しばらく忙しくて自サイトのアクセス解析を見る機会がありませんでした。
本日(6/29)久しぶりにのぞいてみると、うちのサイトとしては非常に多くの閲覧を得ているページがありました。
『レフティやすおの左組通信』内
「<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について」
というページです。
下に紹介する記事のコメントの一つにリンクを貼られていました。
(コメント・ページ)
横澤彪のチャンネルGメン69
2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」
左手箸およびこのような考え方に対する私の意見に関しましては、リンク先の意見をご覧いただければよいかと思います。
ここでは、それ以前にこのような意見をお持ちになる人全般について、そういう考え方に対する私の意見を述べて見ます。
・・・
この記事の中で、タレント国分太一さんの左手箸を取り上げ、
ここに書かれた御意見は、きっと御自分の意見ではないのでしょう。
人は誰でも何事に対してもそれなりに自分の意見を持っている、と考えがちです。
しかし、自分の意見と思っているものもそのほとんどは、実は自分の内から出てきたものではなく、外から来たものだそうです。
『娘と話す哲学ってなに?』ロジェ=ポル・ドロワ/著 藤田真利子/訳 現代企画室/刊(2005)
にこんなことが書いてあります。長くなりますが、引用します。
この横澤氏の意見は、
<自分の五感を目いっぱい働かせて情報を集め、脳みそに汗をかくほど考え抜いて得た答えとしての自分の意見>ではないはずです。
「箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレ」と記事の中にも書かれていますように、それは昔の人からの教えを、盲目的に何の疑いもなく、信じ込んで忠実に守っているだけなのです。
単に外から得た意見を自分の意見のように思い込んでオウム返しに伝えているだけなのです。
このように考える人は少なくありません。
以前、私のメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(レフティやすおの左組通信メールマガジン)』第42号(No.42) 2006.8.5 「左手で字を書くために(3)」
「左利き子育て一口メモ マナー本・作法本」で紹介しました、
『箸づかいに自信がつく本 美しい箸作法は和の心』小倉朋子・監修(リヨン社 2006年1月刊)
という本の「第一章 箸使いってそんなに大事?」の冒頭「こんなお箸の持ち方していませんか?」で、「直したいお箸の持ち方」として、平行型(スプーン型)、交差箸、つかみ箸とともに、左手箸をあげています。
著者は、昔習った正しい教えを忠実に現代に伝えよう、とされているのでしょう。
しかし、結果的にそれは、部分的には現代に通用しないものになっています…。
これがひとつの現実です。
非常に残念なことに、自分の頭で真剣にものごとを考えていない人というのは、結構いらっしゃるものなのです。
横沢氏も小倉氏も、利き手について左利きについて、真剣に何時間も何日も何ヶ月も何年も考え続けたことはないのではないでしょうか。
左利きについて、人を見、人に聞き、本を読み、自分で体験したこともないのではないでしょうか。
お恥ずかしいながら、私の左利きに関する意見は、物心ついた時から現在まで40年以上、時にブランクはあっても、自分自身の体感に基づき、自分自身の体験を通して、時に人の姿も見、人の意見も聞き、本も読み、サイトも閲覧し、その上で自分の頭で考えて考えて考え抜いて出した意見です。
私は、利き手・左利きの問題を取り上げるときに、教育というものを一つの柱に考えています。
それは、こういうところにその理由があるのです。
左利き系の有名なサイトの一つでは、<左利きの人がこんなにいっぱいいる、左利きって当たり前>なのを示すことで、左利きに対する考え方を変えてゆこうとしています。
私はそれではダメだ、と考えています。
なぜならば、人は自分の見たいものしか見ない、自分の聞きたいことしか聞かない、自分の解釈したいようにしか解釈しないもの、だからです。
だから、教育が必要なのです!
