レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

2022(令和4)年版夏休み特別編・読書感想文を書く-「楽しい読書」第324号

2022-08-17 | 左利き
古典から始める レフティやすおの楽しい読書-322号【別冊 編集後記】

2022(令和3)年8月15日号(No.323)
「夏休み特別編・読書感想文を書く
―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和3)年8月15日号(No.323)
「夏休み特別編・読書感想文を書く
―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」
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 今年も本来ですと、毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2022―
 第三回集英社文庫編をお送りするところですが、
 予定を変更して、昔配信しました第8号の、
 夏休み特別編の読書感想文の書き方に関する文章を再録します。

 夏休みと言えば、読書感想文の宿題が定番です。
 簡単なようで難しいのがこの宿題。

 私も小中高と苦労しました。
 その後左利きの活動を通して文章の書き方も少しは学びました。
 ブログやメルマガを書くことで実践も続けてきました。
 今では“それなりの書き方”は理解しているつもりです。

 再掲載に当たり、いくらか手を入れました。
 例文なども考えて、工夫してみました。

 元の文章は14年前のものですので、
 どこまでお役に立つか分かりませんが……。

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 「2008(平成20)年8月15日号(No.8)-080815-
  夏休み特別編2・読書感想文を書く」 より加筆再録

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 夏休み特別編・読書感想文を書く
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 夏休み特別編集でお送りしています。
 今回は感想文の書き方について書いてみます。

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 夏休み特別編・読書感想文を書く 2022(令和4)年版
 『レフティやすおの楽しい読書』流
  「読書報告書」的読書感想文の書き方
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

かつてこの「楽しい読書」の別冊編集後記を掲載していた
『作文工房』では、
過去に読書感想文の書き方といった記事を書いています。

・2005年02月16日(水) 読書感想文を書く(テーマ:作文と読書)
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10000797778.html
・2005年08月24日(水)
読書感想文の書き方―レフティやすおのアドバイス
(テーマ:作文と読書)
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10003729088.html

毎年かなりのアクセスを記録していました。

そこで、今回は、この夏休みのど真ん中の時期に、
私なりの読書感想文の書き方といったものを紹介してみましょう。


 ●「読書報告書」的な読書感想文の書き方

夏休みといえば、読書感想文―。

そんな決まりがあるかのように、読書感想文の宿題が出ます。
で、この感想文を書くと言うのが、結構苦痛だったものです。

普段から日常の授業のなかで
きちんとした読書指導と作文指導を受けている子供たちならば、
読書感想文の宿題など全く気にならないはずです。

それどころか大喜びしてもおかしくないでしょう。
なぜなら得意なことだからです。

そうではなく、読書感想文が苦手だ、苦になるというのは、
そういう適切な指導を受けていないからです。

ところがそういう学校や先生ほど、
この長期休暇中に読書感想文の宿題を出すようです。

せめてこんなときぐらい本を読まそう
という考えなのでしょうが、
それではかえって本嫌いを作りかねないように思うのですが…。

で、ここでは
本格的な正道の読書感想文の書き方というより、
邪道かもしれませんが、いってみれば、
本を読んだという事実を証明するための
「読書報告書」的なものの書き方を考えて見ましょう。


 ●基本的な設計図

本を読んで読書感想文を書きなさい、
自由に自分の好きなように書いていいのですよ、

といわれても、

普段から書きなれていない人、
初心者にはなかなか書けないものです。

でも、読書感想文には、実は一定の形式があるものなのです。
それを知っていれば、特に書くことに困ることはありません。

パターンはいくつかあると思います。
幸い昨今では「感想文のお手本」のような本も売っています。
パラパラッとそういう本を見てみるのもいいでしょう。


さて、実践―。

ではどうすればいいか、
まず一定の設計図を描いてみればよい、といいます。


【基本的な設計図】とは、

第一段階:導入部
・その本を選んだ理由―なぜこの本を読もうと思ったか、を書く。
・あらすじを書く―どんなお話か、何が書いてあるのか、
 大体のところを紹介する。

第二段階:内容
・具体的な例を挙げる―引用と感想。自分がどういう点に、
 何をどういうふうに感動したか、感心したか、興味を持ったか、
 面白いと思ったか、などを示す。

第三段階:まとめ
・著者の狙いは何か―著者は何を言いたかったのか、
 何を伝えようとしているのか。
・自分はどう感じたか、どう考えたか―本を読む前と比べて、
 読み終えて何がどう変ったか。

これで形はわかりました。


 ●報告者(あなた)の反応を記す

次に内容です。

簡潔な報告書を書くときの方法の一つに、
問いを設定し、それに答える、という方法があります。

適切な問いを発見できれば、それに答えるだけで、
必要なこと・重要なことが何であるかを導き出せるものです。


対象に対する具体的な質問を問い掛けてみる。

報告を受ける人が求めていること・知りたいと思うことは何か、
を考えながら、
その答えを導き出せるような問いを用意して、
それに答える形で、何を書けばよいかを見極めてゆくのです。


本の場合、何を読んだか、どんなお話だったか、これは基本です。
しかし、あらすじをだらだら書くのは無駄です。

報告を受ける人(先生)が本当に知りたい―伝えて欲しいのは、
報告者(あなた)の反応です。

この本を「なぜ選んだのか」であり、
この本の「どの点にどう反応したか」―「どう解釈したか」です。


 ●読むときにメモを取る

そこで、読むときはメモを取る準備をしておきます。
感想文を書くための「材料集め」です。

自分の本なら、鉛筆で線を引くなりしてもかまいません。
借りた本なら、短冊(付箋)をたくさん用意しておきます。

気になるところにはすべてマークします。

初心者は、線を引いて読むと、本が真っ黒になります。
付箋をつけて読むと、本が付箋だらけになります。

なぜなら、初めはどこが重要かの判断がつかないからです。

でも、それらのなかから、さらに絞ってゆけばいいのです。

そして、最終的には、あるポイントに絞って書くのです。
せいぜい二三点に絞って書くのです。

自分で「どうしてもこのことを伝えたい」、
と思うことだけに絞るのです。


長さに規定がある場合はそれにあわせなければなりません。

それでも、大体はそれで十分です。

では、始めてみましょう!


