Keiko's Room

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ストルバイトやっつけ、ダイエット!

2017-03-26 17:19:24 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

皆さん、ご心配をおかけしましたが、昨日のおしっこ検査の結果・・・・

膀胱炎は完治。

結石も退治できましたっ!!

で、PHコントロールの1キロ入りを渡され、これを全部食べた時点でまた検査しましょうと言われました。

ぼく、頑張ったもんねっ。

やったあ!!カリカリだあ~~食べるぞ~~~~

1週間ぶりのカリカリは・・・子狆時代のごとく、一気飲みしたそうです。 (ぱぱ、目撃)

おやつも少しずつね・・・・

グリニーズを小さく切ったもの、3かけら・・・

比べてみてください、たったこれだけですよ。それでも、狂喜乱舞の光くんです。

ところで、一時7.5キロもあった体重ですが・・・・この1週間でダイエットにもなったようで、7.1キロに落ちました

このくらいを維持しないとね。。。

来月の箱根が楽しみです!

 

 

 

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ストルバイト出ちゃったけど、お利口さんだよ!

2017-03-19 11:03:42 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

光くんは、病院で定期的(2ヶ月おき)に尿検査をしています。

昨日、膀胱炎になっていて(PHが8台)、しかも、ストルバイトの「結石」が出来ていると言われ、結石を溶解させるための療法食(缶詰)を1週間食べることになりました

小さい頃、、結晶?その以前の前駆体?みたいなのが出たことがあり、それ以来ずっとロイヤルカナンのPHコントロールを主食にして、おやつを少しプラスしていて、ずっとPHも6くらいで安定していたので、安心していたのです。いつまでもPHコントロール食べなくてもいいんじゃないかとすら思っていました。なので、いきなりで、びっくりです。

なぜ急に結石ができたかというと、膀胱炎になっているから、ということらしい・・・こちらなどによると、膀胱炎になると、細菌がアウレーゼという物質を放出し、これが尿のPHをアルカリ側に傾ける。細菌の屍骸が結石のタネになる・・・なるほど、そういうことか。

ともかく、1週間この缶詰オンリーでおやつも一切食べられません。

昨日の夜から、食べさせてみています。

最初、少しお皿に出してあげたら、なにこれ、まずい匂い・・という顔をしてプイしたので、あーー食べないだろうな・・・やばいなあ・・と思いました。

いつものおやつを少しだけトッピングしてあげたい気持ちはやまやまでしたが、ぐっと心を鬼にして、「がんばって食べようね。石が大きくなったらおしっこが出なくなって死んじゃうんだよ」って言って、促すと・・・すぐに食べ始め、いったん食べだすと、ある程度の量を食べ、お皿を舐めるほどです。

よかった・・・・!

そして、いつもは、ご飯のあとに、おやつ(グリニーズやらトリーツやらササミチップやら)をほんの少しだけあげていて(小豆大くらいに切ったのを、ほんの3粒ずつくらいです)、これが光くんの毎晩のささやかな楽しみだったので、これもあげられないのが可哀想で、欲しがってどんなにバタバタガウガウするだろうかと、はらはらしていたのですが・・・

しばらくうろうろしていたものの、もらえないのがわかると、すぐに寝てしまいました!

散歩のときも、いつもササミチップをちょこちょこもらえるのに、今朝は何ももらえなくても、あ、そう、じゃあいいっす、みたいなお顔で、すたすた歩いて帰ってきたそうです!!(ぱぱの話し)

わが子ながら・・・なんてお利口さんで、聞き分けがいいのかと、いじらしくて・・・・涙が出てしまいます。

1週間だけがんばろうね。石なんか早くやっつけちゃおう。

「まま、心配しなくていいよ。ぼく、ままやぱぱが思っている以上に、何でもちゃんとわかってるんだからさ。

そうだね、光くん、ありがとうね!

みんなも、結石できたことある? 

 

 

 

 

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佐世保で「沈黙」を観ました。

2017-02-23 10:33:19 | 平清盛ほか歴史関連

あれほど、読むのも怖いと思って長いこと本棚に置いたままにしていた「沈黙」の原作を、やっと読み、そして、、映画も観てしまいました・・・!

父命日の2月18日。三回忌法要を済ませた後、急いで佐世保の繁華街へ。そこでYumikoさんと待ち合わせて、今では佐世保で一つだけになっている映画館へ入りました。

牛久では、ちょうどぱぱが稀勢の里優勝パレードを楽しんでいるころ・・・。

月並みすぎる言葉ですが・・・本当に素晴らしかった。

当初は、拷問・処刑シーンが酷く恐ろしくて、観終わったあとは、さぞ後味の悪い暗い気分になるだろうと覚悟していたのですが・・・・

確かに、そういうシーンは盛りだくさんでしたけれども、後味はそんな嫌なものではなく、むしろ心がさぶん、ざぶんと洗われ、たましいが純化されるような気持ちになりました。

