Reflections

時のかけらたち

締めは河津桜で ・・・ cherry blossoms in closing walking

2016-03-13 23:24:07 | seasons
2月11日のメジロ祭り新宿御苑の〆は河津桜と梅で。
















































































                 


今日は友人と午後話をしたり、いただいた着物を見たり、おいしいケーキを食べたりしたら
あっという間に過ぎてしまいました。

夜NHKのドキュメンタリーで「原発メルトダウン危機深刻化した88時間」をやっていました。吉田所長の新証言など現場で
働いていた方たちの声も加え、おとといのニュース23を具体化して実ドラマ化して表していた。
今さらですが、吉田所長を始め、現場にいた職員の人たちと、奇跡的なことによって更なる災害から
日本が救われたことをぞっとするような思いで実感しています。
東電を辞めてこの災害を語り継いでいる人もその使命感にまっすぐなものを感じました。辞めないと教訓を後の時代に
伝えていけないことが情けないけど。吉田さんが亡くなった時も単に原発に殺されたのだと思ったけど、現場で
職員の命を第一優先にして、あの危機を乗り切ったことに崇高さを感じます。吉田調書が出たときも、新聞を
さっと見ただけだったけど、今になってもっと知りたくなりました。
東電本社や官邸からの高飛車な指令を受けてどれだけ大変だったかと。

それに伴って1999年の東海村での臨界事故のことを思い出していました。
壮絶な治療を行った医師の記者会見のことはよく覚えていますが、こんな中でも患者さんに
人間の尊厳を感じたと話していたことが強く印象に残っています。
その時の別の記者会見では次のような記事が目につきました。

「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。 責任ある立場の
方々の猛省を促したい」
 事故など起きるはずがない-。
 原子力安全神話という虚構のなかで、医療対策はかえりみられることもなく、臨界事故が起きた。 国の法律にも、医者の視点、
すなわち「命の視点」が決定的に欠けていた。

 放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。今回の臨界事故で核分裂反応を起こしたウランは、 重量に換算すると
わずか1000分の1グラムだった。 原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、一歩間違うととんでもない
ことになる。 そのとんでもないことにたいして、一介の医師が何をしてもどうしようもない。 どんな最新の技術や機器をもって
しても、とても太刀打ちできない。 その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い。


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春はメジロ ・・・ white-eye festival

2016-03-12 23:49:57 | seasons
2月11日の新宿御苑のクライマックスです。
ほんとうは春はうぐいすと言いたいところだけど
昔に比べてウグイスの鳴き声を聞くことが
少なくなりました。

メジロがにぎやかに寒桜にやってくると
春が来たような感じです。

















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新宿御苑のこれがメジロツリー
たくさんのギャラリーがいても、なりふり構わずお食事中です。



















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東日本大震災5年 ・・・ the Great East Japan Earthquake

2016-03-11 00:11:10 | thoughts
ドキュメンタリーで5年たってもちっとも片付いていないがれきを
少しずつ片付けている人を見た。国も地方も何もやってくれない。

その災害の中で最も深刻な問題となった原発のことで今頃やっと情報が
出てきていて、今日のNEWS23は吉田所長の言葉を中心に現場で起きていたことが
迫ってきて見ごたえがあった。本当に東日本壊滅の危機にあったことを感じて
恐ろしくなった。あれでも紙一重の奇跡で最悪の事態を免れている。

遅ればせながら「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」は読むべきだと思った。
現場で何が起きていたか・・

タイムリーで高浜原発差し止めの司法の決定。この日本最大の危機を振り返っても再稼働を
方針とする政府って何なのかと疑うしかない。

改憲とかそんなことばかりやっていて復興や原発が抱える問題の検討をちゃんとやっていないじゃない。




ほんとうはメジロ特集でお祭り気分でいたかったけど
とてもその気になれなかった。 お口直しに1枚だけ。

戦後70年、東日本大震災5年、大切なことを再認識してまだ終わっていないことに目を向けて。
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私の着物ライフの感覚 ・・・・my taste in kimono life

