レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-楽しい読書346号

2023-07-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年7月15日号(No.346)
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年7月15日号(No.346)
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
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第646号(No.646) 2023/7/15
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2023から――。

 昨年同様、一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介します。

 しかも今年は、発行日の7月15日が第三土曜日に当たり、
 私のもう一つのメルマガ
 『左利きを考える 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
 の発行と同日になります。
 そこで、またまたコラボすることで、手抜きさせていただきます。
 毎日暑い日が続きますので、ご容赦!


新潮文庫の100冊 2023
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏推し2023
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/
よまにゃチャンネル - ナツイチ2023 | 集英社文庫
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/yomanyachannel/


(画像:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023 の三社の小冊子)

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 ◆ 2023年テーマ:身近な思いから ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)

  新潮文庫 ブレイディみかこ
   『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

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 ●「新潮文庫の100冊 2023」について

まずは、「新潮文庫の100冊 2023」に選ばれた作品について
見ておきましょう。

フェアの小冊子『新潮文庫の100冊 2023』(新潮文庫編集部/著)
の出版社の紹介文から――

《約3000点の新潮文庫の中から「新潮文庫の100冊」として
 厳選した作品を、「恋する本」「シビレル本」「考える本」
 「ヤバイ本」「泣ける本」の5テーマに分類しておすすめします。
 かわいいキュンタの物語もお楽しみください!》


▼5つのテーマの主な作品(私の知っている本を挙げてみました)

「恋する本」20点―『ティファニーで朝食を』『あしながおじさん』
  『こころ』『雪国』『刺青・秘密』『錦繍』『キッチン』など

「シビレル本」20点―『マクベス』『シャーロック・ホームズの冒険』
  『十五少年漂流記』『ナイン・ストーリーズ』『深夜特急1』
  『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など

「考える本」21点―『罪と罰』『車輪の下』『センス・オブ・ワンダー』
  『蜘蛛の糸・杜子春』『塩狩峠』『沈黙』『こころの処方箋』
  『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』など

「ヤバイ本」20点―『異邦人』『変身』『月と六ペンス』
  『狂気の山脈にて』『人間失格』『檸檬』『金閣寺』『砂の女』など

「泣ける本」19点―『星の王子さま』『老人と海』『銀河鉄道の夜』
  『博士の愛した数式』『夜のピクニック』など


私の既読本は、海外作品を中心に、明治以降の国内の名作など、
全部で26点程度でしょうか。

この出版社の傾向というものもありますが、
近現代の海外ものや国内の名作小説が多く選ばれています。

少数ですが、小説以外のノンフィクションも選ばれています。

今回はまさにそういう一冊、ブレイディみかこさんの、
2019年(令和元年)に出版されるや、
あちこちで評判となり、ベストセラーとなった
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を選んでみました。

以下の文章は、私のもう一つのメルマガ
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の第646号と
同様のものとなります。
すでにご覧の方は、スルーしていただいて結構です。


 ●左利き研究家の観点から読む『ぼくはイエローでホワイトで~』

ブレイディみかこ
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(文庫版 2021/6/24)
です。


(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子)

(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子の該当ページ(カバー装画:中田いくみ))


(日本式にいうと)中学生の息子さんの子育てを交えた、
異文化交流のノンフィクションです。

著者は福岡生まれの日本人の母親で、英国ブライトン
(ロンドンの南方のイギリス海峡に面した町)在住、元保育士で、
配偶者はアイルランド人のトラック運転手、
二人には息子さんが一人いて、このたび地元の中学校に入学。
今まで通っていたカトリック系の小学校とは違い、
地元の様々な子供たちが通う元底辺中学校に入学。
そこで親子が体験する出来事についての考察を描く。

*続編
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』
ブレイディ みかこ/著 中田いくみ/イラスト 新潮社 2021/9/16


 ●「はじめに」から「子どもはすべてにぶち当たる」

冒頭「はじめに」に
「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。
若者はすべてを知っている」というオスカー・ワイルドの言葉を紹介し、
そのあとにつけ加えるなら「子どもはすべてにぶち当たる」だろう、
という箇所があります。

老人となってしまった私の感覚では、
老人は「信じる」というより「信じたい」で、中年や若者はともかく
最後の「子どもはすべてにぶち当たる」という発言は、
自分の子供時代を振り返ってみて、
当たっているなあ、という気がします。

子供というものは、社会の波風のあれやこれやをみんな受け止める、
ぶち当てられる、そういう存在のように思います。

私の場合は、主に「左利き」という事例に関する偏見や差別でしたが。


 ●一番気になった部分「誰かの靴を履いてみること」

文庫本で320ページ弱、16章からなる一冊です。

この16章中で、一番気になったのが、エンパシーに関する章
「5 誰かの靴を履いてみること」。

シティズンシップ・エデュケーションの授業の試験で、
最初に「エンパシーとは何か」という問いがあり、
それに対して、息子が「自分で誰か人の靴を履いてみること」と答えた、
というくだりです。

「自分で誰か人の靴を履いてみること」というのは、
英語の定型表現だそうで、《他人の立場に立ってみる》という意味。

 《日本語で、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」
  と訳されている言葉だが、確かに誰かの靴を履いてみるというのは
  すこぶる的確な表現だ。》(p.92)

なるほど。
確かに、他の人の靴を履く、とどうなるかといいますと、
「ピッタリで気持ちよい」ということは少なく、
たいていは「なんだこりゃ」になるでしょう。
サイズは一緒でも微妙な部分で合わなかったりするものです。


 ●「左利き」に置き換えると――「靴の左右を入れ替える」

ここで、ちょっと「左利き」の話をしておこうと思います。

右利きの人が多数派で、
社会のあれこれが右利きに都合のよいものになっている
いわゆる「右利き(優先/偏重)社会」になっている中で、
左利きの人が生きていくというのは、
「靴の左右を入れ替えて履くようなものだ」というのが、私の見方です。

たとえ自分の靴であれ、やはり右足用と左足用とは形が異なり、
うまく履けないものです。
特にオーダーメイドのように、足形に合わせたものであればあるほど、
左右は形状が違い、入れ替えるとうまく履けないものです。
窮屈だったり、ちょっと嫌な思いをしたり、思うように歩けなかったり、
そもそも履いているだけで痛かったり、大変な思いをするはずです。

