Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

イタリアン・カップチーノをどうぞ    内田 洋子

2010年07月21日 17時06分15秒 | Books



 イタリアン・カップチーノをどうぞ    内田 洋子

一昨年 Ma-君とイタリアに旅した時、毎朝小さなホテルの朝食で飲んでいたカップチーノを思い出す。出発前に入れた予備知識で、イタリアのカップチーノはオススメと聞いていたからである。そしてイタリアで初めてこのカップチーノとやらを飲んだのである。 なるほどこんなに美味いミルクコーヒーがあったのかと感嘆。
ところが 日本に帰ってきてチャンスがある度に、カップチーノを注文するのだがこれが もうまったく比べ物にならない。先日も三越の地下で頼んだのだが、すこし時間が掛かるなと思っていると、コーヒーの表面に上手にネコちゃんの顔が描かれてある。 これはイタリアでは無かったと思ったが、やはり味もお目にかからなかった程度でがっかりした。
 さてこの本の題名からして、イタリアでのカップチーノを思い出させてくれました。 
 この作者内田洋子さん、ふんだんにイタリアを誉めそやしているのですが、この手の本は、どうだ日本よりこんなに良いところなのだと自慢している。時には負け惜しみ的にも聞こえることがある。 こういった人の多くは、まだまだ日本を十分に知らない人が多いのではないだろうかと思ってしまう。

 文中の目次から
イタリアの朝はカップチーノで始まる
イタリアの幸せは食卓にあり
ところ変わればイタリア変わる シチリア ナポリ ミラノ ヴェネティア
など

 文中から  バールで思い出すのが ナポリ   ナポリのエスプレッソコーヒーはイタリアでも一番、と評判だ。でもそのコーヒーに“恵みのコーヒー”というコーヒーがあることはあまり知られていない。 ある人がバールに入る。“カッフェ”と頼んだ彼は、二杯分くらい余分にお金を置く。日本円にして200円ちょっと。彼は“恵みのコーヒー用に”と言って店を出てゆく。ボーイが外に出てだれかに手招きをしている。相手は失業者らしい。カウンター越しに、“恵みのコーヒー”があるぜという。 グラッツェ!

松代現代アートフェスティバル 2010

2010年07月14日 06時47分39秒 | Art
 今年も 松代現代アートフェスティバルがやってきました。 インスタレイション、アートパフォーマンス、現代舞踊、現代演劇、とさまざまな分野を楽しむことができます。我が家は、先の平成松本大歌舞伎と重なり、少し気分がそがれていたという感じがしてますが。 先ずはアートパフォーマンス。毎回出演の韓国、フォンオボンサン 昨年と似ていました 前面に東西南北という看板を据え付け、それに向かって昨年と同じような大きなゴムの封筒状のチューブに入って、前面に向かってもがく。その時に 世界はカオスと叫ぶ。 チューブの後方はしっかり押さえられていて、思うように前に進めなくなっている。



おなじみの ホンオボンさん 始まる前のふざけた姿





ポーランドから参加の男性
砂利の上にうずくまり何か砂利を触っている。司会者はこのまま延々と続くので 次の作品を始めますと。 しばらく後、見に行くと、彼は T I M E
  と形作っていた。

このポーランドの男性の合間に、ベトナムの25歳の女性の作品



ここは 弓道所である。 向うに的が見えるであろう。 この女性は
今自分のおへその周りを黒く墨で塗っている。


それが終わるや、上着を脱いで、あっ でっかいオッパイ!  彼女は足元の小石をこの私のへその的に向かって当ててくださいと。  彼女は、オノヨーコが好きだと言っていた。

 あと 例の 幅 香織さんの難解なパーフォーマンス  今年は言葉を発した。

天樟院 篤姫     宮尾 登美子

2010年07月13日 06時56分48秒 | Books



 天樟院  篤姫       宮尾 登美子

 一昨年 NHKの大河ドラマで観ました。 評判も良かったようです。 今は竜馬がかかっていますが、これも好評ですがストーリーを知っているので私はあまり真剣ではありません。 一方篤姫は、これも波乱万丈の人生を送った人でしたが、私は全く初耳の人でこれからどうなるのかはらはらしながら楽しみました。  
 さて この本を手にしてみると、島津斉彬、皇女和宮、とが話の中心であった。 余生近く 述懐し、自分は斉彬の策に乗せられ、この大奥まで来たが、やはり戦国、武士の時代の倣いと同じく男の策により自分の女としての幸せは得られなかったと。 そして、降下してきた和宮とは、幕府が倒れ互いの立場からのしがらみが無くなってから、却って親しみを覚えるようになったと。
 ま、260年続いた江戸幕府、それからの徳川家のいかにその欣司を守るべく生きたかという天樟院 篤姫 であった。 