 ●例――森鴎外「最後の一句」

ここでは、弊誌

2022(令和3)年7月31日号(No.323)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」

で読みました『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』から
「最後の一句」を例に書いてみます。

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外



 ・・・

本編では、孝行娘が自分の命をなげうって
父を助けようとする行動が描かれています。

しかしその「献身」的行動ではなく、お白洲での取調で、
彼女が最後につけ加えた「最後の一句」――

 《「お上(かみ)の事には間違(まちがい)はございますまいから」》p.76

が、奉行所の役人たちに与えた影響が問題となっています。

 《白洲を下がる子供等を見送って、佐佐は太田と稲垣とに向いて、
  「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と云った。
  心の中には、哀な孝行娘の影も残らず、
  人に教唆(きょうさ)せられた、おろかな子供の影も残らず、
  只(ただ)氷のように冷かに、刃のように鋭い、
  いちの最後の詞(ことば)の最後の一句が反響しているのである。》p.76

役人として、世の秩序を守ることを心掛けているはずの人々であっても、
現実の世では、実際には色々とお定め通りに事を行うことは難しいもの。

それを十分知っているからこその、
この一句に対しての反応だったでしょう。


 《献身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、
  いちと語(ことば)を交えた佐佐のみではなく、
  書院にいた役人一同の胸をも刺した。》p.76

というのも無理はないのです。


鴎外がこの小説に
「最後の一句」という作品名を与えた理由もそこにあるのでしょう。

娘いちの思い定めたような厳しい決意が感じられる一句で、
それを痛切に思い知らされた役人たちの物語でもあります。

私もこういう場で、確固たる一句を発言できるような
心の強さと自分への厳しさを持ちたいものですね。

 ・・・

――以上、感想文の例文として成り立っているかどうか、
  怪しいところもありますが、
  何かしらヒントにはなったのではないか、という気がします。

 ・・・

昨今では、
ネットで「読書感想文 書き方」といったキーワードで検索しますと、
いくつものレベルに合わせた参考書が見つかります。
それらを参考にするのもいいでしょう。


*(例)

・『ちびまる子ちゃんの読書感想文教室』貝田 桃子、さくら ももこ (著)
(ちびまる子ちゃん/満点ゲットシリーズ) 集英社 2017/7/14

・『ドラえもんの国語おもしろ攻略 読書感想文が書ける』藤子 F不二雄
(著), 宮川 俊彦 (監修)
(ドラえもんの学習シリーズ) 小学館 2013/7/11

・『小学1・2年生 スラスラ書ける読書感想文』永岡書店 2021/6/18
上條 晴夫 (監修)

・『脚本家が教える読書感想文教室』主婦の友社 2020/7/2
篠原明夫 (著)

 などなど……

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。
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本誌では、「夏休み特別編・読書感想文を書く―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」と題して、全文紹介です。

以前からこの時期には、季節柄一度は書いておきたいと思っていたのが、「読書感想文の書き方」でした。

昔、書いたものがあり、結構アクセス数があったという記憶があり、またこちらのブログでも書いておきたいという気持ちがありました。

今回、もう一つの方のメルマガの8月13日の「国際左利きの日」の特別編のメルマガ原稿書きに追われてしまったこともあり、この際、昔の文章に一部手を入れてごまかしてやれという気になりました。

加筆もしているので、全くの再録ではなゐので、と言い訳しておきます。

本誌がおもしろいと思われた方は、ぜひこの機会に購読登録をよろしくお願いいたします。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

" target="_blank">2022(令和4)年版夏休み特別編・読書感想文を書く-「楽しい読書」第324号

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2022年8月13日左利きの日INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY合併号-週刊ヒッキイ第624号

2022-08-13 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』別冊編集後記

第624号(No.624) 2022/8/13
「2022年8月合併号―「8月13日は国際左利きの日」―」



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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第624号(No.624) 2022/8/13
「2022年8月合併号―「8月13日は国際左利きの日」―」
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 今月、8月13日(土)は、世界的な左利きの日
 「国際左利きの日」INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY です。

 毎年、この前後に、この「左利きの日」を記念した
 新たなブログ記事を書いてきました。

 今年も何か書く予定でいましたが、
 そうしますと、三週続けて左利きについて書くことになります。
 正直今の私には、その余力がありません。
 そこで、メルマガを一ヶ月通じての合併号とすることで、
 一つの記事で済ませることにしました。

 勝手ながらご容赦ください。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2022年8月合併号
―「8月13日は国際左利きの日(INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY)」― 
   左利きとアイデンティティ
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●1976年から47回目の2022年8月13日「国際左利きの日」

今年も8月13日「国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」
が近づいています。

毎年毎年書いていることですが、
日本語で「左利きの日(8月13日)」とネット検索しますと、
難儀なほど、多数の
《1992年8月13日、イギリスにある「Left-Handers Club」により制定》
という記事が出てきます。

日本語版 Wikipedia「左利きの日」の受け売りが大半なのでしょう
けれど、困ったことです。
最も昔からやっているのですよ、といいたいのです。

なにしろ同じ「Wikipedia」でも英語版で
「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」で検索しますと、

英語版Wikipedia「International Lefthanders Day」
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Lefthanders_Day