それにしても、自分の、キリシタン関係に関する知識、認識が、いかに浅くて単純なものであったかが分かって、愕然としました。

細部については、ネタばれになるので、書かないほうがいいかもしれませんけど、たとえば、踏絵。踏みさえしたらOKで無罪放免となるのだと思っていたら・・・そうじゃなかったのですね。役人は「それでお上を騙したつもりか。お前らの息遣いが荒くなったのを見逃してはおらぬぞ。」と言って、さらに、マリア像につばをかけ、淫売だとののしれと命じるという、二段スクリーニング?!でキリシタンをあぶり出す・・・聖母を心から崇拝するキリシタンは、それはさすがにできず、ついに、処刑されてしまう(長崎奉行の井上筑後守が、自身、出世のために洗礼を受けたことがあるため、キリシタンの弱みを熟知していたからだと!)その方法が、予告編にも見えますが、水磔(すいたく)といって、海中に立てた十字架に縛り付けて徐々に溺死させるものですが(水面に首が浸かってしまわないくらいの位置に設定して、数日間苦しませる)、それを他の村人たち対する見せしめとする、というなんとも酷いやり方です。

そして、フェレイラ神父についてですが・・・

一人の神学者としても誰からも尊敬され、日本における宣教活動のトップとして大きな責任を負っていた彼が、中浦ジュリアンらとともに、穴吊りの拷問を受けたとき、ジュリアンらが最期まで耐えて勇敢な殉教を遂げたにもかかわらず、自分だけたったの5時間で我慢しきれなくなり、棄教した。神父としても人間としても卑怯でダメな人物だと、軽蔑していました。だからこそ、彼との対比で、どんなに痛めつけられようとゆるぎない信念を全うしたジュリアンが、立派で高潔な人だと、私はずっと思ってきました。つまり、穴吊りという、キリシタン拷問方法のなかでもおそらく最も心身を苦しめられるそのおぞましい時間に、耐えられなかった=× 耐えられた=○ という単純な公式しか、私の頭にはありませんでした。

しかし、この作品を読み、観て、そんなに単純なことではなかったのが、やっと分かり、さらにいろいろと考えさせられています。

フェレイラは、肉体の苦しみに負けたから、「転んだ」のではなかった。少なくともそれだけが理由ではなかった。このようなおぞましい拷問を、多くの信徒たちも同様に受けていて、お前が転ばねば、彼らの命は救えぬと脅されて、言われる通りにするしかなかった。そして、何より、自分がそれまで固く信じてきた神に対して不信感、絶望が大きくなり、キリスト教そのものに意味を感じなくなった・・・そういうことなんですね。だったら、フェレイラを卑怯者とか弱虫とか呼べないように思えます・・・

人間のあり方って、そういうふうに一方的に優劣をつけられるほど、単純なものではない。

「転び」は、確かに深い闇ではあるけれど、その闇に一筋の光を当てたのが、遠藤周作氏ですね・・・。

物語の最大のクライマックス、フェレイラがロドリゴに、転べと説得する場面。。。穴吊りされて苦しみもがく哀れな信徒たちを目の前に、パニックになるロドリゴに、フェレイラは、どんなにカトリック教会の汚点だとか裏切り者だとか言われようと、今、目の前で殺されようとしている人々を救うのは何より大きな愛の行為なのだと言います。基督だって、自分のすべてを犠牲にしてでも人々のために転んだだろうと・・・これは、もしかしたら、誰かを自分と同じ裏切り者の仲間に引き入れたいだけの詭弁かもしれないけれど・・・あのぎりぎりの状況で、愛弟子だったロドリゴに対してフェレイラがしてやれることは、そういう理詰めの説得だけだったのかもしれません。

話はそれますが・・・迫害下において日本国内で活動していた宣教師たちを大まかに分けると、「棄教派」と「殉教派」に分かれて、どちらのグループも、それぞれの考え、思いがあったでしょうから、一概には言えないでしょう。(中には、単に肉体の責苦に我慢できなかっただけの人だっていたのかもしれませんが。)でも、ジュリアンのような殉教派が、何があっても、純粋に神を見ることができ、誰かが目のでどんなに苦痛で呻いていても、その先に神の愛を確信できたというのは、強かったというより、本人は幸せでしたよね。というと、究極の自己満足のようにも聞こえるかもしれませんが、殉教派にとっては、他人はどうでも、自分はそうするのが務め(定め?=神のご意思)と信じていたからですよね。遣欧使節としてローマへ赴いたジュリアンには、なおさらのことだったでしょう。

話を「沈黙」に戻しますが・・・ロドリゴが、転んだ後どういう人生を送り、どういう死を迎えたのか、についても、丁寧に描かれます。転びバテレンと言われる人たちも、人生の最期が訪れたとき、表向きは仏教徒の顔を続け仏教徒として葬られながらも、心のコアの部分では、信仰に立ち返ることがあったのではなかろうか、いや、一度は転んだからこそ、最期は真の信仰をみつけたのではないだろうか、という大きなメッセージが発せられていました。それは、原作にはなかった、スコセッシ監督からの、すべての人々に対する贈り物でした・・・仏教とかキリスト教とかの問題ではなく、人間誰しも人生の終焉で、コアの部分がどうありたいか、自分にとって一番の真実は何か、、その答えを出せたら幸せだなと・・・。

(そういえば、天正遣欧使節団の4人のうち、棄教して弾圧側に回った千々石ミゲルも、最期にはキリスト教に戻ったのではないか、と言われていますしね・・・。)

大絶賛されている日本人役者さんたちのなかでも、私が特に気になったのは、水磔に処せられる3名のうちの2人「モキチ」を演じた塚本晋也さんと「イチゾウ」役の笈田(おいだ)ヨシさん

