強制移住させられるのとのを噂に、石室を壊してしまった。という伝承が残る。
そのおかげで役人に知られず、結局岡宮天皇陵は他の場所(現岡宮天皇陵)に指定されたという。

調査の結果、石室も大規模で、墳丘は八角墳と判明して、被葬者は天皇に匹敵する人物の墓であろうという。
天武天皇と持統天皇の子で皇位につかないまま亡くなった草壁皇子との説が有力らしい。

橿原考古学研究所の前庭に復元された石室(横口式石槨)が展示されている。
 
>春日神社の狛犬 color="navy">櫛玉命神社に立ち寄った。


民家の塀から伸びだしたアケビの花や高取川のサクラを愛でつつ飛鳥駅へ向かう。
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3月27日 家の庭 キクザキリュウキンカ占領 イヌノフグリ異変? ムサシアブミ芽

2018年03月27日 | Weblog
家の庭も春らしくなってきた。

 
      ムサシアブミ 芽          ウラシマソウ 芽


キクザキリュウキンカ 庭の1角を占領 どうしたものやら・・手に負えなくなっている。

そばでニリンソウやジロボウエンゴサクも咲いてはいるが(後日紹介)

ベランダ

 
プランターの小松菜が芽生えてきた。     右)ブロッコリー
今年はブロッコリーに鳥除けネットをかけたので、中央の大きい花芽を一度収穫できた。
その後、2番手を期待していたが、ふと見ると、葉がすっかり齧られている。
ネットをかけてあるのに~。 ネットとベランダ手すりの間をすり抜けて鳥が入ったらしい。
網の中にまで侵入するとは、にっくき鳥ではあるが、その勇気に恐れ入った。
もう2番手は期待できなくなった。 もう1鉢のブロッコリーは2番手も採れた。


  不死鳥がたくさん花をつけた。

 
トウダイグサは元気。これは強い。たくさんの花が集まった形は複雑だ。

 
    イヌノフグリ 花        これはつぼみ?閉鎖花?
‥と言うのは・・まだ寒い頃からプランターいっぱいに繁っているのに、いっこうに花が見えなくて、おかしいなと思っているうちに、あちこちに果実が出来ている。
なぜかな?
ある日、プランターの端に1本フラサバソウが枝を分けているのを見つけた。
ひょっとして、これが干渉しているのかもと思ってフラサバソウを抜いた。

以前に「イヌノフグリがオオイヌノフグリから繁殖干渉を受ける」との話を聞いたことがある。
ひょっとしたらフラサバソウも繁殖干渉をするのか??
今年は明らかに花が少なく、つぼみ?閉鎖花?と思える小さな花の落ちたものをよく見る。

フラサバソウを抜いたからかどうか?今日見ると花が2つ3つ咲いているのが見えてホッとした。
コメント (4)
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3月26日 曽我川お花見 「ころも」と散歩

2018年03月26日 | Weblog
曽我川のサクラも満開。

娘の愛犬「ころも」の散歩について行って曽我川のサクラのお花見をした。

 
    あぜ道のノジスミレ      スイバも伸びてつぼみが付いている。


バイパス工事で行き場を失った地蔵さまたちが集められたのか?

 
     曽我川右岸のサクラ      前を歩く娘と「ころも」 

 
サクラの根元には オオキバナカタバミ や ハナニラが広がっていた。

 
豊津橋から左岸に回り込む。 お散歩も後半 太陽が傾いてきた。光る曽我川。

 
途中でセイヨウカラシナの枝先を摘んできた。 
          右)湯通しをして鰹節とお醤油をかけてピリ辛の1品になった。
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3月25日 娘・息子たちと花の平群へ。 夜は野草の天ぷら

2018年03月25日 | Weblog
娘・息子達と平群へ。「ころも」も一緒。

今も花木の栽培をしておられるところ、以前栽培していたものが放置されて咲いている花木もある。
とにかく1年で一番美しい花の季節である。

 
   ハクモクレン 真っ盛り。        アオモジも真っ盛り。

 
ケイオウザクラ?切り花用として栽培されている又は栽培されていたもの。サンシュユも見える。

 
    ハチジョウキブシ?           八重のツバキ

 
       ヒサカキ           シキミも花の季節

 
杵築神社 カヤノキの大木がある。 階段下の小堂を覗いてみると・・


上段中央に十一面観音 その両脇に2体と下段に4体、合計6体の地蔵菩薩が彫られていた。
何回も来ているのに初めて気づいた。

帰りは通ったことのない横道に入る。まだまだ探検するところがありそう。


 坂道に沿って集落がある。

 
西浄寺 詳しくはわからない。 屋根には「西」の字の入った「経ノ巻」といわれる鬼瓦があった。


古くはなさそうだったが、獅子が取りついているデザインの灯籠が面白かった。


谷の向こうにアオモジ 栽培からの逃げ出しもあるらしい。

途中からヨモギ・カラスノエンドウ・ツクシ・スギナ・タンポポ・ツバキの花も少しいただいて・・
夜は天ぷらパーティ。春の香りを楽しんだ。
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3月24日 長居公園・植物園 ジャカランダ・ハルニレ・コブクザクラ・サクラ見ごろ 

