認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

家族介護から市町村と地域とが協同展開する地域予防活動へ(A-94)

2013-09-15 | アルツハイマー型認知症の予防活動

○   「アルツハイマー型認知症」の脳の機能レベルと段階的症状

日本だけでなく世界中の認知症の専門家(学者、研究者、医師)と言われる人達から、「発病の原因もわからないし、治すすべも見つからないし、予防する方法もわからない」と言われている「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する「生活習慣病」なのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続する「生活習慣」が原因で発病する「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する「生活習慣」の下で加速度的に衰えてきた「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウト・プットそれ自体が「認知症の症状」として「段階的に発現」してくるのが特徴なのです

「前頭葉」を含む「脳の機能レベル」に対応して、正常な機能レベルへの「回復の可能性」という視点に着目して私達が区分しているところの「三つの段階」、回復させることが容易な「軽度認知症」(小ボケ)、回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)及び回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)に区分される「認知症の症状」が発現してくるのです。

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階で私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳、右脳及び運動の脳は未だ正常な機能レベルに在るのですが、司令塔の「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の機能だけが異常なレベルに衰えてきているのです。この「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「社会生活」に支障が出てくるようになります。但し、この「小ボケ」の段階で見つけると、脳を活性化させる「生活習慣」への生活改善によって、「正常なレベル」に容易に回復させることができるのです(ここを「クリック」してください)。

次いで、私達の区分で言う「中等度認知症」(中ボケ)の段階があります。「中ボケ」の段階になると、「前頭葉」が「小ボケ」の段階よりも更に異常なレベルに機能が衰えてきている上に、「小ボケ」の段階では未だ正常なレベルにあった「左脳と右脳と運動の脳」の機能が異常なレベルに衰えてきているのです。この「中等度認知症」(中ボケ)の段階では、社会生活だけでなくて、「家庭生活」にも支障が出てくるようになります。但し、この「中ボケ」の段階で見つけると、脳を活性化させる「生活習慣」への生活改善によって、「正常なレベル」に回復させることが未だ可能なのです(ここを「クリック」してください)。

その先に、「末期の段階」であって、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階があります。「大ボケ」の段階になると、「前頭葉」が「中ボケ」の段階よりも更に異常なレベルに機能が衰えてきて殆ど機能しないレベルに衰えている上に、「左脳と右脳と運動の脳」の機能も「中ボケ」の段階よりも更に異常なレベルに衰えてきているのです。この「重度認知症」(大ボケ)の段階では、「セルフケア」にも支障が出てくるようになります。但し、この「大ボケ」の段階で見つけていたのでは、「正常なレベル」はおろか「小ボケ」のレベルにも、「中ボケ」のレベルにも脳の機能を回復させること自体が困難になるのです。分かり易く言えば、見つけるのが遅すぎるということなのです(ここを「クリック」してください)。

注)「早期診断」と銘打って行われている医療の現場では、この「大ボケ」の段階になって初めて「アルツハイマー型認知症」を見つけているのです。その結果として、「アルツハイマー型認知症は、発病の原因もわからないし、治すことができないし、予防することもできないタイプの認知症である」としているのです。自分達が信望し、「診断の基準」にしている米国精神医学会が定める「DSM-4」の規定の誤りに気づいていないし、それを疑おうともしないのです。

「前頭葉」を含む脳の機能の出番が極端に少ない日々の生活、生きがいなく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する中で、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の加速度的な機能低下を起こしてくるのが「アルツハイマー型認知症」なので、「小ボケ」と「中ボケ」の各期間を想定できる一定の基本となる期間が存在するのです。但し、末期の段階であり回復させることが困難である「大ボケ」の期間は、「大ボケ」のレベルに「前頭葉」を含む脳の働きが衰えて「大ボケ」の症状が発現してくるようになってから何らかの他の病気が原因で「死を迎える時が来るまで」がその期間となります。

世間で認知症の専門家と言われている人達は、「小ボケ」と「中ボケ」の期間があることを知らないので、「アルツハイマー型認知症」というと、「大ボケ」の期間だけを問題にして論じているのですが、「小ボケ」及び「中ボケ」の期間と「大ボケ」の期間とを併せた「アルツハイマー型認知症」全体の病気の期間はそれ相当に長い期間に亘るのです。然も、「大ボケ」の段階にまで症状が進んできてしまうと、回復させることは困難なので、「アルツハイマー型認知症」を患っている状態のもとで、「別の何らかの病気」が原因で死亡することになるまで「大ボケ」の期間が続くことになるのです。「アルツハイマー型認知症」自体が死亡の原因にはならないからです。

(コーヒー・ブレイク) 世の中で、「アルツハイマー型認知症」の期間(発病してから死を迎えるまでの期間)についての専門家の数字が取り上げられることがあります。認知症の専門家と言われる人達は、米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の第二の要件である失語や失行や失認等の極めて重度の症状、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階でもその後半にならないと発現してくることがない症状を診断の要件にしているので、彼らの言う期間とは、失語や失行や失認の症状を発現してから以降の期間を言っていることに注意が必要です。

そもそも「アルツハイマー型認知症」の期間とは、正しくは、「軽度認知症」の期間、「中等度認知症」の期間及び「重度認知症」の期間の総計を言うべきなのです。それを合算した期間はとても長い期間となるのです。従って、政策の変更により、専門家による「施設介護」から家族による「在宅介護」が主流となっていく中では、在宅介護による家族の精神的な負担は、期間の問題だけから考えても、とても長期間にわたり重いものになるのです。

ところで、「アルツハイマー型認知症」の症状が段階を追って進行する各期間に関する「原則=指標」は、エイジングライフ研究所が多数の症例の実態を聞き取り、データを集めて分析し、解析して得られたものなのです(ここを「クリック」してください。

上述の段階を追って進行する各期間は、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(「小ボケ」)になってから以降も、それまでの生活習慣の見直しがなされないままに、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が基本的に変化しないで継続されていく場合は、この原則(指標)に従って「認知症の症状が段階的に進行していくその期間を述べたものなのです。        

もちろん実際の生活場面では、「前頭葉」の出番が増え、活性化するような楽しい「生活状況」の発生(家族や仲間と共に散歩や運動を楽しむ生活;家族とのイベントを楽しむ生活;趣味の教室へ通う楽しい生活;友人や仲間とのふれあいがある生活など)という状況が継続していると、その楽しい生活の質と量と期間とにリンクして「前頭葉」の三本柱(「意欲、注意集中及び注意の分配力」)の出番が増え「脳の機能レベル」が或る程度回復してくるので、「アルツハイマー型認知症」の進行が遅くなり、症状の悪化が止まり、或いは、症状が回復の方向に向かうことになるのです。

