浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

1泊2日の関西旅行(続き)

2017年12月30日 22時10分04秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月21日の朝は、路線バスで瀬戸駅に向かった。
母親も一緒である。

瀬戸駅からは、8時06分発の1304M・相生行きに乗った。
115系の普通列車である。
わたしたちは、最後尾のクハ115-1234に乗車した。
列車が終点の相生に着くと、播州赤穂発姫路行きの普通列車に乗り換えた。
わたしたちが乗った列車は、8時57分発の942Mである。
その列車は、223系の4両編成だった。
その列車が、途中の網干駅に止まると、下車して、9時29分発の3242M・新快速に乗り換えた。
新快速は、途中の姫路までは、はりま勝原、英賀保の順に、各駅に停車したが、姫路からは、速達列車となった。
姫路から先の停車駅は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻の順だった。
高槻駅に止まると、下車して、いったん改札の外に出て、駅前のショッピングモールの中にあるそば店で、昼食をとった。
そのあと、駅に戻り、京都行きの普通電車に乗った。
その普通電車は、207系の7両編成で、わたしたちは、中間のサハ207-1に乗車した。
普通電車が、向日町駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、JR向日町発善峯寺行きの阪急バスを待った。
そのときは、絶え間なく雨が降っていた。
12時半頃、阪急バスが駅前の狭いロータリーに入ってきた。
バスの行き先は、善峯寺だった。
12時35分頃、善峯寺行きのバスは、出発した。
次は、阪急東向日である。
バスが阪急東向日駅前のバス停に着く少し前、阪急電鉄京都線の踏切を渡った。
そして、右折して、東向日駅前に入った。
そのときは、誘導員が一般車の流れを止めていたので、バスはスムーズに通れた。
それから、阪急東向日である。
なお、その付近の道路は、路線バス以外の大型車両は通行禁止になっている。
阪急電鉄の駅前である阪急東向日からは、運転手以外の乗務員も乗ってきた。
そして、バスは出発した。
しばらくバスは、住宅地などの道路を進んだ。
そのあとは、人家はまばらになり、田畑の広がる箇所を走った。
車内の乗客は少なくなった・
また、狭路を走る箇所も多くなった。
それから、山の中を進んだ。
そして、13時10分頃、終点の善峯寺停留所に着いた。
その日、善峯寺まで乗ったのは、わたしと母親の2人だけだった。



バスから降りたとき、雨が激しく降っていた。



赤い欄干の橋を渡ると、参道である。

しばらく、上り坂が続いた。
その日、その道には、サワガニが多数いた。
踏まないように注意しながら歩いた。

しばらく歩くと、東門である。



それからさらに歩くと、山門を通った。



善峯寺は、西国33箇所第20番札所である。





参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

そのときは、雨降りが激しく、あまり写真撮影ができなかった。









多宝塔のそばにある遊龍の松は、樹齢600年以上で、国指定の天然記念物に指定されている。

そのあと、幸福地蔵や白山社までは歩いた。
しかし、天候が良くなく、薬師堂や阿弥陀堂などへは行っていない。

そのあと、境内から出て、バス停まで歩いた。
ちょうどバスが止まっていたので乗車した。

バスは、善峯寺を出発すると、JR向日町を目指して走った。

バスが、終点のJR向日町に着くと、下車して、大阪までのきっぷを買って、15時11分発の普通電車に乗った。
その電車は、207系の7両編成だった。
電車が大阪に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、土産売り場で買い物をした後、梅田駅へ行き、地下鉄御堂筋線に乗った。
途中の心斎橋駅で御堂筋線を降りて、長堀鶴見緑地線に乗り換えた。
長堀鶴見緑地線の電車が、次の長堀橋駅に止まると、下車して、地上に出て、予約していたホテルに入った。