これが靴ではなく、スリッパのようなものなら、
左右を入れ替えてもまったくといっていいほど気にならないでしょう。
スリッパというものは、そういうふうにできている履き物で、
左右兼用できる反面、靴のように跳んだり走ったリには不向きです。

「靴」は、右利き用だったり左利き用だったり、という専用品。
「スリッパ」は、左右両用可能なものや左右共用品というところ、
専用品ほど便利ではないかもしれませんが、どちらも使えるもの。

左利きの人は、この「右利き(優先/偏重)社会」で、
左右の靴を入れ替えて履かされているようなものだ、
というふうに理解していただけるといいのではないでしょうか。


 ●多様性について

もう一度『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にもどって、
「4 スクール・ポリティクス」で取り上げられている、
多様性について考えてみましょう。

息子が学校で多様性はいいことだと教わったというのですが、

 《「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」/
  「多様性ってやつは物事をややこしくするし、
   喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」/
  「楽じゃないものが、どうしていいの?」/
  「楽ばっかりしてると、無知になるから」》

すると、また「無知の問題か」と息子。
彼が道ばたでレイシズム的な罵倒を受けたとき、
そういうことをする人は無知なのだ、と母ちゃんが言ったことを受けて。

 《「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、
   無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」》


最近日本でも
「ダイバーシティ diversity」という言葉を聞くようになりました。
「多様性」のことですが、
「多様性」というものも案外むずかしいものです。

自分では多様性について寛容だと思っていても、
実際には、世間には様々な人びとがいて、
時に自分の知らない存在も多々あるものです。

私の経験をいいますと、右利きの人の中には、
(左手で箸を使ったり字を書く)左利きの人なんて見たことがない、
という人もいました。

「知らないものは存在しない」というわけです。

そこで、先の無知云々とつながってきます。


 ●無知な人には、知らせなきゃいけない

無知の問題について、
本書の母ちゃんと息子の会話をプレイバックしてみましょう。
「2 「glee/グリー」みたいな新学期」での会話です。

 《「頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、
   知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」》p.43

と母ちゃんが言うと、あるとき、息子は、
 《「無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」》
と。

左利きの問題も同じで、知らせていかなければいけないのです。

 ・・・

無知についていいますと、
以前、江國香織さんの『こうばしい日々』(新潮文庫)に登場する、
黒人の教師ミズ・カークブライドが、
アメリカに移住してきた日本人少年に話した、
人種差別に関しての言葉を思い出します。

 《「一つのことを、はじめから知っている人もいるし、
   途中で気がつく人もいる。
   最後までわからない人もいるのよ」》

*『こうばしい日々』江國香織/著 新潮文庫 1995/5/30

本書の場合は、教えられて気がつくというケースですね。

 ・・・

ついでに書いておきますと――

アリストテレスの
『ニコマコス倫理学』「第一巻 第四章」に引用されている
ヘシオドス『仕事と日々』の詩にある言葉、

 《あらゆることを自ら悟るような人は、もっともすぐれた人
  立派なことを語る人に耳を傾け、これに従う人も、すぐれた人
  しかし、自ら悟ることもなければ、他人の言葉を聞いて
  心に刻むこともないような人は、どうしようもない人。》

*『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著 渡辺邦夫・
 立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8


『論語』【季氏 第十六】(9)

 《孔子曰(いわ)く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。
  学びて之を知るものは、次なり。
  困(くる)しみて之を学ぶ者は、また其(そ)の次なり。
  困しみて学ばざる、民 斯(こ)れ下(げ)と為す。

  〈現代語訳〉孔先生の教え。生まれつき道徳(人の道)を
  理解している人間が、最高である。
  学ぶことによって〔すぐに〕道徳を理解する者は、それに次ぐ。
  〔すぐにではなくて〕努力して道徳を学ぶ者は、さらにそれに次ぐ。
  努力はするものの〔結局〕道徳を学ぼうとしない、
  そういう人々、これは最低である。
   
*『論語』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2004
『論語 増補版』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2009/9/10

というものに、似ています。


 ●エンパシーについて――「知ろう」とする能力

再び「エンパシー」にもどりましょう。

「エンパシー」に似た言葉として「シンパシー」があるといいます。

 《シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、
  エンパシーのほうは「能力」なのである。
  前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、
  後者はどうもそうではなさそう。》pp.94-95

 《シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、
  自分と似たような意見を持っている人々に対して
  人間が抱く感情のことだから、
  自分で努力しなくても自然に出て来る。
  だがエンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、
  別にかわいそうだとは思えない立場の人々が
  何を考えているのだろうと想像する力のことだ。
  シンパシーは感情的状態、
  エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。》p.95


多様性には色々な要素があり、それぞれの多様性について、
人はそのすべてを初めから知っているわけではない。

自分の属する要素については、当然理解しているし、
他の人の場合にも共感することができる。
ところが、自分に無縁の要素に関しては、知らないしわからない。
そこで、当該の人から知らせてもらう、教えてもらう必要が出てきます。

ここで「無知」とか「知らせる」とかの言葉が出て来るわけです。

で、私たちは、「無知」なのだから「教えてもらおう」とか、
「知らないこと・わからないことなので、知ろう・理解しよう」
とすることが重要になってくるわけです。

「共感」できることなら問題ないのですが、
特に共感する立場にはなくても、「理解しよう」とする姿勢、
およびその能力を「エンパシー」といい、
これからの時代に重要なことだと思われるわけです。


左利きに関していいますと、
自分は左利きではなく、この社会にあって不都合は感じていなくても、
「そういう人もいるのだ、不都合を感じることがあるのだ」
と理解することが大事だ、ということです。

 ・・・

さて、このブレイディみかこさんの
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、
中学生の息子さんを持つお母さんと配偶者の子育て私生活エッセイ
のような、読みやすい、それでいてなかなか読み応えのある、
「ちょっと左翼っぽい」(p.159 配偶者の言葉)
――その点ではちょっとうーんと思う部分も時にありますが――
母ちゃんによる、おもしろいノンフィクションでした。

続編も機会があれば読んでみたいものです。

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本誌では、「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」と題して、今回は全文転載紹介です。