逆に、「前頭葉」の出番が減り、不活性化するような辛く苦しい「生活状況」の発生(友人や趣味の仲間との別離; 趣味や遊びの会の中止;腰痛など身体の苦痛の進行; 自分自身の病気の発生;家族の病気や介護に自分の時間をとられてしまうような生活;大きな心配事の発生とその継続;家族内に大きな問題を抱えていること;重大な災害に遭遇することなど)という状況が継続していると、その辛く苦しい生活の質と量と期間とにリンクして「前頭葉」の三本柱(「意欲、注意集中及び注意の分配力」)の出番が減り、働きが更に衰えてきて、症状が悪化の方向に向かうことになるのです(重症化の更なる進行)。

エイジングライフ研究所では、脳の使い方としての「生活習慣」の改善の体験を目的とする「アルツハイマー型認知症」の「予防教室」の開催を、市町村(在宅介護支援センター、地域包括支援センターを含む)と地域住民とが協働して実行しつつ、「二段階方式」を活用して市町村の保健師さんが定期的に予防教室への参加者を対象にして「前頭葉」を含む脳の機能レベルを判定し、個人別の必要な「生活習慣」の改善指導を行うやり方の「地域予防活動」を1995年から指導してきています。

また、「脳の機能レベル」の定期的な判定(原則として年二回)及び脳機能に対する改善効果の評価(改善、維持、悪化に区分する三段階の評価)のデータは、「二段階方式」の管理ソフトである(「エイジング」)により、個人別、グループ別、地域別及び男女別に評価及び管理できるようになっています。下記の図は、そのデータの一部です。

ところで、インターネットで検索してみると、医療機関による「早期診断」(但し、「アルツハイマー型認知症」と診断されるお年寄り達の多くは、「重度認知症」の段階の被験者のみであることに注意してください)のブログが多く掲載されていますが、医療機関による「早期診断」とは、CTやMRIという機器を使用した「画像診断」が主流なのです。画像診断では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを正確に判定することができないのです。この場合は、早期診断という名前が使われているのですが、回復が可能な意味での早期診断ではないことに注意が必要です。

回復が困難な「重度認知症」の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけることが「早期診断」という名前で行われているにすぎないのです。「二段階方式」のような神経心理機能テストの活用が不可欠である一方で、回復させることが可能な本当の意味での早期診断では、「神経心理機能テスト」の保険点数が低すぎて事業としてペイしないことが、神経心理機能テストの活用でなくてCTやMRI等の機器の使用による画像診断という状況を生んでいるとしか考えられないのです。

「アルツハイマー型認知症は原因不明で治らないし、予防することもできないタイプの認知症である」と誤解し、思い込んで、手をこまねいたまま何も対策を打たないで放置していると、更なる高齢化が進んでいく中で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人の数は増加の一途をたどるだけとなるのです。更に問題なのは、「アルツハイマー型認知症」は、脳がもたないのに身体がもつので、症状が「重症化」してもいくのです。他の何らかの病気が原因で死を迎える時が来るまで、「軽度認知症」は「中等度認知症」へ、「中等度認知症」は「重度認知症」へと症状の重症化が進行していくことになるのです。

症状の重症化がゆっくりと進行していくのが「アルツハイマー型認知症」の特徴なのですが、一方で、進行が留まることがないのです。進行を止めたり、更には回復させるには、現在は見逃されてしまっている早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけることが不可欠なのです。然も、「アルツハイマー型認知症」に効く薬は存在しないのです(発病のメカニズムからして、未来永劫開発できない性質のものなのです)

唯一の方法と言えば、「前頭葉」を含む脳を活性化させてやる方法、言い換えると「前頭葉」の根幹をなしていて基礎的な機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の出番ができるだけ多い生活に変えて且つその「生活習慣」を維持してやるしか他に方法がないのです。発病の原因がわからないとされている「アルツハイマー型認知症」は、その本質が、脳の使い方という視点からの「生活習慣病」だからなのです。

現在は、施設による介護から家族による在宅での介護へと施策の軸が変更され動いていこうとしています。「軽度認知症」(小ボケ)や「中等度認知症」(中ボケ)の段階であれば、それまでの脳の使い方としての「生活習慣」である「生活歴」を詳細にチェックし、それまでのナイナイ尽くしの「生活習慣」を改善させ、脳を活性化させる効果が期待できる新たな「生活習慣」を構築し実践させれば、脳の機能レベルの回復により正常なレベルに回復させることが可能なのです。「軽度認知症」や「中等度認知症」の段階のお年寄り達のように、回復させることさえ可能であれば(回復の可能性が高い)、家族による「在宅介護」にも希望があって、家族の精神的な負担も軽減されることになるのです。

ところが、「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで「前頭葉」を含む脳の機能が衰えてしまった場合は(「大ボケ」の段階になって見つけていたのでは)、どれほど気持ちを込めて家族が介護に従事しようとも、症状は更に重い症状へと進行していくだけで(私たちの区分で言う「重度認知症」の範囲の症状の中で、軽いものから次第に重いものへと「重症化」が進行していく)、「中ボケ」レベルに回復させることさえも困難になるのです(回復の可能性が極めて低い)。どんなに心を尽くして介護しようとも一向に改善してこないばかりか、尽くしても尽くしても症状が更に重いものへと進んでいくのです。そしてその介護の期間は、認知症以外の何らかの病気で死を迎える時が来るまで続くことになるのです。このことこそが、「重度認知症」の段階のお年寄りを抱えた家族による「在宅介護」の最大の問題点なのです。

医療機関による診断が、早期診断とは名ばかりで、多くの場合が「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているだけという現状では、「大ボケ」のレベルのお年寄りを抱えた家族による「在宅介護」の経済的及び精神的負担が過大で耐え難いものになっていくはずなのです。この先高齢化が更に進行していき、高齢者の数自体も更に増加していく見通しの中で、対策や政策を打たないままでいると、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達の数が更に増加していき、然もその人達は基本的に「脳は持たないが身体が持つ」ので、「アルツハイマー型認知症」を発病した後の「重症化」が継続的に進行していき、末期段階の「重度認知症」の人達の数が際限なく増加していく中で、「施設介護」から「在宅介護」に施策を転換していこうとも、家族による「在宅介護」の精神的な負担が重くなる一方で、「介護保険の費用」も際限なく増加していくことになるのです。

