とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

「山陰」最後の夏(29)

2021-09-30 18:00:00 | プラ完成品の加工


 屋根の汚しはやりすぎたようです。 末後の姿になっていい感じと思ってるんですが。

 今月も終わり、そして緊急事態宣言も解除です。 高校生の時にアルバイトでためたお金をもってツカサ模型に行きました。 しなのマイクロのナハネ11のキットを求めましたがクーラーをどうやって調達するか考えました。 その日の夜は台風でしたが、翌日は晴れ。 衣替えの日だったので暑かったです。 和歌山は暖かいんです。 7時過ぎの列車に乗りますが、あの大きな和歌山市駅も網戸のついた客車も思い出になりました。 そしてそのまま40年以上経ちました。
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ブルートレイン 3車両をつくる 55

2021-09-29 07:25:40 | ブルートレイン 3車両をつくる

  本日発売分です。 記事もネタが少なくなってきたようです。
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「山陰」最後の夏(28)

2021-09-28 18:00:00 | プラ完成品の加工


 オハネフ12の加工をします。 ベンチレーターを付けました。 屋根は汚します。



 電気暖房にします。


 電気暖房の変圧器は横梁につけます。 宮原で「きたぐに」で運用されてたのが出雲市に転属したので電気暖房がついてます。 受験の帰りに新大阪で新幹線を降りて環状線に向かってた時に「きたぐに」が大阪駅にとまってました。 EF58が蒸気をあげてましたが、車掌に「12系客車が機関車の間に挟むと寝台車の暖房はどうするのですか?」と聞いたら「12系客車に電気暖房・蒸気暖房の引き遠しがあります。」と説明してくれました。 あの(北陸トンネル事故)列車ですね。 気を付けてお願いします。」「ありがとうございます。」の会話と共に出発しました。 そして天王寺で「はやたま」に乗り換えて和歌山に帰りました。 こちらもEF58が引いてました。
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オハネ17-2600(団体用) ③

2021-09-27 18:00:00 | プラ完成品の加工


 完成しました。


 電気暖房ですのでTR23がついてます。

 1月の運転会の会場が確保できました。
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オハネ17-2600(団体用) ②

2021-09-26 18:00:00 | プラ完成品の加工
 今日は彼岸明けです。


 電気暖房の変圧器を中梁につけました。 


 はめ込みになっている部品は接着剤で固定します。


 艶消し黒を吹きました。 このオハネ17は個人の模型店で残ってたのを購入したのですが、「新品」と言いながら付属部品がとりつけられてレタリングが欠品してました。 電気暖房のトランスもなくて手持ち品から調達しました。 それならTR23に換えてしまうのもありかと。


 寝室入り口も塗りました。

 個人の店舗は店主の趣向がでてそれなりの良さがありますが、その裁量があまりにも広すぎてとんでもないことになることがあります。 それは仕事にも言えることで個人の店舗が閉店してたりとかでメーカーや量販店がその尻拭いにとんでもないことに至ることもあります。 「知らない」「わからない」で人任せ、この場合は「人任せ」と言うよりは「責任転嫁」と思います。
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オハネ17-2600(団体用) ①

2021-09-25 18:00:00 | プラ完成品の加工

 裾に白線が入った団体用です。 蒸気機関車が牽引してた「九州観光」用ですが、電気暖房仕様で仕上げます。 しかし電気暖房トランスがないので他の車両から調達します。


 資料によれば600番代団体用は蒸気暖房、電気蒸気暖房併用全車品川客車区の配置でした。 電気暖房車がTR23なのは重量増を抑えるためです。

 電気暖房で重量が増え形式が変わった例が、オハ35の設計をそのままに戦後新製されたスハ42で近代化軽量化改造(鋼板屋根)したオハ36があります。 そして電気暖房をつけてスハ40になりました。 実物が地元にありますので参考になります。


 TR23を放置状態のオハ41から調達します。


 洗って乾燥させます。


 いい感じです。
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49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉 追記

2021-09-24 18:00:00 | 客車・貨車

 参考資料です。 40年前から夜行列車全廃論がありました。 今はサンライズが細々と走ってます。 この号の49頁に上り「日南1号」の写真があります。 7月の芦屋-西ノ宮間の撮影です。 オロ11が2両連結されてます。 


 そして10系客車の優等列車からの撤退です。 北海道は14系寝台車の耐寒改造がまだでしたのでしばらく残ります。 座席車は北上した14系ですので非常に面白い姿の列車です。 急行「津軽」の乗車レポートがあります。 「津軽」と言えば秋葉原で一緒に飲んだ仲ですが、この号の18頁に「桜島・高千穂」の全編成が見れます。 オロ11がなくスロ62でした。
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49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉)④ 最終回

2021-09-23 18:00:00 | 客車・貨車
 

「ひかりは西へ」山陽新幹線全通前夜になります。

「桜島」の2号車が下り2/19、上り2/21から自由席になりました。  この頃は改正前なので記録を取った方も多く資料があり、75年2月13日2030レ「雲仙2号」にスロ622110 北オク、が連結されてます。 「雲仙2号」は上り2/18、下り2/19から12系客車に置き換えられます。 長崎客貨車区受け持ちのオロ11の運用がなくなります。  「日南3/1」は号車変更があったものの、最後までオロ11が運用されました。 宮崎回転の車両もなくなりました。 公開されている記録を見れば、2月22日に熊本駅で1101列車にオロ1129が連結されたのがあります。