水磔のロケは、かなりの程度まで実際に海の中でやったとか、どこかに書いてありましたけど(注1)、塚本さんは、殉教シーンの撮影中にこのまま本当に死んでしまっても構わない、と思えるくらいだった。自分にとってはそれほどの映画だった、と話していました(こちら)。そういう言葉を事前に聞いていたからかもしれませんが、塚本さんの話し方、表情にとても引き込まれました。

そして・・・ 笈田ヨシさん。彼は日本ではほとんど?知られていないのですが、パリを拠点にヨーロッパで活動している俳優さん(オペラ歌手/演出家)で、欧米ではかなり有名な方だそうです(詳しくはこちら)。

実は、20年前に中浦ジュリアンを主人公として描いた「アジアの瞳」という映画が、日本とポルトガルの合作として制作されたのですが、そのなかで、ジュリアンを演じたのが彼だったのです。

私は、この映画のことをつい最近知ってDVDを買いました(こちら レビューが素晴らしい)。ダイジェストをYouTubeで見られます。

asia-edit.avi

「アジアの瞳」では、ジュリアンとフェレイラが獄中で対話するシーンがあり、フェレイラは既にある程度、神に対する猜疑心を持ち始めていて、心が覚めてきており、その考えをジュリアンに投げかけるのですが、ジュリアンは絶対に揺るぎません。「沈黙」には、中浦ジュリアンへの言及は一切ないのですが、「アジアの瞳」で崇高な殉教者の姿を演じきった笈田さんを、スコセッシ監督が是非とも自分の作品にも殉教者として出て欲しいと望んだのではないでしょうか・・・?!そして笈田さんが「沈黙」で演じたのが、トモギ村の長(つまりかくれキリシタンたちのリーダー)で、「じいさま」と呼ばれて尊敬され、パードレがいなかった長い年月、その代理的役割をしてきた老人、イチゾウ。笈田さんは、現在なんと80代半ばですし、誰よりも、この役にぴったりという感じでした。「アジアの瞳」では穴吊り。「沈黙」では水磔。2回もの勇敢な殉教で(お疲れ様です~)こんなに魂を揺さぶってくれるなんて、彼以外にいないでしょう!

「アジアの瞳」についても、「沈黙」についても、たくさんの想いが溢れますが、また後日おいおい語るということで、今日のところはここまで。クリスチャンでもない能天気な人間のとりとめない感想ですし、勉強不足でお恥ずかしいですが・・・少しでも書き留めておきたかったのです。

皆さんの感想もお聞かせください。 (イギリスのYukoさんもご覧になりましたか?)

Yumikoさんと、「沈黙」を一緒に見られて、本当に嬉しかったです。なにせ、びびりの私・・・1人で観る勇気がなかったのですが、うまい具合に、佐世保でも2月3週目まで上映されていて、父三回忌でたったの2泊3日という短い滞在期間中に、しかも、法要が終わってすぐにかけつけてぴったりの時間帯の上映だったおかげで、地元でYumikoさんと堪能できたのです。稀勢の里パレードは見逃してしまいましたが、それを埋め合わせるに余りある時間を、父がプレゼントしてくれたのでしょう。お父さん、粋な計らい、ありがとうね!

 注1) 後からまたよく読んでいてわかったのですが・・・正確にいえば、干潮時のみ実際に海で撮影して、 満潮になって顔に水かかかるシーンから先は、超大型撮影用プール(各種の波を再現できる装置を備えている) を利用し、背景をCG合成したそうです。でも、人工波とはいえ苦しいもので、恐怖と戦いながらの必死の撮影だった、という趣旨の話を塚本さんがしています。(詳しくは、こちら。プールについては、こちらの「ロケ地について」の撮影用タンクの説明を参照。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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牛久の星!

2017-01-31 11:41:24 | Miscellaneous

牛久の輝く星、稀勢の里関! 初優勝&横綱昇進、本当におめでとうございます!

市役所の垂れ幕。

我が家が、遅くとも5年以内にはこの牛久を去りUターンすることは、90%確定していると言っていいのですが・・・

「牛久での楽しい思い出」を反芻するのも、老後の楽しみの一つになるだろうと思っています。

そういう意味で、パレードを心から楽しみにしていたのです。

・・・が!!!!!

その日付が、なんと2月18日(土)に決まったと!!

よりによって、2/18にやるかぁ・・・・

だって、私はその日牛久にいないのです。。。。佐世保なのです。。。

父の命日で三回忌ですから。

はああ・・・がっくり。

もちろん、これからも何度も優勝してそのたびにパレードやってくれれば(きっとやってくれるから!)、今回見逃すからといって、そんなに落ち込まなくてもいいかもしれませんけど、やっぱり初優勝で横綱になったときって、縁起の良さは格別ですよねえ・・・

そのうえ・・・追い討ちをかけるように??

これも!

