千手院のBlog
タイトルそのまま・・・お寺の紹介・生活日記!冬期は墓地の積雪状況もアップしています。
 





今朝の千手院のしだれ桜。
冷たい雨の中、境内にはまだ雪があります。

東京では桜の開花宣言が出されたとか・・・春は本当に楽しみですね。



昨年は4月12日頃が満開になりました。例年ですと4月下旬に見頃を迎えることが多いのですが、昨年は小雪で、今の時期にはほとんど雪がありませんでしたから・・・。一昨年は4月27日、28日くらいが見頃でしたよ。

新潟市と比べても浦佐の桜は半月以上遅い開花になることが多いです。
弘前の桜が満開を迎える少し手前あたりが、千手院の桜たちが満開になるようです。

今年はお正月明けの湿った雪で大きな枝が何本が折られてしまいましたが、何とか持ちこたえてくれました。こうして雪の重みに耐えながら、200年以上立ち続け、咲き続けてくれているのですから、凄いことです。

私の方は、昨日弟がお参りの手伝いをしてくれ、お彼岸の檀家さん宅へのお参りは一段落し、今日は1日事務仕事、明日を迎えて無事に春彼岸が終わりそうです。お彼岸があければ、境内の雪囲いを外す作業が本格的になります。

春の南風が吹いてくると、あれよあれよという間に雪解けが進み、川の水も増え、雪の消えたところから早春の草花が次から次へと芽生えます。
今頃も、残雪の上を歩けばマンサクの黄色い花が出迎えてくれます。
やっぱり春はいいですね~。

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中日  


春彼岸のお中日。浦佐は春らしい穏やかな1日でした。

私も春彼岸参りの4日目、そろそろ喉元がガラガラしてきました。
今朝、お参りに出かけるとき、毘沙門堂下で山装備をした人たちを見かけました。きっと毘沙門堂の裏の残雪の山にでかけたのだと思います。

この残雪の時期、雪の上を歩くのは本当に気持ちが良いのです。
私もお彼岸を終えたら登りたいと思っていたのですが、今日などは最高の日和だったことでしょう。



そして今日は旧二の午の日。
千手院の鎮守様のひとつ、稲荷様に毎年お供えをする日として受け継がれています。
ささやかですが、鯛の御頭に赤飯等をお供えしてお参りしています。

江戸時代の終わり、浦佐は毘沙門堂を中心にして周囲に6ヶ寺のお寺と様々な神々様が祀られていた記録があります。
現在、お寺として残っているのは普光寺さまと千手院のみ、ほかで祀られていた神仏の多くが千手院に集められたこともあり、千手院では本尊様の他にも多くの御尊像が本堂内に祀られているのです。

そんな稲荷様のお参りも終え、これから門前区の常会にでかけてきます。
今年は一番苦手なお金の係、会計の役を担当させていただいたので、そんな報告もあり、ちょっと冷や汗ものです。。。

そして私事ですが、今日はワタクシの誕生日になるのです。
せめてそんな日には、先輩方からのお叱りを受けないよう、「良いお中日だった」と言って寝床につきたいものです~。

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境内、南側に牡丹が10株程度植えられている、その脇の雪が解けたところから顔を出すクロッカス!
毎年、この花が咲くと「本格的な春の季節」と私は判断しています。

このクロッカスの花のすぐ脇は、まだ1m程度の雪に埋もれている牡丹の株があります。

ただ今日は少し気温が低いのか、花が全開までしていませんでした。

私は春のお彼岸参り2日目、朝から檀家さん宅のお参りに出ています。

昭和前半、亡き老僧が千手院に入った頃、檀家さんは30~40軒ほどだったそうです。
それくらいの数ですと、お盆に全部のお宅をお参りすることが十分可能でした。

しかし、高度成長期を迎え、おかげさまで千手院の檀家の数が増していきます。
そうするとお盆の数日で全部の檀家さんのお仏壇にお参りに伺うことが物理的に無理になってきました。

急いでお参りするようになると、お檀家さんと挨拶を交わしたり、近況を話することすらできなくなってくる・・・。
それはいかがなものか?ということで、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸に分け、年に1回はお参りに伺うシステムを老僧が作りました。
ただし、新盆の仏様があるお宅には、普段はお彼岸にお参りしていても、必ずお盆にも伺います。