なお、夕食は、長堀橋駅付近の地下街の飲食店でとった。

そして、10月22日の朝、朝食などを済ませた後、ホテルをチェックアウトした。
それから、地下鉄堺筋線の天下茶屋行きの電車に乗った。
その電車は、大阪市交通局の66系だった。
堺筋線の電車が終点の天下茶屋に着くと、改札を出て、今度は、南海電車のホームに入った。
そして、泉北高速鉄道の和泉中央駅に行く準急行に乗った。
その電車は、泉北高速鉄道の車両で、わたしたちが乗った車両の車番は7507だった。
電車は、中百舌鳥までは南海の路線を走ったが、中百舌鳥から泉北高速鉄道に乗り入れた。
南海高野線内は、踏切が多数あったが、泉北高速鉄道線内は、トンネル以外は、高架の上を走り、踏切は一つもない。
電車が終点の和泉中央駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅構内のコンビニで昼食を買い、コインロッカーに大きな荷物を預けてから、バス乗り場に行った。
雨は激しく降っていた。
しばらく待つと、槙尾中学校前を通るバスが来たので、それに乗った。バスは南海バスである。
30分ほどバスに乗り、槙尾中学校前で降りると、コミュニティバス・オレンジバスの乗り場へ行った。
そのとき、ある親切な方たちが、「どちらまで行かれるのですか」と声をかけてこられた。
槙尾山・施福寺に行くことを言うと、「大雨だし、台風が接近しているから御朱印を受けに行くのは無理ですよ」
とその方たちはおっしゃっていた。
せっかく行ったのに、断念せざるを得なかった。
まあ、台風接近時に行こうとしていたわたしたちが無謀だったのかもしれない。
そこで、あきらめて、和泉中央駅に向かうバスで引き返した。

そのあとは、予定になかった、久保惣記念美術館に行くことにした。
そのため、美術館前行きのバスに乗った。
そのバスは、途中までは、若い人たちで混雑していた。
しかし、美術館前まで乗ったのは、わたしたちだけだった。
バスを降りた後は、美術館に入り、展示されている絵画などを観賞した。

しかし、台風接近のため、途中で臨時閉館することになった。
そこで、慌ただしく美術館をあとにして、バス停に行き、和泉中央へ向かうバスを待った。
和泉中央経由のバスが来ると乗車し、和泉中央駅で降りた。
そのあとは、駅構内のベーカリーカフェで少し休憩し、それから、コインロッカーの荷物をとって、南海新今宮までのきっぷを買って、改札を通った。
ちょうど、区間急行電車が停車していたので、それに乗った。
台風が接近していて、帰りの電車がストップしないうちに帰らなければ、その次の日の出勤ができなくなってしまう。
それを懸念していた。
和泉中央発の区間急行電車が、新今宮に止まると、下車して、JRとの連絡改札を通った。
そして、新今宮から大阪までは、関空快速と紀州路快速との併結列車に乗った。
大阪から姫路までは、新快速に乗った。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車に乗り、途中の相生で、山陽本線経由岡山行きに乗り換えた。
その列車は、115系の3両編成だった。
列車は、相生を出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に停車した。
船坂峠を通る列車は、たいてい船坂峠の上郡と三石との間で車掌が巡回に来るが、その日のその列車では、わたしたちが乗った先頭の車両には、その区間では車掌は回ってこなかった。
だが、珍しいことに、和気と熊山との間で、後ろから順に車内改札を行っていた。
なお、熊山駅が近づくと、途中で車内改札を中断し、万富と瀬戸の間で再開していた。
列車が、瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで帰路についた。

こうして、西国33カ所札所目的の旅行を終えることができた。
第4番札所の施福寺に行けなかったのが大変残念であるが、いつかはリベンジしたいと思う。

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通販で鉄道模型を購入

2017年12月28日 22時06分18秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。
鉄道模型製品を予約していて、それが入荷したからである。
宅配ドライバーに代金を支払って、荷物を受け取ると、開封した。

今回購入したものは、以下のとおりである。
トミーテック 鉄コレ 京阪電車大津線700形(新塗装)2両セット 1セット
トミーテック 鉄コレ 京阪電車大津線700形 2両セット 1セット
トミーテック バスコレ茨城交通 ガールズ&パンツァーバス2号車 1台
トミーテック ザ・バスコレクション第23弾ミニバス編第3弾 1ボックス



以上が、今回の模型購入の内容である。
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近鉄南大阪線で撮り鉄(続き)

