みどりの野原

野原の便り

9月29日 松永久秀のゆかり 多門城跡 南大門 知らない奈良の町 

2020年09月29日 | Weblog

前回の信貴山で松永久秀の信貴山城や屋敷跡をみたが、今日はもう一つ、久秀が奈良に築いた多門城の跡などを訪ねた。

集合場所の奈良駅の前で、東向き商店街の名の由来などを聞き、出発。

奈良奉行所跡
奈良の町は幕府の直轄地で、江戸時代、奈良女子大のあたりに奈良奉行所が置かれていた。
大坂奉行所や京都奉行所などよりはるかに大きい、日本一の規模だったそうだ。

善政を敷いた名奉行 川路聖謨のことは前にも聞いた。
奉行の下には与力・同心など(御公儀)その下には岡っ引きなど。
周辺には与力などの屋敷もあったらしい。

 
          聖武天皇 佐保山南陵            隣には 光明皇后佐保山東陵

光明皇后の名について説明あり。諱は安宿部姫(あすかべひめ) 
光明子と言われるようなったのは、悲田院や施薬院などを作ったり孤児や病人の救済にあたり、伝説が生まれて以後のことだとか。

周辺には聖武天皇・光明皇后の親族の墓が集まっているそうだ。
元明天皇(聖武天皇の祖母)元正天皇(天皇の叔母)藤原宮子(聖武天皇の母・光明皇后の姉)子の基王
橘美千代(光明皇后の母)と、藤原不比等(光明皇后の父)の墓の場所はわかっていないらしい。


多門山城跡 今は若草中学校が建っている佐保山の一角
その時代にはなかった瓦葺の4階櫓(後世に天守に相当。校舎のあたりに建っていた)や多門櫓があった。
北の守りの多聞天を祀っていたという。
石垣の石は墓石や石塔や五輪塔などを各所から集めた。
城域は広く、古墳や墓や山を削り、眉間寺を移し、聖武天皇陵や光明皇后陵も取り込んだらしい。

前回に行った信貴山城は軍事用に、多門城は大和支配の拠点として使い分けていたらしい。

三好長慶の死後、三好3人衆との関係が悪化。
・・・織田信長に付いたり反逆したり・・

松永久秀 等と三好3人衆 等の戦いで、東大寺大仏殿も焼失してしまう。
松永久秀が東大寺を焼いた悪者扱いされるが、戦いのさなかで真相は不明で、その他の言い伝えも後世の誇張や創作の部分が多いらしい。
今年、久秀の肖像画(烏帽子に直垂姿)も見つかり、最近は業績も見直されているようだ。

最後には信長に謀反を起こして敗れ、信貴山城で天守を自爆して自害したと言われる。
信長に差出した多門城も同じ年?に破壊された。

 
      学校敷地で見つかった墓石や石塔が集められていた。

土塁や空堀跡を見て戻る。

午後からは

 
「中村直藏 農功の碑」 江戸時代の篤農家で、農民一揆などの解決には米の増収が根本と考え、イネの品種改良を一生の仕事とした方だとか。知らなかった。
    右)旧知事公舎 「サンフランシスコ条約」や「日米安保条約」に昭和天皇が署名されたのは知事公舎の「御認証の間」だそうだ。へえ~~知らなかった。

 
東大寺南大門 今あるのは鎌倉時代に重源が再建したもの。捻じれた柱があるのはかえって強度が増すためらしい。
松永久秀 三好3人衆の戦いで、大仏殿は焼けたが、南大門だけ残ったそうだ。

  
その時の鉄砲の弾跡が残っているというので探した。それらしいものが何か所かにあった。
 右)大仏前の土産物店の店先に「鹿水」「鹿さんのお水」と書かれた水入り容器
シカ君がちゃんと利用してました。奈良の町とシカ 共生してますね。  


   森鴎外旧居 門だけが残る。
大正6年に帝室博物館の総長に任命され、毎年秋、正倉院の宝庫の開封に立ち会うために奈良を訪れ、その時の宿舎になっていたとか。 へえ~ 知らなかった。

後、飛火野や瑜伽山園地をまわり 解散となる。

奈良の町、知らないこと、へえ~~というところがいっぱいだった。
記事は正確性に欠けるかも。  

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9月28日 一分駅から往馬大社 円福寺 竹林院 リンボク シロバイ ヒルガオ科の仲間 オオセイボウ?