冒頭に、
《International Left Handers Day is an international day
observed annually on August 13 to celebrate the uniqueness
and differences of left-handed individuals.
The day was first observed in 1976 by Dean R. Campbell,
founder of Lefthanders International, Inc.》
と出てきます。


(画像:英語版ウィキペディアの「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」の項目冒頭――下線部分の筆者訳:「国際左利きの日」は「レフトハンダー・インターナショナル」の創設者ディーン・R・キャンベルによって1976年に最初の祝祭が行われた)

それ以外にも、いくつものサイトで
この「1976年キャンベル起源説」が出てきます。

私自身、昔購読していたのが、
このキャンベルさんがチェアマンをしていた
「LEFTHANDERS INTERNATIONAL」という組織が発行する
「LEFTHANDER MAGAZIN」という左利きの人のための雑誌でした。

これは、1991(平成3)年3月発行の
『モノ・マガジン』1991年4月2日号 No.188
「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」
(ワールド・フォトプレス)に掲載されていたもので、
1993(平成5)年に、英語を勉強して連絡を取り、
定期購読していたものでした(1993年11・12月号~1996年3・4月号)。

そこには、アメリカでのイベントのリポートなども掲載されていました。

ちなみに、雑誌で知ったイギリスの左利き用品専門店
「Anything Left-Handed」の顧客が参加できる、
前述の「Left-handers Club」の会員になり、
機関誌「The Left-hander」も定期購読していました
(1994(平成6)年No.16~1997年10月No.27)。


もちろん現在、世界的に唯一かもしれない、活動中の
「lefthandersday」サイト「https://www.lefthandersday.com/」では、
自身が始めた1992年を起源としています。

今年のサイトには、
《Welcome to the official site for the 30th annual Left Handers Day! August 13th is a chance to tell your family and friends how proud you are of being left-handed, and also raise awareness of the everyday issues that lefties face as we live in a world designed for right-handers.》
「30th」と書かれています。

これはあくまでも、先週の<号外>でも書きましたように、
そちら側の「主張」です。

本当の歴史的事実は、違います。


 ●記念日制定の趣旨は同じ――左利き生活向上のため

キャンベルさんもご自身左利きで、
アメリカのカンザス州トピカで左利き用品店を始め、
開店一周年のこの8月13日に、左利きの人のための会(前述の)
「LEFTHANDERS INTERNATIONAL」を開設、
左利きの人の生活向上のために左利き用品の普及を目指して、
この記念日を制定したわけです。

ですから、制定の趣旨は同じです。


この「国際左利きの日(INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY)」は、
本来外国の記念日ですから、日本語で調べるだけではなく、
英語で「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」と調べれば、
より正確であろう情報に出会える、と考える方が自然でしょう。

と、私なら思うのですが、
大半の人は、日本語で調べただけで納得してしまうのでしょうか。

結果として、多くの人が間違った情報を広めています。
裏付けにこだわらない、という態度は、不思議です。


 ●私の左利きの活動のきっかけも……

上にも書きましたように、「左利きの日」制定の趣旨は、
左利きの人の生活向上を願って、左利き用品を普及させることでした。

そういう目的を持っています。
この日を機会に、左利きの人について、その生活について考えてもらう。

左利きの人の生活上の不便や困り事を解決する手段の一つとして、
道具を工夫すること、左利きの人に使いやすい道具を用意すること、
があげられます。

もちろん、そういう物理的な問題解決だけではなく、
といいますか、それ以前の問題として、
左利きについて知ってもらい、左利きに忌避感をもたないように、
という精神的な問題解決の面もあります。

また道具の開発や普及のためには、
多数派である右利きの人たちの協力や理解が必要です。
左利きの人だけで解決できる問題ではありません。

そういう意味からも、左利きの人のみならず、
右利きの人の側の意識改革が必要になります。

その機会としての「左利きの日」でもあるのです。

とはいえ、
まずは具体的な生活上の利便性の向上を図らねばなりません。

私が左利きの活動を始めたのも、左利きとして生きてきたなかで、
苦労したこと、不都合に感じたことなどの多くは、
道具を得ることで解決できるという意識があり、
上にも紹介しました1991年3月発行の
『モノ・マガジン』1991年4月2日号・左利き特集号 でみた
左利き用品の数々を集め、実際に使ってみて、
いいものはまわりの左利きの人に紹介しよう、と考えたからでした。

左手・左利き用品――道具から始まったのですね。

そういう意味では、「国際左利きの日」や
「左利きグッズの日」の制定の趣旨と同じ方向性ですね。


 ●左利きというコンプレックス

ただ、それ以前に、
精神性の問題も重要であることに変わりはありません。

私は「左利きである」ということにコンプレックスを持っていました。
「いました」と過去形で書きましたが、
本当は今でも根強く残っています。

それがそもそもの左利き活動の推進力であり、源泉でもあったわけです。

では、
そもそも左利きであることに関するコンプレックスとは何だったのか、
そして、
それはどういう形で現在の活動につながっているのでしょうか。

これを語り始めると長くなります。

今簡単に言えることは、
二十代に読んだ、箱崎総一先生の著書、
『左利きの秘密』(立風書房・マンボウブックス 1979)


によって、
「間違っているのは自分ではなく社会の方だ」
と認識できたこと。

「変えるべきなのは、自分自身ではなく社会の方だ」ということ。

「右利き(偏重/優先)社会に順応できない左利きの自分自身ではなく、
 そういう左利きの人を容認できない――
 受け入れられない社会の方に問題があるのだ」
ということですね。

この社会の在り方を変えていかなければならない、
という思いが、左利き活動に進ませたのです。


 ●ゼナ・ヘンダースン《同胞(ピープル)》シリーズ

ここで、すこし話題を変えましょう。

左利きとアイデンティティについて考えて見ます。

ゼナ・ヘンダースンというアメリカのSF作家さんがいました。
1950年代から60年代にかけて主に活躍した人といっていいかと思います。
実際には、70年代に入っても活躍していたようですが、
日本で知られる代表作は大半が1950~60年代の短編です。

