10月21日《手造の旅》北イタリア小都市めぐり6日目の午後。
クレモナを午後二時に出発し、一時間半ほどでミラノの大聖堂まで徒歩三分のホテルへ到着・チェックイン。
今日は通常のツアーでは行かないアンブロジアーナ図書館・博物館を案内していただくことになっている。
もちろん道すがらにも、まだまだ知らないことをたくさん教えていただいた。
下の写真の銅像はアレッサンドロ・マンゾーニという19世紀のイタリアを代表する小説家・詩人。イタリアの統一後は、国王によって上院議員にも任命されている。日本で言えば明治の元勲の一人にあたるような人物。彼の名前を冠した通りや広場はイタリア中にある。彼の作品が統一戦争を遂行中のイタリアのひとつのシンボルになった。
ここに彼の銅像が置かれているのは理由がある。
1873年1月6日、後ろに見えるサン・フェデレ教会を出たマンゾーニは突然倒れて頭を強くうった。長期の入院の間、4月28日に長男の訃報がもたらされ、それがマンゾーニの心の最後の灯を消してしまったらしい。5月22日に88才で世を去った。
国葬の際にはヴェルディが作曲したレクイエムが演奏されたそうである。
こんな話ちっとも知らなかった!
大聖堂の前も少し第二次大戦中、砲弾があたりはしなかったが、その破片がブロンズの扉に当たった跡がある。
アンブロジアーナ図書館・博物館ここの見ものは入口左の帯にあるカラヴァッジョの「果物籠」と、右の帯のダ・ヴィンチ作「音楽家の肖像」。
それに、ラファエロがヴァチカンに画いた「アテナイの学堂」の実物大デッサンがある。
ダ・ヴィンチが残した草稿=通称「アトランティック・コード」が収蔵されていて、いつもテーマを決めて展示替え公開している。
絵画も中世からバロックまでなんでもござれ。ミラノらしくダ・ヴィンチの影響を受けた画家の作品に見ごたえがある。中でも、「岩窟の聖母」を共同制作した言われるデ・プレディス兄弟の女性肖像画は迫真の出来栄え※モデルが誰なのかは諸説ある
いずれにしても、同じ部屋に置いてあった「音楽家の肖像」と何度も見比べて思ったのは、これが「レオナルド作」となっていても、誰もが納得するだろうということ。
入場してラオコーンの模造をすぎると写真撮影禁止。是非、ご自分の目で確かめてみてください。
大聖堂から歩いて五分もかからない場所にあるのに、ミラノを観光する日本人グループはほとんど訪れない。
今日は一時間半、たっぷり説明していただいたが、んん、まだまだ見るものがありそう。見る側の知識や意欲・集中力も必要になる。
外へ出るとちょうど美しい夕暮れの時間になっていた
夕食は近くの老舗レストランにて。
入るとすぐに、この季節ならではのコレ!こうしていただきました↓
新鮮だからサラダにも
エビとルッコラとオレンジのサラダ、この取り合わせは日本ではあまり見かけないけれどいけてますカラスミパスタ あ、次のトリュフのパスタの写真撮り忘れた!すんません。
そして、やっぱりお肉ははずせません
徒歩でホテルまでもどって、本日終了。
**
《手造の旅》7日目、10月22日今日はロンドン経由帰国便に搭乗する日だが、午後一時まで自由時間。
ホテルが町のど真ん中にあると、とても有効に使える。
小松はしばし休憩の後チェックアウトし、中心部にあってもいつもは見る時間のない場所を二ヶ所見てきた。
●サン・ゴッタルド教会の鐘楼
大聖堂前の広場から建物の屋根越しに見えるので気になっていたロマネスクの鐘楼。今日はその本体を確かめてみよう。
レンガの赤と大理石の白が青空によく映えている。
近づくと尖塔の先に風見の天使がくるくるまわっている。持っている旗先にヴィスコンティ家の蛇の紋章が見える。
案内板によると、この教会はミラノ公アッツォーネ・ヴィスコンティの宮殿付き礼拝堂として1330年から36年にかけて建築された。
もともとは聖母マリアに捧げられた名前になるはずだったが、アッツォーネ自身が苦しんでいた慢性通風をなんとかしてほしいという願いの為に、痛風の守護聖人(そんなのがあるのです)聖ゴッタルドにささげられることになったとのこと。
内部は単身廊の単純な形で多角形のアプスになっているとか。なるほど、外側からそのアプスが見えてきた。
中へ入ろうとおもったら…あぁあ、修復中。ま、これはよくあることなので仕方ありませんまた次のチャンスを待ちます。今度はローカルガイドさんに詳しく説明していただくように設定しようかしらん。「あなたの知らないミラノ観光」楽しそうでしょう?
