閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母 角田 房子
朝鮮李王朝の末期の事がなからわかりました。 もうかれこれ10年まえ 初めて韓国ソウルに行った時、民族博物館で ボランティアで日本語で解説をしてくれた60歳代かと思われる女性が私に、もし朝鮮が日本より先に鎖国を辞めて開国していたならば、日本と韓国の立場は逆であったでしょうと話した。 それ以来私の脳裏の片隅にズーット残っていた疑問、なぜ朝鮮は鎖国を続けていたのだろう?
朝鮮王朝は勢道政治と呼ばれる状況であった。これは王家に嫁ぎ妃となった家系の親族が政治の実権を握るという制度である。当時は金家というのが長年実権を握り続けており、王家は実質飾りであった。そこに1860年代、王家の末裔である大院君が実権を持つようになる。そしてまずやることは息子の国王になる高宗の妃には勢道政治には戻らないようにと、親族の少ない女性をあてがおうとした。 それがこの主人公 閔妃 であった。彼女は非常に頭が良く、また若々しく美貌の女性であったようだ。
話は途切れるが、ここで何故韓国は開国をせず鎖国を続けたかの回答がわかる。当時日本にイギリス、フランスなどが開国を迫り、下関や鹿児島でその武力のほどを見せ付けられ、それにおののき日本は開国にふみきったわけであるが、同じように朝鮮にもそれらの国は開国を迫って攻め入ろうとしたのだが、一度ならず2度3度と朝鮮軍に打ち負かされてしまったのだ。日本の対応は藩単位であったが、一応朝鮮は国単位での反撃ができたのだ。
さて話は戻って、聡明な閔妃は自分の夫である国王が実際は父親の言いなりであることを見抜き、夫に国王らしく実権を持つように仕向けてゆく。そして鎖国を維持する大院君と開国を目ざす閔妃との間に猛烈な確執、権力の奪い合いが始まったのである。
閔妃の目ざした勢道政治によりその人脈、乱費はすごいものであったようで、人民からは相当の恨みも買っていたであろう。
この角田房子さんによるこの本、非常に懇切深く資料を集め検討しての内容である。一つの事件についても両者の立場からの資料を一つ一つ丹念に信憑性を確かめながら書かれている。 そこで感じたことは、一つの歴史的資料も書いた者の立場にたって描かれており、そこには誇張、自負、怨念、庇い合い等さまざまな意図が絡み合っている。よって資料といってもすぐそれを史実だと判断してはならないことを知らされた。