こころとからだがかたちんば

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2013年7月19日 金曜日・深夜便 高野寛&坂本龍一 「夢の中で会えるでしょう」'95

2013-07-20 01:24:33 | 音楽帳

今夜は、1994年に起きた阪神淡路大震災を通過した上で、1995年に偶然出会った曲をまずは。。。
<12時を過ぎようが、じぶんにとっては金曜日の夜。いまさら、何も焦る必要は無い、のだから。>
■高野寛&坂本龍一 「夢の中で会えるでしょう」(スタジオ・ライヴ)1995■

From NHK教育テレビ・土曜ソリトン SIDE-B
詞・曲 : 高野寛
アレンジメント : 坂本龍一

生きてきた時間が、残り時間を上回った。
自家中毒の死にかけからスタートをし、周回遅れをしながら、迷走した単なる一般人のじぶんにも、明日、死が降りかかることを本気で想定せねばならない歳となった。
祖父母・両親と長生きである中、じぶんは?
と言えば、明日すら分からない中、彼らが強靭に生き抜いた80代・90代など、夢・また・夢に過ぎない。
もし、事故的要素を除いたとしても、残りは極めて少ない。
そう、思っている。

そろそろ、あの世に持っていく曲を遺書に書き記す時期となった。
とは言え、生きられる限りは、生きることを謳歌しつづけるが。
そんな中の1曲に、やっぱり・この映像での「夢の中で会えるでしょう」はありつづける。

■元・駄目人間の告白■
当時、大阪での一人暮らしの中、もがき苦しむ20代後半。孤独の中の闘い。
1994年・年末に、結婚間際の悪魔による、一生一緒にいるはずだった女性との別れから、さらに精神を病んで・まるで多動性障害のように、いっときも1人で居られず・クルマを走らせているか、誰かを無理矢理引き込み泥酔していた日々。
そして、やめていたヤク(薬)に手を染める。
抗鬱剤・睡眠薬等々のヤマと酒を一緒に流し込むことで、生き延びていた。

現在も独身のじぶんの、若き無謀な頃の女性遍歴には、たぶん多くのヒトは引くであろう。「ただの女たらしじゃねえか」と。
しかし、じぶんには、女性を惹きつけるフェロモンも・才能も・魅力も皆無。
顔もブサイク、性格は悪い、しゃべりは下町のべらんめい。
イケメンさん含み10人並べたら、見事に最下位を取る自信はある。

思えば、童貞に近い状態で就職して、大阪に投げ出された中の孤独感とストレスは、並大抵のものではなく、四十代下り坂の今のじぶんならば、すでにノックアウト。
ハタチまで、ほぼ童貞に近し中、それまで溜まったマグマと女性性への復讐と、さみしさが、無謀なまでの砂漠の中での女性遍歴に直結させたに過ぎないのだと、自己分析終了している。
逆に、今どこかに再び放り出されたら、あっという間に伴侶と暮らすことになる予感も大いにしている。
病んだ都市=東京で、うるさいノイズを除去してまっとうに暮らすことなど困難極まりないのだから。

***

実家のお下がりで大阪に持っていった小さいテレビ。
そこで、1994年は、毎週土曜日の深夜。
NHK教育テレビ・土曜ソリトン「金の斧・銀の斧」を楽しみにしていた。
パーソナリティは、一目惚れしてしまった大塚寧々ちゃん。
美しく・可愛くて・クレヴァー。

一方で、じぶんのお客さんでありながらも、その素朴さに胸キュンしてしまった金沢の女性に、営業をしながらも、仕事以外の営業をしつつ・まさかその彼女がじぶんのことを好きでいてくれたなどとは思わず、奥手なじぶんはお酒に誘うとにっこり笑って「いいですよ」に、気が動転すると共に、空が広く見えた日。

