Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

楢山節考

2008年10月24日 15時12分24秒 | Movies

 性格俳優の緒方拳さんが 71歳で亡くなった。肝臓ガンだそうだが、死ぬまで決して他人に漏らしてはいけないといっていたそうである。  最後の出演作品、NHKのドラマ 帽子職人 の宣伝バージョンを見ると、昔の体格の良い面影は全く無く骨皮に痩せていて、しかし 表情などは そのような病気のやつれ姿など微塵も見せない。さすがだなぁ!役者根性だな!  と感嘆。

 この緒方拳さんの作品をいくつか見ておこうと借りたビデオが 楢山節考 である。

  監督 今村昌平 主演 緒方拳  坂本すみ子  原作 深沢七朗

 昔の日本の農村は貧しかった。では みんなが協力し助け合って生活していた。それで やっとの事で生きて行けたのである。 そのでの約束事、掟を守らなかったり、また 迷惑を掛けたりすると本当にひどい仕打ちを皆から受けたのである。例えば、掟としては70歳になると楢山行といって云わば姨捨になる。 また 皆に迷惑をひどく掛けた場合は、根絶やしといって その内のもの全員が殺されてしまうとかである。 この当時は 働けなくなった老人や、生まれても育てる余裕のないときは赤子も 捨てられていたのである。    こうして今まで 日本の農村は維持されてきたのである。  まさに 昔の人々の血と汗と もう一つ命の積み重ねによって守られてきたのである。

 内山節さんの 死んだらお山に帰る という信仰は 確かに日本の農村にあったのだろう。

 村の中に居てこそ、一生平和に暮らせたというが、今から想像すると、逃げ出したくなるほどの。慣習が ぎっしりとあったであろう。

 日本の裏の生の姿の一面を想像させてくれた 印象深い作品でした。  

 後日 早速 原作を読んでみました。 映画は これにほぼ忠実でした。

 原作と 映画化されたものの比較 なるほどと 視覚化されたものは わかりやすく印象も強かった。 では 何がうしなわれたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


花はどこへ行った

2008年10月24日 09時21分59秒 | Movies

ドキュメンタリー映画 といってよいのでしょう、映画 花はどこへ行った を Chacha さんと観にいってきた。

 監督は 坂田雅子さんという 出身が須坂の私と同年代の方。この方の夫がグレッグ・デービスさんという写真家です。この方は ベトナム戦争に従軍し、帰国してからは 米国人からは根性が足らないと随分非難されたようです。その為 米国を離れ、世界各地をカメラを持って歩き、あるがままの姿を記録して発表してきたそうだ。その彼が 54歳ぐらいから肝臓癌を患い亡くなった。友人はこれはベトナムにおいて 枯葉剤を浴びたからではないかと言っていた。 監督の坂田さんは 夫が従軍したベトナムを訪れ、枯葉剤のために多くの障害児が生まれているが、その子供たちと一緒に生活している家族をルポ、インタビューしたのが この映画である。

 最初にジョーンバエズの歌が優しく挿入されている。私も高校生時代よく口ずさんだ曲である。

 重い障害を抱えた子供を当たり前のように介護している両親や兄弟たちが映し出されている。 当たり前と書いたが、向こうではそのようであるが、果たして日本ではどうなるのだろうか? 向うでは、両親もよく世話をしながら声をかけ、また 兄弟たちもみんな明るく、無邪気な笑顔でその子の周りで生活している。信じられない。つらさも落ち込みも感じられない。 果たして日本ではどうなるのだろうか。将来の心配が先立ち、これほど明るくおおらかには生活できないのではと思ってしまう。この障害を持った子供もほんとに家族の一員といった感じが見て取れました。

 ドキュメンタリーというのは 直接的に批判はしないのであろう。ありのままを示して、観るものがどう考え、判断するかに任すのであろう。 これが原則というのだろう。

 最後に グレッグさんの言葉で、自分の宗教、国、文化を捨てることにより中立の思考、判断が出来るのだと。 

 また坂田雅子さんの言葉で、グレッグが亡くなって、一体この宇宙のどこへ行ったのであろう? この作品が 坂田さんの心の空隙を埋めるために作られたのであろう。

 最後は 今度は PPMの歌 花はどこへ行った が流れていました。

 


ボローニャ紀行  井上ひさし

2008年10月15日 22時21分18秒 | Books

 井上ひさし といえば 私にとって NHKのひょっこりひょうたん島 の脚本家、そしてブンとフン モッキンポット師の後始末 とかいったコメディイタッチの作家かと思っていた。 そんな訳で あまり接する事はなかったのだが。