回復させることが困難な「重度認知症」の段階に在る「アルツハイマー型認知症」の人達を見つけているだけの、「名前だけの早期診断」ではなくて、回復させることが未だ可能な「中等度認知症」及び「軽度認知症」の段階で「アルツハイマー型認知症」を発病している人達を見つける「本当の意味での早期診断」を国や市町村の政策に取り込み実行させること及び開きっぱなしのままになっている「蛇口を閉める」政策、具体的には市町村が主体となり地域住民と共同して実践する「地域予防活動」というシステムによる「アルツハイマー型認知症」発病の予防活動を出来るだけ早期に実現させることこそが喫緊の政策課題だと思うのです。

ところで、私達が主張しているように「アルツハイマー型認知症」の正体が廃用性の「生活習慣病」であるということには、下記に問題提起するような、「二つの重要な側面」があります。

1つは、「アルツハイマー型認知症」を、回復可能な「軽度認知症」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)という(名前だけでなく本当の意味での)「早期の段階」で見つけるには、「二段階方式」に代表されるような「前頭葉」を含む脳の機能レベルを正確に判定することができる「神経心理機能」テストの使用が不可欠になるのです。然も、「神経心理機能」テストによる「前頭葉」を含む脳の機能レベルの正確な判定と「生活歴」の聞き取りに基づく脳を活性化させるための「生活習慣」の改善指導が判定(早期診断)と回復(脳の活性化による脳の機能レベルの回復)と予防(脳を活性化させる生活習慣の構築による発病の予防)の最も重要な且つ必須の方法(対策)となるのです。その結果、投薬や手術や治療といった「医行為」が必要とならないのです。

もう 1つは、「早期診断(判定)の方法」が、保険点数が高いCTやMRIによる画像診断は不必要なので(正確に言うと、脳の委縮と「アルツハイマー型認知症」とは無関係の関係なので)、逆に保険点数が極端に低い「神経心理機能」テストの使用が不可欠となるので、医療機関にとっては一定の事業利益を上げることが期待できない事業となる(言い換えると、継続的な事業としてペイしない)ということが重要なポイントなのです。その上、その本質が廃用症候群に属する「生活習慣病」である「アルツハイマー型認知症」は回復(治療)や予防に効く薬はなく、「投薬」の問題もないのです。

(コーヒー・ブレイク) 「アルツハイマー型認知症」からの回復は、本人にとっては勿論のこと、家族にとっても、市町村や国にとっても大きな意味があります。ところが、回復可能な早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)を見つけるには、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの正確な判定が不可欠となるので、「二段階方式」に代表されるような「神経心理機能」テストの使用が不可欠となるのです。

CTやMRIによる「画像診断」では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの正確な判定ができないので、回復させることが未だ可能な「早期の段階」である「軽度認知症」や「中等度認知症」の段階を見つけることができないのです。但し、早期の段階で見つけられないで放置されたままでいると重症化が進み、脳はもたなくても身体がもつので、最終的には末期段階の「重度認知症」(大ボケ)になってしまうのです。使用にかかる保険点数が高いCTやMRIなどの機器を使っても、「重度認知症」の段階でしか見つけられないでいたのでは、せっかく見つけても手遅れ、回復させることは困難なのです。

医療現場で行われているように「重度認知症」の段階で見つけていたのでは、介護保険による介護費用だけでなく診断費用や在宅介護を維持する上で家族の負担となる費用などの経済的な負担や介護の精神的な負担も大きくなり、その負担の規模が、家族にとっても自治体や国にとっても極めて重大な問題になってくるのです。本当の意味での「早期診断」を要求することもせず、発病の「予防」活動自体を追求することもせず、名ばかりの「早期診断」を容認したままでいると、「重度認知症」(大ボケ)の段階にあるお年寄りを抱えた家族による「在宅介護」の施策は、制度が定着しない近い将来に、大きな「社会問題」になることを予告しておきたいと思います。

テレビがいろいろな種類のものを取り上げるので認知症にも種類がたくさんあることは皆さんご存じだと思います。その種類がいろいろある認知症の中で、「アルツハイマー型認知症」が認知症全体の90%以上を占めているのです。認知症全体に「アルツハイマー型認知症」が占める数字についても、認知症の専門家とされる人達が挙げている数字は雑なのです。私達の数字は、1995年の活動開始以来一貫して変わっていませんが、専門家達の数字は当時40%と言っていたのが現在は60~70%が主流となっています。

ところが、これでもまだ雑な数字なのです。それは、「アルツハイマー型認知症」に次いで割合が高い「脳血管性認知症」の診断自体が雑なことが原因なのです。「脳血管性認知症」と誤診されている物の内に相当数の割合を占める「アルツハイマー型認知症」が含まれているからです(この「誤診による%の誤り」の問題については、ここを「クリック」してください)。

この先、高齢化の更なる進行が予測される中で、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄り達の数も増え続けることが予測されているのです。その「アルツハイマー型認知症」こそ、保健師さんにとって、「保健及び予防活動」の最も重要な対象となる「テーマ」なのではないでしょうか。

私達が蓄積してきた「アルツハイマー型認知症」を発病した人達の多数の「脳機能データ」を解析すると、「小ボケ」から「中ボケ」へ、「中ボケ」から「大ボケ」へと症状が進んでいくにつれて、「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくことが分かります。「大ボケ」のレベルになると、脳の司令塔の役割を担っている「前頭葉」は殆ど機能していないことが分かります。状況を判断し、実行すべきテーマを企画し、その内容を組み立て、内包する判断基準に基づいて最終の実行内容を決定する働きをしている、脳の司令塔の「前頭葉」の働きが、「薬を飲む(貼る)」ことで機能回復することなどありえないのです。

「前頭葉」は、左脳、右脳、運動の脳の三頭立ての馬車の御者なのです。「脳全体の機能」を回復させるには、「前頭葉」の機能を回復させることが必須の条件、不可欠になるのです。「前頭葉」の機能を回復させるには、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の機能の出番が多くなるような「テーマ」を日々の生活の中に取り込み、脳をしっかりと使う「生活習慣」を構築するしか他に方法はないのです。そもそも「アルツハイマー型認知症」は、発病のメカニズムからして、薬が効く(服用により発病を予防できる)ような代物ではないのです。

