「中国語翻訳者のつぶやき」の「台湾人のアイデンティティーをどう理解すべきか」
台湾人のアイデンティティーとは、「国」としてのアイデンティティーではなく、広大な中国の一地方のアイデンティティーだと考えるべきである、と書かれています。
同ブログの「翻訳者、通訳者のバランス感覚」のコメント欄における私のコメント内容は、「中国人と呼ばれることを嫌う台湾人に、中国人と呼ぶのは失礼ではないですか」とは、微妙に異なっているのですが、それはここでは追及しないことにします。
さて、上記ブログの「明天会更美好」さん (ブログ主) は、台湾人と接すると、台湾人のアイデンティティーが「国」としてのアイデンティティーではないことがわかる、と書かれているのですが、そのように断言することには、やや疑問があります。
私が台湾人と接した経験をもとに述べれば、「国」としてのアイデンティティーを有している台湾人も確実に、存在します。
どうも「明天会更美好」さんは親中(反台)派であり、「台湾は中国の一部である」「台湾人は中国人である」と考えておられるようです。「明天会更美好」さんの考えかたは、「中国(大陸)の主張」であり、「台湾の主張」はすこし、異なっています。
私の考えかたは、「明天会更美好」さんの考えかたとは異なり、「中国(大陸)の主張は中国(大陸)の主張、台湾の主張は台湾の主張」として、「どちらも否定しない」というものです。私は、
彼らにとって外国人である日本人が、
「台湾人は中国人か」「台湾は中国の一部か」を断定すべきではない、
と考えています。
「明天会更美好」さんが客観的に意見を述べておられる「つもり」なのはわかります。しかし、じつは「明天会更美好」さんの意見は、中国 (大陸) 寄りの意見になっており、公平さを欠いています。
「明天会更美好」さんは、
この記述では、「台湾人は中国人である」ことが、「当然の前提」とされています。しかし、このような前提自体が、問題なのです。このような表現 (前提) を問題視する台湾人も、確実に存在するのです。
このように考えてみればよいのです。「科学技術関連予算の必要性」で述べたように、最近、遺伝子の研究によって、日本人の祖先が中国人 (中国大陸由来の人々) であることが証明されつつある、という話があります。このような状況下で、中国政府 (または中国人) が、「日本人は中国人である。日本は古来から、中国の一部である」と主張し始めたとしましょう。我々日本人が、「日本人は中国人ではない」「日本は中国の一部ではない」と反論した際に、中国政府 (または中国人) に「日本人が日本人であり続けたい本当の理由は、中共に対する極度の嫌悪感です」などと (上から目線で) 論評されたとすれば、どうでしょうか? 我々日本人は、「いや、ちがう。そうではない。もともと日本人は日本人であり、もともと日本は中国の一部ではないのだ」と反発するのではないでしょうか?
台湾人の気持ちも、それと同じことなのです。
(すくなくとも一部の) 台湾人は、
もともと台湾人は台湾人であって、中国人ではない。
もともと台湾は中国の一部ではない、
と考えている
のです。
したがって、「台湾人が台湾人であり続けたい本当の理由」などと「いかにも、わかったような」分析・論評をされると、台湾人は「不愉快」になるわけです。彼らは、台湾人で「あり続けたい」のではなく、「もともと」台湾人なのである、と考えており、台湾人で「あり続けたい」「本当の理由」などという記述自体が、中国 (大陸) 寄りの姿勢、親中的意見 (反台的意見) そのものになっているのです。
もっとも、台湾人のなかには、自分は「中国人」である、と考えている人も存在します。
台湾は複雑です。
台湾人のアイデンティティーをどう考えるか、というのは重要で、かつ、難しい問題です。台湾人のアイデンティティーを理解するための考察 (記述) は重要ですが、外国人である日本人が「台湾人のアイデンティティーはこうである」などと、軽々と「断定」することは一種の傲慢さであり、謹むべきではないかと思います。
■追記
なお、関連記事として、「台湾の五大都市市長選結果」があります。あわせご覧ください。
先日、「中国人と呼ばれることを嫌う台湾人に、中国人と呼ぶのは失礼ではないですか」というコメントをいただきました。実のところ、中国人と呼ばれることを嫌う台湾の人は多数存在します。わたしたちもこの事実をしっかり理解し、彼らを安易に中国人と呼ぶことには気をつけるべきでしょう。しかし、その一方でわたしたちは彼らが「中国人」と呼ばれることを嫌う心理をよく理解する必要があります。
