Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

限りなく透明に近いブルー   村上 龍

2010年04月29日 21時03分44秒 | Books

   限りなく透明に近いブルー     村上 龍

 薄い本なので東京までのバスの中で読めてしまいました。 3時間ぐらいかな。二十歳前後の若者の生態?というか ある種の世界に住む人たちと云ってよいのかな。そう 蛇とピアス に出てくる若者達の世界と同じような感じを受けた。性と刹那的な毎日を送る若者達。自分は若かりし頃このような世界には縁がなかったし、またあまり世間の表には紹介されていなかったように思う。あるとすればやくざの世界と思っただろう。 性といってもいやらしさは感じない。むしろまさに生態といった感じである。 コレはフィクションであろうが、やはり下地にした世界は現実にあったのだろう。このような生活を送った若者はその後どのような大人の時期を過ごして生きてゆくのか知りたくなった。 


不良老年のすすめ    下重暁子

2010年04月28日 07時36分30秒 | Books

  不良老年のすすめ     下重 暁子

 下重暁子さんの本はこれで2冊目ですね。前回はシンプルライフといった内容でしたか。 この方の生き方は片意地張らず、マイペースの自分の生き方を守るような感じで、それがまた私の日常のチョットしたヒントになるところが多いようで、たまに覗く本屋で目にするとどれどれと手にとってしまう。

 あまり難しく考えずにコレはといった一言を挙げます。

 忙しくて忙しくて死ぬ暇もありません  

 孫にもおじいちゃんおばあちゃんなんて呼ばせません

 不良老年は孤独を恐れない

 欲しいものが無くなったら、老いた証拠

 旅には思い切ってお金をかける

 こんなところかな  不良老年とは ワンマンマイペースだがチョット周囲からも愛され期待される年寄りかな。

 まぁ、この表紙のようなクラークゲーブルには成れんけれど、これほどキザでなく 近所のおっちゃん になれればなぁと思ッとる。


インパラの朝    中村 安希

2010年04月15日 18時51分09秒 | Books

  インパラの朝       中村 安希

 今まで 海外放浪の手記はいくつか読んだ。中でも小田誠さん、沢木耕太郎さんなどが有名ですね。今回は 26歳の女性の手記である。みんな若い時の放浪ばかりですね。わたしは これから放浪したいと思っているのに、そう65歳から。いまはその時の残す家族への生活費を確保するつもりで働いている。

 この手記の他との違いは、著者が女性であるということ。それは社会を見る眼、感じ取る感性が前者とは異なるし、また行った先の周囲の人々からの態度、受け入れ方も男とは違っていたように思う。 旅は中国からインド、中東、そしてアフリカへと、そして先に進むにつれて彼女の眼は鋭く、また感性は出会った人々からの小さなかすかな声を丁寧に受け止め拾いあげている。

 私の心に気に入った言葉をあげてゆくと

 出会ったオーストラリアの女性の言葉に 『私はもう、一つ目の人生を十分生きた。だから第二の人生は、納得のできるボランティアをして、たとえそれで死んだとしても悔いは残らない。』 私はボランティアをしようとは思わないが、今の仕事一筋では後悔しそうである。これまでも精一杯社会の為に、毎日努力し励んで尽くしてきたつもりである。それで満足しているのである。今度は自分の為に人生を燃焼させたいのだ。 

 彼女は世界の貧困国に行って 貧困というものを観てきたいと言っていたが『一般的に貧困は、農村地帯にあるものではなく、都市に存在するものです』しかし、アフリカの農村部において彼女は貧しい人達から多くの小さな援助を貰っている。

 『自分の生まれた環境の中で,自分の力で精一杯幸せを求めて生きてゆくしかない。 他者からの援助や、他の土地へ移っても幸せになるとは限らないのだ。』 国際援助とか、ボランティアが送られても決してその地域が幸せになって行くとは限らないようだ。むしろ変わらない。 むしろその土地の慣習、伝統、価値観を無視して西洋すなわち文明社会の生き方を押し付けても決して受け入れられはしなかった。彼らは昔からの生き方でコレまで何千年も生活してこれたのだから。