2020年09月28日 | Weblog

グループのウォーキング再開
山裾や田んぼ道のあるいいコースだった。

往馬大社


    リンボク 花盛りだが高木で、花が高い。


     シロバイ 果実  
去年も同じ時期にリンボクとシロバイを見に来ている。

 
    往馬大社 拝殿      祭神は7神 本殿の屋根が並ぶ。左にも続く。

田んぼや山裾も歩いて・・円福寺へ。ここは初めてのところ。

 
        円福寺         鎌倉時代に再建された本堂(重文)
寺伝によると、天平勝宝年間に行基によって創建されたという。


   立派な宝篋印塔(重文指定)

少し歩いて、そう遠くないところに竹林寺 ここは来たことがある。


     簡素な本堂
奈良時代に行基が開いた行馬仙坊の故地といわれ、後に円照・良弁・忍性などによって堂塔が整ったが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、平成9年に再興されたとか。

 
   境内にある「忍性墓」          こちらが旧の墓石
遺言により、額安寺(三宅町)と極楽寺(鎌倉市)と、ここ竹林寺の3か所に分骨されている。


行基墓 火葬の後 この場所に埋葬するように遺言したという。 
数多くの寺を建立し、社会福祉事業 大仏建立にも力を尽くした行基
ここに特別の思い入れがあったのか。

途中で見た秋の花

 
     ホシアサガオ             マメアサガオ

 
   アメリカアサガオ            マルバルコウソウ
サワヒヨドリやツリガネニンジンなどもあった。

 
お弁当を食べた東屋のそばの石垣を1匹の青い虫が石の隙間を探すように飛び回っていた。オオセイボウ じゃないかな。
ハチの仲間(スズバチやトックリバチ)などの巣に寄生して幼虫が育つ。
写真を撮りたくて追いかけたが止まるかと思えば飛び立ち・・
でたらめで何度かシャッターを切ったら、私にしてはうまく飛んでいる写真が撮れていた。

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9月27日 畝傍山周辺 センダングサ コバノセンダングサ トキリマメ オオスズメバチ 

2020年09月27日 | Weblog

ようやく秋らしくなってきて歩きやすい。
橿原神宮の森から畝傍山を越えて、山本大師の方へ回る、私の好きな道。

 
   コバノセンダングサ       細かく切れ込んだ葉


センダングサ 切れ込みが粗い。

 
     トキリマメ         ヌカキビ さやさやと涼し気

 
優しい色合いのヌスビトハギの花   少節果は2個と思い込んでいたが、3個のもある。

 
   今が盛りのヒガンバナ       シロバナマンジュシャゲ
今はリコリスとして、いろんな色のヒガンバナの仲間が出回っている。

 
    オオハナワラビ         クサギ 青い果実と赤いガク

 
ミツバチの巣箱の上に仕掛けられた粘着トラップにたくさんのオオスズメバチ。効果大!  
巣箱の入り口付近では二ホンミツバチが出入りしていた。

 
山裾の草むらの中にオオスズメバチ?の大きい巣 出入口でこちらを睨んでいた。
くわばらくわばら・・ 

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9月24日 祝戸周辺 & からあゐの色

2020年09月24日 | Weblog

石舞台から祝戸へ
祝戸公園の山は工事中で登れなくて、ちょっと残念だった。

アレチヌスビトハギが真っ盛り。

     
  草むらに イヌコウジュ 暗い!       ヒメミカンソウ 

 
  ナガバヤブマオ ここでは初めて見た。       イヌクグ たくさんあった。

先日、万葉ウォークで「からあゐ」のことを聞いた。 9月13日のブログ参照 https://blog.goo.ne.jp/midorinohara/e/19ea8832b605414d0dca559f5b5a0b4f