市役所で、写真を見て、その帰りすぐ2つのコンビニに寄って探したのですが、全然なかったので、あれえ???まだ発売してないのか、それともまさかのもう売り切れ??と不思議に思い、ほんの数日間油断していたら・・・・・コンビニではなくて、スーパーで派手に売りまくってたんですね・・・うちのすぐ近くの「カスミ」の特設コーナーの様子がテレビに出ていて、翌日行ってみたけど、あっけなく「完売」の立て札が立つのみ・・・・

アマゾンでもとっくに売り切れて再入荷の目処も立っていないらしい。。。。んっ、いやあ、今見てみたら、再入荷してるんだ!こちら。だけど、1箱(12個)も要らないし・・どうしようかなあ。たぶん、ほとぼりが冷めたころに、またカスミにも並ぶでしょう。バカ売れしているらしいので、メーカーも増産するでしょうしね。もうちょっと様子みてみようかな。

ラーメンはいいんですっ。

パレード・・・・見たかった・・・ぐすん。

でもね、いつも陽気で賑やかなことが大好きだった父ですから、その命日2/18が、こんな晴れやかな行事で記憶される日付になるっていうのは、ステキなことです。稀勢の里関に、感謝!

(帰省は私だけなので、ぱぱがしっかり見られたらいいんですが・・・その日はなんか用事があるらしい。)

父が旅立った日と同じように、もう春が来たかと思わせるような快晴となって、新横綱も牛久市民も、みんな揃って幸せいっぱいの1日になるよう、佐世保より祈りますからね~~~。

 

 

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楽しい里帰り(その2:西海市)

2017-01-19 15:55:22 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

さてさて。。。カバー写真の横瀬浦というところは、西海市のなかでも、歴史的に最も重要な地区です。

まずは、横瀬浦の歴史について、少しだけお話ししましょう。

ご存知のように、南蛮(ポルトガルとスペイン)から、交易船や宣教師が初めてやってきたのは、鹿児島でしたが、その後まもなく、長崎県平戸をザビエルの一行が訪れ、交易と布教活動が活発になりました。ところが、平戸の領主とのいざこざから、ポルトガル人が殺されたりしたたため、一行は、平戸をあきらめ、ほかに南蛮貿易のよい基点となる港がないかと調査をはじめ、天然の良港であるこの横瀬浦に着目したのです。当時、横瀬浦は大村氏の直轄領で、領主大村純忠(おおむらすみただ)が、南蛮船のために横瀬浦を正式に貿易港として開港し(1562年)、布教の許可も与えました。純忠自身、この地で洗礼を受けて日本初のキリシタン大名となって、横瀬浦そのものを、イエズス会に寄進。そして、横瀬浦は、国際貿易港として繁栄をきわめたのです。

「ここに、はるか遠くのヨーロッパから、でっかいお船が次々と入ってきたんだね。ポルトガル人から、Nossa Senhora de Ajuda(御助けの聖母の港)と呼ばれたんだって~。

黄色矢印のお椀をひっくり返したような可愛い島・・・カバー写真の左上にも見えるとおり、十字架が立っています。八ノ子島といって、南蛮船をこの港に導く目印でした。もともと十字架はなかったのですが・・・あるとき3日続けてこの島の上空に白い十字架が現れ、それを目撃した南蛮船の船長が、十字架を建てるように命じたのだそうです。なお、現在の十字架は1962年に地元の有志の方々により復元されたものです。

横瀬浦で活動したポルトガル人宣教師たちのなかに、日本の歴史上きわめて重要な人物がいました。日本史」の著者、ルイス・フロイスです。彼は、横瀬浦開港の翌年(1563年)に、この地に、日本上陸の第一歩を記し、その後30年にわたって日本に滞在して各地で布教の傍ら、信長、秀吉とも謁見し、とりわけ信長とは親交を深め、当時の武将たちの動きや庶民の文化・暮らしについて、膨大な詳細な記録を残したのでした。この「フロイス日本史」は、松田毅一氏によって完訳されていて、本当に面白いらしいので、私もぜひ読まねば、と思っています。(注1

港を見下ろす小高い丘の上に、フロイスの活動を称える記念公園があります(横瀬浦公園)。

「真ん中に建っている銅像が、フロイスさんだよ!」

「はじめまして~~~ 」(・・・・って、あっち向いてホイの光くん・・

公園内にある、タイル画。大村純忠が、家臣らとともに、洗礼を受ける様子が描かれています(純忠については、こちら)。

小さいですが、資料館もあり、フロイスの足取りが、ポルトガル語と日本語で解説されています。建物の写真取ってないので、こちらで。 

なお、ここは、当時教会があったところなので、「天主堂跡」という碑が片隅に建っています。

純忠やフロイスが、横瀬浦で活動していた時期は、信長がキリスト教を擁護していた時代でしたから、彼らにとってはもっとも幸福な時間だったわけですが・・・この輝く時間はたったの1年ほどしか続きませんでした。純忠の急激なキリスト教化政策に対する反発と、いわゆるお家騒動から、家臣の一部が反乱を起こし、横瀬浦は焼き討ちされて、教会も何もかも消滅してしまい、宣教師らも追い出されてしまいました。(注2) 

そういう経過を経て、南蛮船は最終的には長崎港を寄港地とするようになり、国際貿易港としての繁栄は長崎市に移ります。今、長崎にある「思案橋」「丸山」などの地名は、もともと横瀬浦にあったところなのです。

もし、焼き討ちにあっていなかったならば・・・この横瀬浦(西海市)こそが、県庁所在地となっていて現代でも国際都市として賑わっていたかもしれません。今ではもう、すっかりのんびりとした小さな集落ですが、地元の有志の方々が歴史を保存する活動をされているようです。

宣教師らと純忠の、「横瀬浦を神の国にする」という夢は、儚く消えました。

フロイスさん純忠さんらに思いを馳せながら散策していると、おなかも空いてきましたよ~~!

