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南京大虐殺30万人説の信憑性

2011-01-08 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.25 )

 情報を制限し、国民世論を操作する中国の手法は、国民の目に映る国際社会の姿と歴史を歪曲するもので、今も昔も変わらぬ彼らのお家芸だ。
 たとえば南京事件である。南京事件は大虐殺だった、虐殺は存在しなかった、否、真実はその中間にあるというふうに、意見は大きく三分される。学者たちの間では、中国の学者も含めて、近年になってようやく、30万人虐殺はあり得なかったとの認識が広がりつつある。とは言いながらも、尚、決着のついていない同事件について、国民への正しい教え方は、意見の分かれている現状を教えることだ。しかし、中国政府は、30万人が虐殺されたと一方的に主張し、記念館を建設、生生しい展示を続ける。歴史問題で繰り返し非難される日本人は、中国の主張する "南京大虐殺30万人説" がどのように構築されたかを、よく知っておくべきだ。

(中略)

 日本軍による虐殺の有力な証拠資料とされるものに、『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員でオーストラリア国籍のティンパーリーの『What War Means』(『日中戦争南京大残虐事件資料集』所収、青木書店)がある。同書は『外国人目賭中之日軍暴行』として中国語に翻訳された。
 右の書の序文に楊明という人物が「(日本)帝国主義の強盗軍隊のすべての暴行は、決して偶然なものではない。すべて故意、全体的、組織的なものである」と書いている。これは日本軍の暴行は日本の国家意思によるものだと位置づけるもので、当時の蔣介石国民党政権の対日観そのものの見方である。また、同書には、「中国における戦闘区域内(上海・南京間)で少なくとも中国人兵士の死傷した数は30万人を下らない。また、一般市民も、ほぼ同じであった」と書かれている。
 ちなみに、南京戦当時、ティンパーリーが南京にいた事実はない。現場にいなかったにもかかわらず、日本軍による南京大虐殺の根拠となった作品を著したティンパーリーとはどういう人物か。長い間の謎を解いたのが鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)であり、北村稔氏の『「南京事件」の探究 その実像をもとめて』(文春新書)である。
 両氏の研究は、ティンパーリーが蔣介石の国民党が宣伝工作用に雇った人物で、国民党中央宣伝部の顧問だった事実を、初めて明らかにした。中央宣伝部の下には国際宣伝処が設けられ、彼らは南京事件に関しても暗躍した。その様子は、国際宣伝処長の曾虚白の自伝などに基づいて、次のように書かれている。
「日本軍の南京大虐殺の悪行が世界を震撼させた時、国際宣伝処は直ちに当時南京にいた英国のマンチェスター・ガーディアンの記者ティンパーリーとアメリカの教授のスマイスに宣伝刊行物の〈日軍暴行紀実〉と〈南京戦禍写真〉を書いて貰い、この両書は一躍有名になったという。このように中国人自身は顔を出さずに手当てを支払う等の方法で『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人となってもらう』という曲線的宣伝手法は、国際宣伝処が戦時最も常用した技巧の一つであり効果が著しかった」(『「南京事件」の探究』)
 南京大虐殺、30万人の虐殺の話は、こうして創作されていったが、北村氏はさらに興味深い事実を指摘している。ティンパーリーの著書は、ロンドンのゴランツという出版社から出されており、同社は1936年に成立した左翼知識人の団体「レフト・ブック・クラブ」の出版元だったという事実だ。
 中国人政府に雇われた学者が書き、左翼知識人の出版社から出された書物が「南京大虐殺、30万人説」の根拠となったわけだ。


 「南京大虐殺30万人説」の根拠となった資料は、中国人政府(国民党中央宣伝部)が宣伝工作用に雇った人物によって書かれたものである。その資料を記したティンパーリーは南京戦当時、南京にいなかったことが判明している、と書かれています。



 資料を記したのは「英国のマンチェスター・ガーディアンの記者ティンパーリーとアメリカの教授のスマイス」である、と書かれています。とすると、

   ティンパーリーは南京にいなかったとはいえ、
   スマイスが南京にいたかもしれない

と考えられます。スマイスも南京にいなかったのであればともかく、ティンパーリーが南京にいなかったことをもって、ただちに、「南京大虐殺30万人説」がウソ(捏造)であるとはいえないと思います。



 次に、中国人政府(国民党中央宣伝部)が宣伝工作用に雇った人物によって資料が書かれていることについてですが、

 中国の政府としては、自国の正当性を主張するのは当然であることから、「真実を」世界に宣伝することには、なんら問題がないと考えられます。そのために外国人を雇ったということも、とくに問題にするにはあたらないのではないかと思います。

 もっとも、これは「真実を」世界に伝えた場合には、ということであり、「真実ではない、虚偽の話を」世界に伝え、自国を有利にしようとしたのであれば、話は別です。

 そこで、資料に書かれた内容が「真実か否か」、つまり内容の信憑性が問題になりますが、それは当時、(ティンパーリーはともかく) スマイスが南京にいたか否かによって、決定的に左右されるのではないかと思われます。



 スマイスが事件当時、南京にいたか否かがわからないので、私としては、「南京大虐殺30万人説」は疑わしいけれども、本当かもしれないと考えざるを得ないのではないかと思います。つまり「南京大虐殺30万人説」は信憑性に疑問があるが、完全に否定するわけにもいかない、ということです。



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30万人虐殺の真偽はともかく、中日戦争での残虐行為が存在した事は間違いない (井上信三)
2011-01-08 19:27:21
2008年12月3日(水)「しんぶん赤旗」の記事より

日本軍がおこなった「三光作戦」とは?