(コーヒー・ブレイク)私達のように、生きて活動している生身の人間の「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれにリンクした症状(単なる機能障害に過ぎない「正常な症状」及び異常な機能レベルに起因して発現してくる認知症の症状)を継時的に追跡し及び脳の機能レベルの変化と症状の重症化を同時に追跡する考えに基づいて、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを正確に判定できる「神経心理機能テスト」を活用する手技を開発して、北海道から九州まで日本全国で展開してきた地域予防活動の実践データを集積し、そのデータを分析し、解析してみれば、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを知ることはそれほど難しいことではないのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病原因に関する種々の学説のように、「アルツハイマー型認知症」を患っていて、その上、失語や失認や失行といった、末期の段階である「重度認知症」の段階の更に後半(MMSが10点を切るレベル)にならないと発現してくることがない極めて重度の症状を呈するようになった状態でなお且つその状態が数年間も続いた人の死後の脳を解剖してえられる「解剖所見」に見られる3つの特徴、「老人班の生成」、「神経原線維変化」及び「脳の委縮」が原因と誤解して、アミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮を追い続けている限り、何時まで経っても「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明することはできないのです。

時間の無駄であり、経費の無駄なのです。若い多くの有為な人材達が、発病のメカニズム及び「前頭葉」を含む脳の機能の構造から考えて、未来永劫実現されることがない「治療薬」の開発に従事し続けている現状を私たちは憂へるのです。

とわ言え、発病の原因だとそれぞれが主張している犯人と「アルツハイマー型認知症」発病との間の「因果関係させ証明できていない」レベルの学説であっても、学説は学説なりに影響力があるのです。こうした「学説」が幅を利かせている間は、そうした学説の内容が間違っていても世の中一般に対する権威という影響があるので、「アルツハイマー型認知症」の「早期診断」(回復させることが可能な段階を見つける本当の意味での早期診断)も発病自体を「予防」する「地域予防活動」も展開しにくい状況を生んでいる、それなりに障害となっているのです。

学者は、自分の信望する学説に基づいて研究活動を生涯をかけて一生懸命行っているので、「単なる生活習慣病だ」と言われると、自分の一生を否定されているように感じるのかもしれません。アミロイド・ベータが犯人だとか、タウ・タンパクが犯人だとか、脳の委縮が原因だとか言っていると、自分が信望している学説の研究に安心して打ち込めるのでしょうか。老人班の生成や神経原線維変化や脳の委縮は、「アルツハイマー型認知症」を患って「重度認知症」の段階にまで症状が進んで、その「重度認知症」の期間が何年も続いた場合に生じてくる「副産物」、「原因なのではなくて結果」なのでは、そのような「発想の転換」は、この人達には思いもつかないことなのでしょうか。

○早期の段階を見つけることも発病を予防することも利益につながらないという問題があるのです。

「早期段階の判定及び早期段階からの回復」や「発病の予防」のために不可欠である「神経心理機能テスト」の活用及び脳を活性化するための「生活習慣」の改善のための指導は、医療機関の側からすれば、事業として必要となる収益をあげることが期待できないという重大な問題があるのです。医療機関といえども事業体ですので、必要な規模の事業収益が確保できない事業を継続的に実施していくことはできないのです。従って、「収益はあげられなくても、費用が減るメリットがある」ことで事業として継続して展開できる自治体や国でしか、対応が期待できないということになるのです。

日本は世界に先駆けて超高齢化社会に突入しています。この先、高齢化が更に進んでいく中で、医療機関も国も市町村も、なにもしないでこのまま手をこまねいて放置していると、高齢者の大半は、「身体が持ちながら、脳が持たない」結果として、行き着くところは「重度認知症」のレベルにまで脳の機能が衰えてしまった「アルツハイマー型認知症のお年寄り」の更なる増加という悲惨な将来像が、はっきりと見えてくるのです。

厚生労働省が発表している「アルツハイマー型認知症」のお年寄りの数400万人(460万人×90%≒400万人)というのは、末期段階の「重度認知症」(大ボケ)のお年寄りだけの数なのです。失語や失行や失認という「末期の段階」にならないと発現してこない「重度の症状」の確認が必須の要件とされている診断指針(「DSM-4」)の為に見逃されている、回復可能な「小ボケ」と「中ボケ」とを合わせた数は、「大ボケ」の2倍にもなるのです。

               

然も、「DSM-4」という誤った「診断基準」に基づく診断が原因で、見逃され放置されたままになっている「小ボケ」と「中ボケ」の段階の人達は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を見直して、脳を活性化する「生活習慣」を日常生活に取り込むことにより、正常レベルに回復させることが出来るのです。市町村を主体として、「アルツハイマー型認知症」の「予防」並びに早期段階の発見と「回復」を実践し、「重度認知症」に重症化していく人達の数を劇的に減らす「政策」を出来るだけ早期に且つ継続的に実行するのです。その活動の成果となる財政状態の改善を達成した上で、「重度認知症」の段階の人達に対する「介護保険」の適用を手厚くする政策が重要だと思うのです。

このブログで詳細に説明してきたように、「アルツハイマー型認知症は、原因も分からないし治らない病気」という考えは、誤りなのです。失語や失認や失行という「末期の段階」にならないと発現してこない「重度の症状」の確認が必須の要件とされている誤った診断基準に基づいて、末期段階の「重度認知症」(大ボケ)のお年寄りばかりを見つけ出してきた精神科医の誤解が現状を引き起こしているのです。

蛇口を閉めない限り、問題を解決する道は絶対に開かれてこないのです。地域予防活動により発病を予防し、早期診断により回復可能な「小ボケ」と「中ボケ」の段階で見つけて、趣味や遊びや人付き合いや運動などを楽しむ生活をして、自分なりの目標や生き甲斐がある「生活習慣」を構築することによって、脳が活性化することによって正常なレベルに回復させる活動を保健師さんが主役となって地域や家族と協働して実践するのです。

「アルツハイマー型認知症」は廃用性の「生活習慣病」なのです。早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つけて、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を見直し、脳を活性化する「生活習慣」を日常生活に取り込むことにより、正常レベルに「回復」させることが出来るし、更には「発病を予防」することもできるのです。高齢者を抱える個々の市町村が実施の主体となり、行政活動の中の主要なテーマとして、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復と発病の予防活動を位置づけ、「継続性」を持って取り組むことが重要だと思うのです。