右よりの人たちは、これを「台湾人のアイデンティティー」であり、尊重すべきであると主張します。しかし、台湾の人たちと接すると、彼らが「台湾人であり続けたい本当の理由」というのが見えてきます。それは「中共に対する極度の嫌悪感」です。
(中略)
実のところ、以前の記事「中国人のアイデンティティー」でもご紹介したように、中国人一人ひとりは「中国人のアイデンティティー」よりも、出身の市、県、省への帰属意識のほうがずっと強いのです。
しかし当然のことながら、中共の支配下では「安定のために」、各個人が出身市、省の帰属意識を主張することは許されません。そうはいっても何かの拍子でそのアイデンティティーが噴出することもあります。広東語の使用を制限されたことに反発した広州人がデモを起こしたというのはその端的な例でしょう。
当然、台湾人にもそれは存在します。ただ台湾人は中共とは違い、自由にそれを主張できる土壌にあります。そして大陸のほかの地域の住民とは違い、中共に対する嫌悪感と危機感も備えています。これを、民進党などの政治勢力が「国家レベルのアイデンティティー」として主張しているのです。ですから、根っこにあるのは「国」としてのアイデンティティーではなく、広大な中国の一地方のアイデンティティーだと考えるべきでしょう。
(中略)
安易に「台湾人は中国人だ」と判断するのはとても危険です。でも「台湾のアイデンティティーは完全に独立したものである」と考えるのも早急すぎるとわたしは考えます。
台湾人のアイデンティティーとは、「国」としてのアイデンティティーではなく、広大な中国の一地方のアイデンティティーだと考えるべきである、と書かれています。
同ブログの「翻訳者、通訳者のバランス感覚」のコメント欄における私のコメント内容は、「中国人と呼ばれることを嫌う台湾人に、中国人と呼ぶのは失礼ではないですか」とは、微妙に異なっているのですが、それはここでは追及しないことにします。
さて、上記ブログの「明天会更美好」さん (ブログ主) は、台湾人と接すると、台湾人のアイデンティティーが「国」としてのアイデンティティーではないことがわかる、と書かれているのですが、そのように断言することには、やや疑問があります。
私が台湾人と接した経験をもとに述べれば、「国」としてのアイデンティティーを有している台湾人も確実に、存在します。
どうも「明天会更美好」さんは親中(反台)派であり、「台湾は中国の一部である」「台湾人は中国人である」と考えておられるようです。「明天会更美好」さんの考えかたは、「中国(大陸)の主張」であり、「台湾の主張」はすこし、異なっています。
私の考えかたは、「明天会更美好」さんの考えかたとは異なり、「中国(大陸)の主張は中国(大陸)の主張、台湾の主張は台湾の主張」として、「どちらも否定しない」というものです。私は、
彼らにとって外国人である日本人が、
「台湾人は中国人か」「台湾は中国の一部か」を断定すべきではない、
と考えています。
「明天会更美好」さんが客観的に意見を述べておられる「つもり」なのはわかります。しかし、じつは「明天会更美好」さんの意見は、中国 (大陸) 寄りの意見になっており、公平さを欠いています。
「明天会更美好」さんは、
台湾の人たちと接すると、彼らが「台湾人であり続けたい本当の理由」というのが見えてきます。それは「中共に対する極度の嫌悪感」です。と書いておられます。
この記述では、「台湾人は中国人である」ことが、「当然の前提」とされています。しかし、このような前提自体が、問題なのです。このような表現 (前提) を問題視する台湾人も、確実に存在するのです。
このように考えてみればよいのです。「科学技術関連予算の必要性」で述べたように、最近、遺伝子の研究によって、日本人の祖先が中国人 (中国大陸由来の人々) であることが証明されつつある、という話があります。このような状況下で、中国政府 (または中国人) が、「日本人は中国人である。日本は古来から、中国の一部である」と主張し始めたとしましょう。我々日本人が、「日本人は中国人ではない」「日本は中国の一部ではない」と反論した際に、中国政府 (または中国人) に「日本人が日本人であり続けたい本当の理由は、中共に対する極度の嫌悪感です」などと (上から目線で) 論評されたとすれば、どうでしょうか? 我々日本人は、「いや、ちがう。そうではない。もともと日本人は日本人であり、もともと日本は中国の一部ではないのだ」と反発するのではないでしょうか?
