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〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 11○「安倍一強体制」を考えてみよう

2015年12月04日 10時48分40秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 11○「安倍一強体制」を考えてみよう!

◎「日本一新運動」の原点―294

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観


○「安倍一強体制」を考えてみよう!

 11月17日(火)『月刊タイムス』誌から、来春1月13日
に発行する2月号の原稿依頼が来た。テーマが「安倍一強体制打
破への処方箋」ということで頭を抱えている。
 締切日が12月14日ということだが、野党第一党の民主党と
第2党の維新の党が、野党連携について基本方針を決めないので
執筆しようがない。しばらく様子を見ることにした。大事なこと
は「安倍一強体制」ができた原因の検証ではないかと思う。

(「安倍一強体制」の歴史的背景)

 英国の著名な政治学者で下院議員も務めたジェームス・プライ
ス(1838~1921)は、世界の主要国を訪問し議会政治が
どのように行われているかを調査し『近代民主政治』という名著
を執筆した。大正初期に日本にも調査に来ている。彼は「フェア
ープレー(倫理性と常識)が失われた代表制民主主義は、選挙を
重ねるたびに悪い政治となる」と、名言を残している。
 議会民主政治が健全に機能するための基本条件は、

1)多数が常に正しいものではなく、少数意見がいつか多数意見
に変わる仕組みがあること。即ち、「政権交代」について国民的
理解があることである。
2)国家運営の情報が開示され、自由で公正な報道がなされてい
ることである。プライスの箴言や議会民主政治の基本条件から、
日本の議会政治をどう考えればよいだろうか。

 安倍晋三という政治家は、あらゆる角度から検証しても議会民
主政治家とはいえない。その人物が日本式議会政治の手続で「安
倍一強体制」という事実上の独裁政治を成功させた。この政治現
象を不可思議と言わずして何を言うのかと思う。表面だけ見ると
『集団的催眠術』にかかった自民党の責任か。はたまた誰が考え
ても「野党連携」しか道はないのに、『政治的痴呆症候群』から
完治できない民主党の責任か。こんな表面的なことで両党指導者
の悪口をいくら言っても、問題の解決にはならない。原因を検証
することが必要だ。

 原因の第一は「政権交代は不条理」という自民党の信条にある。
その背景は何だろうか。日本では昭和30年(1955年)に保
守合同で自民党が結成された。それに先立ち革新派の社会党左派
と右派が合流し、二本社会党が、日本社会党に一本化した。二大
政党の出現で「自社55年体制」と呼ばれた。英国の議会政治に
見習って、二大政党による政権交代政治が実現するかと多くの国
民が期待した。
 米ソ冷戦下であり、資本主義か社会主義かというイデオロギー
の対立もあった。当時、社会党の江田三郎書記長が「日本の平和、
米国の豊かさ、ソ連の福祉の3本柱」の国づくりを提唱したこと
もある。大きな政治対立は自民党が「憲法(9条)改正」、社会
党が「憲法改正反対」であった。憲法改正には衆参両院それぞれ
3分の2の賛成による国民投票への発議が必要である。社会党は
両院で3分の1以上の所属議員を当選させることを政治目標とし
た。「60年安保騒動」が終わり、池田政権の「寛容と忍耐」の
政治で経済成長の成果が実感できるようになる。自民党は結党の
「憲法改正の公約」を事実上棚上げする。革新派も3分の1以上
の議席を定着させ「憲法改正」は政争の中心ではなくなる。自民
党は高度経済成長の弊害にも配慮しながら、国土開発など地域の
振興政策を展開していく。社会党は政権交代より「労働組合員の
経済成長」の成功を政治目的とするようになる。

 昭和49年秋の「石油ショック」による経済危機を乗り切り、
省エネなど先端技術の開発により新しい展開が始まるのは、昭和
50年代の前半であった。この頃までは衆参両院議員には明治生
まれが残っていて「天は貧しさを憂わず、等しからざるを憂う」
という分配の平等思想が残っていた。特に、自民党の指導者には
貧困のなか苦学して政治家になった人たちが多くいて弱者に対す
る野党の政策要求を取りこんでいく政治が行われていた。
 政治の構成は自民党と社会党が漸減し、その分を公明党と民社
党が吸収するということで推移していた。共産党は、昭和42年
の総選挙までは一桁台であったが、田中政権での同47年総選挙
で無所属2名を加え40名に躍進した。その後、差はあったが二
桁を維持している。しかし「自民」対「社公民」という形で共産
党を排する政党政治が続いた。共産党側も独自性を主張すること
に満足する。日本の国会では共産党の「逸れ烏」が続いている。
これも歪な日本の政治の実態である。
 昭和50年前後から衆参両院で与野党伯仲時代となるが、野党
側は政権交代して積極的に政権に就く意思はなかった。特に社会
党は、政権という責任ある立場は自民党に任せ、国会の表舞台で
は対立する案件で、芝居がかった紛糾を演出しながら裏では手を
握っていた。平成の政治改革までは、公明党と民社党も社会党と
一体であった。

