かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

たまたま起きた事件かな? 

2015-09-28 12:35:20 | 日記

 札幌の中心街、中央区のコンビニエンスストアで、先24日の午後10時30分ころ起きた事件です。

 

中国の上海から、観光を兼ねて新婚旅行に来ていた30歳半ばと、20歳半ばの男女です。

その女性が、会計も済まないアイスクリームを店内で食べ始めました。

とうぜん、店員は他のお客の迷惑を考え、身振りで店の外に出るよう促しました。

すると、とつぜんその男女二人が店員に殴りかかり、髪の毛を引っ張るなどして店員に軽傷を負わせ、26日に警察に逮捕されました。

男は「妻がののしられたと思ったので殴った」と供述しているとのことです。

 

先の日記「爆買い効果」の裏側で・・・で記したように、いま全国でこれに似たような事象が起きていることでしょう。

「習慣の違い」だけで済まされない、何ごとかが起こりつつあります。

外国人観光客を、大量に取り込もうと目論む政府や地方の行政組織です。

ただ売れればよい、儲かれば誰がどんなふるまいをしても目をつぶる、そんな安易な考えをあらためて、この国の人々と外国人観光客との間に、これ以上の摩擦が生じないよう、早く手を打つべきと強く思うのです。

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「爆買い効果」の裏側で・・・

2015-09-20 21:07:18 | 日記

北海道観光振興機構(札幌)というところで、増える中国人観光客に日本の習慣を正しく理解して道内旅行を楽しんでもらおうと、旅のマナーを中国語で解説した冊子を初めて作成しました。

多くの道内観光業者が、日中両国の習慣の違いから生じるトラブルを減らそうと、機構が発行した4千部に期待していますが・・・

 

 冊子「北海道旅行常識」はB6判でカラー12ページ。宿泊や飲食、買い物などの場面別に、やってはいけないことなどをイラストと文章で紹介しています。

バイキングの事例のほか「飲食店で食べかすを床に落とさない」「ホテルの部屋から消耗品以外の備品を持ち帰らない」「大浴場で泳いだり騒いだりしない」「使用後のトイレットペーパーを、トイレに流しゴミ箱に捨てない」「店で会計待ちの列に割り込まない」「会計前に商品の包みを開けない」などの18例を「〇×方式」で示しています。「〇印」は3例だけだそうです。

 

ところが、一部の観光業者や中国系旅行者から「・・・ばかにしていないか?」と言ったクレームが出ているようです。

とは言うものの 機構には道内130施設から1万8千部の増刷要望があり、マナー周知の必要性を重視する観光施設は少なくないと見て、一部表現を変えて11月に2万部を増刷し配布する予定とのことです。

 

以下は、先日訪れた「観光地ホテル」の送迎バス運転手さんの話しです。

公共交通機関で訪れる予約客を、定点3ヶ所を定時に巡回して送迎するのですが・・・

中国のお客は、先ず時間を守らない、その日のうちに来れば良い、という感覚

で予定の時間に現れない。やむなく次の定点へ巡回せざるを得ない。

結果あとからタクシーでホテルへ到着した中国人客は「送迎バスが居なかったのだから、タクシー代を出せ!!」とホテルに要求するのだそうです。送迎バスの運転手さんは「神経が疲れ、胃が痛く夜も眠れなくなった」と嘆いていました。

その他、冊子に書かれているような「驚きの行為」は普通のことのようです。

利用された部屋は、まるで「乞食小屋」のように荒らされ、汚され、備品は持ち去られるありさまとのこと。(すべてのお客が、では無いようですが)

 

この国のGDPの数値にまで影響を与えつつある「中国系観光客の“爆買い”」も、わが国の観光客が辟易し、現場で働く末端の人々に大きな負担となっていることをじゅうぶんに認識し、対策を講じねばなりません。

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異色の絵と「蠣崎波響」 

2015-09-06 09:17:53 | 日記

  

夷酋列像 」を紹介する展覧会が9月5日、北海道博物館(札幌市厚別区)で開幕しました。

江戸期も後半、10代将軍・徳川家治、11代家斉の時代です。

蝦夷地松前藩に「蠣崎波響(かきざきはきょう)」という家老が居りました。

12代藩主の五男に生まれ、のち家老職の「蠣崎家」の養子になります。

幼いころから「画才」があり、長じて師につき学びました。

 

幕府が蝦夷地を直轄領にした時期があって、そのあいだ松前藩は「陸奥国伊達郡梁川藩」に移封されました。

石高も少なく、物なりも貧しい梁川から、もとの松前藩に戻れるよう、家老「蠣崎波響」は苦労しました。その当時さかんに絵を描きあげ、金銭に変えたり、時の幕府老中に嘆願の賂いとして贈ったりしたようです。

寛政元年(1789年)の『クナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)』で、松前藩に協力したアイヌの酋長を描いたのが『蝦酋列像』12点です。

寛政3年この絵を携えて上洛、評判になり「光格天皇」の天覧に御され、波響の名は一躍高まることになります。

この絵は、長らく行方不明でしたが、1984年にフランスのブザンソン美術考古学博物館で1点を除く11点と序文2点が発見されました。

 

今回の展覧会は、3年前の「函館近代美術館」での展覧会に次ぐ催しで、模写1点を含む12点や、その他関連品が展示されています。

 

蝦夷地の松前藩と言えば、原住の「アイヌ民族」を搾取、虐げたことで悪名を残しています(幕府直轄領になったのも、反乱蜂起が多発して、統治の不手際が咎められた)

そんな松前藩で、ただ一人後世に名を残すことになった『蠣崎波響』は、【夷酋列像】の絵と共に燦然と輝いているのです。

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