ランチは、、、港の側にある「船番所」というバイキングレストランで

赤矢印箇所が、テラス席になっており、わんこも入れますよ!(行って尋ねるまで、知りませんでした。ネット上にワンコテラスOKお店という情報は無し。本ブログで初発信ですよ!)

そしてこのテラス席が、八ノ子島を目の前に眺められる、絶好のビューポイントとなっているのです!カバー写真もこのデッキから写したものです。八ノ子島と紺碧の海の絶景を独り占めしながら、美味しい和食バイキングを堪能しました。

横瀬浦をあとにして・・・

道の駅「みかんドーム」に立ち寄り、西海みかん関連の美味しいものを物色。

「みかんソフト」を食べたかったのですが・・・・船番所のランチでお腹がパンパンで、ぐっとガマン~。

そして、この日のもうひとつの目的だった、「平原郷キリシタン墓碑」を目指します。去年10月に小佐々氏(ジュリアンの父上)墓参りの記事でも触れましたね(こちら)。

場所が大変わかりにくかったのですが、去年の記事内でもリンクしているトライックス・カフェさんの記事に詳しい道順の説明があったおかげで、たどり着けました。

相川勘解由左衛門尉(あいかわかげゆざえもんじょう)義武(よしたけ)という戦国武将のお墓で、花十字紋の上にINRI(ユダヤの王、ナザレのイエズスの意味)と刻まれています(西海市教育委員会のページ)。この墓石の隣には、「南無妙法蓮華経」が刻まれた日蓮宗の墓石が並んで立っていて、この武将の子孫が、江戸時代の禁教下においても、日蓮宗と平行して守り続けたのだそうです。(詳しくはこちらに興味深い考察があります。)

去年の記事では、小佐々氏墓所と比べるときれいに整備されているように見える、と言いました。実際に行ってみた感じとしては、それほどきちんとした公園という感じでもなく、小佐々氏が特別ないがしろにされているのではないか、というのは私の考えすぎだったかな・・・と、少しほっと??しました。とはいえ、こちらの墓石には、水やお酒を供えて定期的にお参りしている形跡があり、保存会の方がなんらかのお世話をされているように見受けられました。ともかく、ジュリアン父墓所にしろ、ここにしろ、400年以上も昔のキリシタン墓石です。これからもできるだけ大切にしていきたいものですね・・・

というわけで?!大村の華丸墓参りはやっぱり今回も叶いませんでしたが、横瀬浦と平原郷でキリシタンさるくができて、満足でした!

注1) フロイスと信長との交わりは、大河ドラマでも何回か描かれていますね。私が確認した限りでは、「黄金の日々」(1987年)や「信長 KING OF ZIPANGU](1992年)で見られます。とりわけ、後者は、フロイスの視点から信長とその時代を語るという手法なので、宣教師、修道士の描写がたっぷりです。

注2) 上記大河「信長」の、20回が、フロイスが横瀬浦に上陸してから焼き討ちに遭うまでを描いています。この中で、フロイスは、自分が横瀬浦に来てわずか1ヶ月と半で何もかも焼失したと言っています・・・!(史実では、1年くらいいたのでしょうか??) ちょっと暗いですが、YouTube で見られますよ~。(19:05あたりから横瀬浦のシーン)

 

 (せっかくなら、横瀬浦でロケしてくれたらよかったとにね~~ いつか、誰かここで映画録ってくれんかねぇ) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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楽しい里帰り(その1:佐世保)

2017-01-15 11:29:58 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

楽しかった帰省の思い出の記事。。。長くなりそうなので、1.佐世保市編 2.西海市編 と二部に分けてアップすることにしました。

佐世保でのメインイベントは・・・なんといっても、ぐらんまのおべべレッスン!

というのは、話は年末に戻るのですが、神戸のお母ちゃんから、こんなに豪華なクリスマスプレゼントが届いたのです

素敵すぎる着物生地を7枚も!プラス、初春用おべべ!そして型紙まで!

この型紙は、「肩あり」おべべ制作のためのものです(黄色矢印の部分・・・肩幅をとるデザインですね)。

私が今まで作ってきたのは、シンプルな「肩なし」でした。初心者でも簡単に縫えるようにと、確かお母ちゃんが考案されたデザインでしたよね!

私が、肩ありにもチャレンジできるようにと、お母ちゃんが、型紙まで用意してくださったわけです。(肩がないと、どうしてもカジュアルな雰囲気になりますしね。生地・柄によっては、肩があったほうがいくらかフォーマルに見えて、映えるということなんですね。) お心遣いに感謝感謝!