いちばんの人気作であり代表作といえるのは、
<ピープル>シリーズと呼ばれる一連の短編シリーズで、
『果てしなき旅路』(短編をまとめて長編に仕立ててある)と
『血は異ならず』(短編集)の2冊が出ています。

*ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
1.『果てしなき旅路』ゼナ・ヘンダースン/著 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF ピープル・シリーズ 1978/7/1

2.『血は異ならず』ゼナ・ヘンダースン/著 宇佐川晶子, 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF 500 ピープル・シリーズ) 1977/12/1



私がこの作品が好きなのは、ここに登場する人たちが、
みな、社会から疎外された「一人ぼっち」の孤独な存在で、
その理解者との出会いとそれによる、
精神的な「孤独からの解放」を描いたような作品だったから、でしょう。

自分でそういう理由を自覚できたのは、
図書館で見つけた赤木かん子さんの本を読んだからでした。

『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
赤木 かん子/著 自由國民社 2001/5/1


この本の紹介文はこうなっています。

 《アダルト・チルドレン(AC)という言葉は
  90年代初めにブームになりましたが、
  今ひとつ、理解しづらいものでした。
  そのアダルト・チルドレンの理解に役に立つように、
  そしてその理解によって、
  本人もまわりの人も少し楽になれることを願って、
  小説やマンガや児童書やミステリや専門書など、
  幅広い分野から本を集めて紹介します。
  生きにくいと感じて、アルコール依存、虐待、共依存…など、
  さまざまな問題を抱えている、そんな人たちの、
  こころの傷を読み解くために―。》

 《「アダルト・チルドレン(AC)――
  子ども時代に必要な愛情と安らぎを得られずに育ち、
  傷ついた心を抱え、癒されぬまま大人になっている人たち」
  をテーマにしたブックガイド。》


この本の中の「第2章 アイデンティティ」<差別>で、
『果てしなき旅路』が取り上げられていました。



お話そのものは、《故郷》の星が破滅の危機に陥り、
宇宙船で脱出した異星人《同胞(ピープル)》たちが
新たな生活の場を求めて移動中、地球に突入する際に、宇宙船が壊れ、
散り散りになった彼らは、世界中(大半がアメリカの山中)に
ばらばらに住み着きます。

自分たちの優れた能力(人類から見れば超能力)を封印して、
地球人らしく振る舞うことで、地球人の社会に順応しようとするのです。

超能力の持ち主であることが分かれば――異星人という、
地球人とは違った存在だと分かれば――社会から排除されたり、
抹殺されたり、迫害されるという歴史があったからです。

しかし、真の自分を偽り、身を隠すような生き方は、
心が苦しむものです。

「人とは違う」という事実は、
特に大人の事情が理解できない子供には多大な影響を与えます。
結果的に様々な問題を引き起こすことになるのです。

この本に関する説明文を読んだ時、
初めて自分がどういう理由でこの本を好んでいたのか、
ということが理解できました。


 《数家族で放り出され、谷間に住みついた一族は
  自分のアイデンティティには悩まなくてすみました……
  でも子どものときに、一人ぼっちになり、
  つまり自分が何者なのか教えてもらえなかったために悩み、怯え、
  うっかり力をつかっては気味悪がられ、
  そのために州中の学校で拒否されて、
  自分は“違うのだ”ということで絶望してその谷へやってきて
  同朋とめぐりあった女教師のような人々の物語……、
  ピープルがピープルと出会い、自分は一人ではないということ、
  本当の自分をさらけだして生きてもいいのだということを知った時
  どんなに嬉しかったか、という話が、ある晩、ある山のふもとで
  交替で語られるのです。
  それは個人の歴史であると同時に一族の歴史であり、
  集まってきた人々すべてを共感で満たし、
  今までの傷を癒やす作業でもあるのでした――。》p.69


要するに、社会から受け入れられず、迫害を受けている人々が、
同じ立場の人や思いやりのある理解者という味方を得て、
精神的に立ち直り、新たな人生に取り組んでいく、という物語です。

こういう背景は、ある意味で左利きであること――
右利きの「普通の人」とは違うということで、
色々な嫌な思いを経験してきた私自身と重なるものがあったのです。


続けてこう書いています。

 《これって……そのまんま、ACの物語でしょう?/
  私はこれが、大好きでした。このテの話が……。
  自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
  不安で不幸な人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、
  幸福になる……そういう話が――。そうしてそのテの物語を、
  “ピープル・タイプ”と呼んでいました。それは今考えればみな、
  アダルト・チルドレンの物語だったのです。/
  当時のSF作家たちは超能力者だけではない
  いろいろなSF的手法を使って、
  ACの癒やしの物語を紡いでいたのでした。なぜか……?!
  彼ら自身がそうだったから……、そしてそうやって
  自分自身を癒やそうとしたのではないかと私は思います。》p.69


《自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
 不安で不幸な人々》

まさに、当時の私は、そういう「不幸な左利きの一人」だったのです。

そんな
《人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、幸福になる》
としたら、どうでしょうか。

こんな素晴らしいお話は他にはありませんよね。



 ・・・

ここまで書いたところで、もうかなりの行数になりました。
本来は、
「左利きとアイデンティティ」について書くつもりだったのですが、
前半に少し行数をとられてしまったようです。


「国際左利きの日」について語ることも大事なのですが、
「なぜ制定されたのか?」という根本的な部分が
「左利きの人の生活向上には適切な道具は大事だよ」
だけで終わっています。