 ナロ10の冷房化の後に12系客車の新造が始まりました。 ここからは自分の憶測ですが、ナロ10の冷房化改造は軽量客車が車体全体で強度を保つ構造なので、屋根の改造に無理があったと思われます。 最初の12系客車は軽量客車に冷房をつけた設計でクーラーを載せるのに強度の問題があって補強をして製造されたと思われます。 しかし同時期に作られたキハ65は動力を持つのでそれなりの強度があります。 それを踏まえて昭和47年に特急型の14系座席車が設計されて昭和51年以降の12系増備車新製にに反映されたと思われます。 12系客車のスハフ12の100番代、オハ12の313番以降は従来の12系客車と全く別の車両と言うことでしょう。 またオハフ13は汎用性もなくオハ12を代用するにしても車掌室の分定員が少なかったので増備されなかったと思われます。 またスハフ12は組成を容易にするのに前位(トイレ側)に尾灯を設けたのもオハフ13が増備されなかった理由でしょう。 固定編成客車で前位(トイレ側)に尾灯を設けた24系25形(昭和49年)以降になります。

 昭和50年3月の改正で山陽筋の急行列車は大幅に整理され関西九州間の列車は「阿蘇」(熊本)「くにさき」(大分)「雲仙」(長崎)「西海」(佐世保)(「雲仙」「西海」は併結)に集約され14系座席車が使用されます。 残されたのは大阪で印刷された新聞を岡山や広島方面に輸送する目的があったと思われます。 その為に5両のマニ37が14系座席車に連結される改造をされ200番代になりました。 片デッキのマニ37も新たにデッキを増設されました。 また特急用の14系の座席車が定期急行列車に運用され始めました。 そして昭和53年10月改正で「阿蘇」「くにさき」が併結になり更に削減されました。 「いい日旅立ち」と紀勢線新宮電化の改正でした。

 山陽筋の急行列車の定期運転廃止は55-10改正になります。 そして九州の14系座席車の一部はは改造の上北上し「ニセコ」で運用されることになります。 また55-10改正は国鉄始まって以来の「減量ダイヤ」の改正で昭和39年に年度赤字がはじまりそれが積もりに積り、そして昭和59年2月の貨物輸送のヤード廃止、昭和61年の荷物列車廃止、そして分割民営化に至ります。

 思い出せば50-3改正までは山陽本線の最後の黄金時代でした。 しかし新幹線の開通は発展的なことなので喜ばしいことです。 平成6年の秋に博多「あさかぜ」が廃止されたのも「のぞみ」が東京を同じ時刻に出発して11時間も先に博多に到着すれば当然のことと言えましょう。 昭和が終わりを迎えるころ「北斗星」が3往復新設されても20年前の車両を改造してまかなったのも、新しく設計しても採算が取れなかった、それなら新幹線に移行するのは当然のことです。

 東京オリンピックが開催された年の年末、「高千穂」の寝台車から降りてきた宮崎で生まれた子供は京都駅の1番ホームから新幹線をみあげて電気で走る最高峰の車両の魅力に取りつかれました。 そのあと甲子園に引っ越し、身近にあった大阪から神戸まで走る路面電車や急加速する電車にも魅力を感じました。 そしてモーターを回すことに取りつかれることになりました。 結局その道には進みませんでしたが「夢の超特急」は今でも憧れの車両なのです。
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ブルートレイン 3車両をつくる 54

2021-09-22 18:00:00 | ブルートレイン 3車両をつくる


 本日発売分です。 「出羽」は旧国名ですので「急行のような愛称」と思いました。 「あけぼの3/4号」の方が似合ってたと思います。



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運転会

2021-09-21 18:00:00 | 運転会関連
 参加者なく自分のみ。


 12系は初期仕様、屋根ですから目立ちます。

 1月の運転会は市民館の抽選を申し込みました。
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キハ58 56 長崎機関区試験塗装 (②)

2021-09-20 18:00:00 | プラ完成品の加工
 今日は「敬老の日」です。 自分の世代の祖父母は父方母方共に明治の生れですが、父方の祖父母は戦前に死亡し、祖父母の記憶は母方のみになります。 母方の祖父は職人でしたのでこのブログに何度も登場してます。

「おじいさん」で印象に残るのは母の妹の義父、つまり叔父さんのお父さんです。 その「おじいさん」は父方の祖父と同じ歳でお役人でした。 定年後も仕事をされて、毎日背広で出かけてました。 夏休みに遊びに行ったときに、おじいさん、おばあさんのいない家で育ったせいか東京見物と共に「おじいさん」のいる生活は目新しく感じました。 楽しかったのが世界の色んな話をしてくれたことです。

