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次の中国共産党政治局常務委員候補

2011-12-12 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.179 )

 中国の歴代指導部は毛沢東を第1世代とし、小平は第2世代、第3世代が江沢民で、第4世どは胡錦濤、そして近平らが第5世代となる。第5世代は12年の第18回党大会で選出される中央委員・候補委員(第17回党大会では371人が選出)を中心に形成されることになる。
 現時代で、12年の党大会における中央委員・候補委員をすべて特定することは不可能だが、現在の政治局員や中央委員・候補委員、さらに党中央や政府の高級幹部、地方省市のトップエリートから選出されることは確実だ。党中央幹部の70歳定年制を考慮して絞り込むと、ある研究では現時点で61人のトップエリート層が絞り込まれるという。
 そのなかには近平や李克強のほか、政治局委員としては王岐山・副首相、薄熙来・重慶市党委書記、李源潮、汪洋の4人が含まれる。これ以外の55人のうち21人が地方幹部を中心とした共青団出身者で最も多く、近平に近い太子党はわずか6人と、圧倒的に共青団閥が優勢だ。李克強と同じ北京大出身者は7人、近平と同じ清華大出身者は3人で、これも近平には不利な数字である。
 中国研究者のなかには、「共青団、太子党と言っても一枚岩ではない。また、両者が敵対しているという見方は必ずしも説得力があるとは限らない」との声もあり、近平が次期党大会でナンバー1の座を占めるには、共青団出身幹部を切り崩して自らの派閥に取り込むほか、上海閥や中国人民解放軍の若手エリートを抱き込むなど、新たなシンパの育成が必要になる。
 北京の消息筋によると、近平は党中堅幹部の再教育機関である中央党校の校長を兼務していることから、地方の若手エリートを選抜したり、6521弁公室などを通じて優秀な軍・武装警察幹部を抜擢したりといった人材発掘・育成に余念がないという。
 そして09年7月のウイグル暴動の対応で見せた豪腕ぶりで、近平は「お坊ちゃま育ちで優柔不断な指導者」との従来の評価をがらりと変えさせ、政治局委員や中央委員・候補委員に支持層を広げつつあると香港メディアは伝えている。
 裏を返せば、近平の最高指導者への準備は着々と進む一方で、まだ支持基盤は磐石ではないということになる。


 次の中国共産党政治局常務委員候補は61人に絞り込まれる。習近平・李克強のほか、王岐山・副首相、薄熙来・重慶市党委書記、李源潮、汪洋が有力である。これ以外の55人のうち、共青団閥が21人、太子党閥は6人であり、圧倒的に共青団閥が優勢である。習近平の支持基盤は磐石ではない、と書かれています。



 これは現状分析として重要だと思いますが、(私としては)なにも書くことがありません。

 そこで資料として、wikipedia の一部を引用しておきます。



wikipedia」の「王岐山

王岐山(おう きざん)は中華人民共和国の政治家、経済学者。清華大学経済管理学院、中国金融学院教授。第17期中国共産党中央政治局委員、前北京市長。姚依林元副首相の女婿に当たる。

西北大学、中国社会科学院などで史学研究に従事していた1970年代に金融などの経済問題に関心を有し国務院農村政策に携わる。1988年から、中国農村信託公司総経理、中国人民銀行副行長、中国建設銀行行長など金融ポストを歴任した。

1997年12月、広東省党常務委員、翌年1月副省長。2000年に国務院経済体制弁公室主任、2002年海南省党委員書記。

2003年に新型肺炎SARS隠蔽問題により引責辞任した孟学農の後継として北京市長代理、その後、SARS処理の功績が評価され2004年2月に正式に市長就任した。

2007年10月の第17期一中全会で政治局委員に選出され、同年12月北京市長を辞する。2008年3月の全人代で商務、金融、市場管理、観光等担当の副総理、党組織メンバーに就任した。


 学者ですね。おそらく胡錦濤派でしょう。



同 「薄熙来

薄熙来(はく きらい)は中華人民共和国の政治家。第17期中共中央政治局委員、重慶市委書記。父は副総理などを務めた薄一波。

(中略)

