曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

私たちは豊かな社会の構築を目指すべきだ

2015年03月03日 10時06分25秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

                  

「植草一秀の『知られざる真実』」

                       2015/03/01

  私たちは豊かな社会の構築を目指すべきだ

                          第1090号

ウェブで読む:http://foomii.com/00050/2015030114300025437
EPUBダウンロード:http://foomii.com/00050-26106.epub
────────────────────────────────────
川崎で発生した少年殺害事件と経済政策を直結させることは控えるが、日本で
いまもっとも深刻な問題になっているのが「格差」の問題である。

かつて日本には、「一億総中流」と呼ばれた時代があった。

中間所得階層が非常に厚く存在したのである。

企業の社長でも法外に高い所得を得ない。

多くの労働者が正社員として処遇され、経済成長の恩恵を所得の増加で享受で
きた。

ところが、1980年代頃から状況が大きく変わり始めた。

世界の政治においては、サッチャー・レーガン・中曽根という、新しい流れが
強調されるようになった。

経済政策における「自由主義」の思潮が強まったのである。

資本主義経済の根本には「自由主義」が置かれた。

各経済主体が、自己の利益極大化を目指して行動することにより、最適な資源
配分が実現し、経済全体の効率が最も高まる。

政府の経済活動への介入を極小化することが経済発展を促すと考えらえた。

しかし、経済活動の結果である果実の分配についても、市場原理にすべてを委
ねる結果、分配の格差は拡大の一途を辿った。

「格差拡大」は「自由主義」経済政策の必然の結果であることが明らかになっ
たのである。



「格差拡大」は超過生産を生み出し、深刻な経済活動の崩壊を周期的に引き起
こしてきた。

他方、下流に押し流された人々は、生存の危機に晒されるようになった。

20世紀に入って、基本的人権として「生存権」が重視されるようになった。

経済の体制においても、「自由主義」を軸とする「資本主義」の経済体制に対
する新しい試みとして、経済活動の結果である果実の分配を政府が人為的に定
める「社会主義」の体制が一部の国で導入されるようになった。

他方、資本主義を採用する国においても、結果における果実の分配において、
政府が積極的に介入し、「結果における平等」を重視する「修正」が広範に実
施されるようになった。

また、経済の安定的な成長を実現するためには、経済活動に対する政府の積極
的な関与が重要であるとの経済政策上の新たな主張が支持されるようになった
のである。

20世紀は、この意味で、経済政策における

「自由放任」から「政府の介入重視」

「市場原理」から「所得再分配重視」

の方向に、経済政策の基本方向が根底から修正された時代であった。



この流れが再逆転し始めたのが1980年代である。

「結果における平等」の重視が、経済の活力を低下させているとの主張が一世
を風靡し始めたのである。

20世紀の国家モデルである「福祉国家」が攻撃の標的とされた。

それはとりもなおさず、「結果における平等」を重視する「所得再分配政策」
を否定するものであった。

各種経済的規制の撤廃が主張され、「結果における平等」をもたらすための経
済政策が全面的に否定されるようになったのである。

これが、新自由主義の新しい思潮である。

そして、現実に、英国、米国、日本において、この「新自由主義」経済政策が
積極推進された。

その結果として、かつて「一億総中流」と呼ばれた日本社会が、世界有数の
「格差社会」に移行したのである。



この変化によって利益を得たのは誰であるのか。

この経済政策は、一体、誰のために実施されてきたものであるのか。

結果を見れば一目瞭然である。

資本の利益だけを優先し、社会を構成する市民の利益が犠牲にされてきたので
ある。

フランスの経済学者であるトマ・ピケティは、長期にわたる所得分配の事実を
膨大な検証作業によって明らかにした。

その結果、資本主義経済の下での分配の格差拡大は、長期的な歴史の事実であ
ることを明示したのである。

日本における格差は大きくないと主張する者がいるが、この主張はピケティ氏
の実証によって否定された。

日本における所得上位10%の所得全体に占めるシェアは40%を突破した。
国際比較上も、日本が格差社会のトップグループに入っていることが裏付けら
れたわけである。

日本の厚生労働省が相対的貧困率のデータを発表するようになったが、ひとり
親世帯の貧困率が極めて高いことが大きな特徴になっている。

他方、日本における社会保障支出においては、機能別分類の「家族」に該当す
る分野への公的支出が世界最低レベルで推移している。

つまり、日本社会においては、急拡大している経済的弱者に対する対応が、国
際比較上も極めて貧困な状況にあるのだ。

社会を構成するすべての人々の生活がしっかり支えられることを重視するのが
「福祉国家」の理念であると言えるだろう。

ところが、日本においては逆に、社会を構成する人々のなかで、相対的に弱い
立場に置かれた人々が増加することも、その人々が苦しい状況に置かれたまま
でいることも、放置、あるいは積極推進されている。