2016-03-09 23:56:44 | my favorite
この前銀座三越で展示をされていて、ラオスの布についてお話をたくさん伺った
江波戸玲子さんがコーディネートブックに出ていて、他のコーディネートもモノトーン系が多く
私の趣味に合っているので1冊くらい持っていてもいいかと思って本を買ってきました。
コーディネートについては時々、池田で教えてもらうくらいであまり研究していません。

江波戸さんの記事を見て、私の考え方に近いかと思いました。
着方や着物の好みも同じ感じがしました。
親から受け継いだ着物やいただいた大切な着物を新しいものと合わせながら
着て行きたいと思いました。








ラオスで手織りのデザインとか指導されているとかで、なんだかラオスに行ってみたくなるような
そんな感じがしました。
村上春樹の「いったいラオスに何があるというんですか?」をふと読みたくなりました。




表紙のこのコーディネートも素敵
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春のような日の散歩 ・・・ walking in spring with my daughter

2016-03-08 23:46:43 | seasons
今日は月1回の日本料理講習会のため仕事はオフに。1ヶ月の労働日数が20日に限られているので
今月は日本料理の講習会と人間ドックの日をオフとしました。
たまたま娘もオフで井の頭公園に行こうと誘われて、料理教室が終わったら吉祥寺で待ち合わせ。
春のような日の散歩でした。

たくさんの春に出会いました。




公園はかいぼりが終わり、放水が始まりました。




マンサクはもう終わりかしら?





ミツマタも春の光の中できらきらしていました。













































こぶしの花が咲きはじめました。




















サンシュユもかわいらしく・・
























































馬酔木もこんなに咲いていました。







































舞い降りたアオサギも何か違うなーと思っていたかしら?
鳥たちの餌も戻るのかしら・・・
















花の香りに包まれて、娘と歩くいい時間が過ごせました。



コメント (4)
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幸せに向かって ・・・ toward happiness 

2016-03-07 23:59:17 | seasons
2月11日の春を訪ねる新宿御苑散歩の続きです。


















































コゲラ発見。






そしてメジロツリーにはたくさんのメジロちゃんがお食事中でした。
今年2度目の出会いです。













本格的な桜シーズンを前に寒桜にはメジロがいっぱい。
ソメイヨシノが咲くころにはこの桜は葉っぱだけに・・


日本のレベルがどんどん低下していって危機感を感じる人が多いことを
感じます。BSのニュースをたまたまつけていたら結構はっきりものをいう人がいるので
安心しました。









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Dance! Dance! Dance!

2016-03-06 23:56:24 | movie
今日は生鮮食品の買い物をしたり、マンションの理事会レポートをまとめたりしてから
とっていたビデオを見る時間ができました。

岩合光昭の世界ネコ歩き 「プラハ 子ネコの季節」
クロネコの子ねこがかわいくて。ブルーの目をしていて。TVの下ではブルームーンが珍しくねこ歩きを見ないでTVの中のねことダブルで
毛づくろいをしていました。ゼペットおばさんにクロネコの人形を作ってもらいたい!


数日前の真夜中にスカパーでゆうばり国際ファンタスティック映画祭に出品されていたディーン・フジオカ主演の
”Dance! Dance! Dance!”のサテライト上映があり、ビデオに撮っていました。音楽が中心になって映画を
作ったようですが、監督以外は外国人のクルーが多く音楽、映像共にすごく新鮮でした。ショート・ムービーの
ような感じでディーンの演技がすごく自然でした。
音楽に引き込まれたのか最初しばらくブルーも一緒に見ていました。







 



ファンタジーではありましたが、東日本大震災の影を引きずった映画でした。
今また5年たったということであの災害について今頃メルトダウンとかいろいろなことが
また公表されていますが。まだまだ終わっていないことだらけです。
ディーンは福島生まれなので復興支援のプロジェクトにも参加して、ナレーターとかしているようです。





3月8日追記

昨日、よく聞き取れなかったところがいくつかあったので、もう一度 Dance! Dance! Dance!を見てみました。
映画に出てきた本は村上と三島だったのね。三島しか良く聞こえなかった。 大震災を引きずった映画ではなく
大震災そのものについての映画だったし。愛する人を亡くすこと、そしてこの国への不満などや、認められないことの
葛藤とか・・ 原作は外国人だったような。忘れてはいけないことをしっかりと胸にとどめ・・
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前結び教室へ ・・・ to kimono wearing lesson

