セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「神様のくれた赤ん坊」

2013-01-30 22:17:50 | 邦画
 「神様のくれた赤ん坊」(1979年・日本)
   監督 前田陽一
   脚本 前田陽一 南部英夫 荒井晴彦
   出演 渡瀬恒彦
       桃井かおり
       鈴木伊織

 この作品は30年以上前の1980年3月に観たのですが、面白かった印象
と桃井かおりが良かったこと、そしてラストシーンが焼きついています。
 今回、BSで久し振りに観たのですが、感想は余り以前と変わらないものに
なりました。

 同棲中の小夜子(桃井)と晋作(渡瀬)の元へ知らない女と子供が訪ねて来
る。
 女の話では、子供の母親は駆け落ちして行方知れず、置手紙には父親の
名前として晋作の名前が。
 しかし、その手紙には晋作の他に4人の名前が書いてあった・・・。

 この作品の良い所は、この「父を探して三千里」のドタバタと小夜子のルー
ツ探しを上手に融合させている所だと思います。
 「三千里」の方が単なる「喜劇・カツアゲ旅行」になって味が悪くなっていくの
を、小夜子のシリアス&ノスタルジックなサイド・ストーリーが救ってるんじゃな
いでしょうか。
 その小夜子を演じてる桃井かおりが冒頭に書いたように、とてもいいです。
 この年「もう頬づえはつかない」とこの作品で、主演女優賞を総ナメにしたの
も納得の演技。
 特に長崎のホテルで晋作に向かって、
 「オニイサン、ワタシ~」の台詞を言う時の表情と声、辛くて苦しくて惨めで哀
しくて、つま先一つで崖っぷちに立ってる女を実に見事に演じてたと思います。
 渡瀬恒彦は、昔観た時より印象が薄かったですね、多分、渡瀬さんの演技
が、この作品と「震える舌」辺りで止まってしまったような感じだからかも。
 (1.31訂正 本作の公開は‘79.12.28 ‘79年に桃井かおりが賞を総
ナメにしたのは「もう頬づえはつかない」によるもの、但し、賞によっては本作の
演技も加味されています、‘80年のキネマ旬報主演男優賞は渡瀬恒彦が本
作及び「震える舌」の演技によって獲得しています)

 ロードムービーは、行く先々で出てくる役者の力量が重要。
 そういう面で見ると曾我廼家明蝶、河原崎長一郎の尾道、吉行和子、嵐寛
寿郎が出てくる若松の所は役者の力で、より面白くなっていたと思います。
 他に新郎の父親を演じた天草四郎、お好み焼き屋のオバちゃん武知杜代
子(武知豊子)が印象に残りました。武知さんはいつもあんな感じだけど、色
街で長年店をやってきた(つまり、元玄人~素人は、ああいう所へ店は出さな
い)感じをとても上手く出してたんじゃないでしょうか。
 
 映画は、今観ると結構ご都合主義な所もあるのですが、それを補うだけの
魅力は有ると思います。
 ラストの台詞は、伏線を見事に生かした邦画には珍しいくらいシャレたもの。
 僕は佳作だと思っています。

※この作品は「集金旅行」(中村登監督・1957年)のリメイクと言われていま
 す。
 また、「狐の呉れた赤ん坊」(丸根賛太郎監督・1945年)がヒントになって
 るとも言われます。
 どちらも未見なので何とも言えないのですが、山中貞夫監督の「丹下左膳
 余話 百万両の壷」のテイストは感じました。
 丸根監督は山中テイストを持つ監督と言われていますから、どっかで繋が
 ってるかもしれませんね。
 
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12 コメント

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こんばんは☆ (miri)
2013-01-31 18:40:47
私は二人とも昔も今も好きなので、
未見だったこの作品を、今回のオンエアで見ました☆

>この作品の良い所は、この「父を探して三千里」のドタバタと小夜子のルーツ探しを上手に融合させている所だと思います。
>映画は、今観ると結構ご都合主義な所もあるのですが、それを補うだけの魅力は有ると思います。

仰るとおりですね~!

>この年「もう頬づえはつかない」と

この作品は映画館で見ているのですけどね~
何故かこっちは見ていなかった。。。

>つま先一つで崖っぷちに立ってる女を実に見事に演じてたと思います。

ハイ、大好きだった母の事を知ってしまって・・・
その心情がよく表われていました。

>渡瀬恒彦は、昔観た時より印象が薄かったですね

そうですか~?
私は今も昔もお兄さんより・同世代の誰よりも・一番好きですよ♪
(かおりも、そうなんです)

二人以外では、私は(記事に書かれている全員良かったけど)
やはりお母さんの楠トシ江さんがすっごく良かったと思いました☆

>ラストの台詞は、伏線を見事に生かした邦画には珍しいくらいシャレたもの。
>僕は佳作だと思っています。

同感です! が・・・
「珍しいくらい」は、ちょっと褒めすぎかも~?(笑)

>また、「狐の呉れた赤ん坊」(丸根賛太郎監督・1945年)がヒントになってるとも言われます。

私も未見ですが、どう見ても年長さん(5~6歳児)くらいの子供を「赤ん坊」と
表現したタイトルはその映画から頂いているのかもしれませんね?