「弱肉強食容認」、「弱肉強食奨励」の姿勢が、政策において明示されている
のである。

悲惨な少年事件の背景に、この国のこうした深刻な現実があることを見落とす
わけにはいかない。



安倍政権は義務教育において、「道徳」教育を「特別教科」に変更し、検定教
科書を導入し、「道徳」を評価の対象にするのだという。

これは根本的に日本国憲法に反する違憲行為であると言わざるを得ない。

日本国憲法

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

とある。

「道徳」について、皆で考えることは重要だが、検定教科書を作成し、評価す
るというのは、まさに「思想及び良心の自由」に対する侵害行為そのものであ
る。

安倍首相は「美しい国、日本」に合致する人材として、

正直、勤勉、誠実、信義・約束を守る、親切、清潔、礼儀正しさという

『美徳』

を持ち、

『愛国心』

『公共の精神』

『規範意識』

『道徳』

に基づいて行動し、

『文化』

『伝統』

『自然』

『歴史』

を大切にする

『美しい人』

の育成を目指そうとしているのかも知れないが、それは安倍晋三氏の個人的な
趣味、嗜好であって、こんな一私人の考えで、人々の思想及び良心の自由が侵
害されたのではたまったものでない。

あまりにも浅はかな考え方である。



そんなことよりも、政府が取り組むべきことは、

「思想及び良心の自由」

を完全に保障するための環境整備である。

特定の価値観、思想、哲学を個人に押し付けるべきでない。

日本国憲法は同時に、

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有す
る。

2   国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進に努めなければならない。

という条文を置いている。

政府が取り組むべきことは、

すべての国民に対して

健康で文化的な最低限度の生活を営むことを

保障することである。

この憲法条文の規定に基けば、経済政策の基本方向は、

「弱肉強食推進」

ではなく

「共生実現」

「最低保障生活水準の拡充」

ということになる。



税制においては、国際比較上、「高いとは言えない」法人の税および社会保険
料負担をされに引き下げる一方で、

所得の少ない人々の生存を脅かす消費税大増税を積極推進している。

人々は、固有の価値観、思想、哲学に沿って生きる権利を有しているのであ
り、国家が愛国心や国家に対する忠誠を強制することは、日本国憲法に反する
違憲行為である。



そもそも、日本の特別な国だと思い込み、日本は他国より優れていると考えよ
うとすることが病的な誤りなのだ。

金子みすゞの

「私と小鳥と鈴と」

を紹介したが、「みんなちがって、みんないい」という発想こそが大切なの
だ。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-82f2.html

道徳で

「みんなちがって、みんないい」

ことを教えるというなら理解できるが、

「日本は世界で一番」

「他国と比較したら8勝2敗で日本の勝ち」

などと信じ込ませる、思い込ませること自体が、勘違い人間の創出につながる
のである。

こんな道徳教育は百害あって一利なしである。



優劣尺度を前面に出すことは、常に、激しい劣等感の裏返しなのである。

自信があるということは、他も自分も対等であるという判断に裏打ちされた意
識である。

「みんなちがって、みんないい」

と判断できるからこそ、自分に対する卑下が解消し、自分自身に自信を持つこ
とができるのである。

優劣思考が常に劣等感の裏返しであることを知っておくことは有益である。



そして、この平等意識を支えるための経済政策が、所得再分配政策である。

所得再分配政策は

「共に生きる」

ことの重要性を認識するところに根差す政策方針である。

自と他を峻別し、劣等感と優越感の狭間で臆病な自尊心に寄りかかって生きる
ところから、「弱肉強食推進」の偏狭な政策路線が導かれる。

日本が陥っているアジアや世界での孤立現象は、安倍晋三氏が推進する偏狭な
思想・信条に由来していると言わざるを得ない。

すべての人々が平和と安定を実感できる社会を実現することを、私たちは目指
すべきである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