入れないので舐めるように外壁を見ていたら、窓の下にオリジナルのものと思しき文字があるのをみつけた磨滅していて読み取れません…これも次回への宿題。
鐘楼についても案内板に書かれていた。これはクレモナ出身の建築家フランチェスコ・ペコラーリによるもので、故郷クレモナにあるトラッツォと呼ばれる112mの塔のデザインに影響を受けているのだとか。なるほど!ちょうど今回も行ってきたばかりです。下の写真がクレモナの大聖堂とその向かって左に建つトラッツォ。これはもともとはクレモナ市が建てた純粋な塔だったのだが、今では教会の鐘楼になっている。
上部、確かにミラノのサン・ゴッタルド教会と似ております。このトラッツォは1309年に完成したものだから、ミラノのサン・ゴッタルドは当時の最新流行をいち早く取り入れたデザイン、ということになろうか。調べてみると、彼はミラノにもう一つ似たような鐘楼をつくっているのがわかった。
こちらがそのキアラヴァッレ修道院※写真はWikiより引用。
なるほど、こちらも似ています。場所を調べていると、なんだ、今日飛行機に乗るリナーテ空港のすぐちかくにあるのではないか。しかも、より創立の古いシトー派の修道院なのだそうだ。こちらも、いつか訪れる日がくるまでの宿題としよう。
ゴッタルド教会にくっついた「王宮」は、現在複合美術館になっている。2014年10月現在、ゴッホの展覧会をやっていて地元の人々にも大人気。入場待ちの行列ができていた
時間があったので、もうひとつ、トリノ通りの美術好きにはつとに有名な教会へ。
●サン・サティロ教会ここは建物をたてるスペースが限られていて、建物の後ろに十分なスペースをとれないのがわかっていた。依頼された若きブラマンテ、15世紀流行りの手法で対応した。それが、これ。
どうです、奥まで建物が続いているように見えるでしょう。それは、錯覚ですが。
実際には奥の壁のくぼみは97センチしかない。つまり、T字型の空間をどれだけ十字型に見せるかの挑戦がされているのだ。
後年、法王ユリウス二世によってヴァティカンの改造に力を発揮するブラマンテらしい。
この偽アプスを見にやってくるわけだが、この教会自体も随所に見どころがある。
左奥にある八角形をした礼拝堂の雰囲気がロマネスク的で個人的に好み正面の彫刻はさておき、空間を囲む柱のそしてその柱頭の美しさ。古代のものと中世のモノとが混ざっている。
特に印象的なのが、ロンゴバルド時代を感じさせる、だれかが「セミ型」と呼ぶデザイン。たしかにセミの顔に似たふんいきのぐるぐるですね(笑)
外へ出て、建物の後ろにまわると、確かにすぐ後ろは道になっていて、十字型に建物をつくるスペースがなかったことがみてとれる。さっき見た八角形のスペースの屋根が見える。
そして、となりの鐘楼は9世紀の、ミラノでも屈指の古いものになるそうな。
帰国してからもう少し調べてみると、この鐘楼の基部には古代の石がたくさん再利用されていて、中には孔雀が刻まれているものがあるのだと分かった
・・・これもまた次回への宿題・・・ばっかり増えます。
ミラノは「最後の晩餐」だけではない。もっともっと見るべきものがあるおもしろい街である。
クレモナを午後二時に出発し、一時間半ほどでミラノの大聖堂まで徒歩三分のホテルへ到着・チェックイン。
今日は通常のツアーでは行かないアンブロジアーナ図書館・博物館を案内していただくことになっている。
もちろん道すがらにも、まだまだ知らないことをたくさん教えていただいた。
下の写真の銅像はアレッサンドロ・マンゾーニという19世紀のイタリアを代表する小説家・詩人。イタリアの統一後は、国王によって上院議員にも任命されている。日本で言えば明治の元勲の一人にあたるような人物。彼の名前を冠した通りや広場はイタリア中にある。彼の作品が統一戦争を遂行中のイタリアのひとつのシンボルになった。
