昨年末 私の還暦の記念に 鹿児島へ行ってきた。ここは 高校2年の修学旅行以来の場所。当時 磯公園からの 桜島の景色が 印象に残っていて、行くならここと決心が付いた次第。当日は 好天に恵まれ、最近爆発が頻繁だといわれる櫻島も まさに 小さな噴火を起こしている光景をバックに1枚。
2枚目は 翌日の 特攻隊で有名な 知覧に行った時、そこの武家屋敷でのスナップ。
3枚目は 鹿児島について驚いた事に 駅ビルの上にこのような 観覧車! ここまでやるのか!
昨年末 私の還暦の記念に 鹿児島へ行ってきた。ここは 高校2年の修学旅行以来の場所。当時 磯公園からの 桜島の景色が 印象に残っていて、行くならここと決心が付いた次第。当日は 好天に恵まれ、最近爆発が頻繁だといわれる櫻島も まさに 小さな噴火を起こしている光景をバックに1枚。
2枚目は 翌日の 特攻隊で有名な 知覧に行った時、そこの武家屋敷でのスナップ。
3枚目は 鹿児島について驚いた事に 駅ビルの上にこのような 観覧車! ここまでやるのか!
こんな 秋山郷の僻地にも 映画のロケ地がありました。 映画『ゆれる』の 男と女性がもみ合って女性が落下しなくなったという場面の つり橋です。 渡るとなるほど揺れて、愉快ですが 左右のワイヤーがしっかりとしていて、落下するようには思えません。 でも つり橋を渡るなんて、久しぶり。以前はいつ、何処であったかも覚えていません。
ところが まだこの映画を見ておらず、早速ビデオ屋に行ったのですが、残念乍、貸し出し中でした。
昨日 Ma-君と Chacha さんと3人で 久しぶりのドライブ。 実は始めに震災のあった栄村を回って、その後 ここまで来てまだ時間があるから、思い切って 秋山郷まで足を伸ばそうという事になりました。ここまで来てといっても、ここから 1時間半弱は掛かって、最終目的地 切明温泉までたどり着きました。 途中深い森林を眺めながら細い道を延々と対向車との出会いを気にしながら上り詰めてゆきました。この様な深い森林をパノラマ的に俯瞰しながらというのは すごくリフレッシュされますね。
さて 最終目的地の 切明温泉、ここは川の脇から 温泉が湧き出ていて、砂利を掘り起こして川の水とちょうど良い湯加減にして入るのだとガイドブックに書いてありました。 さあと思ってはだしになり最初の一歩を川べりに入れたとたん 飛び上がるといかアッチという幹事で足が引っ込んでしまいました。 それほど湧出しているお湯の温度が高いのです。しかし周囲を眺めて何となくみんなのまねをしながら、程よい湯加減のところを見つけ、足湯でつかると気持ちよく、今度は 出たく無くなるほどになってしまいました。周囲は子ども連れの家族が多く、今度は 孫連れで来ることになるのかな? といった感じです。
さて帰り道、猿の親子が道沿いで 遊んでいました。
久しぶりの家族ドライブ、こんな事は もう無いと思っていたのでハッピーハッピーよ。
新潟をドライブしていると、あちこちで水力発電所が見られる。現在も発電しているもの、もう廃墟となっているものなど様々。 しかし 自然の中に異様に金属の塊が現れる。 この異様さが 却って私に、その強い存在感を与えてくる。 この震災で発電量が不足しているので、この揚水発電所もきっと際稼動しているのではないのかな?と思わせる。 文字を読むと 東京電力中津川発電所とある。 がんばって 再生可能エネルギーを生み出してもらいたい。
先日 高校時代の友人と十日町に行った時、Komatuちゃんのスナップショット。
早速4つ切りにプリントして額に入れる事にしました。
さすがですね 迫力があります。 白黒の世界に僅かな生活感のある色彩があり、そして無数の雪粒が 全面に。 天気では この力は出ないね。
先日 黒姫高原にある 黒姫童話館に行ってきた。 満開のコスモスを期待して。 残念でした。少し遅かったよう。その代わり この童話館をゆっくりと見て歩く事ができた。 朝から曇りで 大丈夫かと心配だったが、そこはMa-君と一緒の安心感。 この広々とした開放感と雨上がりに気持ちの良い青空が覗いてじつに清々しい。 黒姫か、 戸隠ともチョット違っていてエーナー!
これが 童話館。主にミヒャエルエンデ と 松谷みよ子 さんの作品が 展示されている。 そして 童話の挿絵の美しいこと。 本として印刷されてしまうと、印刷技術の限界か、本来の絵の具の色合いが出てこない。
可愛いね! ちょっとした工夫で こんなに素敵になってしまう。
久しぶり の大阪
もう大阪へ出掛ける機会は随分減りました。 3歳から大阪で育ち26歳で大学を卒業するまで過ごした街なのに。 このところ東京に出掛けることが多くて、すると改めて大阪と東京の雰囲気の違いを感じてきた。
やはり少し野暮ったいかな、けれど澄ましておらず肩の張らない自然体なのかな。 チョット大阪を弁解気味になってしまうか。
けれど自分の青春時代 主に高校から大学にかけてはこの街でこの雰囲気の中この空気の一部となって過ごし生きてきた。 若い人たちを眺めていて 自分の過去と重ね合わせてみている。
3年ぶりの大学時代の同窓会で大阪に来た。 多くの仲間はそのまま大阪で暮らしてきている。 彼らと話し合う言葉もいつの間にか大阪弁になっている。 生まれ育った土地の言葉は、やはり自分にとって自然である。今長野で知らず関西弁をなくそうとしているようだがやはり周囲からは見破れてしまう。
大阪の仲間を大事にしようと思う。 自分と大阪との接点はもうこれしかないのだから。