ですから、他の寺院では彼岸の中日法要などを執り行うところもありますが、千手院では行っていないのです。

春のお彼岸のお参りは天王町区がほとんどです。
天王町区でもお盆に伺っているお宅もありますが、上記の理由から古くからのお檀家さんである訳です。もちろんお寺としては、古かろうと新しかろうとみな千手院を菩提寺としてくれる大切な檀家さんであります。

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明日から春彼岸の入りですね。



千手院の墓地はご覧のよう・・・、やっとお墓の上部が見える程度ですから、お墓参りはできません。
街中では雪はなく、普通に歩けますが、少し高台に上がっただけ、そして消雪設備のない墓地では積雪が約1m30cmといったところでしょうか。

本堂前でも1m程度です。



昨日は涅槃会、14日はその逮夜法要を細々とですが執り行いました。浦佐は月遅れの法要です。
千手院の大きな涅槃図も200年以上大切にされてきました。平成7年に1回だけ修復されていますが、こういうものに出会う度に「本物は残る」と感じます。何でも使い捨ての時代、つくづく考えさせられます。

14日は昼間、東京の護国寺様にある宗務所でご詠歌の講義を受け、法要に間に合うように途中で退席して帰ってきました。
梅の花が満開で、まだ雪の深い浦佐に比べると「春だなぁ~」といった感じでした。そして久々に良い刺激を受けることができました。やはり刺激を受けないといけませんね。

東京で久々に全国のご詠歌同信の方々と会ってお話ししましたが、越後では涅槃会で法要を執り行い、団子撒きなどをする風習が今でも多く見受けられますが、近くの山形などでもあまり行われていないとか?
地域の風習はいろいろですね!


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毎年3月12日は十二山大権現様の日。
十二山大権現とは、山の権現様とされ、越後、特に魚沼地方では各所、各家で今でもお祀りしている方々が多くいらっしゃいます。

ちょうどこの3月中旬から山仕事が始まり「春木山(はるきやま)」(字はこれで正しいか不明です)と云われてきました。
秋に切った山のボイ(薪木)を雪の中から出し、山上から滑り下ろしたりする作業が本格的に始まる時期にあわせて、この十二山大権現さまお祀りし、山の安全とあわせて鳥追いの祈願をする風習とされています。それを略して十二講などともいいます。

山からボイを出す作業は、昭和30年頃を境にして一気に行われなくなってきたようです。

十二講は千手院でもささやかながらその伝統を受け継いでいます。



雪で作られた祠にお札と幣束、お膳にお供物、信者さんの手作りの弓矢、住職が的と山々の景色、今年も作物が豊作であるように野菜類や農機具の絵を手書きしたものを荘厳して、早朝にご祈祷を行います。

読経の後、その弓矢を的に向かって放ちます。
絵に描かれた栗の位置を射ぬけば、「今年は栗がとれるかな」とか、楽しみながら弓矢を放ちます。



その後、山へ向かって鳥たちを払う口上を述べながら弓矢を放ちます。

今年はちょうど日曜日だったため、少し遅めの朝7時からのご祈祷でしたが、平日などにはもっと早くに行ってきた春の年中行事です。
今日はお天気が良く、最高の十二様日和になりました。

昼間はご法事がありました。



ちょっと女性には失礼かも知れません。

正式な名前は分かりませんが、私は子供の頃から「雪虫」と言っていましたが、春先の雪解け時期になるとまれに大量発生する細かい虫たちです。
今日は朝から雪の上にびっしりと雪虫が現れました。
待ちわびた春が確実に訪れてきています。

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昨日3月8日は先代老僧の命日でした。
今でも命日を覚えていて、お参りに来てくださる方がいらっしゃいます。本当に有難いことであります。

老僧が旅立って丸19年が過ぎ、20年目突入です。
本当に時間が経つのが早く、この間に自分はお寺や檀信徒の方々ために何をしてこれたのだろうと考えさせられます。

自分のすべきことは何か?また心を新たにしてがんばりたいと思います。

浦佐ではここ2日の雪でまた新雪が50cmくらい積もったでしょうか・・・、しかしやはり春の雪です。
水分を多く含んだ湿雪です。

今日は年1回の人間ドックを受けてきました。久しぶりに1日ゆっくりと過ごさせていただきました。
何をするにしても健康第一、いただいた身体を大切に、最後まで大切に使い抜くことこそ最大の親孝行・・・とは古典に説かれる教えです。
さぁ、何のために使い抜く???