>山中貞夫監督の「丹下左膳余話 百万両の壷」のテイストは感じました。

感じませんでした~(笑)。
一応女ですが、コメントさせて頂きました♪
返信する
いらっしゃいませ! (鉦鼓亭)
2013-01-31 23:22:40
 miriさん、こんばんは
 コメントありがとうございます

観る前は、ちょっと不安だったんですよ。
昔は良かったんだけど今はどうだろう、って。
杞憂に終わって良かったです。

「もう頬づえはつかない」
この作品は映画館で見ているのですけどね~
何故かこっちは見ていなかった>
僕は逆です。(笑)
併映が「男はつらいよ」だったのが原因かも。

渡瀬恒彦>僕も兄貴より弟の方が好きです。
でも、「皇帝のいない八月」、「神様の~」、「震える舌」の印象が強いままなんです。

楠トシ江さん>良かったですよ、「思い」が観てる者に伝わってきました。
ただ、武知さんと同じで、いつもの楠さんと、それ程変わらない気もしたんです。

桃井かおり>僕は、この作品とNHKで「夢千代」の後に放映してた「花へんろ」の彼女が好きです。
息子が特攻隊に志願させられた時、血相変えて談判しに行ったシーンが特に好きですね。沢村貞子さんとの組み合わせも良かったんじゃないでしょうか。

「珍しいくらい」>あまり、小粋な終わり方をする邦画に巡り会ってないもんで。(笑)
でも、僕の希望としては俯瞰で「終」じゃなくて、二人の足の演技(足だけが映ってる)で「終」にして欲しかったかも、です。


「丹下左膳余話 百万両の壷」のテイスト>子供が列車の中で姿をくらますシーンで、特に「それ」を感じました。

女ですけど>夕方、途端にヒマになったんで、改めて検索したら新しいレビューが幾つか・・・相変わらず男ばかりでした。(笑)



返信する
Unknown (鉦鼓亭)
2013-01-31 23:34:28
賞に関して訂正を加筆しました。

僕は、これ1本でも賞に値する演技だったと思っています。
返信する
こちらにも (しずく)
2013-02-05 17:24:55
>桃井かおりが賞を総ナメにしたのは「もう頬づえはつかない」

「もう頬づえはつかない」というタイトルに惹かれ、原作を手に取った記憶があります。しかし途中で止めたような・・・。映画のポスターを見かけ、かおりさんにはぴったりな役に思えました。

>曾我廼家明蝶、河原崎長一郎の尾道、吉行和子、嵐寛寿郎が出てくる若松の所は役者の力で、より面白くなっていたと思います。 他に新郎の父親を演じた天草四郎、お好み焼き屋のオバちゃん武知杜代子(武知豊子)が印象に残りました。

同感です。
パイプカットという言葉も久しぶりに聞きましたねぇ~。
あの頃、流行っていて良く耳にしていたのを思い出しました。小夜子のファッションなど、映画は風景だけでなく、当時流行していた言葉、世相を記録している役割もありますね。長崎のシーンなど、もう無くなっている場所もあって懐かしく見入りました。

「集金旅行」も観て、比較してみたいです。
想像以上の佳作でした。

返信する
Unknown (鉦鼓亭)
2013-02-05 23:22:34
 しずくさん、こんばんは
 コメントありがとうございます!

ラストに新一を迎えてのシーン>それをやっちゃったら「安い」と言うか「陳腐」になったでしょうね。
僕の記憶から、零れ落ちてたと思います。

たぶん彼の子供じゃないだろうか>同感!!(笑)

上村一夫>世の裏側を知ってる感じが、滲み出てくる漫画でした。
僕も漫画は好きになれなかったけど、綺麗な線を描く人だとは思ってました。

「もう頬づえはつかない」>ちょうど、この年辺りから映画を観る本数がぐっと減って、何となく内容も男向きではないような感じがしてパスしたんだと思います。

パイプカット>この前の冬季オリンピックの時、スノーボードのハーフパイプの意味を始めて知ったという方が居まして、「だって、「パイプカット」じゃNHKのアナウンサーが困る」って答えたら、えらく盛り上がってしまった経験があります。(笑)
あの頃の結婚式で花嫁の友人達が歌うのは♪は~な~よめは~ 夜汽車に乗って~♪が定番でしたね。(映画はえらく高尚なの歌ってたけど)。

「集金旅行」>「今年観なくちゃ」リストが山積みで・・・。(汗)
僕は‘80年に観た印象が崩れなくて「ホッ」としています。

素敵な返歌ありがとうございます。
情景が浮かんできますね。
「三人(みたり)」>この言葉を知っていたら30分早く完成していました。(笑)
途中まで、出だしは「三人(さんにん)で」だったんですが、どうも気に入らなくて・・・。
「みたりして」なら、しっくりする気がします。

ありがとうございました。
返信する
追記 (しずく)
2013-02-06 14:39:41
>上村一夫>世の裏側を知ってる感じが、滲み出てくる漫画でした。

そうだったのですか・・・。
『同棲』の棲むという漢字があまりに生々しく即物的で好きになれません。今だったら読んでみたい気もしますが。

スノーボードのハーフパイプの意味を初めて知りました!