「アルツハイマー型認知症」の早期診断および予防活動に取り組む十分な数の専門の保健師さんを配置して、地域のいろいろな組織やボランティアを取り込み、継続的な自主活動として、「地域単位」で早期診断と予防に取り組むしか問題を解決する方法はないのです。「アルツハイマー型認知症」を予防するための「生活習慣」の確立を目的とした生活改善の指導は、脳を生き生きと使う「生活習慣」を個々人が日常生活に取り込み、確立することが核になります。それは、趣味なく交遊なく、運動もせず目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」と裏返しの「生活習慣」を構築することが「目標」になります。

「前頭葉」に十分な情報が上がっていき、「前頭葉」の機能がフルに働くような「生活習慣」、特に趣味や遊びや人付き合いの働きを司る「右脳を中心とした生き方」を中核として指導することが重要となります。これまでは、「身体の健康」というテーマについて大きな役割を果たしてきた保健師さん達は、これからは、「脳の健康」という大きなテーマについて重要な役割を果たすことが期待されているのです。「身体介護サービス」を核とした住民サービスの為の施策提供の担い手ではなくて、「生き甲斐創造の手助け」となる新しいタイプの住民サービス、脳の使い方としての「生活習慣」改善の施策を提供する担い手になっていただきたいと願うのです。

日本中どこの市町村でも、一部の大都市を除いて、高齢化率が30%を超えるような高齢化の状況がどんどん進んでいく中で、独居老人や老夫婦のみの世帯が加速度的に増加してきている現状を考えるとき、「お年寄りが、いつまでも元気なままでいられる」、「身体が持つ限り、脳もちゃんと持たせる」、或いは、「年齢相応の社会生活が送られるレベルに脳の機能を保つ」ための施策が、すべての市町村で切実に求められているのです。

もちろん、お年寄り本人自身が、「アルツハイマー型認知症」にならない為の最大限の努力を日々行う(「脳が生き生きと働くような」自分なりの「生活習慣」を構築し、維持するよう努力する)ことが大前提なのですが、家族がそれを側面から支える体制を築き、更には「行政」が主導して、地域全体で支える「地域予防活動」を展開するための啓蒙活動や支援システムの構築や文化の創成やボランティアの組織化を行うことが超高齢化社会では求められるのです。

 第二の人生を歩んでいるお年寄りが、家に閉じこもる時間をできるだけ少なくさせ、できるだけ家の外に出ていく時間を多くさせ、できるだけ多くの人と交わり、コミュニケーションや交歓の場を楽しみしながら、何らかの共通の目的に添った「趣味や遊びや運動のテーマ」或いは「社会活動」を実践すること、換言すれば、「そうしたテーマの実践を楽しむ時間や機会」を「人の輪」の中での交わりを通じて共有する生活を送ることが、「アルツハイマー型認知症」の予防に不可欠の条件となるのです。

「前頭葉」は、家の外に出ていき、人と交わり、一定のテーマに沿った行動や活動を送る場である「社会生活」を送る上で不可欠な脳なのです。第二の人生を送っている高齢者にとって、その「前頭葉」を支えるもっとも頼りになる柱は、「右脳」なのです。「右脳」の出番は、趣味や遊びや人付き合いを楽しむ場が中心となるのです。

保健師さんを中心とした「アルツハイマー型認知症」予防のための新しい地域活動は、「脳の働きという物差し」により定期的に脳の働き具合を検査する機会を持ち(「早期診断」)、且つ「左脳ではなくて右脳」を活性化させる集団活動の場の創造を柱とするものでなければならないことを肝に銘じておいて頂きたいのです。

注)本著作物(このブログA-94に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください。

機能からみた認知症の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

   http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 
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アルツハイマー型認知症の発病予防に効果がある5つの秘策(A-93)

2013-09-01 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

○  「脳の働き」が衰えてきたことを実感する「高齢者」の日常

※何事をするにつけても、昔のようには、「意欲」が湧いてこないのです。

今住んでいる伊豆高原の地に移り住むようになったのは、2000年の7月のことだったのです。「あれから、もう13年!」。「身体」の方はそこそこなのですが、肝心の「脳」の方がすっかり衰えてきてしまっているのです。その頃は、手芸、絵画、編み物等いろんな趣味にも手を出していました。能や狂言の観劇や美術館での展示物を観るために東京にもよく出かけていました。プライベートなものも含め、年に3~4回は、海外旅行にも行っていました。

週に1~2回は、お友達を我が家にご招待して、富戸の定置網の朝採れの魚をメインに、私の手料理でおもてなしもしていました。それでも、毎日が楽しいばかりで、疲れを感じるようなことは全くなかったのです。「あれから13年」、「意欲」がすっかり衰えてきたのを実感させられる毎日なのです。

※「大丈夫かしら?!」、我がことながら気になるほど、「物忘れ」が日常茶飯事なのです。

脳全体の司令塔の役割をしているのが「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)です。その「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」を左右する基礎的な機能(「根幹」をなす機能)を担っているのが「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」(異なる複数の「テーマ」を同時に遂行していくうえで不可欠の機能)の機能なのです。高齢になると、物忘れの症状が日常的に起きてくるのは、「注意の分配力」の機能が、加齢により衰えてきた証の「老化現象」なのです。ほら、前々回のこのブログにも書いておいたでしょう。(恥ずかしながら、ここにもう一度引用しておきます)。

☆ 二階の部屋に用事があって階段を上っていく途中、雑誌が階段に置き忘れられているのを見つけて、階段下の書籍戸棚に片付ける。そして、階段を上っていこうとした時、自分が何をしに二階の部屋に行こうとしていたのかが分からないのです。

☆ コミュニティーセンターで、別荘地の清掃管理についての会合があったのです。会議の重要な議題となるテーマや問題点とか提案内容とかが詳細に書かれたメモが送られてきていたので、忘れないようにと、わざわざ玄関の下駄箱の上に昨晩置いておいたのです。コミ・センについたら、持ってくるのを忘れていたことに気づいたのです。

 

○  「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質

脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「三本柱」の機能には、加齢とともに「老化」していくという性質があります。上に表示した図は、加齢によるその老化のカーブを表したものです。「前頭葉」を含む脳全体をそれなりに使う「生活習慣」のもとでも、「高齢者」と呼ばれる年代の60歳代の半ば頃になると誰でも、「三本柱」の働き具合がピークである18歳から20歳代の半ば頃に比べて半分程度にまで衰えてくるというのがこのデータが示す重要な意味なのです(加齢による「前頭葉」の「正常老化」の性質)。そして、加齢による「三本柱」の「正常老化」の進行は、70歳代、80歳代、90歳代と年をとるにつれて、緩やかではあるが直線的に「低空飛行」の状態に入っていくのが特徴なのです。

脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、状況判断に基づいて何をするのかの「テーマ」を思いついたり、「テーマ」を実行するための「計画」を立てたり、そのやり方を工夫したり、「テーマ」の実行の仕方や予見される実行結果に対する洞察や推理等のシミュレーションをしたり、状況の変化に応じて機転を利かせて対策を立てたり、或いは気持ちや感情の吐露の仕方や程度等の態様について、状況の評価に基づく必要な抑制をかけたり、体験に感動したり、高度な働きを担当しているのが「前頭葉」の各種の機能なのです。

私達が意識的に何かをする世界、思考や行為や行動や言動をする場面をコントロールしているのが「前頭葉」なのです。脳全体の「司令塔」の役割をしているとされながら、「前頭葉」の機能については、データを獲得する条件設定や機能レベルを判定する手技の開発が難しいために、或いは「前頭葉」の機能が人間にしか具有されていない為に、驚くなかれ「世界的」に研究自体が遅れているのです。

 

○  「高齢者」であれば、誰の脳にも起きてくる「廃用性の機能低下」

仕事とは無縁になる第二の人生では、上司の指示や命令も来なければ、周囲からの無理難題の要求にさらされることもなくなります。何を何時までにどのようにやり遂げるかは、全て自分が自分の思うように決めればいい訳です。「なんて、自由な毎日なんでしょう」と指示も来なければ要求も来ない自由とかを謳歌しているうちに(言い換えると、「暇」という自由を持て余しているうちに)、使われる機会や場面が減った「脳」自体が自堕落になっていくのです。

※  加齢とともに働きが衰えていく脳、その脳が「正常な老化」のカーブを維持し続けるためには、やることが楽しくなるような「テーマ」を見つけて、達成「目標」を設定して、「前頭葉」を含む脳全体を意識的にしっかりと使ってやり、働く機会や場面を増やしてやる生活の仕方を工夫すること(脳の使い方としての「生活習慣」の構築)が不可欠となるのです。

「第二の人生」では左脳が主役の「仕事」とは縁がない日々とは言え、右脳や運動の脳が主役となる「趣味や遊びや人づきあいや運動」などを楽しみながら、自分なりの「生き甲斐」や「目標」がある生活を日々過ごすことで「前頭葉」をしっかり使ってやれば、加齢による老化のカーブを描きつつも、脳の機能を「正常なレベル」に保つことができるのです。

「前頭葉」を含むこうした脳全体のメカニズムからすると、これといった生き甲斐もなく、楽しんだり熱中したりできる趣味もなく、親しく交遊する友達もなく、散歩程度の運動もせず、何らかの社会活動に参加する場もなく、達成しようと心に決めた目標もない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の下では、「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活をしていることになるのです。

「前頭葉」のこの「三本柱」の機能には、上述したように、加齢と共に働きが衰えてくるという「正常老化の性質」がもともと備わっているのです。そのため、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続していると、お年寄りなら誰でも経験があるあの体験、「膝」の筋肉の衰え(廃用性の機能低下)と同じようなことが、「前頭葉」を含む「脳」の機能にも起きてくるのです。

※  例えば、足腰が痛いとか痺れがあるとか、何かがキッカケで出不精となり、外に出ていかないで部屋にこもったままの生活を何ヶ月か続けていると、廃用性の委縮により「膝の筋肉」があれよあれよという間に衰えていくのと同じように、「三本柱」の機能を使う機会が極端に少ない生活が半年から1年間も継続されていると、廃用性の機能低下が起きてきて、「前頭葉」を含む脳の機能が加速度的に衰えていくことになるのです。

 

○「 アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム

世間で認知症の専門家達から(世界中の専門家達から)原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「加齢とともに脳の老化が進む」という要件(加齢に伴う正常老化という「第一の要件」)と「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」という要件(廃用性の機能低下という「第二の要件」)の二つの要件が重なり合うことによる「相乗効果」により、脳の老化が「加速度的に進んでいく」ことにより発病するというのが私達の主張です(実は、世界中で私たちだけなのです)。中身はなくても権威がある人達の主張を取るか、権威はなくても中身と実績とがある私たちの主張をとるか、その選択は皆さんの手に委ねておきましょう。

※  このメカニズムのもとでは、60歳を超えた年齢の「高齢者」にとって、「第一の要件」は誰しも共通であって、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける要件となります。

正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「三本柱」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年齢の「お年寄り」(発病の「第一の要件」)が、脳を積極的には使おうとしない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、何らかの社会活動に参加することもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(発病の「第二の要件」)、出番が少ないために使われる機会が極端に減った「前頭葉」が廃用性の機能低下を起こしてきて、第一の要件と第二の要件とが重なり合うことの相乗効果によって「前頭葉」の老化が加速度的に進行していくことになるのです。

そして、「前頭葉」の働きが加速度的な速さで衰えていき、「異常なレベル」に衰えてきたところに、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。

※  認知症の大多数90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という、第二の人生での「生活習慣」が発病と直接の関係がある病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが私達の主張です。下図は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下を示すときの、加速度的な衰え方のカーブ(立体図)を示していて、約15000例の症例に基づく「前頭葉」を含む「脳の機能データ」が基礎になっています。

 

○  「発病の原因」に関する「諸学説」が抱える未解決の問題点

「アルツハイマー型認知症」は、アミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮が原因で脳内の情報の連絡機能が低下する為に起きてくるわけではないのです。これらの学説は、表面から見つけやすい「記憶の障害」という症状に目が向いただけの、「前頭葉」の機能に目が向けられていない(「前頭葉」のことをよく知らない)単なる推測を基礎とした主張(仮説)に過ぎないのです。それらが発病の原因だとしながらも、発病との因果関係さえ証明できていないのです。

上図の脳機能データは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、「最初に異常なレベルに衰えてくる」ということを示しているのです。更に言えば、「MMSで測定される下位項目には、できなくなっていく明確で客観的な順番がある」のです。MMSで測定される左脳と右脳の機能項目に衰えていく順番があるということなのです。もっと驚くべきことはと言えば、脳を活性化する生活習慣に改善させることによって、「小ボケ」のレベルの人は「前頭葉」を含む脳の機能を「正常レベル」に回復させることが容易であるし及び「中ボケ」 レベルの人は正常レベルに回復させることが未だ可能なのです。このような客観的な事実を示している私たちの「脳機能データ」に対して、上記のすべての学説は、どのように説明し、反論できるというのでしょうか。