2017年12月27日 22時33分28秒 | カメラ・写真
今さら9月のことを記事化してすみません。

9月24日の朝は、秋の関西ワンデーパスを持って、マイカーで熊山駅に向かった。
マイカー用の駐車場に車を止めると、駅舎へ行き、ワンデーパスと同時に購入した熊山から上郡までの乗車券を改札機に通して、ホームに入った。
熊山駅からは、6時41分発の1300M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で、わたしは、最後尾のクハ111の2071に乗車した。
列車は、熊山駅を出発すると、和気、吉永、三石の順に停車し、三石を出発すると、まもなく、船坂トンネルに入った。
そして、列車は、兵庫県に入った。
そのあとは、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車した。
姫路からは、8時09分発の3230M・新快速に乗車した。
わたしは、最後尾のクハ222-1005に乗車した。
新快速は、姫路を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に止まると、下車して、大阪環状線のホームへ行った。
大阪からは、大阪環状線外回りの電車に乗車した。
その電車は、323系だった。
大阪環状線の電車が、天王寺駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、大阪阿部野橋駅へ行き、10時20分発の急行・吉野行きに乗車した。
その電車は、4両編成で、わたしが乗車した車両の車番は、6043だった。
急行電車が古市駅に止まると、下車して、10時48分発の準急・橿原神宮行きに乗り換えた。
わたしが乗車した車両の車番は、6623だった。
準急電車が、上ノ太子駅に止まると、下車して、構内通路の吉野方で、駅撮りを開始した。
その場所の端なら、駅の利用者などの邪魔にならずに、撮影を楽しめる。

まずは、下り(吉野方面行き)の特急電車を撮影。



その列車は、16000系だった。
しかし、その場所は、下りはいい構図にならない。

次は、上りの特急「さくらライナー」を撮影。



その場所は、4両以下の上り列車を撮影するのに向いているだろう。

その次は、上り準急電車の駅停車中の写真を撮った。



後追いの写真である。

その次は、上りの急行電車を撮影。



4両編成だった。

その次は、上りの普通電車を撮影。



普通電車は2両編成である。

その次は、特急電車を撮影。



古参車両16000系の2両編成だった。

その次は、準急電車を撮影。



4両編成だった。

そして、その次は、急行電車を撮影した。



復刻色の編成だった。

その次は、普通電車を撮影。



2両編成である。

そして、その次は、特急「さくらライナー」を撮影。



その日は、2本の「さくらライナー」を撮影した。

そして、その撮影を以って、その日のその場所での撮り鉄は終了した。

そのあとは、いったん改札を出て、切符を買って、再度改札内に入った。
そして、大阪阿部野橋行きの準急電車に乗った。
わたしが乗車した車両の車番は、6773だった。
準急電車が、古市駅に止まると、下車して、改札の外に出た。

駅前には、近鉄の路線バスが発着する。
バスを何台か撮影した。







そのあと、昼食をとるため、飲食店をさがしに歩いた。
古市駅付近は、昼食向きの飲食店があまり多くない。
しばらく歩くと、羽曳野市役所の付近まで進んだ。
その近くにうどん店があったので、入ったら、順番待ちの列が長かった。
それほど人気店なのだろうか?
土地勘のない場所で他の店を探すのも大変なので、その店で待つことにした。
そして30分近く待って、やっと席に案内された。
注文後、しばらく待って、やっと昼食である。

長い間待たされたうどん店をあとにすると、古市駅に向かって歩いたのはいうまでもない。
古市駅からは、13時46分発の準急・大阪阿部野橋行きに乗った。
準急電車が、終点の大阪阿部野橋駅に着くと、下車して、天王寺駅へ向かって歩いた。
そして、改札を通ると、14時20分発の内回りの電車に乗った。
その電車は、221系である。
わたしは、中間のサハ220-17に乗車した。
大阪環状線の電車が、大阪駅に止まると、下車して、15時00分発の3269M・新快速に乗車した。
姫路行きの新快速電車である。
わたしが乗車した車両は、先頭の車両で、車番はクハ223-1011だった。
新快速は、大阪を出発すると、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、姫路の順に停車した。
姫路が終点である。
姫路からは、播州赤穂行きの普通列車の979Mに乗車した。
その列車は、16時03分発である。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
列車が、相生に止まると、下車して、相生発の1327Mに乗り換えた。
その列車は、16時25分に、相生駅を出発した。
列車は、115系の3両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1240に乗車した。
その列車は、相生を出発すると、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、船坂トンネルを通り、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
そのあとは、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、「さくらライナー」の撮影を目的とした外出を終えることができた。
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列車と船で生口島へ(続き)