「からあゐ」は「ケイトウ」の古名だという。
万葉の昔はこれを「衣に擦りつけ、擦り初めにした」と聞いたので、試してみたいと思っていた。
今日も、ケイトウがないかなあと思いながら歩いていた。
小川の向こうの畑の土手に、刈り捨てたケイトウがあったが届かず・・
・・と思っていたら、その後、道沿いに1本生えていた。
植えてあるのでもなさそうだったが、おおっぴらに取るのもはばかられたが、下枝の花を1つだけいただいた。
メモにちょっと擦りつけてみたら、色がついた。おお~。

 
ケイトウ(古名からあゐ)の花 紙に擦りつけてみた。
            右)カサカサした花だが、こするときれいなピンクの色がついた。
色がつくというのは確かめられたが、これで擦り初めにするのは大変だ~。

 
ツユクサ(古名つきくさ)これはジューシーで、よく色がつく。

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9月22日 墓参り 威徳院 ヒヨドリ2羽救出

2020年09月22日 | Weblog

今日はお彼岸。
墓参りの後、尾曾の威徳院までドライブ。
降りて、その辺を散歩。標高が高い分涼しい。標高350~400mぐらいあるらしい。

 
       威徳院 山門           本堂
置いてあったパンフによると、
『本尊 秘仏 毘沙門天は、飛鳥時代に日羅上人が、祈り空から紫の雲をまとって現れたと伝えられています。
本毘沙門天は「商売繁盛」「学業成就」「勝負に勝つ」福の神として信仰され、祈願されています。
畝傍山や二上山、あべのハルカスまで望むことができる、天空の寺院‥』


近くに建つ「尾曾林道記念碑 昭和43年5月27日」それまでは古道のみだったのか?

何回か、細川からの古道を登ったことがある。使われなくなって草に覆われ、じめじめとした山道だった。
その時は知らなかったが、丁石道だったらしい。今はどうなっているかなあ・・

 
古道を登ってきたあたりの道の両側に「太神宮灯籠」「毘沙門天」と書いた2基の灯籠がある。
                           右)7丁の丁石 
 
          前はもっと見えた気がしたけれど・・

 
           棚田 稲刈りの終わった田んぼも多い。

 
       シシウド             ヒガンバナ


奥の防鳥ネットに動く黒い影、見に行くとヒヨドリが2羽、ネットに絡まっていた。
この2羽は・・親子?兄弟?夫婦?友達?恋人???2羽一緒につかまるなんて・・
日頃は畑の作物を食い荒らす悪者とみているヒヨドリも、囚われの身を見てはほおってはおけない。

暴れて余計に絡まっているネットを、突かれながら1本ずつ外し・外し・外し・・ふう~。
鋭い爪を立てられて、痛タタ・・外し・外し・・羽根や脚を折らないように・・ 


やっと2羽を救出 体は温かかった。 
「もう悪いことしたらあかんよ!」よくよく言い聞かせて放鳥 
1羽は空高く飛び去り、もう1羽は近くの草地に着地。しばらく休んだら飛んでいくことだろう。

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9月21日 矢田丘陵 メダカナガカメムシ ヒメアカネ ヤマトタマムシ ミヤマガマズミ シリブカガシ

2020年09月21日 | Weblog

久しぶりの昆虫部会に参加 さわやかな秋空です。
今日もいろいろ見せてもらい教えてもらった。

 
「クズの花にウラナミシジミが卵を産む」と聞いたすぐ後に、クズの花に卵を見つけた。
卵の付いた花を持って行って確認しようと思ったのに、花が落ちて行方不明。
 右)拡大 ネットで確認 真ん中が少し窪んだ卵、ウラナミシジミの卵に間違いない・・と思う。

 
メダカナガカメムシ 体長2ミリぐらい。クズの葉についていた。
小さいのはお手上げ・・と、いつもあきらめ気味の私だが、はっきりわかる写真で確認できた時はうれしい。

 
    ハラビロヘリカメムシ    翅に小さい黒い紋があるのは  ホシハラビロヘリカメムシ

 
腹部の赤いトンボ ヒメアカネの雄らしい。    成熟雄の顔面は白い。
似たマユタテアカネとは(雄の)腹部先端が反り返らないことで見分けるとか。
ヒメアカネにもマユタテアカネに似た眉状紋があるのだ。