それ以前に、
「どうして左利きの人は必要な道具が手に入れにくいのか」
という部分が説明されていない、ように思います。

必要なのに、適切な道具が手に入れにくいのか、
それは、
「左利きの人の必要とする道具がどういうものかよく知られていない」
という理由が、一つあります。

それは、
「左利きの人の必要なものが右利きの人の必要なものとは違うのだ」
という事実が知られていないからでしょう。

それは、結局、右利きの人と左利きの人との「違い」の認識の問題です。

それが左利きとアイデンティティに関わることだと思うのです。
その辺をお話ししたかったのですけれど。

もう一度、来月の第一土曜日発行分で、
今回の続きを書きたいと思います。

ゼナ・ヘンダースンさんの<ピープル>シリーズと
赤木かん子さんの本の記述をもう少し紹介して、
作品を通して具体的な「疎外者」の意識を、
私のような左利きの人が感じていたであろうそれと比較して、
考えていただけるようにしようと思っています。

 ・・・

 要は、ゼナ・ヘンダースンさんの<ピープル>シリーズについて
 語りたいだけなのかもしれません……。


*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
 過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事

カテゴリ:8月13日国際左利きの日

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 「★600号までの道のり」は、お休みです。

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本誌では、「2022年8月合併号―8月13日 国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY―」と題して、今回も全紹介です。

ゼナ・ヘンダースンについて少し書いておきます。

私の好きなSF作家の一人で、短編派の作家では、ロバート・F・ヤングと並ん部存在というところです。
以前、ハヤカワ文庫50周年の時に、もう一つのメルマガ『レフティやすおの楽しい読書』で「ハヤカワ文庫の50冊」という企画をやった際にあげた「【私のお気に入り7】」に、
ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』に次いで、
2.ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』
3.ロバート・F・ヤング『ジョナサンと宇宙クジラ』
にあげています。
他には、
4.ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』
5.シャーリイ・ジャクスン『野蛮人との生活―スラップスティック式育児法』
6.クレイグ・ライス『スイート・ホーム殺人事件』
7.ルイス・ギルバート『フレンズ―ポールとミシェル』
です。

というように、非常に愛好する作家の一人で、世界的な大作家さんでもなければ、世界の名作文学というわけではないかもしれません。
しかし、単にお話がおもしろいとか、表現や文章がうまいとか、センス・オブ・ワンダーに優れているとか、なんやかんやといった小説のもつ面白さだけではなく、プラスアルファの部分が非常に心に響く作品を書く作家さんという印象です。

ぜひ、機会を作って読んでいただきたい作家さんの一人です。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
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" target="_blank">2022年8月13日左利きの日INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY合併号-週刊ヒッキイ第624号

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左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(号外)8月13日合併号のお知らせ

2022-08-07 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

(号外)8月13日合併号のお知らせ

「別冊編集後記」ではないのですが、次号への誘導といいますか、客引きの呼び込みのようなものです。

メルマガの号外を転載しておきます。

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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(号外)8月13日合併号のお知らせ
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弊紙は、<週刊hikkii>という名のとおり、
本来は毎週土曜日発行の週刊誌でした。

今年は、8月13日「国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」
が、土曜日に当たるということでもあり、
ちょっと疲れてきていることもあり、
今月は手抜きで、本日第一土曜と第三土曜の月二回発行を、
13日の月一発行で勘弁していただこうと思います。


8月13日に「2022年8月合併号―8月13日 国際左利きの日
 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY―」をお送りします。

ちなみに、1976年の第1回から47回目の記念日になります!

毎年この日に関しては、ブログ等で書いていますように、

日本語版 Wikipedia「左利きの日」等で紹介されている、

《1992年8月13日、イギリスにある「Left-Handers Club」により制定》
という、1992年イギリス・レフトハンダーズクラブ説は、
この会の「主張」であって、真実ではありません。

(私の英語読解力に誤りなければ)正しくは、
アメリカのカンザス州の州都トピカの左利き用品店のオーナー、
ご自身左利きのキャンベルさん(Dean R. Campbell)が、
開店一周年を機に左利きの人の会(Lefthanders International)を始め、
左利きの人の生活向上のために左利き用品の普及を目指し、
開店記念日の8月13日を
「国際左利きの日」(INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY)という
記念日に制定したのです。

イギリスの「Left-Handers Club」は、
イギリスの左利き用品専門店「Anything Left-Handed」の顧客を
もとにした左利きの人の会です。
「Anything Left-Handed」は、2018年に開店50周年を迎えたという、
1968年創業の老舗ですが、
当初は右利きの人が始めた隙間狙いの業態でした。
その後、左利きの人がオーナーとなり現在に至るのでした。
ロンドンという大都会での営業ということで、
宣伝に知恵を絞らなくても、結構経営的には、そこそこだったのでしょうね。

一方、州都とはいえ、アメリカの田舎での営業ということで、
1975年に開業した後発のお店であるキャンベルさんちは、
色々な工夫と宣伝が必要だったのかもしれません。
そこで、こういうイベントを考案されたのでしょうか。

イギリスの方は、キャンベルさんちが一足先に始めた
この記念日にのっかったという形でしょうか。
(ほんとうのところは存知ませんが。)

また来週の合併号で、これらのことは書いてみる予定ですが、
とにかく、
日本での「1992年イギリス制定」説は、なんとかしたいものです。
読者の皆様もご協力いただけると幸いです。

別にイギリスの人がマネしたとかパクったとか非難するつもりはなく、
単純に「もっと長い歴史があるのですよ」と強調したいのです。


(画像:英語版ウィキペディアの「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」の項目冒頭――下線部分の筆者訳:「国際左利きの日」は「レフトハンダー・インターナショナル」の創設者ディーン・R・キャンベルによって1976年に最初の祝祭が行われた)