2017年12月26日 20時47分13秒 | Weblog
今さら9月のことを記事化してすみません。

9月3日の朝は、マイカーで熊山駅に向かった。
母親も一緒である。

熊山駅からは、6時44分発の705M・三原行きに乗車した。
なお、その時間帯、熊山駅は駅員不在のため、18きっぷへのスタンプはまだ押されていない。
列車は、万富、瀬戸、上道、東岡山、高島、西川原・就実前、岡山の順に停車した。
岡山駅では、多数の乗客が入れ替わった。
岡山からは、列車番号が、407Mに変わった。
そのあとも、列車は、各駅に停車した。
途中の尾道駅に停車すると、下車して、改札口で、18きっぷにスタンプを押してもらった。
そのあと、駅前付近の港へ行った。



尾道駅前港からは、9時15分発の瀬戸田港行きの船に乗った。
高速艇タイプの小さな船だった。
天候が良かったのか、その日は、船は乗客が多かった。



出港後、船員の一人が、運賃の徴収にまわってきた。

船は途中、何カ所かの港に寄りながら、9時54分に、生口島の瀬戸田港に到着した。



瀬戸田港の待合室には、船の模型が多数展示されていた。



どれも、丁寧に作られている。

瀬戸田港からは、平山郁夫美術館へ向かって歩いた。



その途中で、向上寺の塔が見えたので、撮影した。



望遠レンズで撮影したので、すぐ近くにあるように見えるが、実際はかなり離れている。

そのあとも、商店街を歩いた。
商店街を通り抜けて少し歩くと、平山郁夫美術館がある。
美術館から少し歩いたところにカフェがあったので、そこで軽食をとり、コーヒーを飲みながら休憩し、それから、美術館に入った。



なお、美術館内部は撮影禁止のため、写真撮影は行っていない。

平山郁夫美術館を観覧後は、商店街を歩き、向上寺へ向かって歩いた。
その途中、親切な方が、向上寺まで案内してくださった。



向上寺は、曹洞宗の寺院で、開基は生口守平である。

境内にある三重塔は国宝に指定されている。

境内には眺めの良い場所がある。







本堂を参拝後、石段を昇り、国宝の三重塔へ行った。





三重塔付近からも海を見ることができる。



そのあとは、瀬戸田港付近の飲食店に行き、昼食をとった。

そして、港へ戻ると、船を待った。

帰りに乗った船は、尾道行きではなく、三原行きである。



14時頃、三原港行きの船は、瀬戸田港を出発した。
その船も、出港後、船員の一人が運賃を徴収にまわってきた。

14時28分、船は、三原港に到着した。
下船後は、三原駅へ向かって歩いた。

三原駅からは、15時15分発の4432M・福山行きに乗った。
そして、次の糸崎駅に止まると、下車して、15時36分発の1758M・姫路行きを待った。
それなら、岡山駅で乗り換える必要がない。
15時36分、1758Mは、糸崎駅を出発した。
列車は、各駅に停車した。
途中の岡山駅からは、列車番号が1328Mに変わった。
そのあとも、各駅に停車し、熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、18きっぷの消化と平山郁夫美術館などを目的とした外出を終えることができた。
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1泊2日の天橋立旅行(その4)

2017年12月24日 22時58分12秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月25日の朝は、京都府宮津市の天橋立の近くにある某旅館で迎えた。
母親も一緒である。



朝食後、チェックアウトをすると、ケーブルカーの府中駅へ向かって歩いた。
駅に着いたのは、朝の8時40分頃だった。



駅のコインロッカーに大きな荷物を預けてから、ケーブルカーに乗った。

ケーブルカーの乗車時間は約4分だった。
到着した駅は、傘松である。

駅付近からも、天橋立を眺めることができる。



傘松駅からは、成相寺に行くバスが出ている。
わたしたちは、西国33箇所第28番札所である成相寺へ行くため、バスに乗った。
小型のバスだが、車内は空いていた。
傘松から成相寺までの道は狭く対向不可能だが、バス専用のため、他の車両に阻まれることなく走った。
また、所々で眺めの良い箇所があり、そういう箇所では、運転手がバスを停止させたり徐行したりして、観光案内をしていた。
約7分ほどで、バスは、成相寺に到着した。