 
ナがニジゴミムシダマシ 虹色の光沢のある翅  右)センチコガネ 頭楯は半円形 
日頃私が見かけるのは断然オオセンチコガネが多い。

 
      ヤマトタマムシ         腹側も玉虫色だ。
写真に撮って、観察した後は放す。元気に飛んで行った。

 
アカメガシワの虫食い葉 プラネタリウムのよう。
                   右)きれいに葉脈だけになったヤブマオ 

 
ナラ枯れの枯れ木がシカの角のよう。  ミヤマガマズミ つややかな赤い果実

 
民俗公園に植栽されたシリブカガシ 大きくなったどんぐりと、雄花序・雌花序が同時に見れる。
                右)バス停そばのヤマナラシ? 薄紅色の葉柄が初々しい。

虫合わせでは50種ほどが記録されていた。
捕まえてみないとわからない昆虫も多い。見つける眼もすごい。
メンバーの方には大感謝。

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9月19日 二上周辺 葛城倭文座天羽雷命神社 センダングサ スズサイコ ソクズ 

2020年09月19日 | Weblog

二上周辺 ふるさと公園へ。道の駅でお買い物をして戻る。


広い ワタ畑 このワタはどこへ売られるのだろうか?

 
     花は閉じかけ             若い果実

 
①葛城倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみこと)倭文(しずり)神社とも言われる。天照大神の御衣を織った天羽雷命を祀る。
②葛城 二上(ふたかみ)神社 大國御魂神と豊布都霊神を祀る。 
③加守神社 又は掃守(かもり)神社とも。 天忍人命(あめのおしひとのみこと)を産育の祖として祀る。
この3社を祀る。


神社出口にあった「方位石」上部に→がある。昭和6年に建てられたようだ。

 
公園の隅にあった地蔵堂 バイパス工事でここにうつされたらしい。中に立派なお地蔵さま

 
ふるさと公園近くから向こうの山裾に王寺の町が見えた。
 右)帰り、旧道を通って帰ったが、集落の中に大和川分水を分ける「円筒分水工」があった。
中は見えないが、中心部からあふれた水を内側に取り付けられた壁のしきりによって分けられる仕組み。

 
     アメリカセンダングサ           センダングサ

 
    ヒガンバナ だいぶ咲いてきた。  スズサイコ 時間が遅くて花は萎んでいるのかも。

 
   サトキマダラヒカゲかな。     ソクズ もう花は終わりがけ。

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9月16日 万葉文化館の庭園 日本書紀

2020年09月16日 | Weblog

なかなか頭には入らないけれど、親しみたいなと思って機会があれば話を聞きに行ったりしている。

少し早めに行って、万葉文化館の庭園の万葉歌碑を巡り、樹木を見たりした。

 
 ケヤキはスッキリと伸びている。   見る機会の少ないカシワがここには植えられている。
残念ながらカシワはどんぐりはできてないようだ。

万葉歌碑を5基見た。そのうちの2基

 
天橋の長くもがも 高山も高くもがも 月読の持てる変若水 いとり来て 君に奉りて変若しめむはも。
・・変若水・・私もほしい。
  右)君を待つ 松帆の浦の娘子は 常世の国の天娘子かも。揮毫者は会社の先輩の書家 松塚糸さん

本番は日本書紀 持統紀

名前は少しづつ聞きなれてきて、前に古事記にあったなあとか、読んだなあとか聞いたなあとかが増えてはきたが・・
帰ってから、持統天皇のことを見直したが・・
昔の天皇や皇后の名前はいろいろあってむつかしいなあ。
持統天皇も ①(韓風諡号)持統天皇・②(諱 少名)鵜野讃良皇女・③(国風諡号)-1高天原広野姫天皇・③(国風諡号)-2大倭根子天之広野日女尊など。

関係する親・兄弟・子・他の妃?もそれぞれ複数の名があるから、注釈を探したり、ネットを見たり・・誰の事だかわかるのに時間がかかる。覚えられはしないし。(いつも言い訳ばかり・・)

持統天皇
夫・天武天皇がなくなって少しの間、称制。
息子草壁の競争相手の大津皇子を自害に追い込み・・なのに息子の草壁は早くに亡くなってしまう。
天武天皇の葬殯宮~大葬のことは詳しく書かれている。
31回も行幸された吉野。どんな思いがあって行幸されたのか・・