2018年03月24日 | Weblog
長居公園

冬中葉をつけていて、はて、常緑樹だったっけ?と思ったジャカランダ


やっと?葉を落とした。梢に残った果実が目立つ。

 
ハルニレ開花 柱頭と赤い雄しべの葯が見える。
           右)クヌギ 雄花序 つぼみがびっしりと付いていた。

 
      カンヒザクラ           オオシマザクラ
他にも、カワヅザクラ ヨウコウ ニオイザクラ ベニバスモモ ソメイヨシノ・・
まだつぼみもある。

 
通用門の前のコブクザクラが満開だった。
秋冬にもぽつぽつと小さい花をつけていたが、それとは別物のような大きい花をたくさんつけていた。


うれしかったのは双子の果実を見つけたこと。
雌蕊が複数あり、果実が複数個できることが「コブクザクラ」の名の由来。
何年も見ているのに初めて双子の果実に気づいた。

植物園
 
 
サクラの見ごろは今から1週間ぐらいか?
オオカンザクラ・オオシマザクラ・ソメイヨシノ

 
ジュウガツザクラ 春花は華やか。  モモももうすぐ満開。つぼみが残る今がきれい。

 
サクラと共に見ごろのツバキ     真っ白なキクカチャもツバキの1種 
キンカチャはつぼみがだいぶ膨らんできた。

 
      これもチューリップ          ホトケノザの花壇? 
シャーレ-ポピーが咲くまでの間ホトケノザが主役のよう。


イスノキまだ雌しべは伸びていないがまっかな雄しべが目立ってきれい。


レンギョウの仲間

以前からずっと気になって見ているが、長花柱花を付けているのは花弁が細く、花弁が太くて色の濃いのは短花柱花を付けていたので、長花柱花=シナレンギョウ・短花柱花=チョウセンレンギョウかと思っていた。

・・が・・・
実際、今日見たのも花弁の細いものは長花柱花をつけ、花弁の太いものは短花柱花を付けていたが、どちらも枝が角張っていることや、髄がハシゴ状であることから、どちらもシナレンギョウではないかとのことになった。(完全に納得できてない)

今後、葉が出たら葉の鋸歯の状態なども観察していくことになった。
異花柱花は同型同士では受精せず、結実しないらしい。

図鑑やネットでは雌雄異株と書いてあるもの、雌雄同株と書いてあるものもあり混乱しているようだ。
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3月18日 三川合流 背割堤を1周 コガタルリハムシ 高師小僧

2018年03月18日 | Weblog
木津川・宇治川・桂川の三川合流地点、京都府八幡市へ。

 
    八幡市駅から御幸橋(ごこうばし)を渡る。下は木津川

背割堤 
木津川と宇治川の間の堤はサクラの名所になっている。

明治時代までは木津川は京都市伏見区の淀付近で宇治川に合流していたらしい。
水害が何回も発生したりして、合流部を現在の位置に付け替える河川改修が行われ、その時に「二つの川が安全に合流できるように」との目的で背割堤が建設されたという。
私はてっきり自然堤防に手を加えたものだと思っていたが、川も付けかわり、堤防も人為的に作られたものだった。
背割堤は約1.4㎞あり、1970年代まではマツが植えられていたが、虫害で枯れ、その後に約250本のソメイヨシノが植えられたという。

 
背割堤の桜は植えられて40数年? かなりの古木も見られる。
満開のサクラのトンネル、見てみたいけれど、すごい人出なんだろうな。


宇治川の左岸に降り、背割りザクラを左上に見ながら遊歩道を堤先端に向かって歩く。
ここからのお花見も良さそう。


 縁がぼろぼろのギシギシの葉っぱ

  
コガタルリハムシの卵がいっぱいついていた。  お腹の膨らんだ雌の成虫   雄の成虫
幼虫は気が付かなかったが探せばいたのだろう。


トゲミノキツネノボタン  右手には天王山が見えた。

 
背割り堤の先端部は石が貼ってあった。 その先は広い草地。ギシギシが目立つ。
他はトゲミノキツネノボタンなど地面に張りついたような植物しか見えないが「前にはオドリコソウがいっぱいだった」という人がいた。へえ~想像ができない。