それで、、その肩部分をどう縫うのか分からないため、実家に型紙を持っていき、ぐらんまからレッスンを受けたのです。

まずは、お母ちゃん型紙を少しだけ補正して、別の紙に作り直しさせていただきました。というのは、光くんがあまりにデカ狆になってしまったため、いただいたおべべがパツパツ気味でして・・・袖ぐりと襟ぐりを少しだけ広げておいたほうがいいかなと思ったので・・・。(って、作り直すのは、ぐらんまにやってもらったんですけどね)

いただいた7枚中のひとつをつかって、さっそく裁断・・

(ぐらんまの好きな三角形のチャコ。3色いつも使っています。なつかしい・・・)

ちょっと当ててみました・・・

ぐらんまの手取足取りレッスンのおかげで、肩の部分の処理が、よくわかりました!ふーーー勉強になったぁ。

ただ・・・私は相変わらずミシンができなくて手縫いばかりなので、お母ちゃんのおべべのようには裏地をつけることができませんから、袖ぐりはバイアスでくるんでいます。なので、やっぱりカジュアルかなあ??? (裏のことは・・・以前にもみゆきさんたちから教えていただきましたが、結局あれから何もできてないのです!

ぐらんまの家にずっとこもって縫い物ばかりしていれば、1着仕上がったはずですが、そうもいかないので、ここまででいったん終わり。肩の処理以外は同じなので、あとはまたぼちぼち進めるとしまま~す。

お母ちゃん&ぐらんま、これからもいろいろとご教示よろしくお願いしますね!

                       

 

お正月の初詣。近くの早岐(はいき)神社にて。

お墓の掃除。ぐらんぱは、お寺の納骨堂に眠っていますが、ここには、ぐらんぱの両親や兄など8人が眠っています。母一人では管理が大変で、蔦がからまり放題になっていたのですが、ぱぱがてきぱきと蔦を刈ってくれたので、だいぶきれいになりました。

< ぼく、現場監督頑張ったよ~~~ >

3日は、yumikoさんとちょっと会ってから、九十九島パールシーリゾートに行って、遊覧船で、九十九島クルーズ(詳しくはこちら。もちろん、わんこも乗れます。光くんは2回目です。

恵兄ちゃんの時代から何回かクルージングしていますが、いつ来ても、真っ青で透明度の高い海に心癒されますね・・・。以前にも書いたかと思いますが、東北の海のように荒れ狂ってあまたの命をのみこんだ悲しい経験もない、平和な海なので、いっそう美しく豊かに見えるのだと思うのです。

なお、「九十九島」(くじゅうくしま)とは、佐世保市の北部25キロにわたって島々が点在し、独特の景観をなす海域(西海国立公園の一部)の総称です。実際には、99どころか大小208もの島がありまして、その多くに名前がついていていろんな言い伝えも残っています。平家の落人伝説なんかもね(詳しくは、こちら)。シーカヤックなどのマリンスポーツ、そして牡蠣や真珠の養殖業も盛んです。

佐世保では、あと、従兄の家に行ったり恩師に会ったりして、時間をフルに使って有意義に過ごしました。

みなさん、ここまで読んでくださって、どうもありがとう!西海市編も見てね~~!

 

 

 

 

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ただいま~~

2017-01-09 16:57:29 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

皆さん、早くも松の内が過ぎ、すっかりご挨拶が遅れてしまいましたが、本年もどうぞよろしく~~!

どちら様も、有意義なお正月休みだったことと思います。

ぼくんちも、帰省を満喫しました。

お写真整理と記事書くのに、ままがまだまだ時間がかかるので、今日はご挨拶のみで~~す。

カバー写真は、西海市の横瀬浦という入り江です。きれいな海でしょ。(対岸は、佐世保市)

戦国時代、ポルトガルのお船がたくさん入港して繁栄したんだって。詳しくは、またあとで!

 

 

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Happy Holidays!

2016-12-26 00:04:26 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介)

ぱぱとままの、クリスマスごはんです・・・

このハーブチキンは、ままが作ったんじゃなくて、ローソンのお惣菜~~  

お星様は、にんじんとじゃがいもだよ。  

クックパッドを参考に、ニンジンとパプリカのポタージュだって。

デザートは、イチゴとシュトレン!もちろん?!ケーキ屋さんで買ってきたもの。 

ぼくも食べたかったなぁ・・・・

              

本年最後の記事でした。ぼくんちは、29日から6日まで長崎です。

本年も栗恵家ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。

皆様も、お元気でどうぞよいお年をお迎えくださいね

(11月下旬 花貫渓谷にて。)

 

 

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ELPのクリスマスミュージック (Keith&Gregは永遠)

2016-12-21 23:17:43 | Keith Emerson他プログレ

今年も、残すところあとわずかとなりました。

皆さんにとって、2016年はどんな年でしたか?

私には、3年分くらい過ぎたのではないだろうかと思えるくらい、very eventful yearで、去年の今頃は予想もつかなかったまさかの出来事がいろいろありました。

東日本大震災からちょうど5年目のその日の深夜・・・サンタモニカの自宅で、71年にわたるその輝かしい生涯に自ら終止符を打ったKeith Emersonさん。あれから9ヶ月たち、私の悲しみも少しずつ癒え・・・・キースの遺してくれたものがいかに素晴らしものであるかを、ますます実感し、かえって心豊かにさせてもらっている自分に気づきます。キース、ありがとう!!!