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9月15日 タコノアシ キジの群れ

2020年09月15日 | Weblog

先日、友人の畑でもう色づき始めたタコノアシを見て、自生地はどうなっているかな?
用事に出かけたついでに見に行った。


最初に見つけたタコノアシ群生地は1本もなし。
次に見つけた場所も1本もなし。がっかり・・

 
ヒレタゴボウがすごい勢い。あっちもこっちも盛り上がって山のよう。

 

ちょっと離れた3か所目で、やっとタコノアシがあった。
まだ花の時期 たくさんの雄しべが見えるが、細かくて花弁などはよくわからない。

帰り道でキジの家族がいた。

 
  雄のキジ 奥にもう1羽     写真ではわからないが3羽入っている。

息子は6羽ぐらいいたという。
雄が複数いたので家族で、大きく育ったヒナが一緒だったのかも。
周りには家もある。最初はもっと近くにいたが、飛び立ちもせず、悠々と奥の果樹園のほうに歩いて行った。
家族連れのキジは初めて見た。

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9月13日 万葉植物 歌碑 石舞台 阪田 上居あたり 最後にイモムシ画像あり

2020年09月13日 | Weblog

万葉植物の講座に参加

知っているところが多いが、阪田や上居はずいぶん久しぶりに行った。
万葉植物や歌碑などの説明を聞きながら歩いた。
万葉歌にうたわれている植物は今も私たちにおなじみのものが多い。
でも、昔の人の方がもっと心を寄せていたんだなあと思う。

 
石舞台公園 ハギ 秋の七草のひとつ  ヒガンバナ(いちし)まだ咲き始めだ。

 
「道の辺の尾花(ススキ)が下の 思ひ草(ナンバンギセル)今更々に何かおもはむ」
ススキの根元を探したが、毎年あるのに今日はナンバンギセル見つからず・・
途中の民家の前の植木鉢のススキの根元にあった。


石舞台公園のヤマボウシ 熟した果実がたくさん落ちていた。

 
ケイトウ(からあゐ) こんなトサカゲイトウはこの頃は少なくなった。
「秋されば 移しもせんと わが撒きし 韓藍(からあゐ)の花を誰か摘みけむ」
移すとは「移し染め」の意味らしい。
藍とは染料の意味で 韓藍は「韓の国からはいってきた染料」ということだとか。
これが今日初めて知ったこと。

ツユクサ(つきくさ)は仲間のオオボウシバナが友禅の下絵を描く青紙に使用されるのは知っている(中学校で青紙を使ったこともある)
ツユクサは花びらを擦りつければ青い色がつくが、ケイトウの花の汁で染まるとは知らなかった。
実験してみたいところだなあ。ひとり生えのケイトウがあれば・・

 
稲渕宮殿跡 草の中に歌碑があった。「明日香川 七瀬の淀にすむ鳥も 心あれこそ 波立てざらめ」
               右)空にはたくさんのアカトンボ。下の2匹は手書き・・

 
イヌビワ(ちち)茎や葉を折れば、白い汁がでることから。
黒く熟した果嚢 甘かった。 雌木だ。
万葉歌では ははそ(コナラやクヌギなどブナ科)は 母に、ちち(いぬびわ)の実は父に係る言葉で使われたりする。
     右)ニラ(くくみら)の花はキチョウやツマグロヒョウモンなどに人気があるようだ。

 
坂田寺跡の万葉歌碑 「御食向かふ 南淵山の巌には 振りしはだれか 消え残りたる」
                  右)阪田からの景色 向こうは甘樫丘
 
上居から見た景色 二上山の右奥に見えるのは六甲山とか。
                  右)上居から阪田・稲渕方面の棚田

 
飛鳥遊歩道 島の宮歌碑「嶋の宮 上の池なる放ち鳥 荒びな行きそ 君いまさずとも」
                右)畑のサトイモを食害中 ハスモンヨトウか?

所々で、万葉歌の朗誦もされた。
昔も今もなじまれている植物をたくさん見た。万葉集を通して知らないことを聞くことができた。

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