『週刊ヒッキイhikkii』とのコラボということで、導入部以外の本文は、9時40分発行のヒッキイの方と同じ内容です。

手抜きといえば手抜きですが、内容そのものは、かなりのものと自負しています。
素材がいいので当然といえば当然のことなのでしょうけれど、ね。

(共通する部分の本文は、ここではカットしようかと思ったのですが、やっぱり全公開です。)

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-楽しい読書346号
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左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ『ぼくはイエローで…』-週刊ヒッキイ第646号

2023-07-16 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】

第646号(No.646) 2023/7/15
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」



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  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第646号(No.646) 2023/7/15
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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2023(令和5)年7月15日号(No.346)
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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 今回は本来なら、
 「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [23]
 <左利きプチ・アンケート> 全公開」
 を紹介する回ですが、
 私のもう一つのメルマガ
 『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』
 の月半ばの発行日と重なりましたので、
 (手抜きとして)コラボして、
 <左利き研究家の観点から>の読書感想を披露しましょう。

 もう一つのメルマガで、この時期毎年恒例にしているのが、
 その年の新潮・角川・集英社、三社の<夏の文庫>フェアから、
 それぞれ一冊を選んで紹介するという企画です。

 そのうちの一社、新潮文庫の作品を取り上げます。

 新潮・角川・集英社、三社の<夏の文庫>フェア2023
 それぞれのフェア内容等に関しましては、12時発行の
 『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』の方で
 紹介していますので、そちらをご参照ください。


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 ◆ 週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1) 新潮文庫

  左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ

   『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

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 ●<新潮文庫の100冊 2023>から

何十年も昔から続いている<夏の文庫フェア>の一つ

新潮文庫の100冊 2023
https://100satsu.com/

の中から、今年私が選んだ一冊は、
2019年(令和元年)出版後あちこちで評判となった

ブレイディみかこ
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(文庫版 2021/6/24)

です。


(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子)


(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子の該当ページ(カバー装画:中田いくみ))

(日本式にいうと)中学生の息子さんの子育てを交えた、
異文化交流のノンフィクションです。

著者は福岡生まれの日本人の母親で、英国ブライトン
(ロンドンの南方のイギリス海峡に面した町)在住、元保育士で、
配偶者はアイルランド人のトラック運転手、
二人には息子さんが一人いて、このたび地元の中学校に入学。
今まで通っていたカトリック系の小学校とは違い、
地元の様々な子供たちが通う元底辺中学校に入学。
そこで親子が体験する出来事についての考察を描く。

*続編
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』
ブレイディ みかこ/著 中田いくみ/イラスト 新潮社 2021/9/16


 ●「はじめに」から「子どもはすべてにぶち当たる」

冒頭「はじめに」に
「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。
若者はすべてを知っている」というオスカー・ワイルドの言葉を紹介し、
そのあとにつけ加えるなら「子どもはすべてにぶち当たる」だろう、
という箇所があります。

老人となってしまった私の感覚では、
老人は「信じる」というより「信じたい」で、中年や若者はともかく
最後の「子どもはすべてにぶち当たる」という発言は、
自分の子供時代を振り返ってみて、
当たっているなあ、という気がします。

子供というものは、社会の波風のあれやこれやをみんな受け止める、
ぶち当てられる、そういう存在のように思います。

私の場合は、主に「左利き」という事例に関する偏見や差別でしたが。


 ●一番気になった部分「誰かの靴を履いてみること」

文庫本で320ページ弱、16章からなる一冊です。

この16章中で、一番気になったのが、エンパシーに関する章
「5 誰かの靴を履いてみること」。

シティズンシップ・エデュケーションの授業の試験で、
最初に「エンパシーとは何か」という問いがあり、
それに対して、息子が「自分で誰か人の靴を履いてみること」と答えた、
というくだりです。

「自分で誰か人の靴を履いてみること」というのは、
英語の定型表現だそうで、《他人の立場に立ってみる》という意味。

 《日本語で、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」
  と訳されている言葉だが、確かに誰かの靴を履いてみるというのは
  すこぶる的確な表現だ。》(p.92)

なるほど。
確かに、他の人の靴を履く、とどうなるかといいますと、
「ピッタリで気持ちよい」ということは少なく、
たいていは「なんだこりゃ」になるでしょう。
サイズは一緒でも微妙な部分で合わなかったりするものです。


 ●「左利き」に置き換えると――「靴の左右を入れ替える」

ここで、ちょっと「左利き」の話をしておこうと思います。

右利きの人が多数派で、
社会のあれこれが右利きに都合のよいものになっている
いわゆる「右利き(優先/偏重)社会」になっている中で、
左利きの人が生きていくというのは、
「靴の左右を入れ替えて履くようなものだ」というのが、私の見方です。

たとえ自分の靴であれ、やはり右足用と左足用とは形が異なり、
うまく履けないものです。
特にオーダーメイドのように、足形に合わせたものであればあるほど、
左右は形状が違い、入れ替えるとうまく履けないものです。
窮屈だったり、ちょっと嫌な思いをしたり、思うように歩けなかったり、
そもそも履いているだけで痛かったり、大変な思いをするはずです。

これが靴ではなく、スリッパのようなものなら、
左右を入れ替えてもまったくといっていいほど気にならないでしょう。
スリッパというものは、そういうふうにできている履き物で、
左右兼用できる反面、靴のように跳んだり走ったリには不向きです。

「靴」は、右利き用だったり左利き用だったり、という専用品。
「スリッパ」は、左右両用可能なものや左右共用品というところ、
専用品ほど便利ではないかもしれませんが、どちらも使えるもの。

左利きの人は、この「右利き(優先/偏重)社会」で、
左右の靴を入れ替えて履かされているようなものだ、
というふうに理解していただけるといいのではないでしょうか。


 ●多様性について

もう一度『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にもどって、
「4 スクール・ポリティクス」で取り上げられている、
多様性について考えてみましょう。

息子が学校で多様性はいいことだと教わったというのですが、

 《「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」/
  「多様性ってやつは物事をややこしくするし、
   喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」/
  「楽じゃないものが、どうしていいの?」/
  「楽ばっかりしてると、無知になるから」》

