風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

足利市を歩く

2011年04月20日 | ウォーキング
4月16日、足利市の東部を歩いた。足利は歩きたいと思っていた町だ。
一泊するには近すぎる、でも日帰りではのんびり出来ないと踏ん切りが付かなかった。
だいぶ暖かくなってきたので、二日に分けて行くことにした。

足利市は、てっきり群馬県だと思っていたのだが栃木県であった。

大宮から宇都宮線、久喜で東武伊勢崎線に乗り換え、足利市駅で降りる。1時間30分~2時間位である。
JRの両毛線足利駅との間は直線で750m、歩くと1.2kmほどだろうか。
JRだけで有料特急を使わないで行くと高崎経由で3時間半ほどかかってしまう。
一日目の今日は、西部方向からと北部方向からのそれも一部だけを歩いた。
それでも全部歩くのは大変なので、始めにバスで東方向に行きそこから歩き始め、
一度足利駅に戻って後、そこから次にバスで北方向に行き、吉祥寺から南下して足利市まで歩こうと言う計画だ。
だが、足利市生活路線バスは何路線か走っているのだが本数は各3~4本なので、時間表をしっかり確かめなければならない。
長林寺方向のバスは、11:25、吉祥寺方向のバスは13:20なので、前半のこの間は余裕がなく、急ぎであった。

足利駅                                 駅前広場の風向計、奥は渡良瀬川の土手
 
渡瀬川と橋
 

長林寺[本堂は工事中]
 
    
   

境内の外に すくいの井戸                てんぐのねじり杉       白髭神社
  
観音寺
 

龍泉寺
  
本堂
   
本堂より立派な美術館[拝観料500円、撮影はできない]


足利織物記念館                                  八束穂稲荷神社
 

鹿島神社                               真教寺
 

定年寺
    
本堂
    
    
 
広い境内に、仏像などがたくさんありました。

伊勢神社                               JR足利駅
 
吉祥寺に行くバスの出発は、13:20、駅には10分位前に着きました。
巡回バスは、一律200円、乗客は4人、私が吉祥寺近くのバス停で降りると、乗客はいなくなりました。
運転手は、私が乗る前に、吉祥寺に行きますかと聞いたせいか、降りる時、「行ってらっしゃい」でした。

吉祥寺                                 伝教大師[最澄像と本堂]
   
聖観音菩薩堂
  
弁天堂
 

心通院
  

本城厳島神社                 美人弁天堂
   

樹覚寺
  

御影寺                           足利東教会            小児玉神社
  

松葉寺                                 厳島神社
 

善徳寺
  

足利学校

                入徳門                                 孔子像
  
学校門                                 旧遺跡図書館                      楷樹[ナンバンハゼの木]
  
杏壇門[孔子廟門]                           孔子廟門
   
収蔵庫                南庭園                                方丈
  
方丈と玄関                              脇玄関内
  
北庭園                                中庭
 
衆寮
 
木小屋[農業小屋]                   土蔵                          稲荷社
  
裏門

足利氏宅跡は鑁阿寺(ばんなじ)と言い足利学校のすぐ裏なのだが、次回訪れる予定だ。

足利まちなか遊楽館                        市立美術館
 

東武・足利駅まで歩き帰った。
足利市は、足利尊氏一族が生まれ育った所、私は古い町並みが残っているのを想像していたのだが、普通の町並であった。
空襲で焼けたのかと思ったが、そうでもなかったようだ。
もっとも、今日の日本では、昭和や明治時代ですら、その雰囲気が残っている街並みは残っていないのだから。
ヨーロッパ、トルコ、エジプト、クスコなどには2000年も前の建物や道路が残っていて、そこに人々が普通に住んでいる。
往時を思うのにそれほどの想像力は要らないのだが、日本ではかろうじて一部の寺社にのみそれが残っているだけで、
街全体にそれらが残っているのは皆無と言って良い。
外国に、それらが今日も残るのは、"石の文化"と言うだけではない、何がそうさせているのだろう。

足利一族が拠点とした足利市の北側は険しくはないが丘陵である。
彼らはそこを天然の防衛要塞とし、渡良瀬川・利根川の流れる南の豊かな広大な平野へと進出して行ったのだろう。
西は前橋を経て新潟や信州へ、北東は宇都宮や日光へとつながる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画/白いリボン・リッキー | トップ | 足利市を歩く/パート2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ウォーキング」カテゴリの最新記事