*参照:「Anything Left-Handed」の歴史

左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii
第525号(No.525) 2018/9/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~ (特別編)ALH50年史概略(前編)」

●2018.8.29
8月16日イギリスの左利き専門店“Anything Left-Handed”50周年
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2018/08/816anything-lef.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/78163f651ba5307f93c67fb4d0a40994


*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
 過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事


カテゴリ:8月13日国際左利きの日

28・2021.8.12
8月13日「国際左利きの日」を前に、左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」創刊600号達成
goo「新生活」

27・2021.8.7
「左利き差別」問題と「みにくいアヒルの子」-週刊ヒッキイ創刊600号記念号
goo「新生活」

26・2020.8.12
2020年8月13日は1976年の制定から45回目の国際左利きの日

25・2019.8.13
8月13日は国際左利きの日-1976年の制定より今年は44度目

24・2018.8.13
8月13日国際左利きの日ILHDとAKB48Team8左利き選抜のことなど

23・2017.8.13
8月13日はハッピーレフトハンダーズデー!

22・2016.9.1
8月13日は〈国際左利きの日〉特別編-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第474,475,476号

21・2016.8.14
昨日(8月13日)アメブロで「今日は左利きの日」をやってました

20・2016.8.10
今年もやります!8月13日レフチャス(LEFTEOUS)の日―国際左利きの日

19・2015.8.12
明日8月13日は1976年制定から40回目の国際左利きの日

18・2014.8.12
8月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年

17・2013.8.13
8月13日<国際左利きの日>企画「ヒダリキックマガジン」で始まる!
・2013.9.2
『グリグリくりぃむ』左利き選手権:<国際左利きの日>情報5

16・2013.8.28
ブログネタ「両利きになる練習したことある?」:<国際左利きの日>情報4

15・2013.8.19
雑学フェアにて~渡瀬けん著『左利きの人々』:<国際左利きの日>情報3

14・2013.8.18
レフチャス(LEFTEOUS)day2013:<国際左利きの日>情報2

13・2013.8.13
8月13日<国際左利きの日>企画「ヒダリキックマガジン」で始まる!

12・2012.8.12
8月13日は37度目の“左利きの日”

11・2011.8.13
国際“左利きの日”を迎えて&週刊ヒッキイ273号特別編「個人モデル」から「社会モデル」へ

10・2010.8.21
今週の-週刊ヒッキイhikkii225名作の中の左利き(番外編)はさみ

9・2010.8.14
今週の-週刊ヒッキイhikkii224《矯正/直す》表現に思う(5)前編

8・2010.8.13
13日の金曜日はナント…左利きの日

7・2009.8.22
今週の週刊ヒッキイ―第193号「<左利きプチ・アンケート>再版第33回」

6・2008.8.13
33回目の8月13日国際左利きの日

5・2007.8.14
少数派の気持ち伝える「左利きの日」企画開催される

4・2006.8.13 
きょう8月13日は≪国際≫左利きの日です

3・2005.8.13 
今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY

2・2004.8.13 
きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」

1・2004.8.12 
明日8月13日は「左利きの日」

 ・・・

ということで、合併号のお知らせでした。

ホント、お知らせだけとつもりでしたが、
ついつい何やかやと書いてしまいました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

ではまた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(2)角川文庫『山椒大夫~』森鴎外-「楽しい読書」第323号

2022-08-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書-322号【別冊 編集後記】

2022(令和3)年7月15日号(No.322)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」


※「森おう外」の「おう」は正確には「鷗」ですが、
 この文字は「環境依存文字」ですので、
 当メルマガでは、新字の「鴎」を代用しています。


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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
------------------------------------------------------------------
2022(令和3)年7月31日号(No.323)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2022から――。

 当初は、年一回7月末に、
 三社の文庫フェアから一冊ずつ紹介していました。

 近年は、読書量の減少もあり、
 自分にとっての“新規の作家を発掘”しようという試みもあり、
 7月、8月の月末二回程度に分けて紹介してきました。
 
 で、今年は一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介しよう
 と思います。

 二回目は、角川文庫です。


新潮文庫の100冊 2022
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏フェア2022
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2022
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆ 2022テーマ(2)森鴎外 没後100年・晩年の名作 ◆
  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
  (2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●森鴎外、没後100年

角川文庫からは、森鴎外の没後100年ということで、
(1862年2月17日(文久2年1月19日)-1922年(大正11年)7月9日)
鴎外を取り上げてみることにしました。

角川文庫のこの本を読むのは初めてですが、
以前、弊誌で森鴎外の「舞姫」を取り上げた際に、
他社文庫(岩波文庫、文春文庫)で、
これらの収録作品を読んでいました。


2011(平成23)年2月28日号(No.53)-110228-
人知らぬ恨「舞姫」森[鴎おう]外

※「別冊 編集後記」~『レフティやすおの作文工房』~
2.28
森[鴎]外を読む:「舞姫」人知らぬ恨
―第53号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」



ちなみに、鴎外の「鴎(おう)」は、正しくは、偏の「区」の部分が旧字、
囲いの中の「メ」の部分が「口」3つです。
メルマガではこの漢字は使用できない(「×」になってしまう)ので、
便宜上、新字で紹介しています。

 ・・・

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外
https://www.kadokawa.co.jp/product/201202000090/

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外


目次:(o:私のお気に入り)

o「山椒大夫」
o「じいさんばあさん」
o「最後の一句」
o「高瀬舟」
 「附高瀬舟縁起」
「魚玄機」
「寒山拾得」
 「寒山拾得縁起」
「興津弥五右衛門の遺書」
o「阿部一族」
「佐橋甚五郎」