ところが・・・こんどは、彼の50年来のバンドメイトで、ベース(ギター)/ボーカル担当だったGreg Lakeさんが、69歳で、癌のため亡くなったことを知りました(12月7日)。キースとグレッグは、音楽的には、お互いを極限まで高めあう最高のコンビであった一方で、一人の人間対人間としては、軋轢、衝突も多く、なかなか難しい面もあったようです。でも、今では天国で、しっかり肩を抱き合っていることでしょう。「なんだよ、グレッグ、お前までもう来たのかよ~!」「キースが寂しがってるんじゃないかと思って、来てやったんじゃねえかぁ!」「ごちゃごちゃ言わずに、歌えよ!」「おう!いくぜ お前もさっさと弾きやがれ!」なんて言ってね。

EL&PのEとLが相次いで旅立ち、私にとって、EL&Pという存在がいかに大きいものだったか、改めて深く思い知らされた年となりました。

今日は、ELPのクリスマスミュージックをご紹介。

まずは・・・グレッグが作曲した、”I Believe in Father Christmas”という美しい曲です。ELP最後のアルバム "Works Vol II"に収められています。

若かりしころのグレッグ・・・可愛かったなあ!

 

 1分あたりの、夕陽をバックにラクダが歩くシーンに流れる、きらびやかなファンファーのようなシンセサイザーはもちろんキースによるものですが、このメロディ自体は、クラシックからアレンジしたもの。

その原曲が、これです。プロコフィエフの組曲「キージェ中尉」中の第4パートの「トロイカ」 (こちらは、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団の演奏)。

 

キースは、このトロイカが大好きだったらしく、彼のソロアルバムの中でも演奏しています。”I Believe in Father Christmas”では、トロイカのほんの一部を使っているだけですが、ソロアルバムの方では、フルで演奏しています。それがこちら。

キースにしては珍しく?原曲にかなり忠実に仕上げているのですが(ギターパートは別として、全体的には殆どシンセサイザーによるキースの独演)、やはり、管弦楽よりこちらのほうが、そりの躍動感が活き活きと伝わってくると思いませんか?

(プロコフィエフは、これをクリスマス曲として書いたわけではないのですが、トロイカは、まさに張り切ってそりを走らせるサンタクロースの楽しい雰囲気を感じさせますよね~。)(注1

で・・・そのソロアルバムというのが、これです。その名も"The Christmas Album" (注2

1988年発表で、自身のオリジナルのほか、O' Little Town of Bethlehemなどの伝統的なキャロルや、クラシックやジャズのアレンジをいろいろ組み合わせ、子供たちの合唱なども入れて、心温まる手作り感いっぱいの1枚になっています。このアルバムの冒頭が、Troikaです。

ついでながら、このアルバムから、もうひとつ聴いてください。

キースのオリジナルで、”Captain Starship Christmas” という曲ですが、サンタが宇宙船に乗ってやってくるというお話で、男の子の可愛い語りから始まり、キースの演奏、そして、子供らの元気な合唱が続きます。

<ちょっと目がチカチカする画像なので、音だけ聴いたほうがいいかもです。これしかなかったので、すみません。>

 

ちなみに、この合唱団の子供たちは、イギリス南部のWorthing(ワージング)という小都市にある West Park School の生徒さんなのですが、この学校は、キースのお母様ドロシーさんが、若いころcook supervisor(調理管理者?給食の責任者みたいなお仕事?)として働いておられまして、キースは、お母様の思い出を紡ぎたかったのですね。

今年のお空のクリスマスコンサートは、どんなに賑やかなことでしょう!

何かと気ぜわしい時期になってきましたが、皆様もどうぞよいクリスマスシーズンをお過ごしください。お忙しい中、ELPの音楽に耳を傾けていただき、ありがとうございました。

あーーー年賀状これから・・・・ 実は、「真田ロス」真っ只中・・・・

注1) ご存知のように、「トロイカ」とは、ロシアの3頭立ての馬車(馬そり)の意味で、プロコフィエフが描いたのは、キージェ中尉を乗せてシベリアを走る馬そりのイメージですが・・・YouTubeの画像がまさにそれですね・・・でも、音楽を聞く側としては、一般に流布している、サンタを乗せて8頭のトナカイに引かれて走るそりを思い浮かべて楽しむのも、自由でしょうからね!

注2) キースのクリスマスアルバムは、他にも異なるアルバムカバーのものが出ています。全部で4通りあるようです。

私がもっているのが一番左のものです。曲目数は12トラックで、トラック1がトロイカなのですが・・・・2つめと3つめは、曲目数9トラックのみで、トロイカは入っていませんね・・・カバーデザインは素敵なのですが・・・4つめが最新バージョンで(2012年に復刻版として発売)、曲目数は、12トラック(詳しくはこちら)。これから、キースのクリスマスアルバムを購入しようと考えている方は、この最新版をお勧めします。アマゾンで、輸入版を2029円プラス送料で入手できますので。

 

 

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バックアップしても何にもならんわい(10→7要注意)

2016-12-14 23:22:11 | Miscellaneous

皆様、お久しぶりです。

私のパソコンは、Windows7で復帰しましたが、なかなか、なかなかに・・・大変でした。

同じようにWindonws10で困っている方々に何らかの参考になればと思うので、経過をちょっと書いておきますね。

ことの起こりは、11月18日。

いきなりブルースクリーン(画面が青になり、白文字でエラーメッセージが出る状態)になり、「問題が発生したので、自動的に再起動します」うんぬんのメッセージとともに、ぶちっ、ぶちっ、と勝手に再起動を繰り返すようになり、DELLのサポートに電話すると、「Windowsに更新があった後、しばらくそのようになることがあるので、そのうち収まるはず」というので、様子を見ていましたが、再起動は、収まるどころか、頻発するようになり、19日昼の時点で、2、30分おきに繰り返すようになりました。まるでウイルスに感染しているかのよう。