すると、また「無知の問題か」と息子。
彼が道ばたでレイシズム的な罵倒を受けたとき、
そういうことをする人は無知なのだ、と母ちゃんが言ったことを受けて。

 《「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、
   無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」》


最近日本でも
「ダイバーシティ diversity」という言葉を聞くようになりました。
「多様性」のことですが、
「多様性」というものも案外むずかしいものです。

自分では多様性について寛容だと思っていても、
実際には、世間には様々な人びとがいて、
時に自分の知らない存在も多々あるものです。

私の経験をいいますと、右利きの人の中には、
(左手で箸を使ったり字を書く)左利きの人なんて見たことがない、
という人もいました。

「知らないものは存在しない」というわけです。

そこで、先の無知云々とつながってきます。


 ●無知な人には、知らせなきゃいけない

無知の問題について、
本書の母ちゃんと息子の会話をプレイバックしてみましょう。
「2 「glee/グリー」みたいな新学期」での会話です。

 《「頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、
   知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」》p.43

と母ちゃんが言うと、あるとき、息子は、
 《「無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」》
と。

左利きの問題も同じで、知らせていかなければいけないのです。

 ・・・

無知についていいますと、
以前、江國香織さんの『こうばしい日々』(新潮文庫)に登場する、
黒人の教師ミズ・カークブライドが、
アメリカに移住してきた日本人少年に話した、
人種差別に関しての言葉を思い出します。

 《「一つのことを、はじめから知っている人もいるし、
   途中で気がつく人もいる。
   最後までわからない人もいるのよ」》

*『こうばしい日々』江國香織/著 新潮文庫 1995/5/30

本書の場合は、教えられて気がつくというケースですね。

 ・・・

ついでに書いておきますと――

アリストテレスの
『ニコマコス倫理学』「第一巻 第四章」に引用されている
ヘシオドス『仕事と日々』の詩にある言葉、

 《あらゆることを自ら悟るような人は、もっともすぐれた人
  立派なことを語る人に耳を傾け、これに従う人も、すぐれた人
  しかし、自ら悟ることもなければ、他人の言葉を聞いて
  心に刻むこともないような人は、どうしようもない人。》

*『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著 渡辺邦夫・
 立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8


『論語』【季氏 第十六】(9)

 《孔子曰(いわ)く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。
  学びて之を知るものは、次なり。
  困(くる)しみて之を学ぶ者は、また其(そ)の次なり。
  困しみて学ばざる、民 斯(こ)れ下(げ)と為す。

  〈現代語訳〉孔先生の教え。生まれつき道徳(人の道)を
  理解している人間が、最高である。
  学ぶことによって〔すぐに〕道徳を理解する者は、それに次ぐ。
  〔すぐにではなくて〕努力して道徳を学ぶ者は、さらにそれに次ぐ。
  努力はするものの〔結局〕道徳を学ぼうとしない、
  そういう人々、これは最低である。
   
*『論語』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2004
『論語 増補版』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2009/9/10

というものに、似ています。


 ●エンパシーについて――「知ろう」とする能力

再び「エンパシー」にもどりましょう。

「エンパシー」に似た言葉として「シンパシー」があるといいます。

 《シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、
  エンパシーのほうは「能力」なのである。
  前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、
  後者はどうもそうではなさそう。》pp.94-95

 《シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、
  自分と似たような意見を持っている人々に対して
  人間が抱く感情のことだから、
  自分で努力しなくても自然に出て来る。
  だがエンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、
  別にかわいそうだとは思えない立場の人々が
  何を考えているのだろうと想像する力のことだ。
  シンパシーは感情的状態、
  エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。》p.95


多様性には色々な要素があり、それぞれの多様性について、
人はそのすべてを初めから知っているわけではない。

自分の属する要素については、当然理解しているし、
他の人の場合にも共感することができる。
ところが、自分に無縁の要素に関しては、知らないしわからない。
そこで、当該の人から知らせてもらう、教えてもらう必要が出てきます。

ここで「無知」とか「知らせる」とかの言葉が出て来るわけです。

で、私たちは、「無知」なのだから「教えてもらおう」とか、
「知らないこと・わからないことなので、知ろう・理解しよう」
とすることが重要になってくるわけです。

「共感」できることなら問題ないのですが、
特に共感する立場にはなくても、「理解しよう」とする姿勢、
およびその能力を「エンパシー」といい、
これからの時代に重要なことだと思われるわけです。


左利きに関していいますと、
自分は左利きではなく、この社会にあって不都合は感じていなくても、
「そういう人もいるのだ、不都合を感じることがあるのだ」
と理解することが大事だ、ということです。

 ・・・

さて、このブレイディみかこさんの
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、
中学生の息子さんを持つお母さんと配偶者の子育て私生活エッセイ
のような、読みやすい、それでいてなかなか読み応えのある、
「ちょっと左翼っぽい」(p.159 配偶者の言葉)
――その点ではちょっとうーんと思う部分も時にありますが――
母ちゃんによる、おもしろいノンフィクションでした。

続編も機会があれば読んでみたいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」と題して、今回も全紹介です。

前々から興味を持っていた本で、一度機会があれば読んでみたいと思っていたのですが、ちょっとリベラルな感じがあり、その辺がどうかなあ、という不安もあって今日になってしまいました。

色々考えさせられる評判どおりの名著というところです。

ここでは、私の得意フィールドである左利きの観点から読んでみました。
他の読み方もきっとあるのでしょう。
それはそれでまた、ということで。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ『ぼくはイエローで…』-週刊ヒッキイ第646号
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楽器における左利きの世界(14)<音楽の才能と左利き>-週刊ヒッキイ第645号

2023-07-02 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】

第645号(No.645) 2023/7/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(14)
 『左対右 きき手大研究』から<音楽の才能と左利き>」



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第645号(No.645) 2023/7/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(14)
 『左対右 きき手大研究』から<音楽の才能と左利き>」
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 前回は、最近始めた、初心者・独学者向けのピアノ練習や
 楽譜の読み方など音楽の基礎的なお勉強に関して、
 YouTube『まり先生のかんたんピアノレッスン』や
『初心者の為のキーボード講座』で説明されていました
キーボード演奏における指使いについて、
 右手利き優先の実態を見たと思ったことを書いてみました。

