旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ソーダ・スプリングスと溶岩温泉~アイダホの古い街

2014-06-13 16:38:21 | アメリカ西部
有名なイエローストーンとグランド・ティトン国立公園のあるワイオミングのすぐ西にはポテトで有名な(笑)アイダホ州がある。ここがひとつの州境今では田舎道の小さな町になってしまっているが、今日訪れる二つの街は大陸横断鉄道の盛んな時代にはかなり栄えていたようだ。
当時の鉄道地図にはちゃんと名前が載っている。SODA SPRINGS と、そのすぐ左のRAVA HOT SPRINGSという名前が読める

大陸横断鉄道が開通する以前、新天地を目指して西へ向かう道のひとつ「オレゴン・トレイル」はこのあたりを経由していた。19世紀の開拓者たちを記した看板が近年設置されている
ジョン・グレイという人物は1818-9年頃、毛皮ハンターとして雇われこのあたりを「発見」した人物。二十年の勤務の後引退し、仲間と共にカンサス・シティをつくるのに加わった。
ぱっと名前だけ見て白人だと思った。が、よく読んでみると実は先住民イロクワ族の族長のひとりだった。入植した白人との間には協力もあれば戦いもあったのだろう。別の看板には「1863年、白人の軍隊がベアー・リバーの虐殺」として、ショーショニ族四百人の集落を襲った話も載せられていた。

このあたりは「カリブー・フォレスト」という自然公園になっているのだが、この地名もひとりの開拓者に由来しているというのを、この看板を読んではじめて知った●本名ジェシー・フェアチャイルドは、通称「カリブー・ジャック」と呼ばれていた。
彼は1869年にカナダの金鉱からやってきた。自称「ゴールドパン(砂金を探す金属の大きな皿)で産湯をつかい、カリブー(巨大な鹿)の乳を飲んで、バッファローの毛皮にくるまって育った。13歳でグリズリー・ベアと戦った」と豪語していたそうな。
金鉱で育った彼は翌年1870年8月に、ここでも金が取れる場所があるのを見つけた。それからの二十年はこの田舎町がゴールドラッシュに沸いた時代になる。「カリブー・ジャック」はこの町の恩人ということになろう。

「カリブー・ジャック」が住んでいたソーダ・スプリングスの街は、開通した大陸横断鉄道の旅客に温泉として人気がでてきた場所だった。今でも、その当時の雰囲気を感じさせるホテルが営業している。
線路はすぐそば数えたら120両ほどの貨物車両。

現在では旅客の駅はなくなっているが、ホテルの中のサロンは当時の雰囲気が感じられる。

カウンターのお姉さんに「このホテルは何年に創業したの?」と訊ねたが、しばらく視線を宙に浮かせて「わかんないわ」と答え、かわりにメニューの裏にあったホテルの歴史案内を見せた。
しかし、よく見ると、彼女が渡してくれたココアのカップにしっかり「1917年創業」と書かれておりました(笑)

「カリブー・ジャック」は、1881年9月15日、酒場で飲んでいる時に突然呼ばれた。
「大きなグリズリーが出たんで片づけておくんなさい!」酔っぱらっていたのに熊退治に出かけた彼は案の定、くまに一発でのされてしまった。治療の甲斐なく数日後に死に、この町に葬られている。

1907年、このあたりを自然公園にする時、彼のあだ名から「カリブー・ナショナル・フォレスト」と名付けられ、1919年にはアイダホ州44番目の郡として「カリブー郡」が命名された。

★ソーダ・スプリングスは、今でも変わらず炭酸水を湧き出させている。この小屋にあるHOOPERとは、炭酸水を瓶につめて売り出したユタの資本家の名前である。

飲んでみると、鉄分がやたら多く感じられて、決しておいしくないと思えたが、1893年にはシカゴの商業見本市で、1905年にはパリのワールド・フェアで、賞をとったのだそうだ。

前出の駅前ホテルのすぐ裏には、間欠泉がある。
我々が滞在していたのは三十分ほどだったが、出発しようとした時に吹き上がった!

写真の下の方に人が写っているので、三十メートル近くまで吹き上がっているのが分かるだろう。
急いで資料を読んでみると、この間欠泉は1937年に温泉プールを作ろうと掘っていた時に偶然見つかったもの。地下百メートルからの噴水はしかし、現在では自動ポンプで制御され、毎時ちょうどに吹き上がっているのであった(^・^)間欠泉に偶然行きあうなんて、そうはない事なのであります。

**
ソーダ・スプリングスは1870年代から約二十年のゴールドラッシュと大陸横断鉄道で栄えた。天然のソーダ水はそのまま商品として出荷された。

しかし、時代は移り変わってゆく。

20世紀なかば、金鉱は終わり、鉄道から車の時代にかわってゆく頃、ソーダ・スプリングスに新たな企業がやってきた。モンサントMONSANTは、1901年創立の化学薬品会社と紹介すればよいだろうか。ラウンドアップという世界的に使われている農薬と、それに耐性のある遺伝子組み換え野菜もつくっている会社。
初期のコカコーラに使われたサッカリン、ベトナム戦争に使われた枯葉剤も製造していた。

農薬製造に必要な燐鉱石がここで採掘されはじめたのは、1953年のこと。珪石に含まれる燐を取り出すために溶解させ、その摂氏1400度ののこり滓を外へ排出しているシーンがこれだ。

ここはまったく観光地ではないが、火山の噴火のようなこの光景は見る人をびっくりさせる。ほぼ五分に一度六百立方メートルの溶けた石が排出される。※出される場所は何か所かあるので、待っているところで必ず見られるわけではない。この写真の場所は、前出のソーダ冷泉が湧き出している場所から撮ったもの。

***
鉄道に沿って三十分ほど走ると、今度は温泉街ラヴァ・ホット・スプリングスに到着する。子供たちが楽しむ巨大な温泉プールランド
我々は天然温泉付きのちいさなこのホテルに泊まる。部屋からそのままこの温泉プールに降りてこられる。

お湯のプールはいくつもある。
ほとんどはぬるいのだが、建物の裏のひとつは、日本の温泉並みに熱かったそうな。

参加者のおひとりが、そこへ足をつけて「熱!」というそぶりをすると、となりのぬるいプールに入っていた欧米人がにやっとした。しかし、そこは日本人、ゆっくりとその熱いプールにはいって余裕で温泉を楽しむ表情を見せると、それを見ていた白人連中が拍手喝采してくれたんだそうだ(^^)


少し陽が陰って、バーベキュータイム。
旬のアスパラは生でも食べられるほどのおいしさたまねぎもホイルでゆっくりと焼くと、甘くとろとろになりました(^^)
今回は買わなかったバファローの肉、そのうちためしてみようかしらん。スーパーでこんな風に売っておりました。
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