バスを降りると、本堂を目指して、石段を昇った。







本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

そのあと、五重塔のほうへ向かって歩いた。



その五重塔は平成になって建てられたものである。

また、展望台にも行き、天橋立などを眺めた。



それから、バス乗り場へ行き、傘松行きのバスに乗った。



眺めの良い場所では、バスが停車し、運転手がマイクで説明していた。



バスが傘松駅前に着くと、下車した。



そのあとも、天橋立を眺めて楽しんだ。



そして、傘松公園をあとにして、ケーブルで下りた、



そのあと、府中駅のロッカーの荷物を回収し、一の宮桟橋付近で土産を買い、大きな荷物を一の宮桟橋のコインロッカーに預けたあと、天橋立を歩いた。





天橋立の道は、自動車は通行禁止だが、自転車や125CC以下の二輪車は通ることができる。
わたしたちは、徒歩で進んだ。
自転車でサイクリングを楽しんでいる人も見かけた。
また、道の途中に公衆トイレが設置されている個所があった。



わたしたちは、天橋立の途中まで歩いて、一の宮桟橋へ引き返した。

そして、観光船で、天橋立桟橋へ向かった。



天橋立桟橋に着くと、昼食をとることにした。
しかし、付近の飲食店は、どこも高く、どの店に入るのがよいのか迷いながら、天橋立駅のそばに着いた。

結局、飲食店には入らず、近くの店で、押し寿司などの弁当を買って、駅の待合所で食した。

そのあと、しばらく列車を待った。
天橋立駅からは、京都行きの特急『はしだて6号』に乗った。
途中の福知山までは、京都丹後鉄道の路線を走る。
わたしたちが乗車した車両は、自由席の車両である。
入線から発車まで時間があるのか、停車中、車掌がこまめに車内を回り、発車前に車内改札を行っていた。
14時56分、特急『はしだて6号』は、天橋立駅を発車した。
次の停車駅は宮津である。
なお、天橋立から宮津までは、座席が進行方向とは逆向きになっていたが、それは、宮津で列車の進行方向が変わるためである。
宮津からは、宮福線に入った。
福知山までの途中の停車駅は、大江のみである。
15時34分、特急『はしだて6号』は、福知山駅に停車した。
わたしたちは、福知山線の特急『こうのとり18号』に乗り換えるため、下車したが、わたしたち以外にも下車客は多数いた。
福知山からは、特急『こうのとり18号』に乗った。
わたしたちが乗った車両は、普通車指定席の2号車である。
列車は、15時45分に、福知山駅を発車した。
福知山駅の次は、柏原に停車した。
福知山線を南下中、兵庫県に入ると、曇っていた空が晴天になった。
『こうのとり18号』は、柏原、篠山口、三田、宝塚、尼崎の順に停車した。
17時14分に、尼崎駅に止まると、下車して、17時21分発の3487M・新快速に乗り換えた。
車内は混雑していた。
新快速は、尼崎を出発すると、芦屋、三ノ宮の順に停車した。
三ノ宮では乗客の入れ替わりが多く、席に座ることができた。
そのあとは、神戸、明石、西明石、加古川、姫路の順に停車した。
姫路駅に停車すると、下車した。
そして、駅弁を買ってから、19時04分発の1335M・岡山行きを待った。山陽本線の普通列車である。
1335Mが入線すると、座席に座り、駅弁を開けた。
その列車は、4両編成で、わたしたちは、先頭の車両に乗った。
なお、その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、船坂トンネルと通って、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
そのあとは、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで、帰宅した。

こうして、西国33箇所第28番札所・成相寺と天橋立、伊根などを目的とした1泊2日の旅行を終えることができた。
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1泊2日の天橋立旅行(その3)

2017年12月22日 21時42分57秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月24日の午後2時過ぎは、天橋立の北側の国道178号線沿いにいた。
母親も一緒である。
籠神社付近のバス停で伊根方面へ向かうバスを待った。
しばらくすると、バスが来た。丹後海陸交通のバスである。
バスは、丹後半島の海に沿って、国道178号線を走った。
途中、崖と海の間を通る箇所もあった。
それ以外は、典型的な漁村風景が目に入った。
午後2時40分頃、バスは、伊根湾めぐり・日出停留所に着いた。
その停留所で降りると、すぐ前に伊根航路のの日出発着場所がある。