イベントビューアーで、ログを調べてみると、Kernel Powerというエラーであることがわかり、KP41病などと言われて、Windowsが冒される深刻な異常らしい・・

もう一度DELLに電話すると、「Windowsに障害が起こっているようなので、再インストールを」。再インストールって言ったって、再起動ばかりしてたら、作業にならないじゃん!腹が立ったので、「引き取ってよく調べてもらえませんか。その上で、Windowsを7に戻してもらいたいのですが。」と引き取り修理を依頼。

修理に出して数日たったころ、DELLの技術者から電話があり、「こちらでは、勝手に再起動を繰り返す現象は全く確認されないのですが・・・お客様のところでは何回くらい発生しましたか?」 ええ~~~!「何回って、、イベントログを見てもらえれば、分かるでしょう。18日朝から始まって、私が確認しただけでも、25回かそこらはありましたよ!」「そうですか・・部品を交換することで改善できるか、もう少し調べてみます。」

10日ほどの入院で、パソコンくん退院。

マザーボードを交換した、と報告書に書いてありました。マザーボードとは・・私はあまり分からないのですが、パソコンの本体となる重要なパーツ??が集まった電子回路基板だそうで、ともかく、これを新しいものと交換したということは、新品のパソコンになったようなものでしょう。ちなみに、交換するのには何万もかかるそうですが、私は、このパソコンを購入した時点で、少し別料金を上乗せして5年間の保守・引取りサービスに入っていたので、すべて無料で済みました。

電源を入れてみると、、、懐かしいWindows7です。もともと10にしたくてしたわけではなかったので、無理やり引き離された恋人の元にやっと戻ったかのような??、安堵感がありました。

12月6日。JCOMの訪問サービスを利用して、初期設定をやってもらう。 

あとは、外付けHDDにバックアップしていたデータを復帰させる作業を、電話での遠隔操作でやってもらえば、たいがい終わりだ~!と思って、すぐに電話すると・・・

10でバックアップしたものを、7に戻すのは、電話ではできません。訪問になりますのでまた予約を取ってください。」というのです。

なんだか、いや~~な予感がしますが・・・修理に出す前に、HDDのメーカー(i.o.データ)に電話して、事情を話して、10でのバックアップから7に戻せるのか尋ねたら、問題ないような返答だったし、たかが、107のデータ移行を、JCOMは何をそんなにびびるのだろうと、不思議に思いました

そして、JCOMから2回目の訪問。

作業員さん、HDDの内容を見るやいなや、「データが読み取れませんね・・・」「はい??!!」

確かに保存されているが、読み取れない。

セーフモードでやってみるとか、いろいろな手を尽くしてくれましたが、どうにもならず、

つまり、バックアップからの復元は、全くできなかったのです。

や・ら・れ・た・・・・・・・・・・・・・!!! 

私は、たかが107の移行、と思っていたわけですが、こりゃ大変なことだったんですね。。。

(HDDには、週1回自動バックアップをしていたのですが、システムイメージごとバックアップする設定にしていたので、それが仇??となり、、、OSが変わったことにより、システムイメージの中ににある個々のファイルまで読めなくなったという意味の説明でした・・・システムイメージって、、Cドライブを丸ごとバックアップなので、よかれと思ってやっていたわけですが、Winowsが異なると、無用の長物になる?? そういえば...i.o.データに電話したときも、ちらっとシステムイメージはなんとかと言ってましたが、私が意味が分からず、とにかく7でも使えるから大丈夫と解釈してしまったようで・・・・

つまり、バックアップのやり方が悪かったばかりに、何にもならなかった・・・・ってわけ。とほほほ。

まあ、辞書データとか、ドキュメントとか写真など、最重要データは、USBメモリとかにも保存していたので、大した被害はないですが・・・

ここ数年分を保存していたメールは、全部無くなりました。仕事がらみのメールはもちろん、皆さんが心をこめて書いてくださったいろんなメール、そして、音楽関係のとても大切なメールを失い、悲しいです・・・。あと、お気に入りとかも。。。

「外付けHDDでの自動バックアップ」にあまりに依存していて、メールのデータも手動でバックアップしていなかった私の自業自得です。

というのも、8月末に、突然ただの箱になって初期化したときも、このHDDがあったおかげですべてのデータは簡単に移行できたから、これさえあれば安心と思い込み、油断していたのですね・・今考えてみれば、あのときは、1010だったので、大丈夫だったというだけの話なのですが、107ならダメとか、ド素人に予測はつかなかったです。

すべては、勉強したと思い、リフレッシュしてまた再出発しなければね。ともかく、パソコンくんは元気になりました!

ちなみに、KP41病は、10に限ったことではなく、7から発生している問題らしく、それはそれで恐ろしいことですが、私のパソコンの場合、最初に7で使っている時は発生したことはなかったので、7なら大丈夫だろうという、希望的観測です。というか、KP病の治療としては、7に戻す(ついでにマザーボード交換)、それしかなかったので、これで当分は、落ち着いてくれるだろうと思います。それを祈るばかり・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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