ここに彼の銅像が置かれているのは理由がある。
1873年1月6日、後ろに見えるサン・フェデレ教会を出たマンゾーニは突然倒れて頭を強くうった。長期の入院の間、4月28日に長男の訃報がもたらされ、それがマンゾーニの心の最後の灯を消してしまったらしい。5月22日に88才で世を去った。
国葬の際にはヴェルディが作曲したレクイエムが演奏されたそうである。
こんな話ちっとも知らなかった!
大聖堂の前も少し第二次大戦中、砲弾があたりはしなかったが、その破片がブロンズの扉に当たった跡がある。
アンブロジアーナ図書館・博物館ここの見ものは入口左の帯にあるカラヴァッジョの「果物籠」と、右の帯のダ・ヴィンチ作「音楽家の肖像」。
それに、ラファエロがヴァチカンに画いた「アテナイの学堂」の実物大デッサンがある。
ダ・ヴィンチが残した草稿=通称「アトランティック・コード」が収蔵されていて、いつもテーマを決めて展示替え公開している。
絵画も中世からバロックまでなんでもござれ。ミラノらしくダ・ヴィンチの影響を受けた画家の作品に見ごたえがある。中でも、「岩窟の聖母」を共同制作した言われるデ・プレディス兄弟の女性肖像画は迫真の出来栄え※モデルが誰なのかは諸説ある
いずれにしても、同じ部屋に置いてあった「音楽家の肖像」と何度も見比べて思ったのは、これが「レオナルド作」となっていても、誰もが納得するだろうということ。
入場してラオコーンの模造をすぎると写真撮影禁止。是非、ご自分の目で確かめてみてください。
大聖堂から歩いて五分もかからない場所にあるのに、ミラノを観光する日本人グループはほとんど訪れない。
今日は一時間半、たっぷり説明していただいたが、んん、まだまだ見るものがありそう。見る側の知識や意欲・集中力も必要になる。
外へ出るとちょうど美しい夕暮れの時間になっていた
夕食は近くの老舗レストランにて。
入るとすぐに、この季節ならではのコレ!こうしていただきました↓
新鮮だからサラダにも
エビとルッコラとオレンジのサラダ、この取り合わせは日本ではあまり見かけないけれどいけてますカラスミパスタ あ、次のトリュフのパスタの写真撮り忘れた!すんません。
そして、やっぱりお肉ははずせません
徒歩でホテルまでもどって、本日終了。
**
《手造の旅》7日目、10月22日今日はロンドン経由帰国便に搭乗する日だが、午後一時まで自由時間。
ホテルが町のど真ん中にあると、とても有効に使える。
小松はしばし休憩の後チェックアウトし、中心部にあってもいつもは見る時間のない場所を二ヶ所見てきた。
●サン・ゴッタルド教会の鐘楼
大聖堂前の広場から建物の屋根越しに見えるので気になっていたロマネスクの鐘楼。今日はその本体を確かめてみよう。
レンガの赤と大理石の白が青空によく映えている。
近づくと尖塔の先に風見の天使がくるくるまわっている。持っている旗先にヴィスコンティ家の蛇の紋章が見える。
案内板によると、この教会はミラノ公アッツォーネ・ヴィスコンティの宮殿付き礼拝堂として1330年から36年にかけて建築された。
もともとは聖母マリアに捧げられた名前になるはずだったが、アッツォーネ自身が苦しんでいた慢性通風をなんとかしてほしいという願いの為に、痛風の守護聖人(そんなのがあるのです)聖ゴッタルドにささげられることになったとのこと。
内部は単身廊の単純な形で多角形のアプスになっているとか。なるほど、外側からそのアプスが見えてきた。
中へ入ろうとおもったら…あぁあ、修復中。ま、これはよくあることなので仕方ありませんまた次のチャンスを待ちます。今度はローカルガイドさんに詳しく説明していただくように設定しようかしらん。「あなたの知らないミラノ観光」楽しそうでしょう?