 今回は、前回のおわりに紹介した八田武志さんの著者
 『左対右 きき手大研究』にあった「音楽の才能と左利き」の項目を
 もう少し紹介してみようと思います。

*参照:
八田武志『左対右 きき手大研究』(DOJIN文庫 2022/5/16)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―

 楽器における左利きの世界 (14)

  ◆ <音楽の才能と左利き> ◆

   ~ 八田武志『左対右 きき手大研究』から ~  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●音楽の才能と左利き

八田武志さんのこの著書の記述によりますと、
「音楽能力には利き手による違いがあり、左利きの人の方が優れている」
といわれてきたそうです。

本格的な利き手の研究は、
左右の大脳を連絡する脳梁という部分を切断した患者を対象に、
それぞれの脳の機能差を見いだしたスペリーらの研究に端を発した、
ラテラリティといわれる研究分野の出現から派生したもの。

このラテラリティの研究は、1970年代は視覚機能が中心だったが、
1980年代に入って聴覚機能に移り、

《言語音は左脳がその処理に優れるが、音の高低の弁別や、
 音と音との間、音の大きさ、各種の音の配分など
 音楽を構成する要素については右脳のほうがその処理に優れることが
 次つぎと明らかにされた。
 「プロソディ(韻律)」と呼ばれる音声言語の周辺的要素も
 右脳のはたらきであることが立証された。》p.36

プロソディというのは、どういう調子で発音されるか、
といったところですね。
たとえば「すみません」ということばでも、
使われる状況で意味が変わってくる場合があります。
それを言葉の調子で異なる意味を持たせ、相手に了解させるわけです。

《いまでは音声言語は左脳だけのはたらきではなく、
 左右の共同によるものと考えるようになっている。》同


 ●音楽能力と利き手との関係――否定的データ

《音楽的要素の処理に右脳が優れるといわれるようになると、
 右脳は左手指の運動と関連が深いので、
 左ききは音楽の才能があるはずだという予測が生まれ、
 音楽能力ときき手との関係が話題になった。》p.37

ところが、明確な関係は見いだされなかった、といいます。

バイルーンは、音楽能力を測定するシーショア・テストと
利き手の関係を調べた。

グッドらの、イギリスの小学校7~8歳児897名を対象にした研究で、
ベントレー音楽能力検査を実施――音の高低の記憶、コードの記憶、
リズムの記憶などの音楽的要素と性差、学業成績、利き手などの関係を
検討した。
学業成績との関連は見られたが、
性差や利き手での差異は見られなかった。


 ●音楽能力と利き手との関係――肯定的データ

次に、利き手との関係の否定的データではなく、
利き手との関係の肯定的なデータを。

ドイッチは、右利きと左利きの普通の大学生を対象に
音の記憶実験を行い、右利きの正答率より、
左利きのそれの方がわずかではあるが上回った。
別の課題でも、左利きの方が優れていた。

ドイッチは、左利きは音の記憶を左右両脳でできるのに対して、
右利きでは、片側の脳(たぶん右脳)でしか記憶できないため、
このような結果が出たのだろうと説明している。


 ●プロの音楽家、音楽大学の学生を対称とした研究

クライストマンの研究については前回紹介しました。

《きき手と音楽に関する研究では音の記憶などの要素的な分析よりも
 包括的な能力との関連が問われるようになっている。》p.39

そうで、コッピーズらの研究では、
利き手と初見演奏能力について検討している。

初見演奏能力とは、初めて目にする楽譜を見て実際に演奏する能力や、
初めて聞いた音楽を再生する聴音演奏などをいう。歌唱も同じ。
様々な音楽の要素が総合的に発揮される能力と見なすことができる。

ドイツの音楽大学の学生52名を対象に実験を行い、
初見演奏で右利きは左利きや両手利きより劣ることを明らかにしている。

p.40の1-7図に示すように、
《右ききのピアニストは間違いが多く、
 左利きや両手ききは演奏能力に優れていることを示している。》p.39

ただし、この研究での利き手は、質問紙によるものではなく、
左右の人差し指と中指の30秒間のタッピング数で決定している。
この作業量による利き手と自己申告の利き手は必ずしも一致していなく、
他の研究結果と単純に比較することはできない、といいます。

《ただ、タッピングの作業量を左右手で比較すると、
 左手の巧緻性が優れるピアニストは52名の内45名と多く、
 ピアニストにとって左手の手指運動は鍵となる能力である
 と思われる。》p.40


 ●まとめ――左手の手指運動の訓練の難易度が差を生む

以上の結果からいえることとして、

《「小学生を対象としたグッドらの研究では
 きき手による音楽能力の違いは見いだせなかった。にもかかわらず、
 コッピーズらのように成人でその関係を支持するデータは多い。
 これは、左手での手指運動の訓練に困難さを感じる者(右きき)は
 楽器演奏の練習を途中で放棄するのに対して、
 強く感じなかった者が楽器演奏などのくり返し練習が長続きし、
 このような持続力が音楽家などの職業へとつながり、成人の音楽家や
 音大生には右ききが少なくなってしまう」というものである。》p.41


 ●親の利き手とその容認度の問題

音楽的能力に付いては、
当人より親の利き手の影響を指摘する報告もある、といいます。

ケラーらの研究は、
音楽専攻生と音楽を特別に学習したことのない学生を対象にしたもので、
当然、音楽専攻生の方が優れた結果を出しているが、

《音楽専攻生は左耳で聴く(右脳にまず入力される)ことを好み、
 非音楽専攻生では右耳で聴く(左脳にまず入力される)ことを好む
 という違いが示され、
 そのほうが反対の耳で聴く場合よりも成績がよかった。
 さらに興味深いのは、音楽専攻生の場合は、
 親に左ききがいる場合といない場合とで違いがあり、
 左ききがいない場合は左耳優位がとりわけ顕著に現れたと考えられる。
 親に左ききがいる場合には遺伝的要素の関与や左手を使うことへの
 養育者周辺の容認度が高いことなどが考えられるからである。
 音楽的能力には、きき手それも親の世代を含めたきき手が影響する
 ということかもしれない。》p.41


