新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月23日 その3 オリンピックが終わったね

2016-08-23 16:25:25 | コラム
17日間に世界では何が起きていたのだろう:

今朝はジムでウオーキング中に、ロッカールームの論客に「やっとオリンピックが終わったね」と声をかけられた。この論客もその過剰気味の報道を嫌ってぼやいていたものだった。当にそういう感を免れないほど、オリンピックに偏した報道が続いていたと思う。いや、余程注意してテレビや新聞報道を見ていないと、今我が国が何処にあるのかを確認できなかったほど浮かれていたと言えるのではなかったか。

しかし、中国の公船その他は連日のように尖閣に接続海域やEEZに侵入していたし、その為があるから日本に行くのだと注釈をつける王毅外相が日中韓外相会議に出席する為だけに来日して下さるそうだし、円高傾向は続いていたし、法制局は天皇陛下の早期退位の為には憲法改正も必要との見解を発表したし、小池都知事は委員会を設けてもオリンピック関連の予算を見直すと表明したし、アメリカの大統領選挙までもう3ヶ月も残っていないが、クリントン夫人とトランプ氏の何れが勝つのかという話題もある。安倍総理もマリオだかの仮装をしておられる場合ではないのかとも思ってしまう。

当方もこんな批判めいたことを言っていながら、この間にそれなりにオリンピックの中継や録画(と言っても何れを見させられていたのか判然としない場合が多かったと思う)も見て何となく批評もしていたし、甲子園の野球も「辞めるべし」などと唱えながら結構楽しみに見ていたのだから世話はない。しかし、上述のように国内も世界でも後から後から難しい事態が発生しており、金正恩などはアメリカの大統領選挙の端境期の如き不安定な事態を見抜いたかの如くに、ミサイルの発射に余念がなかった。

中国は多くの中国問題の専門家に言わせれば、一方では仲裁裁判所に決定は紙くずだなどと悪態をついていながら、着々と東シナ海どころか、我が国の領域への侵入を怠らず、習近平政権は何としてもそのご威光を保ち、アメリカとの太平洋での勢力分割どころか、アメリカとともに世界の二大勢力たらんとする野望に突き進まざるを得ない国内情勢のようだ。その関連だけでもないが、沖縄の翁長知事の暴走は何処かで歯止めをかける必要があるのではないのか。

アメリカのオバマ政権による弱体化はロシアのプーチン大統領の存在と彼の目指す覇権の方向性を明確にしたし、トルコのエルドアン大統領もロシアとの外交姿勢を改めたようだし、シリアとISを含めて中近東情勢も未だ未だ変化しつつあるように見える。私にはこのような情勢の変化というか新たな事態には我が国にとって有利なことは何もないのではと密かに憂いている。ここで漸くオリンピックも終わったことだし、2020の東京オリンピックも重要な案件だろうが、それよりも世界の変化に如何に対応していくかにも、内閣を挙げて没頭して貰いたいと願っている。事態はメダルが幾つなどと浮かれていることを許すまい。

8月23日 その2 kazk様

2016-08-23 14:34:06 | コラム
kazk様

コメントを有り難う御座いました。

私はこの年齢になって漸く「自分だったら、ここではこうするだろう」と思わずに、サッカーを見ることが出来るようになりました。そういう視点に立ってあのU-23の代表を見ると、中心人物がいない為か、監督の構想が明確でなかった為か、自分たちの形で攻めるも守るのも出来ておらず、何とか相手に合わせて局面を糊塗しているだけのサッカーに見えました。その辺りに仰せのように監督が何に指向しているのかが不明だったことがあると思います。手倉森監督任せにして、彼が何とかするとでも思っていたのかと疑います。

見方を変えれば、私たちが育ったWMフォーメーション時代には飽くまでも基本形があり、何処までもその決められた範囲内の場所で動き、余程のことがない限りその形を崩さないでいました。そして全員がある程度以上に上達すれば、阿吽の呼吸でポジションを入れ替えることもあったのです。自由に動き回ることは原則としてありませんでした。あのオリンピック代表の連中はそういう基本の形も固めていないにも拘わらず、大人の真似をする子供たちの集団だったと見ました。私はナイジェリアが3位に入ったことで、最低の言い訳というか慰めが出来たかとすら思いました。

それに引き替え、ラグビーの方が(サッカー出身者から見れば、ですが)遺憾ながら遙かに指導方針と目標が現実的に定められていたようで、(と言うのはサッカーでは念仏のようにメダル取りを目指すなどという具体的な戦略も不透明なかけ声のみでした)結果でもあれほど明らかにサッカーが差をつけられたのでは、協会も指導者も、フル代表の監督を海外からのみ選んでくる委員の方々も、ここで一旦全てのシステムをアンイントールして考え直すべきだと思うのです。来月から始まるアジア最終予選も何の期待もせずに「上手くやれよ」とだけ念じて見るつもりです。

野球は高校までは甲子園で優勝してしまった野球部の一本目たちが数多くいた組にいたことがあったし、練習終了後に野球部の連中と一緒になって野球もやって遊んでいた経験もあって、部外では最も早く変化球を投げ始めたりしていました。帰国子女だった脇村春夫君は内野手だったので投球術は教えて貰えませんでしたが、野球の基礎は学べました。甲子園でベストナインに選ばれた外野手の根本君はそもそもは投手で、彼とは「外し方」などを競い合ったこともありました。昭和24年頃の高校野球の水準はその程度だったと思うのです。