入れないので舐めるように外壁を見ていたら、窓の下にオリジナルのものと思しき文字があるのをみつけた磨滅していて読み取れません…これも次回への宿題。
鐘楼についても案内板に書かれていた。これはクレモナ出身の建築家フランチェスコ・ペコラーリによるもので、故郷クレモナにあるトラッツォと呼ばれる112mの塔のデザインに影響を受けているのだとか。なるほど!ちょうど今回も行ってきたばかりです。下の写真がクレモナの大聖堂とその向かって左に建つトラッツォ。これはもともとはクレモナ市が建てた純粋な塔だったのだが、今では教会の鐘楼になっている。
上部、確かにミラノのサン・ゴッタルド教会と似ております。このトラッツォは1309年に完成したものだから、ミラノのサン・ゴッタルドは当時の最新流行をいち早く取り入れたデザイン、ということになろうか。調べてみると、彼はミラノにもう一つ似たような鐘楼をつくっているのがわかった。
こちらがそのキアラヴァッレ修道院※写真はWikiより引用。
なるほど、こちらも似ています。場所を調べていると、なんだ、今日飛行機に乗るリナーテ空港のすぐちかくにあるのではないか。しかも、より創立の古いシトー派の修道院なのだそうだ。こちらも、いつか訪れる日がくるまでの宿題としよう。
ゴッタルド教会にくっついた「王宮」は、現在複合美術館になっている。2014年10月現在、ゴッホの展覧会をやっていて地元の人々にも大人気。入場待ちの行列ができていた
時間があったので、もうひとつ、トリノ通りの美術好きにはつとに有名な教会へ。
●サン・サティロ教会ここは建物をたてるスペースが限られていて、建物の後ろに十分なスペースをとれないのがわかっていた。依頼された若きブラマンテ、15世紀流行りの手法で対応した。それが、これ。
どうです、奥まで建物が続いているように見えるでしょう。それは、錯覚ですが。
実際には奥の壁のくぼみは97センチしかない。つまり、T字型の空間をどれだけ十字型に見せるかの挑戦がされているのだ。
後年、法王ユリウス二世によってヴァティカンの改造に力を発揮するブラマンテらしい。
この偽アプスを見にやってくるわけだが、この教会自体も随所に見どころがある。
左奥にある八角形をした礼拝堂の雰囲気がロマネスク的で個人的に好み正面の彫刻はさておき、空間を囲む柱のそしてその柱頭の美しさ。古代のものと中世のモノとが混ざっている。
特に印象的なのが、ロンゴバルド時代を感じさせる、だれかが「セミ型」と呼ぶデザイン。たしかにセミの顔に似たふんいきのぐるぐるですね(笑)
外へ出て、建物の後ろにまわると、確かにすぐ後ろは道になっていて、十字型に建物をつくるスペースがなかったことがみてとれる。さっき見た八角形のスペースの屋根が見える。
そして、となりの鐘楼は9世紀の、ミラノでも屈指の古いものになるそうな。
帰国してからもう少し調べてみると、この鐘楼の基部には古代の石がたくさん再利用されていて、中には孔雀が刻まれているものがあるのだと分かった
・・・これもまた次回への宿題・・・ばっかり増えます。
ミラノは「最後の晩餐」だけではない。もっともっと見るべきものがあるおもしろい街である。