人物

(中略)

2007年10月、第17期党中央政治局委員に昇格。12月、重慶市委書記に就任。2009年7月より市公安局などを巻き込んだ大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発した。汚職追放を口実にした前書記汪洋や、かつて書記を務めた賀国強批判が目的とも言われる。


 太子党だが、習近平と親しく、かつ、(現在)政治局常務委員の賀国強と対立しているようです。下に記載する汪洋とも対立しています。



同 「李源潮

李 源潮(り げんちょう、リー・ユエンチャオ、1950年11月 - )は中華人民共和国の政治家。第17期中国共産党中央政治局委員、党中央組織部長。

1968年、江蘇省塩城市大豊県の農場で農業に従事。1972年、上海師範大学で数学を学び、1974年から中学校で教師を務める。その後復旦大学で教鞭をとり、1983年から中国共産主義青年団(共青団)上海市委員会副書記、のちに書記。また1983年12月より、共青団中央書記処書記に任命される。1995年、中央党校で法学博士号を取得。

1996年、文化部副部長(次官)として政界入り。2002年に回良玉の後任として江蘇省党委員会書記に就任。また、同年の第16回党大会で中央委員候補に選出される。2007年10月の第17回党大会で中央政治局委員に昇格し、党中央書記処書記、中央組織部長に就任。

父親である李幹成は上海市副市長や同市政治協商会議副主席などを務めた。


 共青団派。



同 「汪洋

汪洋(おう よう)は中華人民共和国の政治家。上海市長、海峡両岸関係協会会長などを務めた汪道涵(中国語)は伯父に当たる。

経歴

1972年、故郷である安徽省宿県(現宿州市)の食品工場で労働者として働く。文革末期の1976年2月、五七幹校の教員となり、後に党委委員。1979年、中央党校理論宣伝幹部班に抜擢され政治経済学を学習。1981年中国共産主義青年団安徽省宿県の党委副書記から、共青団省委宣伝部長、1983年には共青団省委副書記へと昇進を続けた。

1984年からは安徽省体育委員会主任、銅陵市長、省長助理、省計委主任などを歴任し、1993年に最年少で副省長就任。1995年まで中国科技大学で工学修士号取得。

1999年9月、朱鎔基内閣で国家発展計画委員会副主任。2003年温家宝内閣で国務院副秘書長。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員を兼任。2003年3月、温家宝内閣の元で国務院副秘書長となり国務院弁公庁の日常業務を担当。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員などを兼任。2005年重慶市市委書記、2007年12月から広東省省委書記。

2007年10月の第17期一中全会で「二階級特進」の政治局委員入り。いわゆる共青団派で、胡錦濤に抜擢された。

2008年1月、中国中部を2008年の中国雪害が襲い、送電線が雪の重みに耐え切れず倒れるなどしてインフラに多大な影響を及ぼした。旧正月を直前に控えた広東省では地方からの労働者が帰省のため駅に殺到していた。回復の見込みが無いため、汪洋は今年の帰省を見送るよう求め大多数がそれに応じたものの、被害対策の責任者だった温家宝が「旧正月前に帰省できる」と発言したため再度駅に押し寄せし、対応に追われた。

11月、世界的な景気後退を受けて、発表された国務院の景気刺激策に広東省が抱える外資の輸出企業対策が盛り込まれていなかったことを受け、衰退産業を省外に出して質の高い成長への路線転換を行う「騰籠換鳥」を提起した。中小企業の切捨てや失業者対策を半ば放置した発言をしたため、温家宝と再度対立する。2009年7月、GDP成長率を8%死守とした「保八」に対し、「GDPの数値はあまり重視していない」「不景気なときに成長が鈍るのは当然」と発言し、構造改革や産業の淘汰を強調。

2009年重慶市で大規模な汚職追放キャンペーンが展開され、省公安副局長や司法関係者を含む2000人以上が逮捕された。後任である薄熙来党委書記と対立。

第16期中央候補委員、第17期中央政治局委員。


 彼は太子党であり、かつ共青団派。胡錦濤に抜擢されたが、温家宝と対立し、かつ、薄熙来とも対立しているようです。



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