 インパラの眼差し 作者の眼は世界の真実、現実をありのまま見つめていた。


閔妃暗殺   角田 房子

2010年04月13日 19時41分47秒 | Books

  閔妃暗殺  朝鮮王朝末期の国母   角田 房子

 朝鮮李王朝の末期の事がなからわかりました。  もうかれこれ10年まえ 初めて韓国ソウルに行った時、民族博物館で ボランティアで日本語で解説をしてくれた60歳代かと思われる女性が私に、もし朝鮮が日本より先に鎖国を辞めて開国していたならば、日本と韓国の立場は逆であったでしょうと話した。 それ以来私の脳裏の片隅にズーット残っていた疑問、なぜ朝鮮は鎖国を続けていたのだろう?

 朝鮮王朝は勢道政治と呼ばれる状況であった。これは王家に嫁ぎ妃となった家系の親族が政治の実権を握るという制度である。当時は金家というのが長年実権を握り続けており、王家は実質飾りであった。そこに1860年代、王家の末裔である大院君が実権を持つようになる。そしてまずやることは息子の国王になる高宗の妃には勢道政治には戻らないようにと、親族の少ない女性をあてがおうとした。 それがこの主人公 閔妃 であった。彼女は非常に頭が良く、また若々しく美貌の女性であったようだ。

 話は途切れるが、ここで何故韓国は開国をせず鎖国を続けたかの回答がわかる。当時日本にイギリス、フランスなどが開国を迫り、下関や鹿児島でその武力のほどを見せ付けられ、それにおののき日本は開国にふみきったわけであるが、同じように朝鮮にもそれらの国は開国を迫って攻め入ろうとしたのだが、一度ならず2度3度と朝鮮軍に打ち負かされてしまったのだ。日本の対応は藩単位であったが、一応朝鮮は国単位での反撃ができたのだ。

 さて話は戻って、聡明な閔妃は自分の夫である国王が実際は父親の言いなりであることを見抜き、夫に国王らしく実権を持つように仕向けてゆく。そして鎖国を維持する大院君と開国を目ざす閔妃との間に猛烈な確執、権力の奪い合いが始まったのである。

 閔妃の目ざした勢道政治によりその人脈、乱費はすごいものであったようで、人民からは相当の恨みも買っていたであろう。

 この角田房子さんによるこの本、非常に懇切深く資料を集め検討しての内容である。一つの事件についても両者の立場からの資料を一つ一つ丹念に信憑性を確かめながら書かれている。 そこで感じたことは、一つの歴史的資料も書いた者の立場にたって描かれており、そこには誇張、自負、怨念、庇い合い等さまざまな意図が絡み合っている。よって資料といってもすぐそれを史実だと判断してはならないことを知らされた。


同窓会 大阪

2010年04月13日 07時39分19秒 | Short trip & intereting sights

   久しぶり の大阪

 もう大阪へ出掛ける機会は随分減りました。 3歳から大阪で育ち26歳で大学を卒業するまで過ごした街なのに。  このところ東京に出掛けることが多くて、すると改めて大阪と東京の雰囲気の違いを感じてきた。

 やはり少し野暮ったいかな、けれど澄ましておらず肩の張らない自然体なのかな。 チョット大阪を弁解気味になってしまうか。

 けれど自分の青春時代 主に高校から大学にかけてはこの街でこの雰囲気の中この空気の一部となって過ごし生きてきた。 若い人たちを眺めていて 自分の過去と重ね合わせてみている。

 3年ぶりの大学時代の同窓会で大阪に来た。 多くの仲間はそのまま大阪で暮らしてきている。 彼らと話し合う言葉もいつの間にか大阪弁になっている。 生まれ育った土地の言葉は、やはり自分にとって自然である。今長野で知らず関西弁をなくそうとしているようだがやはり周囲からは見破れてしまう。

 大阪の仲間を大事にしようと思う。 自分と大阪との接点はもうこれしかないのだから。