 このボローニャ紀行はこれまでの彼へのイメージをがらりと覆すものでした。読後様々なインパクトを受けたのですが、そのうちいくつかを列挙しておきます。

 先ず演劇について 『みんなでワイワイやっているうちに、心がやわらかくなり、自分と外部との境がなくなる。そして、そこへ観客の笑い声や拍手が加われば、自分と外部とが完全に溶け合って、だれもがもう一度、外部を信じようという気になるんだよ。芝居には不思議な力があるんだ』 私は演劇とは疎遠に生きてきたが、Ma君が演劇を楽しんでいるので、最近は 機会を増やそうとはしてきたが、いつもアァ面白かったといった程度で果たしてこれがどれほどのものかといつも不思議に思っていた。 この言葉を見てなるほどこのようなこともありえるなぁと感じた。

 『自分はここに生まれてよかった、ここで恋をし、ここで子供を育て、ここで死ぬことが出来て幸せだった。そう思えるような街をみんなでつくりあげること、それが自治なのでは 』 自分達の住む街を、国や行政に頼ったり任せきりににするのではなく、自分たちの力で、自分たちが 住みやすく誇りを持てるようにしてゆく。これが 自治なのだろう。そのために、この土地の制度をもふさわしいように変えたり築いたりしてきた。その一例が有名なボローニャ方式である。これは企業がその土地から利益を得たならば、それを地域に還元するのは当然だという文化、倫理観がある。これにのっとって、イタリアの銀行法では、最終利益の49パーセント以上を、地域の文化やスポーツに還元するように定めているようです。つまり 利益の半分を公共に還元するという事ですね。 まさに目からウロコ。こんな世界があるのかと。日本では考えられない世界ですね。 この還元資金によって 過去の文化遺産などの修復、保存等も積極的に行われているのです。  

 さらにこの最初の言葉から、多くの日本人が都会に出たり 海外に出て成功する事を夢見ているけれども、上記のような人生もそのような華やかな人生と同等、全く同じく幸せな人生だと思えるようになった。 これはそれぞれの価値観だといえばそれまでだが、一般的評価としても、前者が後者の比較は無意味であるし、地方に暮らしてもなんら劣等感というか引け目など覚えずに人生を楽しめると思う。

 最後に『未来を育てるとは、子どもを育てることである。  ・ ・ ・ 景気か、未来か、われわれはどちらを選ぶのか』 この言葉が 印象的であった。 今の日本は金を持っている年寄りを優遇し、金の取れない子どもにしわ寄せが言っているように思える。

 あー 久し振りに良い本に出合えた。充実した読後感である。   

 


キンモクセイ

2008年10月14日 20時00分05秒 | daily life

  いつの間にか キンモクセイが 満開です。

     気がついたのは この馥郁たる あたり一面に漂うこの香りのせい。

     この写真から この 香りが届くでしょうか。

     写真から 目で見る以外の 感覚が 感じられないかなぁ。

     例えば この匂い。その他、音とか、寒暖、忙しさ、霊気、 

     面白いところでは オーラ  なんかも。

     どんな写真が撮れるのかね?            


持たない暮らし  下重暁子

2008年10月08日 07時15分25秒 | Books

 下重暁子さん  私よりひと回り年配で 今は評論家?随筆家?といった肩書きで 以前から憧れ?素敵な女性だなぁと思っていた方です。 ふと手に取ってみてふんふんとうなずける事が書き綴られていたので購入しました。

 持たない暮らし   我家のLeo君が メキシコから帰ってきて我家を見て何もないってイイナーと 昔の生活を振り返って嘆息していたのを思い出します。 ま それほど我家には 無駄な物が 溢れ返っていたのです。 私もそう思います。 私は 幼少時明治生まれの祖父祖母の家によく遊びに行き、廊下の床拭き、庭掃きなど手伝わされた。そのおかげか シンプル、質素、な生活という物を知っている。下重さんの言わんとすることもスーと理解できます。

なるほどと覚えておきたい事をいくつか

 使い込めば愛着が生まれる       シンプルに暮らすということは、物を捨てるということではなく、物を大事にする事である。   さて 今の自分に 愛着を持って使っているものはというと 1年間の手帳ぐらいしか思い浮かばないな。  物を大切にしよう。いつまでも使おうと思えば吟味して買う。いいもの、好きな物を選ぶ。長く使い込むと、愛着が出て、、新しいものや目先だけモデルチェンジしたものに目を奪われない。