 〈問い〉 「『三光』とは中国語なのだから、三光作戦など、そもそも存在しない」という人がいます。実際はどうだったのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 戦前、中国への侵略戦争が長期持久戦に入ると、日本軍は華北において中国軍がおさえていた地域、とくに中国共産党が解放した抗日根拠地に対して掃討作戦を実施しました。

 万里の長城の南北500キロ以上に「無人区」を設定、村を消滅させていったのです。そのあまりの残虐さから、中国では、これらを、焼光(焼き尽くし)、殺光(殺し尽くし)、搶光(奪い尽くし)した「三光作戦」と名付け、呼んだのです。日本軍はこれを「燼滅(じんめつ)掃討(燃えかすがなくなるまで徹底的に滅ぼす)作戦」と呼びました。日本軍の作戦名でないから、掃討作戦がなかったなどとは論外です。

 中国側は37~45年の8年に7つの根拠地が受けた被害だけで「318万人が殺され、276万人が連れ去られ、1952万軒の家屋が焼かれ、5745万トンの食料、631万頭の耕作用家畜、4800万頭の豚・羊…が失われた」(『日本侵略軍在中国的暴行』軍事科学院外国軍事研究部編著)としています。

 作戦の実態は、被害を受けた中国の民衆や、元日本軍兵士のさまざまな証言があります。「侵略はなかった」という靖国派の人たちは、中国の調査はもちろん、日本軍兵士の証言も「中国の戦犯収容所で洗脳されたもの」などといって多くを否定するので、ここでは、昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁(たかひと)の証言だけをあげます。

 三笠宮は「支那派遣軍総参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任したときに、日本軍の残虐行為を知らされました」「ごくわずかしか例があげられませんが、それはまことに氷山の一角にすぎないものとお考え下さい」と前置きし、書いています。

 「ある青年将校―私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです―から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿(きょう)の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました」(『古代オリエント史と私』学生社、84年6月刊)

 三笠宮の証言は多くあるようで、こういう立場の人がうそをつくとは到底考えられないので、中国における日本軍の残虐行為は存在した事は間違いないでしょう。

 そして、そういう残虐行為が日常茶飯事に行われていたからこそ、当時の普通の国民は降伏して捕虜になったら「鬼畜米英」からどのような残虐な仕打ちを受けるかわからない、と言う恐怖感から、降伏して捕虜になる道を選ばず、有名なサイパン島のバンザイ岬から一般婦人が飛び降り自殺したり、沖縄で民間人が集団自殺したりしたのでしょう。

Unknown (memo26)
2011-01-09 18:06:07
 南京事件の真偽はともかく、日中戦争でなんらかの残虐行為があったことは間違いない、ということですね。戦争ですから、おそらくあったのだろう、あったと考えるのが自然である、とは思います。

 しかし、どうして「日中戦争」ではなく、「中日戦争」なのですか? 普通、日本では「日中戦争」と呼びますが、「中日戦争」という用語は、井上さんが中国側の資料をご覧になられた際、書かれていたのでしょうか? いかに「しんぶん赤旗」といえども、「中日戦争」とは言わないと思いますが…。
私にもわかりません (井上信三)
2011-01-11 10:19:21
>どうして「日中戦争」ではなく、「中日戦争」なのですか

 ご指摘を受けて私が中日戦争と表題に書いていた事にはじめて気がつきました。中国意図の戦争について書くことは殆どなく、またその戦争に触れても普通は「支那(シナ)事変」と言うように書いたり口にしたりしていますので、今回のように中日戦争と言う表現のしかたはしてません。


 よく考えていましたら、このpコメントを書くためにネットで三笠宮について調べて回りましたので、その際に呼んだ中日戦争と言う表現に引きずられたのかもしれません。

 ただし、。日中と書こうが中日と書こうが私にとってはどちらでも良い事です。全く気にしません。memo26さんがそういうことに疑問をもたれたと言う事が不思議です。

 歓呼l区や中国では国名表記でもそういった順序に極めて敏感なようですが、常日頃バカバカしいと思っていました。もちろん、私も書くときは無意識のうちに日米、日中、日韓などと書いていますが、中・韓国人のように表記順がああだこうだと言うような事は児戯に類した事だと考えています。

 日韓(中)と書いて韓(中)国人から韓(中)日にしてくれと言われればすぐにでもそうしますが、その際にはそういうことは全くくだらないと、上記のような事をひとくさり講釈します。もっとも、彼らのような自尊心だけが図抜けて高い、世界の中心であるとうぬぼれている唯我独尊国民は決して納得・理解しないでしょうがね。

 なんにしても下らん事であります。
慣習に従って書くのは当然でしょう (memo26)
2011-01-11 18:59:47
 たしかに、語順をどうするか、はくだらない問題です。この点は同意します。

 しかし、慣習上、日本では(日本語では)「日中」と書き、中国では(中国語では)「中日」と書くわけですから、慣習に従って書くのは当然でしょう。慣習とは異なった語順で書かれている場合、そこには「なんらかの意図があるのではないか」と疑うのが当然だと思います。

 そこで、私は (疑いこそしなかったものの) 、どうして「中日」と書かれたのですか、と事情を尋ねたのです。どこかに書かれていた、「中日」という表記に引きずられた、ということですね。わかりました。ご返事、ありがとうございます。

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