先週、104歳の伯母が、緊急入院した。
数年前骨折した大腿骨の反対の付け根、恥骨の骨折と、肺炎。
息苦しさと痛みは少し前からあったようだが、何しろ我慢強い人。辛い痛いを言わない。
それゆえ、どうにもならなくなり倒れるまで、世話をしている甥、我が弟に言わないでいたようだ。
その日、早朝にトイレで倒れ、弟がベッドへ寝かせて暫く様子をみて、救急車を呼ぶ事を決めたそう。
母の時から救急車は幾度となく、呼び、世話になってるのだが、救急隊員の中には、あからさまに迷惑がったり、冷たい対応をするひともいて、随分と不快な、気持ちの萎える思いをしてきた弟だった。懲り懲りしている彼は、できるだけ救急車の世話にはなりたくない。しかし、ケアマネさんや担当医師との話し合いで、救急車を呼ぶべきと、判断したらしい。
数カ所の病院で受け入れ拒否され、やっとかなり遠い大きな医療センターへ入院が決まった。
検査などなどで一日、弟は食事もままならず、待たされたが、伯母の症状の原因が分かり、処置もされ部屋も決まったようである。結果を知らされたのは夜。ヘトヘトになって帰宅した弟から、命に関わることはおそらくないと聞かされ、安堵する。
面会は当然出来ないが、この弟は、きっと折にふれ幾度となく、病院通いをするのだろう。
何も出来ない私はせめてと、直接、病院の伯母の元に、手紙と写真40枚を送る事にした。少しでも、我々を忘れないように、気晴らしに。と。
母が三ヶ月弱の入院生活のまま旅立って5年になる。桜が満開になり、やがて散りはじめたころ。4月8日早朝、この弟ひとりに見守られ看取られ、旅立っていった。
少しづつ、悲しみは薄れてはいくものの、桜の季節は、何処か淋しく、晴れ晴れとしない気持ちが否めない。この季節は怖い。
故に伯母を、一人残った頑張り屋の長姉を、母はじめ妹達が呼びに来た、と思った。とうとう、私達の両親、伯母がこの世から一人も居なくなってしまう。
悲しみが襲う。一日中込み上げる涙を幾度となく拭き、垂れてくる鼻をかんだが…。
まずは安心して良さそう。良かった…。
弟はこの後ますます負担が増えるが、伯母にはもう少し頑張って欲しいが本音。
コロナが収まり、一日も早く帰省するのが目下の私の願いなのだから。
今年の桜の開花の早かったこちら。茶色がかってあまり綺麗じゃないと、思っていた。あえて見ない様にしていた節もあるが…,
いつのまにか満開に。
綺麗なのだ。やはり。
この桜を見るために一年過ごして来た。
今年こそは、楽しい、少しだけ賑やかな花見をしたい。と本当は思っていたから。
けれど、孫達はまだ春休みになってない。この土日には、早くも散り始める事だろう。
仕方ない。どちらにしろまだ以前の賑やかな花見などできないだろう。
それも良い。はしゃぎ過ぎた人間に、自然界が、それとも神が?自重しなさい。謙虚になりなさいと警告しているのかも。
遅々として 鬱々と過ぐ 桜どき
声あげて 泣きし日のあり 花の雲
桜清し 夕の月なお 清々し