 ・・・

ちなみに、「新潮文庫の100冊 2022」からも、
森鴎外の後期の作品集が選ばれています。

『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫‎ 改版 2006/6/1


全12編収録で、共通するのは、
「興津弥五右衛門の遺書」「山椒大夫」「最後の一句」
「高瀬舟」「高瀬舟縁起」の5作。

個人的には、角川文庫版の方が、
後期の名作中の名作とも言うべき作品を集めていて「買い」でしょう。


 ●「山椒大夫」

まずはそれぞれの作品について軽くふれておきましょう。

「山椒大夫」は、安寿と厨子王の物語として有名でしょう。

私は子供の頃に東映動画のアニメ『安寿と厨子王』として親しみました。

父を訪ねて西国へ向かう安寿と厨子王とその母と女中の四人旅。
人買いの山岡大夫に騙されて、母は佐渡への船に売られ、
女中はこれまでと身を投げて死ぬ。
一方、子供二人は富山からさらに西へ向かう船に売られます。
で、題名となっている山椒大夫のもとに。
安寿は潮汲みで、厨子王は柴刈り。
で、心定めた安寿は、ある日、弟の厨子王を都に逃げろと教え、
自分は入水自殺します。
近くの寺に逃げ込み、都へ逃げ延びた厨子王は、
清水寺で関白師実(もろざね)と出会い、守り本尊の仏像のお陰もあって、
出世し、丹後の国守となって人買いを辞めさせ、
佐渡に渡り、母とも出会い、めでたしめでたし――。

安寿の思い定めた心の強さが心に残る作品です。

「じいさんばあさん」は、仲のよい老夫婦のお話。
これはあとでふれます。


 ●「最後の一句」

「最後の一句」は、大阪の町奉行に直訴した少女のお話。
高校時代の教科書で初めて読んだ、鴎外作品。

 《「お上(かみ)の事には間違(まちがい)はございますまいから」》p.76

という当年16歳の長女いちが、
西町奉行所の白洲での取り調べで最後につけ加えた、
この<最後の一句>が厳しく心に残ります。

 《白洲を下がる子供等を見送って、佐佐は太田と稲垣とに向いて、
  「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と云った。
  心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、
  人に教唆(きょうさ)せられた、おろかな子供の影も殘らず、
  只(ただ)氷のように冷かに、刃のように鋭い、
  いちの最後の詞(ことば)の最後の一句が反響しているのである。
  元文(げんぶん)頃の徳川家の役人は、
  固(もと)より「マルチリウム」という洋語も知らず、
  又当時の辞書には献身と云う訳語もなかったので、
  人間の精神に、老若男女の別なく、
  罪人太郎兵衞の娘に現れたような作用があることを、
  知らなかつたのは無理もない。
  しかし献身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、
  いちと語(ことば)を交えた佐佐のみではなく、
  書院にいた役人一同の胸をも刺した。》p.76

安寿の思い定めたような心と同じような厳しい決意が感じられます。


 ●「高瀬舟」

弟殺しの罪で島流しになる罪人を護送する
京都の高瀬川を行く高瀬舟の役人が、その罪人喜助の態度が
今までの罪人たちと異なる様子に思わず事情を聴くというお話。

身寄りのない兄弟二人だけで生活におわれていたが、
弟が病気になり、兄貴助の負担になるのを嫌い、
自殺を図るが、死にきれずにいる。帰った喜助に殺してくれと言う。
仕方なくカミソリを引いたとき、近所の女が現れ……。
罪人となり遠島になるにあたって、ただ飯を食わせてもらった上、
二百文のお金までもらえたことに、素直に喜んでいるのです。
今までまじめに働いていてもこのような大金を手にしたことはない、
というのです。
役人は、この弟殺しというものが本当に罪なことだったのか、
と考え込んでしまいます。

 《これが果して弟殺しというものだろうか、
  人殺しと云うものだろうかという疑(うたがい)が、
  話を半分聞いた時から起(おこ)って来て、聞いてしまっても、
  其(その)疑を解くことが出来なかった。(略)
  喜助はその苦(く)を見ているに忍びなかった。
  苦から救って遣(や)ろうと思って命を絶った。
  それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。
  しかしそれが苦から救うためであったと思うと、
  そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。》p.92

役人は、上のものの判断に任せるしかない、と思う。
お奉行さまの判断を自分の判断にしようと思うのでした。

安楽死問題を扱った医師らしいとも言えるお話です。
文豪ミステリ的な意味合いもあり、有名な作品です。

「附高瀬舟縁起」は、作品の背景を語るもの。


 ●「魚玄機」「寒山拾得」

この二つは、中国ものの歴史物です。
「魚玄機」は、詩の才能を持った女性(名前がタイトル)のお話。
漢詩が出てきます。

「寒山拾得」は、仏教もののユーモア編という感じです。
(「寒山拾得縁起」は、その背景を語るもの。)


 ●「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」

江戸時代の殉死もの二編。
「興津弥五右衛門の遺書」は、殉死の覚悟を決めた男の遺書。

「阿部一族」は、この短篇集中ももっとも長い短編
(といっても50ページほど)。
殉死を許されなかった侍が追い腹を切るが認められず、討手を出され、
阿部一族は閉じこもり対抗するが……。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」の世界の物語。
殉死の範囲というものも規定があるわけではなし、
追い腹を認められる場合もあり、
討手となっても死をもって奉公の態度を示さねばならなかったり、
武士の道とは死ぬことという言葉を文字通り示すお話。
名誉を重んずる故の行動とはいえ、
理不尽でもあり、悲劇でもあるという、
何かしら割り切れない気持ちになります。

「佐橋甚五郎」は、逆に生きのびることにつくした男のお話。


 ●「じいさんばあさん」

本書はまさに、鴎外の晩年の名作を集めた一冊です。

その中で、最後に、今年の私のこの企画のテーマともいうべき、
老人問題から、「じいさんばあさん」を取り上げましょう。

非常に仲のよい老夫婦の謎とは?