その付近に、現在では珍しくなってきた警笛鳴らせの標識があったので、撮影した。



それから、伊根湾めぐりの遊覧船乗り場へ行き、乗船券を買った。



乗り場付近の建物には、乗船券の窓口のほか、トイレと土産店があった。

しばらくすると、遊覧船に乗船した。

その日は、天候が良く、船から写真を撮影するのにもってこいだった。

























船の屋上などから、稲の舟屋群の集落などを観たり、写真撮影を楽しんだ。

そして、日出発着場所に戻った。
約25分のクルーズだった。
日出発着場所に戻ると、バス停で宮津方面へ向かうバスを待った。
若干遅れてバスが来た。
そのバスは、混雑していて、ほとんどの席が埋まっていた。
母親は優先座席に座ったが、わたしは立った。
バスが神社前の停留所に着くと、一の宮桟橋のコインロッカーに行き、預けていた荷物を回収後、宿へ向かった。



宿の部屋は、天橋立側だった。



夕食まで時間があったので、籠神社を参拝した。

その神社は、丹後国一宮で、主祭神は彦火明命 (ひこほあかりのみこと)である。







なお、神門より内部は撮影が禁止なので、写真撮影はしていない。

参拝後は、宿に戻った。
夕食も宿の料理である。

こうして、8月24日の夕方から25日の朝まで宿で過ごした。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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1泊2日の天橋立旅行(その2)

2017年12月20日 21時53分11秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月24日の朝は、路線バスで瀬戸駅に向かった。
母親も一緒である。
瀬戸駅からは、7時25分発の1302M・姫路行きに乗った。
18きっぷの時期のため、車内は混雑していたが、熊山で中高生が多数下車したため、熊山からは座ることができた。
その列車は、8時34分に、終点の姫路に到着した。
姫路からは、8時55分発の3436M・新快速に乗車した。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎の順に停車した。
尼崎駅で新快速を降りると、駅コンビニで間食を買って、特急『こうのとり5号』に乗るため、しばらく待った。
その列車は、新大阪発城崎温泉行の特急列車で、10時18分に、尼崎駅を出発した。
なお、その日、その列車の運転士と車掌はともに女性だった。
その列車は、289系の4両編成だった。
わたしたちは、普通車指定席の2号車に乗った。
車内は半分以上の座席に乗客がいた。
尼崎駅を出発すると、次は、宝塚に停車した。
その間、車掌とは別の客室乗務員の男性が、車内改札を行った。
その客室乗務員は、篠山口列車区の乗務員だった。
宝塚までは、車窓にはマンションなどの集合住宅や商店、工場などの建物が建ち並ぶ市街地の風景だったが、宝塚を出発すると、列車は、山の中の渓谷に入り、家屋はまばらになった。
そのあとは、三田、篠山口の順に停車した。
篠山口からは、線路が単線になった。
車窓の風景も、山間の田園風景がほとんどだった。
途中、柏原に停車した。
そして、柏原の次の停車駅が福知山である。
福知山駅に到着する少し前、福知山駅停車の案内と、福知山の観光案内の放送があった。
11時42分、特急『こうのとり5号』は、福知山駅に停車した。



福知山駅で『こうのとり5号』から降りると、京都丹後鉄道の窓口へ行った。
そして、2days天橋立まるごとフリーパスという企画乗車券を買った。
その乗車券は、京都丹後鉄道線内の特急列車も、自由席なら、特急券なしで乗ることができる。
フリーパス購入後は、天橋立行きの特急列車『はしだて3号』の自由席に乗った。
その列車は、11時54分に福知山駅を出発する。
京都発の列車で、福知山駅は途中駅だが、幸いにも自由席に空席があった。
発車までしばらく時間があったためか、停車中、車掌が車内改札に来た。
11時54分、『はしだて3号』は、福知山駅を出発した。
特急列車が止まっていたホームはJRのホームだが、駅を出発後、まもなく、京都丹後鉄道宮福線に入った。
開業が比較的新しい路線(昭和63年開業)なので、宮津駅構内を除くと踏切はなく、高架橋やトンネルが多かった。
途中、大江に停車した。
車窓の風景は、山と田畑がほとんどである。
12時22分、列車は、宮津駅に停車した。
宮津からは、宮豊線(旧宮津線)を走る。それは、JR宮津線から移管された路線である。
また、宮津で、列車の進行方向が変わった。
次の駅が、終点の天橋立である。
車窓からは、海が見えた箇所があった。
12時33分、特急『はしだて3号』は、終点の天橋立駅に到着した。





天橋立駅に着くと、下車して、改札を通り、駅の外に出た。
その途中にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、観光船に乗るため、乗り場に向かって歩いた。
その途中には、智恩寺がある。