何事も一から教育することが重要になってくるのです。
きちんとした人権教育の一環としての利き手教育というものが。
私はそう考えています。
<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
「お茶でっせ」記事第二弾
・2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版、新生活版
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
・第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」
※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと」を転載したものです。
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本日(6/29)久しぶりにのぞいてみると、うちのサイトとしては非常に多くの閲覧を得ているページがありました。
『レフティやすおの左組通信』内
「<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について」
というページです。
下に紹介する記事のコメントの一つにリンクを貼られていました。
(コメント・ページ)
横澤彪のチャンネルGメン69
2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」
左手箸およびこのような考え方に対する私の意見に関しましては、リンク先の意見をご覧いただければよいかと思います。
ここでは、それ以前にこのような意見をお持ちになる人全般について、そういう考え方に対する私の意見を述べて見ます。
・・・
この記事の中で、タレント国分太一さんの左手箸を取り上げ、
「ただ一つ残念なのが、食べるときに左手で箸を使うことだ。箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレのような世代の者には、左手で食べるのはすごく違和感があるんだよな。/... やっぱり左手で箸を使っているのはいただけない。今からでも遅くないから、箸は右手で持とうよ。/... /左手は ケツを拭く手だ 箸持つな」とコメントされています。
ここに書かれた御意見は、きっと御自分の意見ではないのでしょう。
人は誰でも何事に対してもそれなりに自分の意見を持っている、と考えがちです。
しかし、自分の意見と思っているものもそのほとんどは、実は自分の内から出てきたものではなく、外から来たものだそうです。
『娘と話す哲学ってなに?』ロジェ=ポル・ドロワ/著 藤田真利子/訳 現代企画室/刊(2005)
にこんなことが書いてあります。長くなりますが、引用します。
「... よく見てしっかり考えないと、間違った考えを正しいと信じてしまうということなのさ。で、これがしょっちゅうあるんだね。じつにありふれた、よくあること、と言ってもいいくらいだ。いつも聞かされているからそれが正しいと信じる。小さいときに教えられて、ほかの人もみんな同じことを言ってる。わたしたちの頭の中に持っている考えというものは、ほとんど全部が頭の外から来ている。実際はどうやって入ってきたのか、知らないうちに入り込んでいる。それがどこから来るかと言えば、家族からのこともあれば、周囲の人たちや友達からのこともある。自分の考えと言ったって、それを作り上げたのは普通、自分自身じゃないんだ! ... /そういう考えがわたしたちのなかに入り込んで根を下ろす。それはほんとうに選んだわけでもないのに「自分の」考えになる。それが「いい」とか「悪い」とか判断することもほとんどない。正しいのか間違っているのかをほんとうに知ろうとすることもないんだ」<1章 正しい考えを探す>26-27p
この横澤氏の意見は、
<自分の五感を目いっぱい働かせて情報を集め、脳みそに汗をかくほど考え抜いて得た答えとしての自分の意見>ではないはずです。
「箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレ」と記事の中にも書かれていますように、それは昔の人からの教えを、盲目的に何の疑いもなく、信じ込んで忠実に守っているだけなのです。
単に外から得た意見を自分の意見のように思い込んでオウム返しに伝えているだけなのです。
このように考える人は少なくありません。
以前、私のメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(レフティやすおの左組通信メールマガジン)』第42号(No.42) 2006.8.5 「左手で字を書くために(3)」
「左利き子育て一口メモ マナー本・作法本」で紹介しました、
『箸づかいに自信がつく本 美しい箸作法は和の心』小倉朋子・監修(リヨン社 2006年1月刊)
という本の「第一章 箸使いってそんなに大事?」の冒頭「こんなお箸の持ち方していませんか?」で、「直したいお箸の持ち方」として、平行型(スプーン型)、交差箸、つかみ箸とともに、左手箸をあげています。
著者は、昔習った正しい教えを忠実に現代に伝えよう、とされているのでしょう。
しかし、結果的にそれは、部分的には現代に通用しないものになっています…。
これがひとつの現実です。
非常に残念なことに、自分の頭で真剣にものごとを考えていない人というのは、結構いらっしゃるものなのです。
横沢氏も小倉氏も、利き手について左利きについて、真剣に何時間も何日も何ヶ月も何年も考え続けたことはないのではないでしょうか。
左利きについて、人を見、人に聞き、本を読み、自分で体験したこともないのではないでしょうか。
お恥ずかしいながら、私の左利きに関する意見は、物心ついた時から現在まで40年以上、時にブランクはあっても、自分自身の体感に基づき、自分自身の体験を通して、時に人の姿も見、人の意見も聞き、本も読み、サイトも閲覧し、その上で自分の頭で考えて考えて考え抜いて出した意見です。
私は、利き手・左利きの問題を取り上げるときに、教育というものを一つの柱に考えています。
それは、こういうところにその理由があるのです。
左利き系の有名なサイトの一つでは、<左利きの人がこんなにいっぱいいる、左利きって当たり前>なのを示すことで、左利きに対する考え方を変えてゆこうとしています。
私はそれではダメだ、と考えています。
なぜならば、人は自分の見たいものしか見ない、自分の聞きたいことしか聞かない、自分の解釈したいようにしか解釈しないもの、だからです。
だから、教育が必要なのです!
何事も一から教育することが重要になってくるのです。
きちんとした人権教育の一環としての利き手教育というものが。
私はそう考えています。
<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
「お茶でっせ」記事第二弾
・2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版、新生活版
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
・第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」
※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと」を転載したものです。
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◆「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
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