江戸時代の話です。
武家屋敷の一角の離れに引っ越してきた老夫婦は、非常に仲がよい。
近所のものの話では、
もしこれが若い男女だったら平気で見ていられないというほど。
なかには、夫婦ではない、兄弟だろうという人も。
なぜなら
 《隔てのない中(うち)に礼儀があって、夫婦にしては、
  少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。》p.50

 《二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。
  爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。
  毎日同じ時刻に刀剣に打粉うちこを打って拭ふく。
  体たいを極きめて木刀を揮ふる。
  婆あさんは例のまま事の真似をして、
  その隙すきには爺いさんの傍そばに来て団扇うちわであおぐ。
  もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。
  婆あさんが暫しばらくあおぐうちに、
  爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。
  二人はさも楽しそうに話すのである。》pp.50-51

 《どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。(略)
  二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、
  過ぎ去った昔の夢の迹あとを辿たどるのであろうと察した。》p.51

男のほうは伊織という武家だが、癇癪持ちが玉に瑕という。
嫁のるんは、決して美人ではないが、
長年、屋敷奉公をしていて行き遅れたが、押し出しが立派で賢く、
才気にあふれている、良き嫁であった。

新婚間もなく、伊織は京に出向くことになる。
無事に任務を終えるが、良い刀の出物があり、同役に借金をして買う。
そのお披露目会で招かれていない借金の主が現れ、言い争いになり、
かんしゃくを破裂させた伊織は相手を切りつけ殺してしまう。

その結果、よそへお預けの身となり、二人は離ればなれに。
夫の祖母も息子も亡くしたるんは、武家に奉公に出る。

そしてようやく夫がお預け御免となり、
こうして、37年ぶりに二人は夫婦として暮らすことになったのでした。


こういう事実が明らかになりますと、
この老夫婦お二人の仲の良さというものも理解できるように思います。

凍結されていた新婚時代が、時を超えて復活した、というわけですね。
とてもいいお話だと感じました。

ということで今回はおしまいです。


 ●鴎外と漱石

森鴎外という人は、明治の文豪としては、
夏目漱石(1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉-1916年〈大正5年〉12月9日)
と並ぶ二大文豪とされています。

私自身は、夏目漱石よりは、鴎外の短編の方が好き
という印象があります。

今回紹介しましたような一連の短編ですね。
他にも、処女作の「舞姫」のような作品ですね。

ちなみに、「新潮文庫の100冊 2022」に選ばれている
森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』に収録されている「普請中」は、
この「舞姫」のモデルとされる外国人の女性が
日本にやってきたというお話で、興味深いものがあります。

仕事を持っていたということもあるのでしょうが、
夏目漱石が長編が多いのに対して、鴎外は短編が多い、
という違いがあります。

一つは、鴎外が軍医であったという兼業作家だったのに対して、
漱石は東京帝大の先生を辞めてから
(漱石はラフカディオ・ハーンに代わって日本人の文学部講師になった
 ――余談ですが、ハーンの研究もある、
 比較文学研究家の平川祐弘(ひらかわすけひろ)さんの説では、
 ハーン同様、熊本の第五高等学校の先生をやり、イギリス留学後、
 ハーンの後釜として、東京帝大文学部の講師になった、そして、
 ハーンの「怪談」に対抗して「夢十夜」を書いた、といいます。)、
朝日新聞に入社、新聞に小説を連載する仕事を始めた、
という専業作家だったという事実もあります。
鴎外は、時間的に長いものを書く余裕がなかった、というわけですね。

しかし、基本的にはその人の作家としての資質の問題でもあるのでしょう。
長編作家と短編作家という違いがあります。

同じ小説でも、やはりワン・アイデアでも書ける短編に対し、
ある程度の構想が必要な長編という違いがありそうです。

読む場合でも、私のように体力に自信のない人は、
一気に読める短編を好み、
体力のある人はじっくり長編に取り組めるのではないでしょうか。

まあ、そんな気がします。

漱石の印象が悪いのは、
高校時代に国語の宿題で『こころ』を読まされた
という経験がマイナスになっています。

その後、漱石も自主的に明治の文豪ということで、
『こころ』の再読のほか、『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』『草枕』
『三四郎』などを読みました。
マイナスな印象はあまり変わっていません。

『坊ちゃん』などはもう一度きちんと読んでみたいものです。

ほかの作品も読み進めれば、
また違ってくるのかもしれませんけれど……。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から (2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」と題して、全文紹介です。

明治の文豪で、今年没後100年になる森鴎外の晩年の名作集を取り上げました。

本文中にも書いていますように、印象に残っている作品がいくつもあります。
東映動画の「安寿と厨子王」でよく知られた物語「山椒大夫」、高校の教科書で読んだ作品で、この一言は現代でも大きな意味を持つ「最後の一句」、安楽死問題、下層階級の経済問題など多くの社会性を持つ「高瀬舟」、武士道とは死ぬことと見つけたりという殉死問題を扱う「阿部一族」などなど。

なかでも、若夫婦のように仲のよい老夫婦の謎の真相を描く「じいさんばあさん」は、今年のこの夏の三社フェアの私のテーマ<老人>問題に関連して取り上げてみました。
正直、仲のよい老夫婦をみますと、あこがれますよね。

[追記] 本文中、「山椒大夫」に関連して、

 《私は子供の頃に東映動画のアニメ『安寿と厨子王』として親しみました。》

と記載しましたが、調べてみますと、『安寿と厨子王丸』が正しい題名でした。
1961年7月19日公開作品。

*『安寿と厨子王丸』DVD



 ・・・

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