※私達は、生きた人間が目的とされる「テーマ」を「意識的」に実行している状態下で、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとその直接のアウトプットである症状(正常な症状と認知症の症状)とを「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを活用して調べた上掲の立体図に示す極めて多数の症例を分析し、解析して上述の結論(「アルツハイマー型認知症は、脳の使い方としての視点から言うところの生活習慣病である」)に到達しているのです。これは、世界で唯一私たちだけが問題提起している主張なのです。私たちはこの考えに基づき、1995年から先進的な市町村での「地域予防活動」を指導し成果を挙げてきているのです。

そしてこの先2~3年もすると(被災という「キッカケ」の発生から4~5年が経過すると)、東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達が日本のどの地域の高齢者とも比較にならないほどの高率で(年齢別の「発病率」)、「アルツハイマー型認知症」を発病してくることにより、私達の主張の正しいことが疫学的に証明されることになるのです。

然もその際に注意すべきなのは、その時になって認知症の専門家達が騒ぎ出す人達は既に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)のレベルに症状が進んでいることなのです。その上、認知症の専門家と言われる人達が問題としていない(認知症だということが理解できていない為に、「不活発病」とか「老化現象」とかの見方から、見逃してしまっているだけなのですが)「軽度認知症」(小ボケ)と「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人達の数を併せるとその数は、「重度認知症」(大ボケ)の人達の数の4倍にもなっているはずなのです。「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで脳の機能が衰えてしまうと、脳の機能を正常な機能レベルに回復させることは困難になるのです。「中ボケ」レベルに回復させることさえも困難になるのです。医療の現場で行われているような、「大ボケ」の段階で見つけても意味がないのです。

 

○  「キッカケ」となりうる状況や出来事は、高齢者の誰にも起きてくる

「左脳」(仕事)中心の生活だけを生き甲斐に第一の人生を送ってきた人は、定年退職や家業の廃止や家業を息子に譲って仕事がない毎日が始まり、「左脳」を使う機会が極端に少なくなっても、趣味や遊びや人づきあいや運動など、「右脳」や「運動の脳」を使う目標への切り替えが出来ないのです。そのため、「時間だけはたっぷりあるのにすることがない」毎日、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」で毎日を過ごすことになることが多いのです。

他方、趣味や遊びや人づきあいや運動などを自分なりに楽しむ毎日を過ごし、生き甲斐や目標があり脳全体をしっかり使う「生活習慣」がある人達も、安心するのは未だ早いのです。「ボケ」とは無縁の「第二の人生」を過ごしているはずなのに、そうした「生活習慣」とは関係なく、ある日突然降って湧いたように後で例示する「生活状況の変化或いは出来事の発生」に遭遇することになるからです。

そのことに衝撃を受けて、大きな痛手を感じ、立ち上がる「意欲」をなくしてしまって、趣味や遊びや人づきあいや運動を楽しむ生活、或いは何らかの社会活動に参加する生活、言い換えると「生き甲斐や目標がある生活」ができなくなり、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々過ごすようになる「お年寄り達」が極めて多いのです。そうしたお年寄り達が、日本全国どこにでもいるのです。

 

○  「単調な生活」開始の「キッカケ」となる出来事や状況の例示

集積した多数のデータから言えば、次に例示するような「生活状況の変化や出来事」が起きてくれば、「ナイナイ尽くしの単調な生活」が始まる「キッカケ」となる可能性が高いということなのです。但し、こうした具体例のような「生活状況の変化や出来事の発生」がそのまま「キッカケ」になるかどうかは人それぞれ、一概には言えない点にも注意が必要です。

その「生活状況」に遭遇した本人の「受け止め方及び対応の仕方」次第なのです。本人にとっての生活に占める重要度と痛手を感じる深さ次第で、本人がとる態度が変わってくることに留意してください。ある程度重要なものでも、本人の痛手が小さければ「キッカケ」にならないし、周りからみてそれ程重要でなくても、本人の痛手が大きければ「キッカケ」になるということなのです。

□ 仕事の第一線を退くこと(定年退職、家業の廃止、家業を息子に譲る、嫁に家事を譲る)

□ 世話役を降りること(子供や孫の手離れ、地域の世話役を退く)

□ 配偶者の死亡(特に、妻が死亡したときの夫)

□ 趣味や遊びやお茶飲み会などの「集いの会」の中止

□ 重大な病気や怪我、腰痛その他の身体上の不具合、配偶者の看病生活(自身の病気や怪我による入院や療養生活、病気や怪我あるいは身体の痛みなどの不具合が継続する生活、認知症その他の重い病気の配偶者の看病生活)

□ 重大な災害の被災により、財産や家族や友人や思い出を失うこと

□ 家庭内のトラブルや心配事(息子のリストラやサラ金問題、息子や娘の離婚、孫の不登校、家庭内の不和)

□ 家族の一員のように可愛がっていたペットの死亡

□ 友人や自分自身の転居(転居により旧来の友達を失い、新しい友達が出来ない)

□ 兄弟姉妹の死(特に、相手が自分より年少の場合は痛手が大きい)

□ 周囲との接触もない孤独な一人暮らし(趣味や遊びや交遊を楽しんでいるような暮らし振りの一人暮らしなら、ボケとは無縁です)

□ さびしい生活 (二世代同居といいながら、家庭の隅に追いやられて家族との会話もないさびしい生活)

 

○  「アルツハイマー型認知症」の発病を左右する「分岐点」となるもの

前回の報告でも説明したように、「キッカケ」となりそうな状況の発生に対する「受け止め方及び対応の仕方」が人によって異なるので、一概には言えないという側面があるのです。それ迄と変わらず、それなりに生き甲斐や目標がある楽しい生活を続けていける人もいれば、他方で、意欲をなくしてしまい、生き甲斐や目標もない、趣味や遊びや人づきあいも楽しまない、何らかの社会活動に参加する機会もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に変わってしまう人もいるのです。

私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、「キッカケ」発生の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います。「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです。

但し、「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に直結することになる訳ではないことは上述した通りです。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況の変化」(或は、「生活上の出来事」の発生)に対する「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」が極めて重要となるからです。

或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、その発生に対処しようとする自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものだということが重要なのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。その意味で、「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」という側面が極めて重要な要素となるということなのです。

 

○  脳のメカニズムから見た、「脳を使う」ことの意味

「脳を使う」ということは、意識的に何かの「テーマ」を実行するということなのです。ところで、脳を使うってどういう「テーマ」を実行することだとあなたは思っていますか。「勉強」することですか?「仕事」をすることですか?「遊ぶ」ことは、どうですか?「趣味や人付き合い」を楽しむことは、どうですか?「散歩」をするのは、どうですか?