2016-03-05 23:50:04 | a day in the life
昨日練習したせいか、今日は30分くらいで着ることができました。
何でも意識を持って練習すればできるようになってくるのですね。



朝着たのを教室で撮ってもらいました。
今日は前結び3回目で名古屋帯の銀座太鼓だったので、教室の名古屋帯を
借りることにしました。





いりくの帯揚げが自分に合っているような感じがしました。





帰ってから、後ろを撮ってみました。前結びにするときれいに整えることができ
悩まなくて済みます。


何回も練習するとやっと自分でも何かわかってきます。
ポイントを教えてもらえることもあれば、自分で考えてと言われることもあり
結局は自分でわからないとなんでもだめなのですね。教えてもらっている間は・・

自分がとても雑な人間であることが良くわかります。
デリケートでほんのちょっとのことできれいに整います。
最後の仕上げの帯揚げと帯締め、やっと何とかできるようになりました。
あとは紐を結ぶ力です。仮紐でも緩みやすくそこを何とかしたいです。


帰りに神楽坂によって帰りましたが、とてもにぎわっていました。
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雛祭りの次の日に  … on the next day of dolls' festival

2016-03-04 23:37:34 | a day in the life
今日は仕事の後で、新宿まで行って昨日買い損ねた桜餅を買って帰った。
今年初めてひなあられを省力。というのもいつもどんなに小さいのを買っても
残ってしまってもったいないから。かわいい色で雛祭りらしくていいのだけれど・・
家の近くでは和菓子屋さんをみつけることができないので、目白の「志ろう」か
新宿のデパ地下かどちらかになってしまう。今年は鶴屋吉信の道明寺のにしました。


  


昨日は簡単にちらしずしと潮汁でお祝いしました。今年は生協で冷凍のハマグリを買って
いたので助かった。いつも買いに行って高くて、また安いのは中国のものでどうしようかと
悩ましかった。生協の冷凍はとてもおいしく、これからはこれでいいと思いました。






夕方にビーフシチューのスネ肉を煮込む間、明日の着付け教室に行く着物の組み合わせを考えて練習してみました。
いただいた椿の型押しはどうしても短く、娘用にさせていただくか、間に布を足すか、誰かほかの方に
使っていただくかのうちの選択になります。
前回いただいた袋帯を最近出来上がった江戸小紋に合わせてみました。





小花模様が何とも言えない。金茶色はどんな色にも似合いそう。落ち着いたコーディネイトになりました。
この頃やっぱり主役は帯だと思うようになりました。





急いで着るときはやっぱり後ろ結び。早く着れるために前結びを習っているのにね。(笑)
今回は後ろで結んでみて、あとから前に帯を回して調整したので、着物も引っ張ってしまい背中心がずれてしまった。




帯ぐちゃぐちゃで、斜めっていて、直すのが大変。
おかしいけれど帯の柄を見たいので、アップしてみました。





下着もちゃんと着ていないので、なんか変ですが、帯が似合うかどうかだけ確認しました。





お譲りいただいてありがとうございます。この小花がまるでボッティチェリのバックやクリニューの修道院の
タペストリーの後ろに描かれた小花のようで素敵です。

着物の方は少しづつ手入れをしながら着て行こうかと思っています。とても素敵な朱色っぽい無地に近い
着物は良く見ると模様が入っていて裾の方には同色での刺繍も入っていましたが、刺繍の花が黒くなっていて
汚れなのかカビなのかよくわかりませんでした。何とも言えない落ち着いたいい色なので専門家に相談しながら
着てみたいと思っています。
夏物は少々袖が短くてもいいように思い、おそらくそのまま着てみようかと思っています。単衣と夏物の季節も
楽しみだな~。めくら縞の単衣の着物は丸洗いから戻ってくるのが4月1日、あと青の白抜きの柄物は今、幅だし中です。
夏の着物です。





最後は最近のブルー。ブルーのお母さんが去年亡くなったと聞いて、日本猫と違ってそれほど長生きしない
洋猫。毎日が大切な日です。
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夜に ・・・ when I melt into night air