      モグラの塚が続いている。

堤の先端を回ったところでお弁当を食べ、木津川の右岸をさかのぼり、背割り堤に登る。
こちら側からは天王山が見えた。


サクラのつぼみは今にも咲きそうに膨らんでいる。お花見の人でいっぱいになる日も近い。

 
この後、エレベーターで展望台に登ったが、集合時間を気にしながら景色をちょっと見ただけで降りた。

午後は木津川の河川敷

 
河川敷の枯れ草を超えて広い河原に出る。

 
河原を歩いている間に拾ったという土器の破片などを見せてもらった。
合流地点あたりには「木津川河床遺跡」(弥生から近世にいたる集落跡など)が発掘調査により確認されているという。河原の砂や小石に混じって土器のかけらなどが見つかるそうだ。

そして「この辺では「タカシコゾウが見つかります」」 何? どんな字を書くの? 初めて聞く。

高師小僧

鉄分を含む粘土質の場所などで、植物の根などに沿って鉄分が沈着(共生バクテリアも関係)??
ヨシなどの根の周りに付き成長するうち、中の根が腐ってなくなり空洞になるものが多い。

帰ってからネットで見てみたが記述が様々で分かりにくい。
鉱物であるという人、鉱物ではないという人・・
具体的な形成プロセスについてはまだ判明していないらしい。

たくさん産出した愛知県豊橋の高師浜からの可愛いネーミング。

見本を見せてもらい、早速探索開始。
どんくさい私は肝心な時に肝心なものはなかなか見つけられないのだが・・あった。次々と見つかる。


   高師小僧を探す。

 
      これもそうかな?       これもそうだ。すごいいい形!

 
いっぱい拾ってしまった。穴が空いたものも開いてないものもある。形もいろいろ。
     右)まだ根が付いているできかけの高師小僧。

この高師小僧、ここでは自由に拾えるが、北海道・名寄や滋賀県・別所では国の天然記念物であり、
高師小僧の名の由来である愛知県高師原では県の天然記念物になっているところもあるという。


河原ではチャートを拾った。
「チャート=硬い石 茶色」のイメージがあったが、色は酸素の含有の具合によってさまざまらしい。
「チャートはプランクトンの死骸です(海の中で堆積してできた岩石)}と言われたのにもびっくりした。
「五色浜はチャートの礫浜です」そうだったのか~。

高師小僧・チャート またコレクションが増える。 断捨離と反してると思うけれど・・・
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3月15日 青谷梅林ピーク オオバヤシャブシ イヌナズナ サツマイモ 顕彰碑 ヨコメガシ 

2018年03月15日 | Weblog
JR山城青谷駅から梅林へ。

 
ウメ畑 [城陽市名木・古木 認定番号47 中中ノ郷のウメ「城州白」]の立札あり。実梅
h30.02.28認定。ピカピカの認定。

 
 浄土宗 龍福寺へ。 枝垂れ梅が満開だった。
境内にはミツマタやツバキ・カラタネオガタマ・スイセン・サクラなど(つぼみや花)が植えられている。

 
境内で気になった難しい字が書かれた石碑 カイコに関係あるかな? 
 右)推測は当たった。「」はカイコを意味する字で、石碑はカイコの供養塔か? 
昔は養蚕が盛んだったのだろう。

 
中天満神社 本殿は檜皮葺きで、覆屋付き。菅原道真を祀る。
創記は不明だが慶長11年の棟札が残るという。
右)ウメの模様の蟇股 他にも模様はいろいろあった。


アラカシの大木の前に小さい木の台 山の神を祀るところだという。
説明版を読むと、この地域は土砂の多い地質で大雨などの時、しばしば土砂流が村里を襲った。
それを山の神の怒りと受け止めて中地区の人々は山と里の境界3か所(1の口・2ノ口・3ノ口)に山の神を祀るようになったということだ。城陽市の無形民俗文化財に指定されている。
自然を怖れ敬うという謙虚な気持ちは大切だと思う。
近辺に河原の石のような丸い小石が目立ったのは何か関係あるのかな?


