旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

もっとリスボン

2014-04-15 00:03:55 | ポルトガル
《手造の旅》ポルトガルも、実質最終日。

朝、バイシャ地区のホテルから歩いてサンタ・ジュスタのエレベーターへ。この時間の方が空いているというガイドさんのアドバイスにて1902年に完成したままなのだろう、手で蛇腹のドアを開け閉めする★利用料金は一回五ユーロ!ハコの中で支払うスタイル。ここもしかし、きのう買った24時間有効の一日券が使えるのだから、ほんとに助かります。

五十メートルほどの高さでも、街は全然違う見え方をする。エレベーターを降りてさらに細い螺旋階段をつかい屋上のテラスへ

きのう登ったサン・ジョルジョ城が向かいに見える。この区画整理されたバイシャ地区は1755年の地震の津波ですべてが流されてしまった後に、ポンバル侯爵の主導により実現されたもの。


同じく1755年の地震で壊れたカルモ教会のそばへ延びる回廊をつかってバイロ・アルト地区のシアードと呼ばれるエリアを歩くリスボンのおしゃれな地区なのだそうだ。おや?この人は一日券のデザインに使われている人じゃないかい
フェルナンド・ペソアというポルトガルの詩人の事をはじめて知った。あとから訪れたジェロニモス修道院にある彼の墓に刻まれた言葉、とても気に入りました。
通りの名前になっているガレットも19世紀前半の詩人だそうだ。

そのまま通りの突き当りには、大航海時代のポルトガル詩人カモンイスの像がある。王族の血縁であったと言われるが、アジアでの戦争で片目を失っている。晩年にはポルトガル・アヴィス王朝は断絶してスペインにとりこまれ、彼のポルトガル語の詩は顧みられず、貧困のうちに没した。


きのう見かけた卵入りのパン、大きい版

ビカのケーブルカーに乗りましょ降りて少し行くとリベイロ市場「アスパラないかな」と探したが、細いモノが時々あるだけだった。

ここからバスにのり、ベレン地区へ。

ジェロニモス修道院は、大行列!

でも、ガイドさんと一緒だから並ばずに入れてほっとするさっきのペソアの墓がこれ

大聖堂は堂々たる椰子の木の様な柱で支えられている
ヴァスコ・ダ・ガマの墓近くの懺悔室への入り口にはアジアやアフリカの顔が彫りこまれている
ガマの向かいにある先ほどの詩人カモンイスの棺コインブラのガイドさんによると、この中に彼の遺体はなく、記念碑的な棺なのだそうだ。

ジェロニモス修道院の隣には有名なナタを売っているお店がある。今日は長蛇の行列だろうから無理かな…と思っていたら、ローカルガイドさんが、先に行って並んで買っておいてあげるよ、と、ご親切(^^)シナモンをふりかけて
みんなでいただきました

バスにのってすぐにベレンの塔に到着1594年に日本からの少年たちが見たこの塔はまだ中洲に建てられていたはず。1755年の地震でこのあたりは大きく隆起して岸とつながってしまったそうな。
貝も拾える 発見の記念碑はやはり大きいそれぞれの人物について、十年前よりはよほど理解することが出来るのが嬉しい。

バイシャ地区へ戻り昼食カタプラーナもおいしかったけれど、追加で注文したアスパラ炒めが好きなんです(^^)昼食後は国立古美術美術館へ向かいます

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