 好意の押し売りはいけない    特に趣味のものは人に贈らない。飾り物も。お土産は自分のために買うのだ。  物よりも、一枚の葉書や手紙がどんなに心を慰め、励ましてくれるか。

 郷に入っては郷に従え これが旅の極意である。  

 旅慣れた人というのは、余分なものを持たない。  これには鞄を小さめのものにするのが一番。大きいとお土産も多めに目一杯買ってしまうし。

 歳をとると、何でも取っておきたくなるという。何でも取っておきたくなるのは歳をとった証拠とも言う。     『歳をとらないと、この寂しさはわからないのよ』と

 良寛の句   焚くほどに風がもてくる落ち葉かな

 西行の句   願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

 

 幕の内弁当の美学   なるほど そこには日本の美  調理技術の技、粋があるかも  よっちゃんが 楽しみにしているのも わかる。  これから 写して 残そうかな。    

 

 

                                       

 


ルイ14世

2008年10月07日 22時42分23秒 | rose

 ルイ14世  です

   ある雑誌で松坂慶子が 薔薇ではこれが好きだといっていた。

   その言葉が頭にあったせいか、 まぁ人の好みはいろいろ

   私には もっと他のがと思ってしまうが。  

   整った花姿が、そして濃厚な芳香が素晴らしい! 

   なるほど彼女らしい好みかな! 

   

   久し振りに 夜の庭に出てみた。9月より一層涼しくなり、

   長くは居られない。デモ ジットミミを澄ますと、様々な虫の

   声が聞こえてくる。 この声の違いは虫の種類によるものなの

   であろう。この鳴声は メスを求める呼び声なのだろう。メス 

   は自分の種の鳴声を判断区別できるのであろう。

   ホントに いろいろな鳴声が聞こえてくる。 

   一寸の虫にも五分の魂  という言葉があるが、この小さな

   虫たちが 精一杯自己主張しているように思えてきた。  


脂漏性角化症 その2

2008年10月03日 21時24分55秒 | daily life

 先月 約2週間前に 皮膚科で 液体窒素で処置してもらった

  老人性疣のその後です。 経過は まずまず 良好でしょうね。

  手で触ってみても 違和感は随分と無くなりました。まだちょっ  

  としたところが残っていますが、問題なさそうです。

  

  昨日今日と 秋らしい好天です。 このような日を送れるとは、

  本当に生きている気持ちよさを感じます。 あーいい日だ。

  死ぬには こんな日がいいなと思ってしまう。

  この秋 どこか また 旅に出たく想ってしまいますが。

  しかし このところ 喘息というか 後鼻漏の為か 咳が酷くて

  少し 苦しい。


キムタカ

2008年10月02日 19時07分19秒 | Books

 キムタカ  

    なんだかフト思って取り寄せました。 読み進むうちにアレ! この本 私と随分縁がありそうだなと感じて 益々 興味が涌いてきて読みきりました。 その縁とは、一昨年私は この作者の故郷 小浜島で4日間滞在した事がありました。 作者の実家の うふだき荘という民宿の話しも知っていましたし、この島でサトウキビのボランティア刈り取りの話の映画も見ました。 もう一つ、 作者が公会堂の館長になったという勝連町のいグスク 勝連城には 昨年観光に行ったことがあります。 マーこんなわけで興味津々で読み進めました。

 この作者の苦労はあまり伝わってこないほど、この方の活動は前向き、周囲をみんなその気に乗せる素晴らしい物があったようです。

 この作者の原点は 先島諸島の小浜島における祭りだった。 『笛を奏でながら闇の中で同じ振りを繰り返し続けると、次第に現世から離れていくような感覚をおぼえる。』とあるが、これは新野の4日間夜通し踊るという世界に通じる物がありそうである。 そこには『濃密な生とその後にくる満ち足りた虚脱感。』 という世界が拡がるのであろう。

 この作者は村起しに、行政からの補助金をもらわない。 『補助金があるんだから利用しないと損だよ などというのは愚の骨頂で、むしろ島を想う深さ という名の連帯でつながっていく企業や、島の人たちと、一生懸命にそだてていくことのほうが、もっともっと大切なのでは ・ ・ ・ ・ 』 とある。 ボランティア組織でも、資金が足りなくついつい行政に期待したくなってしまうようだが、 本当に社会に必要ならば何と自助努力すべきでしょうね。

 子ども達だけの劇をたちあげる。 ここには 教育とは感動体験の異名なんです、という自負があるようです。この 劇を立ち上げる時、 不登校の子ども達にも勇気を与えてくれるようです。