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毎年、恒例の景色。
お祭りで使用された筵が、寺男達の手によって一斉に干されます。

静まりかえっていた境内も、今日のお日待にて毘沙門堂が開けられました。

これだけの作業をするのも、本当に重労働ですが、お寺に出入りして頑張ってくれる方々のおかげです。

今日の浦佐は真冬に逆戻り、せっかく顔を出したフキノトウもまた雪をかぶってしまいました。



こんな写真をUPしてしまい、綺麗でなく申し訳ありませんが、雪の下からでてきた今年初物のフキノトウ味噌をいただきました。
私、これがあれば十分満足してしまいます。





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3月3日(浦佐ではサンゲツミッカと呼びます)、浦佐毘沙門堂の裸押合大祭も終わりました。
寺院の控え室から、1枚パチリ!昼間の福餅などを撒いている様子です。

朝からお天気がイマイチでしたが、午後からは徐々に晴れ間も出始め、夜の部にはお月様が顔を出し、絶好の条件になりました。

私達、寺院方は朝から16時頃まで、5回の御護摩法要を行い、御導師様と一緒に祈願を上げさせていただきます。

その後、私は残り、夜の部で福物の撒与を行う方々のお祓いを3回に分けておこなうのが例年のお勤めになっています。



同じく、夜の控え室からパチリ。
大ローソクに灯がともされ、写真右の上には弓張りを撒く方々が登り、大ローソクの付近から毘沙門堂内にて福物を撒く方々が人馬に乗って出てくるのです。ローソクに守られながら、男衆が押し合い、もみくちゃになっているお堂の中に入り、上に立って毘沙門様になりかわって福物を撒くのです。

実際の福物は取り合うと壊れてしまうので、名入りの木札を撒いて、それをあとから本部で交換してもらいます。
大の男達が取りあう様は近くで見ると迫力がありますよ~!



私は3回目のお祓いが終わると着替えをして、古山門の片付け作業などに入ります。
お堂内では最後の「ささらすり」が終わった後も、余韻を楽しむかのように男衆が押し合いを続けています。



千手院がお守りしている古山門内。
手前の塗りの箱の中には聖徳太子様、白山大権現様、養蚕尊様の版木から刷られた御姿が入っています。

その奥には「精進供」というお供物の飾り方です。
このお供えの仕方は、千手院が属する真言宗豊山派では行っておらず、高野山でのお供えの仕方であります。

多少の違いはあれど、この飾り方が今も浦佐に伝えられていること、またお盆の盆灯籠などのことを考えても、やはり高野山との関わりが相当に深かったであろうと推察できます。

何度もブログに書かせていただいた、関栄覚大僧正の前後が特に結びつきがあったのだと思われます。

幕末から明治にかけて、浦佐からは本当に歴史に名を残す名僧がでております。
知れば知るほど、すごい人たちがいたのだなぁ~と頭が下がりますし、裸押合大祭の全盛を作り上げたのは、これらの名僧方の力が相当に大きかったに違いありません。今度機会を見つけて、その一端を綴りたいと思っています。

話は戻り、この精進供の後ろに本当は聖徳太子像が祀られているのですが、今年は修復中につき、残念ながらお姿を拝むことはできませんでした。



3月3日が終わると毘沙門堂は閉じられ、7日のお日待という行事まで開けられません。1年間でこの期間だけお堂が閉じられます。
今年は4日、5日が土日だったので、私が古山門の片付け作業をしていると、かなり多くの人たちがお参りに来られ、どこをお参りできるのかと質問をされました。

お堂前には賽銭箱が置いてあるだけなので、確かに初めての人は分からないですね。何回かお祭りに来ている人たちも「初めて知った」なんて人もいましたから、私が言うのもまたおかしな話ですが、簡単な案内板があるといいですね。

なんて言っている間に、明日はもうお日待です!



お祭りが終わり、一気に春らしくなってきました。
境内の雪がとけた片隅から、今年初めてフキノトウを発見。この香り・・・最高ですね。

よく洗い、刻んで自家製味噌にあえ、炊きたてのコシヒカリにのせていただく・・・本当にシンプルなやり方ですが、やはり天然のものは味も香りも格別です。





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3月に入りました。いよいよ魚沼に春を告げる浦佐押し合い大祭直前です。

今朝は浦佐区民総出の境内整備作業がありました。
門前区は別行殿前の担当ですが、私は千手院の管理する古山門の作業。

千手院のブログの写真は、私の携帯で撮るものがほとんどなのですが、ここのところ写真を撮ろうとすると「SDカードが読み込めません」なんてなったりして調子が悪く、なかなか撮れなかったのですが、今朝もそう、皆さんが作業しているところを撮れませんでした。

