くらしデザインスタジオ@楽(^^)

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「昭和」という国家

2019-06-11 | 本,TV,歌,人物など

『「昭和」という国家』司馬遼太郎さん著 NHKブックス、20年前の本です。昨年の NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」を観て購入し、やっと読みました…。

語ったまま?文章化してるので、ニュアンス含め、考えや伝えたいことがとても明確でいいです。これぐらい言い切るには、そのための取材もやり切らないと言えないですよね…とも感じたりです。下記の昭和前期の前の時代として、比較として、江戸や明治についても、多く語られています。

少し紹介しますと、「日本という国の森に、…昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが…その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。」と。

それは、
「『統帥権』…、われわれをひどい目に遭わせたのは、この三文字に尽きるのではないかと思うのです。明治憲法も…、立法、行政、司法の三権分立には違いなかったのですが、その上の超越的な権力、権能というものが統帥権でした。これは、憲法をどこから解釈しても出てこないものなのです。『陸海軍は天皇がこれを統帥する」という一条を大きく解釈していくと、統帥権というインチキの理論を持ちだすことができるのです。立法、行政、司法の三権を超越し、結局、軍人だけが統帥権を握りました。… 参謀本部の総長および参謀本部が握っています。参謀本部というものは、もともと戦時には必要だったのですが、平時も軍備を整えるということで予算の分捕り、その他でちらちらと統帥権をほのめかし始めます。… 金モールをつけた参謀将校たちは、天皇のことをふつう「お上」と言っていた。… つまり、参謀本部の人間は … 天皇のスタッフでした。作戦は機密を要する。それが次々に拡大解釈されました。… どうして統帥上によその国を侵略することが必要なのか知りませんが、とにかく侵略を起こす。そして、それを東京の参謀本部が追認し、ついに行政府が追認せざるを得なくなる。たれもそれは憲法違反だと言って告訴したりはしません。そんなことをすれば、その人間がしょっぴかれてしまいます。」

「内幕をさらけ出すと外国に対して不利だというのは嘘ですね。その程度の内幕は、外国はよく知っていたのです。国民だけが何も知らずに暮らしていた。『日本は強い。日本はたいへんいい国家だ。日本のやることに間違いはない。悪いことはしていない』…、昭和前期の…国民のほとんどは、そう思っていました。どうも日本は非常に秘密主義の国でした。… なぜそういう国になったのか。弱みを隠し続けたからであります。政府がもっと大胆で放胆で勇気があればよいですね。隠すということは卑怯であり、臆病なのです。国民に手の内をさらせばよい。お金はこれしかないんです、あるいはくいうことしかないんです、われわれはこれしかできないんですと。常に正直な政府であれば、日本の近代は、あるいは違ったものになったかもしれません。」

「日本人はやはり可愛らしいことに、昭和十年以後、統帥権が日本を牛耳り始めても、高級なる陸軍大将とか、大秀才の陸軍中佐とか、そういう人たちは、ものをきちんと考えているのだと思い込んでいました。なぜかと言えば、彼らは選ばれた人たちだったから。… 日本はたれが悪かったのでしょうか。… 日本国のために走り回ったようで実際は日本をつぶすために走り回った、この人がつぶしたんだという人が一人もいない。それは日本が官僚の国だからですね。軍人も全部官僚であります。繰り返しますが、戦地で死ぬ人は別です。軍の中心にいる軍人は、… 何々ポスト、あるいは … その椅子が思想を持っていただけであって、その椅子にたれが座ろうととも、その椅子の思想で振る舞い、物を言い、そして一年ないし二年で交代していく。また次の人が座る。… 日本の軍部は独裁的になっていきました。しかし、独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。ですから、たれが悪いということを言えない昭和史のいらだち、昭和元年から二十年までの歴史を見るときの、えもいわれぬいらだちの一つは、そこにあります。」

「言語には練度の高い正直さが必要です。それは実感の中から出てくるもので、リアリズムに即さなければならない。空疎なことをしゃべっていても、たれも聞いてくれません。しかし、権力の社会に入りますと、案外、空疎なことをしゃべっても聞いてくれるのです。さらに権力の頂点にいきますと、何々十箇条を挙げて、大丈夫、大丈夫でありますと答えてくれます。もうほとんど芝居、それも現実感のない芝居であります。」

「本当に日本人にはいいところがあるのですが、自己を解剖することについては、実に臆病でした。第二次大戦が終わって、敗戦になって、しかも日本の歴史は依然として防衛庁が編纂しています。第三者、つまり歴史家たちにはゆだねていない。怖いわけですね。… これは日本人全体についてもいえます。… 日露戦争が終わった後、… 海軍の日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、クールに、客観視して、自分を絶対化せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思うのです。新聞、雑誌だけでなく、個人の筆者でもいいのですが。そういうレベルの言論があれば、太平洋戦争は起こらなかったと思いますね。日本軍は満州事変以後、自己を絶対化することによって国を誤っていくわけです。」と。