音楽家になるためには、楽器演奏における両手練習が必要で、
そこには両手の器用さという問題があり、
さらに、
親の利き手とその容認度という問題が見受けられる、
という研究結果が、私には、非常に興味深く感じられました。

確かに楽器演奏では多く両手を使用することになります。
ピアノのような鍵盤楽器では、右手が主導的であっても、
それなりに左手の動きも要求されます。

それに対応できるだけの運動能力を持っているか、
もしくは訓練に抵抗があるかないかの違いが大きな差になってくる、
というのは十分に想像できます。


私の経験からもいえることですが、
右利きの人は、その多くが右使いしか選択肢を持っていないものです。
右手だけでなく左手も使えるのだ、使っていいのだ、
という発想を持っていない人が大半なのです。

なにしろ、今の世界はたいていのことが、
(非常停止ボタンのような)重要なことであれ、
(水洗トイレのレバーのような)ちょっとしたことであれ、
何かにつけて右手一本で通用するように仕組まれています。
結果的に右利きの人は右手以外はほとんど使う機会がないまま、
日常生活をエンジョイしていたりします。

一方、左利きの人たちは、その逆で、
重要なことであれ、ちょっとしたことであれ、
右手を使うことを強制されています。
結果的に、右手もある程度は動かせる、両手使いのようになっています。

そういう意味では、右利きの人は「ちょっと不幸な人たち」、
という見方もできるのかもしれません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(14)『左対右 きき手大研究』から<音楽の才能と左利き>」
と題して、今回も全紹介です。

前回の引き続きとして、日本の左利き研究の第一人者、八田武志さんの著書『左対右 きき手大研究』(DOJIN文庫)から左利きと音楽的才能についての項目を紹介しています。

 ・・・

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

" target="_blank">楽器における左利きの世界(14)<音楽の才能と左利き>-週刊ヒッキイ第645号

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私の読書論172-2023年岩波文庫フェアから上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」-楽しい読書344号

2023-07-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年6月30日号(No.345)
「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年6月30日号(No.345)
「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」
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 本来は、月末で
 古典の紹介(現在は「漢詩を読んでみよう」)の号ですが、
 今月は岩波文庫のフェアが始まっていますので、
 過去何回か取り上げています。
 最近のものでは↓

2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」
2022.6.15
私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―<2022年岩波文庫フェア>から-楽しい読書320号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2022/06/post-98be91.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/6a52aba9e4f9468c46611a84cd31f14f

2019(令和元)年6月30日号(No.250)-190630-
「2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...」
2019.6.30
2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...
―第250号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/06/post-b015ac.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e3a5116ac2b0a7abfec291e180ec97ce

 夏の文庫三社のフェア同様、毎年恒例にしたいと思いつつ、
 情報を集め損ねて、飛び飛びになっています。

 今年はなんとか間に合ったようです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 異類男女の恋情 -

  ~ 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」 ~

  2023年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」から
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●2023年岩波文庫フェア

2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」

ご好評をいただいている「岩波文庫フェア」を、
今年も「名著・名作再発見! 小さな一冊を楽しもう!」
と題してお届けいたします。

 岩波文庫は古今東西の典籍を手軽に読むことが出来る、
古典を中心とした唯一の文庫です。読書の面白さ、
感動を味わうには古典ほど確かで豊かなものはありません。
岩波文庫では出来るだけ多くの皆さまに
名著・名作に親しんでいただけるよう、本文の組み方を見直し、
新しい書目も加えより読みやすい文庫をと心がけてまいりました。

 いつか読もうと思っていた一冊、誰もが知っている名著、
意外と知られていない名作──
岩波文庫のエッセンスが詰まった当フェアで、
読書という人生の大きな楽しみの一つを
存分に堪能していただければと思います。

※2023年5月27日発売(小社出庫日)

<対象書目>
――本誌で過去に取り上げた書目:■

■茶の本【青115-1】  岡倉覚三/村岡 博 訳
古寺巡礼【青144-1】  和辻哲郎
君たちはどう生きるか【青158-1】  吉野源三郎
忘れられた日本人【青164-1】  宮本常一
■論語【青202-1】  金谷 治 訳注
■新訂 孫子【青207-1】  金谷 治 訳注
■ブッダのことば──スッタニパータ【青301-1】  中村 元 訳
■歎異抄【青318-2】  金子大栄 校注
■ソクラテスの弁明・クリトン【青601-1】  プラトン/久保 勉 訳
■生の短さについて 他二篇【青607-1】  セネカ/大西英文 訳
■マルクス・アウレーリウス 自省録【青610-1】  神谷美恵子 訳
方法序説【青613-1】  デカルト/谷川多佳子 訳
スピノザ エチカ 倫理学(上)【青615-4】  畠中尚志 訳
スピノザ エチカ 倫理学(下)【青615-5】  畠中尚志 訳
■読書について 他二篇【青632-2】
  ショウペンハウエル/斎藤忍随 訳
■アラン 幸福論【青656-2】  神谷幹夫 訳
論理哲学論考【青689-1】  ウィトゲンシュタイン/野矢茂樹 訳
旧約聖書 創世記【青801-1】  関根正雄 訳
生物から見た世界【青943-1】
  ユクスキュル、クリサート/日高敏隆、羽田節子 訳
精神と自然──生きた世界の認識論【青N604-1】
  グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 訳
万葉集(一)【黄5-1】
  佐竹昭広、山田英雄、工藤力男、大谷雅夫、山崎福之 校注
■源氏物語(一) 桐壺―末摘花【黄15-10】  柳井 滋、室伏信助、
        大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎 校注
枕草子【黄16-1】  清少納言/池田亀鑑 校訂
芭蕉自筆 奥の細道【黄206-11】  上野洋三、櫻井武次郎 校注
雨月物語【黄220-3】  上田秋成/長島弘明 校注
■山椒大夫・高瀬舟 他四篇【緑5-7】 森 鷗外
三四郎【緑10-6】  夏目漱石
仰臥漫録【緑13-5】  正岡子規
摘録 断腸亭日乗(上)【緑42-0】  永井荷風/磯田光一 編
摘録 断腸亭日乗(下)【緑42-1】  永井荷風/磯田光一 編
久保田万太郎俳句集【緑65-4】  恩田侑布子 編
中原中也詩集【緑97-1】  大岡昇平 編
山月記・李陵 他九篇【緑145-1】  中島 敦
堕落論・日本文化私観 他二十二篇【緑182-1】  坂口安吾
茨木のり子詩集【緑195-1】  谷川俊太郎 選
大江健三郎自選短篇【緑197-1】  大江健三郎
石垣りん詩集【緑200-1】  伊藤比呂美 編
まっくら──女坑夫からの聞き書き【緑226-1】  森崎和江
君主論【白3-1】  マキアヴェッリ/河島英昭 訳
アメリカの黒人演説集──キング・マルコムX・モリスン 他【白26-1】
  荒 このみ 編訳
マルクス 資本論(一)【白125-1】  エンゲルス 編/向坂逸郎 訳
職業としての学問【白209-5】  マックス・ウェーバー/尾高邦雄 訳
贈与論 他二篇【白228-1】  マルセル・モース/森山 工 訳
大衆の反逆【白231-1】  オルテガ・イ・ガセット/佐々木 孝 訳
■楚辞【赤1-1】  小南一郎 訳注
菜根譚【赤23-1】  洪自誠/今井宇三郎 訳注
阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)【赤25-2】  魯迅/竹内 好 訳
■バガヴァッド・ギーター【赤68-1】  上村勝彦 訳
■ホメロス イリアス(上)【赤102-1】  松平千秋 訳
■ホメロス イリアス(下)【赤102-2】  松平千秋 訳
ハムレット【赤204-9】  シェイクスピア/野島秀勝 訳
■森の生活──ウォールデン (上)【赤307-1】
  ソロー/飯田 実 訳
■森の生活──ウォールデン (下)【赤307-2】
  ソロー/飯田 実 訳
オー・ヘンリー傑作選【赤330-1】  大津栄一郎 訳
変身・断食芸人【赤438-1】  カフカ/山下 肇、山下萬里 訳
カフカ短篇集【赤438-3】  池内 紀 編訳
対訳 ランボー詩集──フランス詩人選(1)【赤552-2】
  中地義和 編
トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇【赤619-1】
  中村白葉 訳
タタール人の砂漠【赤719-1】  ブッツァーティ/脇 功 訳
ペスト【赤N518-1】  カミュ/三野博司 訳