 このような政治状況のなかで、自民党は派閥政治による左右の
「振り子原理」により、「疑似政権交代」政治を完成する。かく
して、自民党及びその支持者のみならず、多くの日本人が「自民
党永久政権」を心理的に憲法化していった。憲法は、政権交代を
前提とする議院内閣制を基本としているが、現在でも「自民党永
久政権」を裏憲法として、自己の繁栄を確保しようとしている人
たちが多くいる。これが「安倍一強体制」をつくっている第一の
原因である。
 つまるところ、日本人の政治感性に問題がある。  (続く)


〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 11
(内閣法制局と憲法解釈)


 憲法哲学の話を続けてきたが、現実の問題に移ることを許され
たい。11月24日(火)の朝日新聞は、内閣法制局が集団的自
衛権の憲法解釈変更に内部の協議文書を残していないことが情報
公開で明らかになったと報道していた。極めて重大な問題なので
採り上げておきたい。
 結論は「協議文書」は存在しているはずだ。内閣法制局は「文
書は作らなかった」と回答している。また「法制局では一般的に
議事録は作らない」と答弁した官僚もいる。官僚の世界では会議
があれば必ず記録を残す。文書は、メモか要点筆記か、速記かは
別にして絶対に存在する。極秘や外部に知られたくない問題があ
る場合「文書は作っていない」ということになっている。私は衆
議院事務局時代に、記録がないはずの記録をつくる仕事を長期間
やっていた。議長が呼びかける党首会談など、また議運理事会な
ど非公開の記録は要点筆記で全部残してある。某内閣法制局長官
経験者が「内部で議論を積み上げた形跡はない。横畠長官一人で
判断したようだ」と語ったとも同紙で報道されているが、これが
真実ならさらに重大である。ことは憲法の「解釈改憲」であり、
本来なら、衆参両院それぞれ3分の2の賛成による発議で、国民
投票の手続を要する問題である。国会や国民の基本権に関わるこ
とであり、徹底的検証が必要である。
「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を撤回するため、国民連合
政府をつくるべきとの提案があり、野党側は懸命な努力を続けて
いるが朝日新聞が報道した「内閣法制局の協議文書問題」を糾明
するのが先ではないか。国会での証人喚問や資料要求を早急に行
うべきだ。その方が、野党連携はまとまりやすい。

(内閣法制局は憲法解釈権をもっていない)

 何故このような問題が起こるのか。それは政党や政治家が無能
で狡猾で責任をとらないだからだ。憲法にも法律にも内閣法制局
に『憲法解釈権』があるとは規定していない。役割は『内閣法制
局法』で憲法・法律の解釈について、首相や大臣に意見を述べる
「意見事務」と、政府提出の法案や政令に、欠陥や矛盾がないか
を審査する「審査事務」を行うことである。憲法などの解釈につ
いては「意見」をいうことが役割で、権限を持っているわけでは
ない。
 ところが我が国では、いかにも内閣法制局が憲法解釈権を持つ
かのように国民が理解している。理由は戦後の厳しい国際情勢の
なかで憲法9条が現実と文理の解釈で大きな政争となっていった。
政権与党(多くは保守系)内部でも意見の対立があり、結局内閣
法制局のいうことだからという理由で、野党も事実上の解釈権を
内閣法制局が持つ雰囲気となった。それにマスメディアが過大報
道でお墨付きを与え、国民に拡がった。
 集団的自衛権問題については、内閣法制局が行使容認を禁止し
ていたのではない。歴代の政府の方針であったのだ。内閣法制局
が国民的に前面に出すぎていたため、安倍政権の責任が軽減した
きらいがある。安倍首相が内閣法制局長官まで更迭して政治性を
持たせたことは、内閣法制局に冷静な「解釈事務」をさせないた
めだ。そこら辺の安倍首相の責任を明確にしておくべきである。
                         (続く)





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