台湾人の気持ちも、それと同じことなのです。
(すくなくとも一部の) 台湾人は、
もともと台湾人は台湾人であって、中国人ではない。
もともと台湾は中国の一部ではない、
と考えている
のです。
したがって、「台湾人が台湾人であり続けたい本当の理由」などと「いかにも、わかったような」分析・論評をされると、台湾人は「不愉快」になるわけです。彼らは、台湾人で「あり続けたい」のではなく、「もともと」台湾人なのである、と考えており、台湾人で「あり続けたい」「本当の理由」などという記述自体が、中国 (大陸) 寄りの姿勢、親中的意見 (反台的意見) そのものになっているのです。
もっとも、台湾人のなかには、自分は「中国人」である、と考えている人も存在します。
台湾は複雑です。
台湾人のアイデンティティーをどう考えるか、というのは重要で、かつ、難しい問題です。台湾人のアイデンティティーを理解するための考察 (記述) は重要ですが、外国人である日本人が「台湾人のアイデンティティーはこうである」などと、軽々と「断定」することは一種の傲慢さであり、謹むべきではないかと思います。
■追記
なお、関連記事として、「台湾の五大都市市長選結果」があります。あわせご覧ください。
わたしのブログ記事に対する批判、しかと受け止めておきます。
わたしが親中反台派なのではというご意見も否定はしません。バランスを取るのは難しいですね。もちろんその努力はしているのですが。翻訳でも自分の考えを入れることはないです。
「台湾人の気持ちに立って」というのならば、わたし自身はそのことについて台湾人との会話では触れない。これが台湾人のことを思いやる究極の行動だと思います。台湾人にもいろいろな考えの人がいるわけですから・・。
台湾人のアイデンティティーを複雑にしているのは、外省人と内省人の力関係、そして中共との力関係なのだとおもいます。
相手がこの話題をもちだしてきたり、あるいは話の流れでこの話題になることがあるのです。そのときにどう答えるか、ですね。
バランスをとるのは難しい。私も同感です。
いつもUnknown だと、他の Unknown と一緒にされてしまいますので、今後は「四葉のクローバー」にします。
さて、台湾の世論調査で、
「あなたは、自分を台湾人と考えていますが、それとも中国人と考えていますか」
と聞かれたら、本省人の殆どは「台湾人」、外省人の大部分は「中国人」と回答します。
この姿勢は、本省人については、“時と場所を選ばず”一貫していますが、外省人については、“台湾から一歩外に出て、中国と向き合う場合”に別の顔も見えてきます。
例えば、政治(国際会議)、スポーツ(オリンピック)、文化(国際映画祭)などの場で、台湾を代表して出席・出場した際に、中国から名称問題で文句を付けられたら(特に多いのが「中国台湾、に変更しろ」とか要求されるケース)、「台湾人意識」が働くのです。
これは、日本人には、いくら説明しても、なかなか理解できない感覚で、表面的な観察と判断しか出来ない日本人が間違いを犯す典型的な例です。
かくいう私も台湾問題の専門家でもないし、これで教鞭を取っている教授でもありませんので、絶対“鵜呑み”にしないでくださいね。
以上
本省人も、もともと中国から台湾に移住してきた人々です。外省人と本省人の違いは、たんに、移住してきた時期が異なるにすぎません。したがって、本省人が「台湾人意識」を持っているのと同様、外省人にも程度の差こそあれ、「台湾人意識」がある、と考えればよいのではないかと思います。
台湾に住み続けるに連れて、あるいは世代が進めば (移住者の子・孫の世代になれば) 、次第に台湾に対する愛着がわき、「台湾人意識」が形成されるのは自然の成り行きだと思います。
なお、本省人も中国(大陸)に対して、「無縁の土地」であると考えているのではなく、先祖の「故郷である」と思っているようです。つまり外省人のみならず本省人にも、中国(大陸)に対して、なんらかの愛着があるのです。もっとも、だからといって彼らが「台湾は中国の一部である」と考えているわけではありませんが、
本省人にとっても中国(大陸)は、「特別な土地」であることはたしかだと思います。したがって日本人が反・中国(大陸)の立場をとれば彼らが喜ぶかというと、かならずしもそうとばかりはいえない、というのが本当のところだと思います。本省人にしてみれば、「故郷」を否定されることに近いものがあるからです。
「本省人はもともと中国から台湾に移住してきた人々」
これは間違っています。
清の時代、清は台湾に漢民族が定着するのを防ぐために、男性しか台湾に渡ることはできませんでした。
そのため、漢民族と台湾にいた原住民との混血が急増して、台湾人が生れたのです。
これを漢民族というかいわないかは難しいところですが、台湾人自身が漢民族に特別な感情をもっているのは確かです。
この問題については、機会があれば、さらに考えたいと思います。