以上55点59冊のうち、15点ほどを取り上げています。
関連も含めますと、あと5点ほど見つかります。
(詳細は、「編集後記」末尾にでも付記しておきます。)

その多くは、宗教・思想・哲学といった
リアル系の古典を取り上げてきました。

そこで今回は、文学作品を取り上げましょう。

私の大好きな作品が含まれていましたので、それを紹介します。


 ●私が日本で一番好きな小説――上田秋成『雨月物語』

江戸時代の読本(よみほん)、上田秋成の怪異譚短編集『雨月物語』から
一番長い短編作品「蛇性の婬(じゃせいのいん)」を取り上げます。

上田秋成『雨月物語』は、日本文学のなかで私の大好きな作品で、
以前「私をつくった本・かえた本」でも紹介しました。


・2017(平成29)年3月15日号(No.195)-170315-
「私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編」

私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編―第195号「#レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

・講談社『少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)』
(長編「太平記」「八犬伝」「東海道中膝栗毛」、短篇集「雨月物語」、
 江戸時代の俳句(芭蕉や蕪村、一茶など)収録)

《怪奇幻想ものの読本(よみほん)である、
 上田秋成作「雨月物語」青江舜二郎訳
 (1768年(明和5)成稿、76年(安永5)刊。「白峰」以下9編)》


子供の頃から、怖がりのくせに、怖い物見たさというのでしょうか、
こういうお話が好きでした。

子供の頃は、テレビで怪談話やホラー映画など結構見てました。
吸血鬼ドラキュラや狼人間やミイラ男だといった映画や、
アメリカ製のテレビドラマで、異界もの? や
ダーク・ファンタジーのようなもの、日本でも「ウルトラQ」みたいな。

で、この『少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)』のなかでも、
「雨月物語」も短編集で、当時長いものを読むのが苦手だった私には、
とてもフィットした物語であったといえましょう。

今でも長編は苦手で、読み出すまでにちょっと敷居の高さを感じます。
短編集を読むのもしんどい部分はあります。
一本ずつ一本ずつ読み起こす感じで、
その世界に入るのに集中力がいるというわけですが。

余談はさておき、
『雨月物語』全9短編中、一番好きなのが「蛇性の婬」です。
今回はこの作品を取り上げます。


*<2023年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」>から
『雨月物語』【黄220-3】上田秋成/長島弘明 校注 2018/2/17


 ●上田秋成『雨月物語』巻之四「蛇性の婬」

『雨月物語』は、翻案小説とも言われるもので、
下敷きになるお話があり、
それをもとに上田秋成が自分の世界を展開するものです。

「蛇性の婬」は、異類婚姻譚に分類されます。

蛇の妖怪の女と人間の青年との恋物語というところでしょうか。

この小説には、中国の原話があります。
白話小説集『警世通言(けいせいつうげん)』中の「白娘子永鎮雷峰塔
(はくじょうしながくらいほうとうにしずまる)」。

 《白蛇が美女に化けて男と契るという、
  中国の白蛇伝説の系譜にある一話である。》
   『雨月物語』上田秋成/長島弘明 校注より「解説」p.254

 《「白蛇伝」説話は、
  白蛇が美女に化け、男を誘惑して契りを結ぶ異類婚姻譚であるが、
  古くは唐代伝奇の「白蛇記」(『太平広記』所収)があり、
  宋・元・明・清とさまざまな小説や戯曲になり、
  さらには今日まで及んでいる。「白娘子永鎮雷峰塔」は、
  その「白蛇伝」説話の中でも最も著名な作品の一つで、
  類話に『西湖佳話(せいこかわ)』の「雷峰怪蹟(らいほうかいせき)」
  がある。》
   『雨月物語の世界』長島弘明 ちくま学芸文庫 より
     「第九章 蛇性の婬」p.265