そこからあっという間に、結婚しようという話に至るには、ほとんど時間は無かった。20代にして、花を愛でることに気づかされたのは、彼女の影響以外の何物でもない。
彼女も、寧々ちゃん同様、長いスカート丈のワンピースが似合う可愛らしい子だった。
偶然ではあるが(まだ髪がある頃)気に入って一部のスーツやネクタイで持っていたブランド「マーガレット・ハウエル」を、彼女も着ていた。
性的要素抜きで、ここまで心を打ち抜かれたことがなかったので、夢見心地と気味悪さはあった。

ところが「金の斧・銀の斧」も終焉を迎える頃、冬に結婚破綻。
過去の彼が、内臓を壊して・もう残り少ない生命の中、死ぬ前に・・・と彼女に電話をしたのが、総崩れの全てだった。

寒い寒い年末年始の夜を、ヤクで超えつつ、明けて1995年にはいきなり阪神淡路大震災、そして、その後東京では地下鉄サリン事件発生。
そんな日本が転覆しそうであった1995年明けには、必死こいて神戸の仮設住宅の仕事に巻き込まれて、血反吐世界。

そんなパニックの中、寧々ちゃんの「金の斧・銀の斧」も終わっていた。

***

医者に通い・ぼーっとしながらも、春は芽吹き・残酷にも季節は巡り来る。
そんな中、女性営業が2人同時にやってきて、いつの間にやら、両方から好かれてしまい、両方と関係を結んでしまうに至る。
これは、非常にまずいと思いながらも、「マーガレット・ハウエル」を失った痛みは、ひたすら癒してもらえる女性へと動物的に傾いていく理性なき世界。
まだ、この2人であれば留められるところ、出会う女性とことごとく関係を結んでしまう。
泥沼化していく日々の中、当人は「幸せになりたい」なる救済を求めつつも・他人が客観的に見れば「お前は、さみしさから周囲の女性を不幸にするだけの馬鹿だ」としかならない状況。

しかし、理性を戻して冷静にお詫びをしつつ、1人と結婚しようと決めて、ほぼ同棲に近い生活にまで戻っていく。
「まっとうに戻るんだ」と言い聞かせて。

やっと正気に戻りつつあった頃、たまたま日曜日の再放送で出会った「夢の中で会えるでしょう」。
「マーガレット・ハウエル」の彼女の幻影が去らない中でも、無理矢理かき消しつつ、寧々ちゃんの「金の斧・銀の斧」の後継番組「SIDE-B」から聴こえた「夢の中で会えるでしょう」。
高野寛くんのホスト役だった緒川たまきさんが持っていた、天然で柔和で美しい雰囲気。
それは、二度目の「結婚しよう」と決めた彼女とオーバーラップするものだった。
よく10畳1ルームの部屋に、ピンポンして彼女がやってくる夜を一緒に過ごした。
彼女は、その日あったことへの不満を吐き出すが、「はいはいはい~」と聴き流しながらも、一方では掃除・洗濯・炊事をしていたのを想い出す。
ある意味、幸福だった瞬間・瞬間。

そんなカオスの中で出会った高野くんと・ゲスト出演した教授の「夢の中で会えるでしょう」には、本当に当時救われた。
この曲は、元々はキングトーンズに提供するために高野くんが創った曲だった。
1995年3月29日に発表された、高野くんのアルバム「Sorrow&Smile」に収録されているが、そのアルバム・ヴァージョンよりも、このソリトン「SIDE-B」のスタジオ・ライヴの方を、元・駄目人間のじぶんのレクイエムに掛けて欲しい。

毎日を一緒に過ごした彼女だったが、その後、1996年4月に不慮の転勤で、じぶんが東京に戻ったことが導火線となって、結果、二度目の結婚に失敗する。

そして、その後、16年経って、未だ、じぶんはこうして1人の部屋でパソコンに向かっている。

もし、唐突に死んだら、誰かこの曲を、YMOやジャパン/デヴィッド・シルヴィアンの曲と共にレクイエムとして掛けて欲しい。

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