何だかんだとしているうち、撮れるようになったと思いきや、すでに区民の皆さんはお帰り済み・・・。

あまり人が写っていませんが、今日の境内の様子を撮れたものをUPします。



毘沙門堂前、法被を着た若い人たちが浦佐多聞青年団の方達です。
どこの地域も若手不足だと思いますが、浦佐も同様、お祭りのために集まってくれる若手が本当に少ないようです。しかし、お祭りは彼らなくては成り立ちません。



石塔などには危険防止のため筵が巻かれます。これも青年団の皆さんががんばってくれています。



毘沙門道に通じる長廊下にも雪がびっしりと入れられます。



長廊下つきあたりにあるうがい鉢も、まわりを雪で埋められます。
普段手口を洗う位置も、お祭りの時だけは足元と同じ高さになります。男衆がこのうがい鉢に入り身を清めてから押し合いに入ります。



千手院のお守りする古山門も、雪囲いを外し、こちらも危なくないように雪が入れられ、雪の坂道の滑り止めに藁が入れられます。
雪囲いをする時はお手伝いの方と一緒にしますが、外すときは私一人の作業。雪囲いの棒などもかなりの重さがありますので結構疲れますが、私ができる間は頑張りたいと思っています。



今年からこんな養生をすることにしました。
危険防止のために入れられた雪はお堂を直接押します。

押すくらいならまだいいのですが、この雪がお堂を壊したり、濡らしたりすることでお堂本体をかなり痛めつけてしまうこともあります。2,3日ならまだしも、雪の多い年にはこの後1ヶ月近く濡れっぱなしになってしまいます。

古山門は境内でも一番古い建物になり、木材の腐食も著しいのがずっと気になっていたので、今年からは直接雪が接触しないようにしました。もっと早くしていればと思っています。

他にもお伝えしたいところがたくさんありましたが、この後、また携帯のカメラが起動しなくなってしまいました。
買い替え時かな・・・。

こんな事を綴っていると、窓の外から「サンヨーサンヨ!」という若者たちの威勢のいい声が聞こえてきます。
お祭りの1週間も前から夜中に水行をしているのです。今日UPしたうがい鉢に入るのです。

般若湯の力を借りているところもあるでしょうが、その辺のお坊さんよりよっぽど厳しい事をしているかも知れません。
30歳前後の若者が、普段の忙しい仕事をこなしながら、これだけ身を引き締めてお祭りに挑むなど、全国でもほとんどないと思いますよ。必ず将来の宝物になると思います。

「じゃぁ、お前はやったのか?」
そんな声が聞こえてきそうですが、私もさせていただきました。長谷寺でも、吉野や大峰山、高野山でもさせていただきました。本当に宝物になった経験です。その中でも特にきつかった(冷たかった)思い出があるのは大峰山ですが、浦佐の場合は雪がある分だけ、それに匹敵します。

多聞青年団の皆さん、浦佐毘沙門堂の水行の厳しさは全国屈指ですよ。
「そんな事してなんになる」ではなく、これだけの厳しさを乗り越えてお祭りを取り仕切るのです。今すぐでなくても、こういう経験は必ず社会やこれからの生活の中で役に立つ時があるのだと思います。

皆さん、そんな青年団の若者が頑張っています。是非お祭りに遊びにおいでくださいね~!
もちろん私も頑張ります



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浦佐毘沙門堂・裸押し合い大祭の準備のために連日重機が境内に入り作業をしています。

そしてお祭り前の土日になると、町内各所でお祭りに奉納し、撒与されるお餅がつかれます。
お祭りを取り仕切る多聞青年団のOBなどが中心になっていますが、その家族や子供たちも交えた、みんなが集まり楽しく過ごせるひとときです。

この手作りのお餅が毘沙門天の御宝前で御護摩修行にあい、福餅となって撒き与えられる(撒与・サンヨ)わけです。

そんな楽しみにしていた私の同級生の集まりは今晩準備をして、明日の餅つき予定でしたが、私はどうも体調がおもわしくなく、残念ながら欠席させてもらうことにしました。
ここで無理して3月3日当日に毘沙門様のお勤めができなくなっては意味がありませんから。。。

今日は午後から気持ちよい青空が広がり、春よ早くこい!ってな感じでした。
ここ数年、3月3日はどうもお天気に恵まれていないので、今年こそは晴れて欲しいと願っています。

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