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私の祖国は世界です       玄 順恵

2010年09月16日 16時56分02秒 | Books


 私の祖国は 世界です        玄 順恵

 4年振りに再読しました。 先日Chachaさんと彦根に行きました。そして明後日から長浜、小浜へと観光に行く予定です。この琵琶湖周辺は、学生時代から何故かこころ引かれる土地なのです。前回この本を手にしたとき、この地域には日本の古代大和朝廷が出来る以前から、朝鮮半島から多くの優秀な朝鮮人が渡来し、この土地に根を張り文化を広めてきたとの記載が心に深く残っていた。そんな訳で、今回もう一度と読み直してみたくなったわけである。

 作者の 玄 順恵さんは 小田 実さんの奥さんである。名前から分かるように彼女は在日二世である。彼女は7人姉妹の末っ子だそうで、姉の中には自己の選択で北朝鮮の国籍を取りその地で亡くなって行った方もおられたそうである。そんな家族の中で多くの在日の方と同じく自己のアイデンティティーについて悩んでこられたようだ。いつも人には『Korean born in Japan』といっていたようです。若い頃に、韓国の詩人金 芝河が韓国で拘束された時その解放にむけて運動していた小田実と知り合い、それから結婚に至ったようである。その後、小田実が世界各国で生活するようになり、彼女の人生観、世界観もこの本のテーマのように大きく変わっていったのでしょう。

 この玄 順恵さんの本職は、水墨画家である。そしてその画筆は、日本でもなくまた 中国でもない、朝鮮の画筆だそうである。 そういえば、この本の各章の前頁に挿入されている彼女の絵を見ると、あまり眼にしないタッチである事がわかる。 『西洋画は画面いっぱいを埋め尽くす為に、様々な道具や手法を使って構築してゆくが、東洋画の場合は余白が語ることを重視する。画面を埋める筆と、埋められないよはくはいつも共鳴しあって対をなしていること。それは西洋画が常に写実であったのに対し、水墨画は徹底して写意であるからだろう。』 なるほど、こういわれてみれば、西洋画と東洋画の違いが納得ゆきます。

 文中からこころに残る言葉ですが。
『歴史に進歩は、人間の自由がどれだけ拡大し、保障されているかによってはかられるものだろう。』 なるほど、これまでの人類の歴史を見ると、民衆人々の自由獲得の為の戦いの歴史である。現在、多くの国が 民主主義を謳うようになって来た。しかし、国家の存続に関わる(少し大げさ)ような一大事には、個人はまだまだ犠牲というか二の次とみなされてしまうようだ。個人より国家が大切だと。すなわち国家あっての市民、いや国民なのであろう。
『異質な価値が強制できる社会は、人間にとってもっとも平和でよい社会であるに違いない。』

 さて、明後日からの旅行、白洲正子さんの文章からも読み取れるが、『この鎮守の杜の神を祀る農耕共同体の豪族中の豪族は、百済、新羅からの移住者であった。』 そんな片鱗が 読み取られるような出会いがあれば嬉しいのだが。
  

阪急電車      有川  浩

2010年09月05日 18時06分29秒 | Books


  阪急電車     有川 浩

 今から45年ほど昔、私も西宮北口から仁川まで阪急電車を利用していました。  そう思い返していると、阪急は実に便利な沿線電車でしたね。 北口から神戸三宮、御影から芦屋にかけてのシットリと落ち着いた昭和初期の町並み、十三から大阪梅田、更に京都河原町へと、遊ぶには縦横無尽に連れて行ってくれました。
 
 この小説は、懐かしくも私の高校通学区間を舞台に選んでくれています。この話のようにダイナミックな展開、ハプニングは私にはなかったけれど、淡くも様々な青春時代の思いはこの沿線電車に乗りながら感じて通学していました。
 さて、この小説は阪急今津線の宝塚から西宮北口までの8つの各駅毎に、喧嘩あり、失恋あり、出会いあり、様々な事件がおこる。そして後半は今度は前半とは逆に西宮北口から宝塚にかけて前半に起きた物語のそれぞれの落ち着くところがでてくる。 それぞれが最後はまずまずのハッピーエンドといってよいところへ。ここがこの阪急今津線を自分の青春とかけ合わせて懐かしく思い起こさせるこの本の良いところであろう。
 例えば、電車の中で若いカップルで 女の子がちょっと男の子に説教くさい注意をしたら、その男の子は、“お前はそんなに偉いのか!”と乗客注目の中で電車のドアを足蹴にする、そして次に着いた駅でさっさと一人降りてしまった。それを観ていたあるおばあちゃん、一言“あんな男捨てちまいな!”と女の子に聞こえるようにつぶやく。  さてこれからどうなったでしょうか、読んでのお楽しみです。

 今津線の各駅を表情も実に昔を思い起こさせるべく正確に表現されていて嬉しいです。 

老後に本当はいくら必要か  津田倫男

2010年09月01日 06時19分48秒 | Books


   老後に本当はいくら必要か      津田 倫男

 この年になると 自分がリタイアした後にいくら貯金、資金があれば働かずともほどほどの余生が送れるかという一抹の不安が頭の中にしばしばよぎるようになる。 本屋でふと目に留まったのがこの本です。夏の終わりに、ちょっと自分の頭を整理できるかと思い読んでみました。
 お金は無くても大丈夫。何故なら 無くなればこうである“死のうと思えばいつでも死ねる”と随分無茶な理屈を述べてある。  しかし、文中から“高齢になる前の貴重な時間を毎日、毎晩、カネの計算だけに費やすのはなんと勿体無い事ではないか。”という言葉がまさに今の自分の姿を表している。
 さて、こんな無茶なことをいう本であるが、一つなるほどこれならと気に入った事が書いてあった。ボランティアと家庭菜園では早くぼけると。ではどうするかというと、趣味へ投資するということ。投資というからには その後いくばくかの見返りがあって欲しいと願う。例えば陶芸が趣味の場合、単に趣味だと思って漫然にやっていても人様に買っていただける作品は作れないであろう。しかしそこにこの趣味は投資だと思い、商品を作っているのだと思えば一層相違工夫してみよう、努力勉強しようと意欲が湧くであろう。  ここで著者の忠告、“投資は漫然と行っても成果は得られない。自己投資も同様である。投資と決めたら必ず目標をたて、その目標に向かって計画を立てねばならない。”と。

 最後に著者のあとがきから“熟年から人生を生き直す、あるいは第二の人生を静かに着実にスタートするための心構えは、『余計な経済事情は心配しない、社会と積極的に関わる、新たな人間関係を築く』が指針になるでしょう。”とむすんである。

 さて今の私にとっては、この自己投資に繋がる趣味としては、そう バラ作り かな。最近Okaさん宅の100本近いバラ庭の手入れも手伝うようになったしな。 人さんに喜んでもらえるようになれば、これが最初の一歩になるかな。  
 
 ではもう少し自己投資として勉強や体を動かさなくては、そしてバラ園にも足を運ばなくては。

アー 楽しそう!