福知山線は古くから尼崎から塚口まで電化されてました。 スハ44時代の「つばめ」「はと」の折り返し用で塚口で折り返して宮原に入り翌日の出発時に折り返して大阪駅にはいります。 50-3以降は北陸線関連の「雷鳥」が向日町→新大阪→宮原→塚本→尼崎→塚口で折り返し大阪駅の混雑を緩和してました。 塚口で581系や485系をよくみましたが、側線で大物車や鉄製有蓋車を見ました。 その鉄製有蓋車が三菱の専用線に入っていったのが気になってました。
奥の車止めから工場に入っていきます。
長い踏切です、線路跡はコンビニです。 右手のマンションは森永の工場でした。 いつも甘い匂いがしてました。 阪急神戸線がオーバークロスします。
専用線の入り口です。 門の跡です。
上は阪急神戸線、専用線の跡は一部が生活道路になってます。 昭和50年頃シキ400が塚口に留置されてたのを見てましたが撮影しなかったことが悔やまれます。 入れ換えの機関車がロッド式の機関車でした。 何度か見に行きましたがその頃カメラを持ってませんでした。 しかし岩堀氏のサイトで見ることができます。 煙突がないと思ってたらバッテリー式でした。 宮崎交通かいな、、、。
この後は、京都に戻りマツモト模型に寄って、「ひかり」で小田原乗り換えで帰宅、1年ぶりの関西は趣味三昧でした。