悲しみに中の真実 石牟礼道子 苦海浄土 若松英輔
数年前に「苦海浄土」を読みました。読み切るのが、その土地の方言があり大変でしたが、水俣病の方々の大変さを教えてもらいましたが、それはあくまで知識となっただけでした。 今回、若松英輔さんにより、更に石牟礼道子さんの世界、伝えたい世界をわかりやすく解説してくれたようです。読み進めてゆくと、その筋からはドキッとするような展開になることもしばしばであった。 例えば、「水俣病は耐え難い苦しみの連続だったが、その一方で、そこに立たねばならなかったからこそ、見いだせたものもあると、 中略 水俣病のお陰で私は、人としての生活が取り戻せたように思う。」
もう一つ 「チッソとは一体何だったのかということは、 中略 唐突な言い方のようですが、私は、チッソというのは、もう一人の自分ではなかったかと思っています。」(緒方正人)
若松英輔さんは、この苦海浄土 は石牟礼道子さんの詩であると紹介している。知識や理屈ではなく、素直に生きてゆく姿が詩という文体の底から感じ取られるように。
記憶に残った文章を
石牟礼さんの言葉で 「極端な言い方かも知れませんが、水俣を体験することにより、私たちが知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました。」
「人は、群れた途端に見えなくなるものがあります。だが、一人でいるときにははっきりと見える。 中略 水俣の運動で人々は、集うことはあっても群れません。それぞれの志、それぞれの立場を持って集うけれど、決して群れない。」
最後に 若松さんからのメッセジ 「読み終えることのできる本は、たくさんあります。しかし,人生で何冊かは、読み終えることのできない本に出合ってもよいように思います。むしろ、そうした問いをなげかけてくれる書物こそ、真の文学と呼ぶにふさわしい。」
また、いつかこの本に再会する時があるでしょう。