通りのウメ畑 今、プラムポックスウィルスなどよく言われているので何となくウメの木を見ていたら、樹皮にコウヤク病かと思われるものがあちこちに付いた畑があった。
高齢化で手入れが行き届いていないのかもしれないと勝手に想像。


そばの林にヤマコウバシが何本もあった。葉が{落ちない木」として受験のお守りにされる。
お昼の時、1人のメンバーが「せっかく取ってきたヤマコウバシを落としてなくした」というので、1枚持っていた枯れ葉をあげようとしたら「取れた葉っぱじゃなくて枝に付いてるのがいい」という。そんなにこだわっているんだ。
その時に、ヤツデも受験のお守りにされることを聞いた。へえ~~。初耳だ。
枕の下に敷いて寝ると言われたが、ネットでは「紙に挟んで背中に入れていく」とも。
お受験も程遠くなって、そんな時の気持ちを忘れている私である。

 
梅まつり会場 ウメは今がピーク。花の落ちているものもある。
平日のせいかもしれないが、前に来たほどの賑わいはないように思った。

ウメの木の下でお弁当を食べた。ひらひらと花びらが飛んでくる。

 
近くのオオバヤシャブシを観察する。 葉芽・♀花序・♂花序 去年の果穂も残っている。


梅祭り会場の横の方で造成中? 何ができるのかな?

 
        帰り道で見たイヌナズナ

 
城陽市の名木・古木に認定されている「観音堂 巽畑のシブガキ 鶴の子」
前にも見たなあと探したら写真があった。 右)平成22年2月28日のカキノキの写真
ずいぶん衰えが目立つ。

 
浄土宗大蓮寺 「甘藷元祖の碑 琉球芋宗匠嶋利兵衛」
琉球のサツマイモを初めてこの地で栽培した嶋利兵衛の顕彰碑を兼ねた墓とのこと。
目を凝らして見れば、サツマイモの形、ツルや葉も刻まれている。ユニークなお墓だ。


歩きつつ、レトロっぽいなと思って撮った建物はやっぱり明治37年の建築の「旧長池郵便局」だという。
棟の瓦に「〒」マークが入っていたらしいが、写真には端っこが覗いているだけ。残念。

 

放示邸(ほうじてい)のヨコメガシ 樹齢100年 もちろん城陽市の名木
黄色っぽい斑が筋状に入った硬い葉の縁はグネグネと波打っている。
アラカシの園芸種らしい。アラカシに園芸種があるとも知らなかったし、初めて見た木だった。

ウメ以外にもいろいろ楽しめた。
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3月13日霊山寺から追分から民俗博物館へ

2018年03月13日 | Weblog

霊山寺でバスを降りる。
この辺かと右折したら、霊山寺ゴルフ練習場に出た。道を間違えたようだ。

練習場入り口にお地蔵さまが見えた。

胴体が折れたのかコンクリート?で補修されている。
それを補うためか縄が巻き付いている。なんなのか? 説明版もない。
わからずに帰ったが、調べて分かった。

 
腰折れ地蔵とか縄掛け地蔵といわれているらしい。
荒縄を巻いてお祈りすれば腰痛や下の病気にご利益があるとのこと。謎が解けた。
知らなかったから写真をちゃんととっていなかったが、右の写真の左に少し写っている。
少し戻って先へと歩く。

第2阪奈道路の上に出た。


向こうに見えるのは追分梅林だ。

追分本陣から先に梅林の方へ行ってみる。

 
追分梅林記念碑とウメの古木が数本ならんでいるが・・。
ウメは?梅林は?ない。どうしたん?

なんでも、数十年前に土壌が悪化してウメが枯れてしまったのだという。
そういえばずいぶんここへ来ていない。
そして、梅林をよみがえらせようと植樹しておられるそうだ。
そういえば若い木がたくさん植えてあるのが見えた。
木が大きく育ってまた梅林が蘇るといいですね。

ちょっと寂しい梅林を後にした。


追分本陣 村井家住宅
大和棟の主屋・本陣屋敷は奈良市の指定文化財となっている。

本陣とは大名や旗本や役人・・などの宿泊所で、地域の有力者の邸宅が指定された。
労に見あった謝礼は出なかったらしいが、その代わりにか苗字帯刀など特権を与えられたらしい。
一般客は止まることができなかった。

 
屋敷の前の道標には「右大阪道」 
       筋向いにももう1基道標があった。「左ならいせ」・「右こおりやま」

村井家の前の道を南へ出発。
この道は昔、暗越奈良街道(伊勢本街道)と言われた大阪から奈良へ入る道の1本だ。
そして国道308号線でもある。

追分神社へ立ち寄った。

 
こじんまりした神社だった。

その後、矢田山遊びの森でお弁当を食べ、県立民俗博物館へ。

 
梅林は満開 梅見を堪能した。
コメント
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