※「勉強」するということは、「左脳」を主に使うことになります。「左脳」は、言葉、論理、計算、場合分け等の「デジタルな情報の処理」を担当しているからです。

※「仕事」をすることが脳を使うことですか?「仕事」も「勉強」と同じく、「左脳」を主に使うことになります。

※「遊ぶ」ことや「趣味や人付き合い」を楽しむことは、「右脳」を主に使うことになります。「右脳」は、色や形や音や時間や空間、感情等の「アナログな情報の処理」を担当しているからです。

※「散歩」をすることは、「運動の脳」を使うことになります。「運動の脳」は、身体を動かす働きを担当しているからです。

 

○  「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する5つの秘策

「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する秘策はあるか。あるのです。それは、簡単な足し算や引き算をすることではないのです。ひら仮名で書かれた簡単な文章を音読することでもないのです。ここで忘れてならないことは、脳全体の司令塔の「前頭葉」のことなのです。「左脳」が「デジタルな情報の処理」を実行するときも、「右脳」が「アナログな情報の処理」を実行するときも、「運動の脳」が「身体を動かす」ときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳、運動の脳の三頭の馬)の御者の役割をしている「前頭葉」の指示なしには、勝手には動かない仕組みになっているからです。

三頭の馬のどれかが動くときには、必ず「前頭葉」からの指示があるのです。言い換えると、「前頭葉」自体(三頭の馬を主導し制御しつつ、同時に協働して働く)というのが、「意識的な行為」下で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。「三頭立ての馬車」のいづれかの「馬」が働く場面があるということは、不可分的に「前頭葉」の三本柱の機能を含む各種機能が働く場面があるということになるのです。但し、三本柱の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が活性化することが前提となります。この三本柱の機能が衰えてしまうと、「前頭葉」の個別認知機能が発揮できなくなるからなのです。脳の活性化とは、「前頭葉」の活性化のことであり、就中三本柱の機能の活性化と言うことでもあるのです。あなたにとって、意欲が沸々と湧いてくるとき、注意の集中力が高まるとき、注意の分配力が高まり脳の回転が速くなるときとはどんな時ですか、どんな「テーマ」を実行しているときですか。

「アルツハイマー型認知症」を予防する秘策は、達成すべき「目標」がある自分なりの「テーマ」を見つけて、その「目標」を達成する過程自体や「目標」を達成したことにより自分なりの「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、「前頭葉」の三本柱の機能の活性化につながるのです。「前頭葉」の三本柱の機能の活性化が得られるような「テーマ」や「目標」を持ち、その実行を自分なりに楽しむ生活、そうした「生活習慣」を構築することこそが、「アルツハイマー型認知症」発病の「予防」に直結するのです。

※ 「アルツハイマー型認知症」を予防する方法とは、日常生活のいろんな場面で、「前頭葉」を含む脳全体をしっかり使ってやることなのです。「趣味」や「遊び」や「人づきあい」や「運動」或いは地域興し等の「社会活動」を自分なりのやり方で「楽しむ」生活を「習慣化」することに尽きるのです。自分なりの「目標」や「喜び」や「生き甲斐」がある生活を送ることで、「前頭葉」の出番を増やしてやる(しっかり使ってやる)ことしか方法はないと言うのが、データと実践に裏付けられた私達の考えなのです。

第二の人生を、ボケとは無縁で自分らしくいきいきと生きるために不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「大原則」。「左脳」中心、仕事偏重だった第一の人生とは生き方を変え、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが必要不可欠の条件となるのです。 

       

やることが楽しくて、「意欲」が自然と湧いて来て、熱中できるようなテーマ、「注意を集中」したり、「注意を分配」したり(複数の異なったテーマを同時並行して実行する前頭葉の機能)することができるだけ多い「テーマ」に取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣化」するよう、意識的に努力して欲しいのです。

☆ 熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ

☆ 社会活動への参加を含め出来るだけたくさんの友達と親しく交わる機会を持つ

☆ 自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける

☆ 精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす

☆ 散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ

 

○ これこそ、蛇足?!

※今さら 「趣味」や「遊び」に挑戦と言ったって、もともと私は無趣味なの。私の「第一の人生」を一言で言えば、牛馬のごとくに働くばかりの人生だったのよ。

※ 社会活動に参加するなどして出来るだけ友達づき合いの機会を増やせと言われたって、私は人見知りをする性質なの。おまけに、マンションに住んでいるので、隣の家とも付き合いがないのよ。

※ 先がそれほど長くもないこの私に「生き甲斐」や「目標」を見つけろと言われても、この年で、何があるというのよ。身体が丈夫で、暇があるだけで、社会的地位も学歴もお金もないのよ。

※ 空気のような存在感で長年連れ添ってきたとはいえ、老夫婦二人だけの生活では、お互いに話すことさえもないのよ。緊張感なんてまるでないもの。日常交わされる会話と言ったら、「おい、飯。風呂は?寝るぞ。」くらいのものなのよ。

※ 私、リュウマチの気があって、関節が痛いのよ。杖を頼りに、ヨチヨチ歩くのが関の山なの。運動するなんて、考えたこともないわ。

まあ、なんて口がよく回る人達なのかしら。言い訳ばかりして、楽をしていると、知らず知らずのうちに「意欲」自体が急なカーブを描いて衰えてくるようになってきて、言い訳さえもする意欲がなくなってしまうのよ。

「アルツハイマー型認知症」になって、症状が重くなってきて、介護施設にお世話になるようになると、税金による負担分だけでも毎月1人当りで30万円ものお金が必要になるのよ。家族や1000兆円を超える債務を抱える財政難のこの国に迷惑をかけたくないなら(未だ、そのことの意味が理解できるくらいの「前頭葉」の機能レベルに在るなら)、言い訳ばかりしてないで、自分なりの方策を見つけ出す努力をすることね。 頑張ってね。

 注)本著作物(このブログA-93に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

  エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください。

  機能からみた認知症の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

    http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 

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