前半は主にこの作品を下敷きに、日本の和歌山に舞台を移し、
冒頭の「いつの時代(ときよ)なりけん」という書き出しは、
まさに『源氏物語』の「いづれの御時にか」を連想させるもので、
一話全体も古代の物語風の雰囲気を持たせています。


*『雨月物語の世界』長島 弘明/著 ちくま学芸文庫 1998/4/1
――岩波文庫『雨月物語』校注者による初学者向け入門書・解説書


 ●東映動画『白蛇伝』

ここで、思い出すのが、子供の頃に見たアニメ、
東映動画の『白蛇伝』です。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
1958年10月22日公開といいます。

私は子供時代にテレビの放送で見た記憶があります。

春休みや夏休みや冬休みなどに子供向け番組として、
一連の東映動画の放送がありました。
『白蛇伝』『安寿と厨子王丸』『わんわん忠臣蔵』『西遊記』
『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治』等々。

記憶で書きますと、
人間の青年に恋した白蛇が美女に化けて近づき、両者は恋に落ちます。
青年は化け物に騙されているのだと信じた高僧によって、
その法力で娘を攻撃し、二人の邪魔をします……。

互いに愛し合いながら、相手が異類であるということで認められず、
仲を引き裂かれるという理不尽な物語――という印象が残っています。

この高僧をとても憎く感じたものでした。

愛し合う二人を引き裂くにっくき野郎! という感じで。

本来この動画は、文部省推薦の子供向け・家族向けの企画なので、
基本的に勧善懲悪というわけでなく、
誤解を解いてみんなで仲良くしましょう、的な映画だと思うのです。

それだけに、「なんかかわいそう」というイメージがありました。

私自身、左利きで○○で××でもあり、そういう「一般人」ではない、
「異類の存在だ」という意識がありますので、
そういう世間一般のひとではない「異類」である、
というだけの理由で、その恋仲を裂かれるというのは、
悲劇以外の何物でもない、と思えるのです。


*参考:東映動画『白蛇伝』
白蛇伝 [DVD]
森繁久彌 (出演), 宮城まり子 (出演), 藪下泰司 (監督)



 ●「蛇性の婬」の豊雄に、大人の男の悪い面を見る?

「蛇性の婬」では、中国の白蛇伝説に、『道成寺縁起』などに見られる
<道成寺伝説>を取り混ぜたものだといわれています。

 《中国の、愛欲のために女に変身した蛇の話に、
  日本の、同じく愛欲のために蛇身になってしまった女の話を、
  重ね合わせている。》同上

安珍・清姫の伝説として知られる話です。

 ・・・

「蛇性の婬」では、主人公の青年・豊雄は、和歌山の漁師の網元の次男。
長男が跡取りで、姉は奈良に嫁に行っている。
豊雄は、都にあこがれ、雅好きで、学問を師について習っている。
父親は、家財を分けても人に取られるか、他家を継がせようとしても、
困ったことになるだけだろうし、博士にでも法師にでもなれ、
生きているうちは兄のやっかいになればいい、と考えている。

そんなとき、師の元からの帰り道、雨に降られ、雨宿りしていると、
二十歳に満たぬ美女・真女子(まなこ)と
十四、五の童女の二人連れに出会う。
で、このふたりこそ蛇の化身。
豊雄もまんざらではなく、好意を持つようになる。





 ・・・

その後の詳しいストーリーを紹介してもいいのですが、
ここではそれはやめて、単純に私の感想を綴っておきましょう。

異類である白蛇の化身である女と人間の青年の恋なのですが、
今回、読み直しますと、男の態度がどうも気に入りません。

蛇身の女が一方的に恋したような始まりになっています。
しかし始まりはどうであれ、
自分も相手を気に入って恋仲になっているにもかかわらず、
まわりから何か言われると、
ついつい相手を裏切るような行動を取ります。

そうでありながら、何かきっかけがあるごとに、
彼女のことを思っているかのように振る舞います。

結果、自分だけが助かるのです。

どうも気に入りません。
アニメ版の『白蛇伝』のイメージが残っているのか、
このような男の姿が、いまいち、好きになれません。


長島さんは『雨月物語の世界』の「第9章 蛇性の婬」の末尾
<男の性と女の性>で、

 《真女子が豊雄の夢と恋(エロス)が描いた幻像であったならば、
  豊雄は自らの夢と恋情を殺すことによって、
  丈夫となったということができる。大人になり、
  また余計者の身から抜け出して社会的存在となるためには、
  私情を切り捨てる通過儀礼が必要とされたのである。
  そして、切り捨てられた私情とは、女性である。
  土中深く封じ込められた蛇は、女性であり、
  また豊雄の夢であったことになる。
  生き永らえたという豊雄は、その後、
  はたして夢をみることがあったのかどうか。》p.296

と結んでいます。

私も、この終わり方で豊雄は本当に満足だったのだろうか、
と思わずにはいられません。

私情を捨てること、夢をあきらめること、
まわりに合わせて生きることが、大人になる、ということなのか?

もしそうだとしたら、ちょっと寂しい、
残念なことといわねばなりません。

もちろん、私自身も同じように、色々あきらめた上で、
今日まで生きてきたのは事実です。

しかし、だからこれで終わっていいと思っているわけでもありません。
生きている限り、なにかできるのではないか、
という思いだけは、今も持っています。


*参考文献:
『改訂 雨月物語 現代語訳付き』上田 秋成/著 鵜月 洋/訳
角川ソフィア文庫 2006/7/25

『雨月物語』上田 秋成/著 高田 衛, 稲田 篤信/訳 ちくま学芸文庫
1997/10/1

『雨月物語―現代語訳対照』上田 秋成/著 大輪 靖宏/訳 旺文社文庫
1960/1/1


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本誌では、「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」と題して、今回は全文転載紹介です。

本誌では「蛇性の婬」飲みの紹介となっています。
本文中にも書いていますように、歴史ものの怪異譚全9編からなる短編集です。

中でも男女の仲に関するものとしては、この「蛇性の婬」以外にも、「浅茅が宿」「吉備津の釜」があります。
どちらもなかなかのできで、人間性のおどろおどろしさを描いて秀逸です。

善くも悪くもやはり男女の仲というものが一番おもしろいような気がします。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論172-2023年岩波文庫フェアから上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」-楽しい読書344号
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