だが、仰せのように投手というものは我が国のように投げ込みなどをやらせて豊富(過剰?)な練習量を通じて鍛え上げ、連投も辞せずで育て、プロでは中5日でも120球から時はそれ以上も投げさせることも厭わずという「人生意気に感ず」式と、MLBの中4日で100球を目途にする方式の何れが適正・適切かは解りません。MLBでは高額な年俸を払う以上、早く潰してしまったら損失が大きいと考えているように思えます。我が国では「高額だからこそ使い倒しも辞さない」のではと疑っています。MLBは、その代わりに「高額に見合わず」と判断した場合には躊躇うことなく売却するか、戦力外通告をする文化があります。

私は日米の違いは「報酬に見合うか否か」を二進法であっさりと決断するアメリカの文化と、矢張りアメリカとの対比では未だ未だ温情的な我が国との違いにあるかと思ってみています。と言う根拠は、1985年10月に社用で動いている最中に貰い事故で頸椎を損傷され、肋骨を2本も折られ、頭部と顔面を強打される負傷で深刻な鞭打ち症で自律神経失調症から神経性下痢で入退院を繰り返さざるを得なかった(貴重な戦力の)東京駐在員の私を本部では、「これ以上回復が遅れるのならば、いっそのこと回顧しようか」と検討したという事実を承知しているから言うのです。「ダメならば、交代要員を雇えば良い」とあっさりと考えます。

真一文字拝

スポーツ雑感

2016-08-23 08:40:55 | コラム
オリンピックと甲子園野球に思う:

メダル獲得は個人種目のみだった:

実は23日の産経新聞で分析されてしまったので今採り上げるのは遅きに失したのだったが、41個には団体の球技種目がなかった。私はこれが非常に気になっていた。真っ先に競技が始まったサッカーはあの不出来だったし、かなり期待度が高かった女子のヴァレーボールも予選リーグを苦労して勝ち上がった後でいきなりアメリカと当たってしまう不運?もあって敗退という具合。女子のバスケットボールも同様にアメリカに当たってしまう順位で予選リーグから勝ち上がったのでは、敗退も仕方がなかった。だが、そうとばかり言っていては、山県君以下の100 m走者に失礼かも知れない。

七人制ラグビーには私も事前の期待度が高かったので希望的観測で見ていたが、男子が3位決定戦で敗れての4位は球技中では最善の結果だった。女子は参加12ヶ国中の10位に終わった。他には女子のホッケー(その昔はアイスホッケーとの対比で「泥ホッケー」などと呼ばれていたものだったが、今では人工芝か?)、水球に出場していたが、何れも3位には届かずに終わった。

私は日本人は欧米人やアフリカ系と比較すれば体格や身体能力の点から考えて不利ではないかと思っていた陸上競技、それもトラックの種目である400 mリレーでアメリカ(後に失格と判定されたが)を抑えて2位に入る結果を収めるまでに鍛え上げられていたことを考える時、団体球技の不成績が「体格」や「身体能力」が主たる原因ではないのではないかとすら疑うに至った。

自己ベスト:
私は以前からこの奇妙な漢字の熟語とカタカナ語の組み合わせの「放送用語」を批判してきた。即ち、それを言いたければ素直に「自己最高記録」と言うか、どうしてもカタカナ語に執着するというのならばせめて「パーソナルレコード」とせよということだ。因みに、プログレッシブ和英中辞典には”personal mark”と出ている。こういう言葉を何の躊躇いもなく公共の電波で流す辺りに、我が国の英語教育の至らなさが悲しいほどで表れていると思う。

それは「ベスト」=”best”という”good”の最上級には先ず名詞用法はなく普通は形容詞か副詞で使われている。そのくらいは学校で教えているはずなのに、その学校教育を経た連中が平気で「最高」という名詞の形で使っているのだ。勿論、英語でも名詞で使う場合はあるが、”the best”のようになるのが普通。だが、この言葉も最早日本語として戸籍を得てしまったのだから「お使いになりたければ、どうぞご自由に」と言うしかないのが残念だ。

甲子園のビッグスリーの投手たちに思う:
マスコミは大会開始前から横浜高校の藤平、花咲徳栄の高橋、履正社の寺島の3名を持ち上げてきた。だが、実際に優勝まで行ったのが最高152 kmを投げた作新学院の今井という彼らが事前に採り上げなかった良い投手だった。私はここではマスコミの不手際を責めるつもりはない。途中敗退した3名が使われすぎずに終わったことが彼らの将来にとって良かったとも言う気もない。

それは極めて簡単な理屈で、あの3名は甲子園で投げすぎずに終わっただけで、県や府の予選を考えれば相当な数の連投と球数を投げてきたことになるのだから、早期敗退はそれほど助けにはなっていなかったと危惧するのだ。作新の今井君の場合は決勝戦の132球を加えれば大変な数になっていたとNHKが中継で報じていた。私はそこまで採り上げたのは結構だったと思うが、「それがどうした」という捉え方で見ていた。

私は投手というものには個人差があるだろうが、生涯にプロや大学や社会人で通用するような投球を(球ではない)出来る数には限度があるのではないかと思っている。高校の頃に甲子園まで行くまでに相当な数を費やし、その上優勝まで行ってしまえば、そこまでで生涯投球可能数の大部分を消費する結果になるのではないかという理屈だ。例えば、嘗ての松坂大輔のように甲子園で優勝し、プロでもあれほどの大投手ぶりを発揮した上にMLBでも大車輪の活躍をしたのであれば、アメリカで肘の手術後に日本に復帰しても、最早投げられる球数は残っていないのではないのかと言いたいのだ。

各人がどの段階でどれだけ投手としてやりたいかを予めキチンと決めてから取りかかるか、高校乃至はリトルリーグの指導者が子供の素質を良く考えてその適性を見抜いて指導していく必要があるのではないだろうか。野球人の多くは「肩は消耗品」と言っているくらいだから、耐用年数を十分に配慮した指導法を確立すると良いと考えている。だが、そう考える時「矢張り甲子園野球は・・・・?」と言いたくなってしまう。