長男が4歳の頃かな?妹の結婚式で、時代遅れでしたが大好きな“花嫁”を夫と3人で演奏しました。息子はタンバリン、夫はキーボードを弾き、私がボーカル。次男は小さくて仲間に入れず泣き喚いていたのを、ひょっこり思い出しました。ありがとうございます。

>「三人(みたり)」>この言葉を知っていたら30分早く完成していました

言葉さがしの時間はかかりますよ。
適切な言葉を見つけようと、長く類語辞典を繰って調べる時も多々!以前に、別な歌でみたりの読み方を知った時は「見っけ」でした。

もう一首詠んでみました。

置き去りし子の顔浮かび引き返す大吊り橋に靴鳴らす音

gooブログの方へhttp://blog.goo.ne.jp/33bamboo/リンクさせて頂きました。

事後承諾で悪しからず

返信する
Unknown (鉦鼓亭)
2013-02-06 22:41:04
 しずくさん、こんばんは
 コメントありがとうございます

置き去りし子の顔浮かび引き返す大吊り橋に靴鳴らす音

素敵な歌をありがとうございます!
非常に拙い返歌ですが、

夢は露神さまのくれし我が娘いつかこの手で島田結う日と

山行なさってるんですね。
いいなァ!
中・高校生時代は僕も山登ってたんです。
ピッケル、アイゼン、炊事道具一式、ツェルトみんな持っていました。
19の時に奥穂高へ行ったのが最後だったと思います。
ホームグラウンドは神奈川の丹沢、随分、沢登りをしました。(高所恐怖症のクセに~笑)

ゆとりが出来たら、又、丹沢へ行ってみたいと思ってましたが、
芭蕉じゃないけど、身体壊れて夢は丹沢駆け巡る(季語が入ってない!)、になってしまいました。
変形した足に合う靴があれば登りは何とかなる気もしますが、下りが完全に無理。
(医者に強い運動は禁止されてますし~笑)

なので、しずくさんの山行記、あの頃を思い出しながら読んでみようと思います。
リンクの件、ありがとうございます。
こちらからもさせて頂きます。
返信する
追伸 (鉦鼓亭)
2013-02-06 22:53:16
「神様のくれた赤ん坊」>
もしかしたら、小夜子の事「も」言ってるのかもしれませんね。
苦界から抜け出て、堅気の仕事で立派に生きてこられたのは、きっと小夜子が居たから。
母親にとって小夜子は生きていく「つっかえ棒」だったと思います。
あのお母さんにとって小夜子こそ、「神様のくれた赤ん坊」だったんじゃないでしょうか。
返信する
Unknown (しずく)
2013-02-07 18:19:29
>ホームグラウンドは神奈川の丹沢、随分、沢登りをしました。
>19の時に奥穂高へ行ったのが最後だったと思います。

どちらも登っていますよ。年に一度、関東の息子たちに会うのを兼ねそちら方面を登っています。
丹沢は何度でも登りたい山ですね。他には多摩山系縦走を2度ほど!奥穂は予定していましたが、天候に恵まれず西穂に変更しています。

山登り、強い運動を止められているのでしたらあきらめざる得ませんね・・・。

夢は露神さまのくれし我が娘いつかこの手で島田結う日と

最初、歌だけではぴんと来なかったのですが、解説を読んで得心しました。小夜子母娘を詠まれたのですね!

>「神様のくれた赤ん坊」>もしかしたら、小夜子の事「も」言ってるのかもしれませんね。
そうかぁ!
子はかすがいという言葉はあまり好きではないけれど、小夜子の母親にとってはなおさらのことだったでしょうね。

季語をいれない俳句もありますよ。

一つの映画でこれだけお話しできたことて嬉しかったです。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (鉦鼓亭)
2013-02-07 22:35:55
 しずくさん、いらっしゃいませ!
 コメントありがとうございます

丹沢>尾根道は侵食が酷く、水害の為、沢も随分埋まってしまったと聞いています。
表丹沢・大倉尾根、花立への急登が懐かしいです。
中3から毎夏、槍・穂高へ行ってたんですが、北アとは、とことん天気の相性が悪く、奥穂も北穂も槍も登ったのですが一度として頂上から展望を望めた事がありません、いつも視界10mでした。
前穂に行ってないのは、奥穂からの吊り尾根を縦走できる天気に一度も巡り会えなかったからなんです。
登ってる時はピーカンで汗ダラダラなんですけど、後少しで稜線という所で、いつも天気が急変。(笑)
槍沢~肩の小屋の時は最後の100mが雷との競争みたくなりました。
その後、3日に渡り大雨・・・。
(殺生小屋を出る時は雲一つ無かったのに(涙))

「神様のくれた赤ん坊」>ちょっと楠木トシ江さんから見た世界を作ろうと思って七転八倒?(笑)してたら、ふと、小夜子もタイトルに掛かってる気がしてきたんです。
歌は、かな~り苦しまぎれです。(笑)

こちらこそ、楽しかったです。
感謝しています!
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