平成中村座 信州 松本 大歌舞伎

2010年07月09日 06時47分41秒 | daily life
 今年 我が家の一大イベントとになると思われた 平成中村座大歌舞伎 に行って来ました。
5月5日 朝の5時から並んで切符をchachaさんが買ってきてくれました。しかも2公演。
 おまけにその時市民キャストを募集しているということでMa-君が参加することになり、6月から土日は名古屋から帰ってきて舞台練習稽古。 そしてサー明日から初日本番という日から 突然Maー君発熱、夜間信大の救急センターで診てもらうと これは肺炎 ですぞ、と宣告されちゃった。 chachaさん心配のどん底で寝ずの看病。 舞台へはもちろん穴を空けてしまい、自宅へ戻ってこっちの医院、あっちの病院と駆けずり回り、1週間悶々と回復を待つ。 そして昨日千秋楽、とうとう初舞台を踏んでそれがおしまい。けれど昨日は午後、夜と2公演でした。 最後の舞台、chachaさんが2階の天井桟敷を買っておいてくれたので、 懸命にMa-君を100人近い出演者の中から探すも最後の最後に発見!さすが親だなーと。感激。

 初めて見る歌舞伎。しかも前から2列目の、目の前に勘三郎の顔がその表情が鮮やかに判る。声といい、間といい、さすが! 

 Ma-君も楽しい体験ができたなー。

 はねて、ロビーでMa-君の出てくるのを待っていると、そこへ着替えた勘三郎が出てきて 運よく握手できました。なんとやわらかいお手のこと。

 今年のワクワク一番になるかな。 それにしても アー大変な1週間でした。



追分宿  堀 辰夫 記念館

2010年07月05日 20時23分42秒 | Short trip & intereting sights


堀辰雄 といえば、私が高校時代 か 大学時代に親しんだ作家である。 当時の志賀直哉などの私小説の作品であろうか。

このご門は 堀辰雄の自宅の門であるが、じつは この追分宿の本陣の裏門であったそうだ。

この門をくぐって苔むした石柱を過ぎ、自宅までこのような木立の中を進んでゆく。






ここが自宅の裏庭である。左手が 書庫である。正面が展示場。右手が 自宅である。



この右手が 更に奥さん多恵子さんの住まいだったそうで 今は展示場になっている。










ここが辰夫の居間である。ガラスに反射してよくわからないが、高峰秀子さんから贈られた籐の椅子セットとおくの掛け軸は 川端康成の書。

当時は、この平屋の(中はたたみの二部屋)と、書庫だけであったろう。そしてこの庭と。  軽井沢らしい別荘のつくりであると思った。





堀辰雄といえば この言葉、 『風立ちぬ、いざ生きるめやも。』  これがヴァレリーの言葉だとは知りませんでしたが、訳はこの堀辰雄なのでしょうか?
この辰夫と同じ時代の詩人に立原道造がいるが、同じく比較的若くして亡くなっている。辰夫49歳かな。この二人とも 文学青年のまま人生を過ごして行ったような余情的な作風であったなぁと思う。 瑞々しいやさしさをいっぱい秘めた。


追分の古本屋

2010年07月05日 07時17分05秒 | Short trip & intereting sights


軽井沢近く 追分 という土地に行ってきた。 高校時代の友人に 彼女の義弟の写真展がそこにある古本屋で開かれるので行ってみてとメールをもらったからだ。 行ってみると ご覧の通りの店構え。 暖簾をくぐって入るとそこで 靴をぬいで スリッパに履き替える。内部は床から天井まで本がぎっしりで、かつチョットした迷路のようだが、各コーナーには椅子が置かれておりゆっくり気に入った本を手にチョイ読みができるようになっている。 さらに 一番奥には4~5人が座れるやや大きめのテーブルがあり、なんとお茶に美味しそうなクッキーが用意されているではないか。 わたしは 古本屋に入った記憶はないが、想像していたものとは随分異なる姿に驚いた。    残念ながら彼の写真展は来週からだと聞き、自分の相も変わらぬ至らなさに飽きれて、しかない少し本を眺めて帰るとしようか。 3冊ばかり手にして、店主に差出し、少し話し込む。 この店は4年目だそうである。それにしては木彫が美しい。 こんな軽井沢といってもメインストリートからのはずれでと話すと、このあたり作家や先生が多く住まいとのことで、あぁ、奥のテーブルもそういった人たちのかたらいの場なのだと理解納得。 あ、それに使わせて頂いたトイレも綺麗にアレンジされていて都会の店のトイレのよう。 


この追分は 昔 宿のあった所。 先の古本屋のそばには ごらんような 雑貨屋が、そして 向かいには 堀辰雄記念館がある。