文殊菩薩が安置されていることで知られている寺院である。

智恩寺を参拝後、観光船の乗り場である天橋立桟橋へ行き、フリーパスで乗船した。





乗船時間は約12分だった。
船が一の宮桟橋に着くと、下船して、予約していた旅館へ行った。
チェックインまでは時間があったが、大きな荷物を預かってもらおうと思ったからである。
しかし、まだ開いていなかったので、桟橋のコインロッカーに預けて、それから、伊根へ向かう路線バスを待った。
伊根湾めぐりを楽しみに行くためである。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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本日の模型購入

2017年12月18日 22時03分42秒 | 鉄道模型
今日の午後は、倉敷市街地の商店街にある某店へ行った。
鉄道模型製品を買いに行ったのである。

本日は、KATOのDF50形ディーゼル機関車を1両購入した。



その製品は、市場品薄になって久しいが、その店には1両在庫があったので、本日購入した。
いつかは、旧客や雑多な貨車などを牽かせて楽しみたいと思う。

以上が、本日の模型購入の内容である。
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モデルフェスティバルに参加

2017年12月14日 11時39分55秒 | 鉄道模型
今月10日は、岡山市某所にある、鉄道模型サークル虹会の運転会場で、モデルフェスティバルが開催された。
それは、参加者が出品した鉄道模型作品の評価点を競うイベントである。



その日は、12人が出品した。
わたしは、名鉄5300系とレイアウトセクションで出品した。
わたし以外は、みんなHOゲージだった。





























優勝は、EF200形電気機関車を出品された方(虹会会長)だった。

そのイベントでは、HOゲージなどの大型模型は得点が多い(評価が高い)が、Nゲージなどの小型模型は得点が低い傾向がある。
私的には残念な結果となったが、楽しい一日だったと感じた。

そのあとは、鉄道友の会東中国支部の忘年会が行われ、夕方撤収となった。

また来年以降も楽しみである。
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レイアウトセクション完成

2017年12月09日 22時04分38秒 | 鉄道模型
昨日8日は、仕事が公休だった。
そこで、レイアウトセクションの製作作業を行った。

その日は、まずは、近郊住宅の庭の隣の土地にシーナリーペーパーやグリーンマット(正しい商品名やメーカーなどは失念)を貼る作業から始めた。
シーナリーペーパーで地面の部分、グリーンマットで芝生を表現した。
続いて、田んぼを表現するために、人工芝を貼る作業も行った。
それから、道路の路面表示の作業にかかった。
路側帯や車道外側線などの白線は白色のレトラテープを貼って表現し、横断歩道や停止線はコピー用紙の余白部分を切ったものを使用した。
黄色のセンターラインは、タミヤのマスキングテープを細く切ったものを使用した。
そのあと、バス停や速度制限の表示を貼ったが、それは、ホビダスで購入したステッカーを切ったものである。
これで、路面表示は完成である。
そのあとは、住宅の土地の周りを塀で囲んだり、アパートの敷地や線路と道路との境界線にフェンスを設置する作業を行った。
塀は津川洋行の製品で、それは、取り付け部分の出っ張りにあわせて、穴を開けて、接着剤を付けたあと差し込んだ。また、土地の寸法に合わせて、適切に切断する必要もある。
アパート敷地のフェンスはCASCOの製品で、それは、透明シートに印刷されているフェンスを適切な長さに切って、使用した。
線路敷地と道路との境界に設置したフェンスは、津川洋行の製品で、それも透明シートに印刷されているフェンスを切り取って使用した。
そのあとは、グリーンマックスの標識にステッカーや標識を印刷した紙を切り取って貼った。
また、信号機の灯火や押しボタンには、ホビダスで購入したステッカーを貼った。
そして、電柱、街路灯、信号機、道路標識、踏切の警報器や遮断機や防護柵、自作の石碑などのアクセサリーを取り付けた。
また、並行して、樹木も植えた。樹木はポポンデッタの製品と栄進堂Tゲージ用のものを使用した。
それから、ベースボード側面をグレーの水性ペンキで塗装した。刷毛を使った手塗りである。
そして、しばらく乾燥させた。
そのあと、こばるの電話ボックスを組み立てた。
そして、歩道に設置した。
そのあと、人形を配置して、そのレイアウトセクションは一応完成となった。
細部に至っては、まだまだ手を加える余地があるが。



いつかは、運転会などで列車を走らせて楽しみたいと思う。
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