 父方の祖父と同じ歳ということもあり、親しみをもってました。 神田はお祭りの町と思ってましたが「学校がたくさんあるんだよ。」と神田を学生の街と言ってました。

 そして大学学部の先輩でもありました。 


 かなり前の記事の続きです。 下回りの塗装をしました。 台車が分解できないのでそのままです。
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49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉)③

2021-09-19 23:00:00 | 客車・貨車


 昭和50年3月改正が迫る年末の12月は「高千穂」のグリーン車が欠車で座席車が増結されてます。 日によっては年末ですので郵便車や荷物車の増結がありました。 「雲仙2号」は寝台車が減車されてます。 「日南3/1」12/1から大分止まりの指定席車が減車されています。 「かいもん5/4」「みやざき」は寝台車が減車になってます。 この頃から状態のよくない軽量客車の淘汰が始まったようです。


 年を越し昭和50年1月です。 「桜島」「高千穂」は変化がないようですが、「桜島」のグリーン車にスロ62やスロフ62が連結された写真や記録が見られます。 「雲仙2号」は自由席減車、「日南3/1」は変化なくです。

 しかし「かいもん5/4」の5号車が上り1/8、下り1/8から欠車になってます。 日にちが開いてるのは「桜島」と共通運用だあからです。 「みやざき」も下り1/5、上り1/7から5号車が欠車になってます。
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49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉)②

2021-09-18 23:00:00 | 客車・貨車

 10月改正は旧国鉄の定例ですが、企業の決算が「半期」で盆暮れは「四半期」3月は「年度末の総決算」にあたるわけです。 空調機器の場合、年度が9月で終わり新製品の発表は毎年10月にあります。

 昭和49年の10月は半年後に山陽新幹線全通を控え全体の変化が少ないようですが、オロ11の淘汰が始まりました。 「高千穂」のグリーン車連結が上りが11/1、下りが11/3から連結されなくなります。 「雲仙2号」は変化なく、「日南3/1」の4号車と5号車の2両あったグリーン車の4号車が上り11/1、下り11/2から連結されなくなります。 「かいもん5/4」「みやざき」は変わりありません。

 時刻表で大きな変化があったのが「高千穂」「日南3/1」の減車がグリーン車です。
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49-4から50-3までのオロ11について(オロ11の終焉)①

2021-09-17 23:00:00 | 客車・貨車
 昭和49年4月に改正があり、その翌月の時刻表です。 日豊本線が宮崎まで電化されました。


 この当時、朝方東海道線を上る列車でひときわ目立つ列車がありました。 窓の大きなグリーン車を2両連結してた「日南1号です。 前年に末端区間でC57が引いて話題になった列車ですが、50-3改正で山陽筋の急行列車はほとんど整理されてしまいました。 

 スロ54やスロ62よりも新しいナロ10→オロ11が一番に淘汰されたのは冷房時に屋根を低くしたがために車体の老朽化が早まったと聞きます。 マロ55のように床下にクーラーを吊ってダクトで冷風を出せばいいと思いますが、12系以降の客車がすべてクーラーを屋根沖にしてることから、コストの点があったのでしょう。 



 表紙が見にくいですが昭和49年3月31日の配置表です。 この配置表によれば品川と竜華に各3両で定期運用を持たず団体用と思われます。 竜華のオロ11は臨時「きのくに」で運用されてたのでしょう。 そして長崎の4両は京都~長崎の「雲仙2号」、鹿児島の15両は「桜島」「高千穂」「かいもん」「みやざき」用で鹿児島配置の15両は複雑な運用で鹿児島→門司港→鹿児島→東京→鹿児島という運用でした。 民営化されてからでも「はやぶさ」「なは」の基本編成が鹿児島→大阪→鹿児島→東京→鹿児島で運用されてました。 「はやぶさ」で上京したオハネフ25の原型が新製配置が向日町でした。 都城配置の7両はあの「日南3/1」です。 このうち「日南3/1」がオロ11が2両連結されてますので「6両使用で1両予備」(編成3本)です。 鹿児島局に多く配置されてるのは線路規格が鹿児島本線八代以南や日豊本線の線路等級の関連でしょう。 またナハ10(11)も多く配置されてます。

 余談ですが生まれた時から昭和40年に宮崎県から兵庫県に引っ越すまで煙を出す車両の記憶しかありません。 また都会の人は「電車」と言うのですが。自分は「汽車」と言ってしまいます。 3年前に実家の墓参りに行ったときですが、そんなに高齢でない多分自分よりも年下のおばさんが「〇時の汽車に載るからよかね。」と話してました、



 時刻表末尾の編成表を見ますと、手持ちの昭和49年の7月号も編成の変化はなく、夏休み輸送も変化がなかったと思われます。 参考にしました時刻表は昭和49年が5月・7月・10月・12月、そして昭和50年が1月・2月です。 
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ダイソーの工具

2021-09-16 21:00:00 | プラ完成品の加工


 先月の運転会で先輩に「100均の工具良いよ。」と言われて試しに買ってみました。 〇宮の2000円近くするニッパーよりも使いやすくピンセットも使いやすいです。 模型店や東急ハンズもいいですが、工具も消耗品と割り切ってそれなりの投資で充分でしょう。
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