2016-03-03 23:58:49 | thoughts



子ども園では卒園を間近に、心が壊れそうになった園児のケアで、昨日から大変です。
柔らかな心を持つ子供たち。それでも甘やかすのではなく、心の整理をさせて、できることから
手が付けられるように持っていく。母親も働いているので、相談などに時間をたくさん取ることができません。
今まで溜まっていたことが爆発して、また生活の変化がプレッシャーになっているようでした。

今回のお子さんは、私を見てというか、かまって注目してほしいという
気持ちが強いのだという。とても屈託なく明るくここで社会生活している子どもたちも
どこかにもっと親と一緒にいたいという気持ちが潜在的にあるのだろう。

私が子供を預けていた時は、夕食後に子どもとよく遊んで寝るのが遅くなり、
よくお父さんに怒られていたっけ。うちでは保育園時代、そんなに問題があると思わなかったけれど
子どもはいろいろな思いを抱えて生きているんだね。





この頃夜寝るときに聴く曲はずっと久しぶりのモーツァルト、クラリネット協奏曲だったけれど
ちょっと前からヴァイオリン曲でクライスラーや、パガニーニのカンタービレなどがおやすみ曲だった。
数日前から急にまたバッハが聴きたくなり、ヴァイオリンソナタでツィンマーマン。バッハってやっぱり
魂が落ち着く。





ときどき夜寝るときに、亡くなった懐かしい人たちが星のように私を取り囲むときがある。
何か包まれている感じがする。29日もそうだった。2月28日は30代で亡くなった祖父の命日。
朝に死にたいと言っていたという。時代の先を行っていた人で結核で亡くなり最後は闘病の句を詠んだ人で
写真でしかあったことのない祖父は私がこの世では会うことができなかった一番素敵な男性です。

血に痴れてヤコブのごとく闘へり   縷々

没後50年に俳句の同人誌が特集を組んでいて、祖母から聞き取りをして、その生涯や俳句が紹介されている。
久しぶりに開いてみたら、何か泣けてきた。雪の日の葬儀の時、祖父を慕っていた杉田久女が小さな数珠を持ってきて
祖母に指にはめてほしいと頼み、祖母はそれをはめてあげた。久女が縷々に熱を上げたのは当時も有名な話で
父は久女の夫である美術の先生にいじわるされたらしい。祖母は久女からの手紙をたくさん持っていたが、だれにも見せなかった。
俳句のことが多かったとのことだったが、最後精神に異常をきたした彼女の手紙は人に見せられないとのことで
ずいぶんたってから、久女の子供さんに返したと母から聞いた。その昔松本清張からも話が聞きたいと申し込みがあったが
断ったようなことを聞いたことがある。
祖母と祖父は旅館(のち小倉市長)の養女と書生の関係で、祖母はもしほかの人と結婚しても縷々を一生支えると思っていたそうだ。
今になって私の中にその祖母の血が生きていたのだと思った。父が亡くなる前に父が父のいとこに私の強さは両親には
ないものだと話していたとのことで、そのことを私に死後伝えてくれて、私は泣いた。私の結婚に猛反対した父が
私を認めてくれていたのだと思って。でも私の中にあのおおらかな祖母の血が少し流れていたのだ。私は祖母ほど
大胆ではないけれど。





久しぶりに私の祖父、祖母、そして縷々の親友だった母方の祖父と私をかわいがってくれた祖母、両親と
思い出した。特集の記事の中に縷々は美しい精神の持ち主で男が惚れる男であったと書かれていた。
もう一人の祖父も「海賊とよばれた男」のなかで実名で「サムライ」として書かれている。背が低く、ハンサムでなく
縷々とは正反対だけど、私の生きている人間の中では一番尊敬している人だった。その平等に人を愛する心や
バランス感覚が抜群だった。社葬の時 "little man , big heart"と弔辞が読まれた。芸術家でイケメンで短い生涯だった
縷々と学生結婚した祖母と、生涯尽くされて長生きした祖父と結婚した母方の祖母とどっちが幸せだったのだろうかなんて
思ってしまうことがよくあった。

なんだかファミリーヒストリーを書きたいと
思ったけどなかなか続かなかったことを思い出した。


写真は2月11日の新宿御苑から
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