インターネットで今回の番組の視聴が終り画面が「fmぎんが」のお知らせ
になったのを見つめながら、番組全体から受けた感じの深みは何であったの
かと考えました。 そしてもう一度視聴してみて、 「自分っていいな」 という
言葉に言い表わされている自己肯定感への共感でした。 同時に障害をもった子どもが 「自
分っていいな」 と言える青年に育てることこそ全ての教育の基本に通じるの
だという感想です。
ゲストの米衛政光さんは長年障害をもった子どもの教育に携わってこられま
した。 自分が校長として中等部でそういう子どもたちを卒業させて、このあと
高等部があればその子らも引き続き成長していけるし、親御さんもその願いが
ある。ならばそういう施設をつくろうと全国にある
施設を見学するなかで出会った青年の言葉として紹介されたのでした。
レギュラーで参加された前迫さんの話のなかに「障害を持った子のお母さんたちが、回りからあなたの躾が悪いからだ、という目で見られる。ごめんなさい、すみません、の連発がつらいと言われる」
とありましたが、丁寧な教育によって子供が成長するのを見て母親が変化します。親は更なる成長を願います。そして親同士が協力し関係者と一緒に教育の場づくりに進みます。
一昔前は障害を持つ者を家の人は世間から隠していました、63歳の私でも何回か座敷牢の話を聞いたとは前迫さんの発言です。しかし、前迫さんの話は続きます。その時代から今日まで世の中の仕組みを変えて来た、そして更に変えていく。
以前大迫さんの活動を紹介された時に、鹿児島から全国へ発信するものを感じたのですが、今回も全国から学びながら全国へ発信する確実な実践の姿を知りました。
そしてそれが「てんがらもんラジオ」の魅力でもあろう思います。
「番組全体から受けた感じの深み」この言葉の表現に
なんとうまく言い表してくださるのだろう。とおもいました。
それはまた、送る側の気持ちと重なったからです。
米衛先生の人柄や、業績を超えたうまく言葉で言い表せないものが私の中にもあって、それが何なのか?
最後の
そしてそれが「てんがらもんラジオ」の魅力でもあろう思います。
に繋がった時、自分の中に生まれているものが読めた。(おこがましくて・・ですが)
前迫さんが「鹿児島は一番と思うのよ」と何度も言われた強い言葉。
以前大迫さんの活動を紹介された時に、鹿児島から全国へ発信するものを感じたのですが、今回も全国から学びながら全国へ発信する確実な実践の姿を知りました。
この事と繋がってきた。
私もおこがましくも最後にそんな言葉を発していた「てんがらもんで伝えられる喜び」みたいな役目を。
だから感じの深みとして、私の中にもあったのです。
いつもなら睡魔に襲われる午後なのに、少しでも私の言葉でも伝えねば・・とブログを準備したいました。
てんがらもんに偏りや、私の偏見が出過ぎていることは自覚しながら、あえてそれをすることで、この番組の特性を出してもいいのでは?自答自問している日々です。
今日は「それでいいのよ、「てんがらもんっていいな」と思いなさい。とカエル兄さんにきずかせてもらった気持ちです。
2時間番組をもう一度聞いてみる。送り人でさえ、大変なエネルギーがいります。
でも聞いてみたくなる番組にしていける。そんな決意みたいなものが生まれてきました。
おつかれ様でした。ありがとうございました。
今ではほとんどの子供が学ぶ機会を得ています
学ぶ・・時は子供だからいいのですが・・その子も
いずれ大きく・・高等教育や専門教育や社会参加の
為の次の課題について・・続きを期待したいと思いました
やはり、それぞれ聞く者によって・・何を期待したいか?
その違いも・・当然あって・・また面白いものです
今回は、早かったですね・・
字は心を亡くす、と書く。回りの情報に引き回されて
自分本来を見失ってしまう。
そんな時に、聴き終わった、見終わった情報にもう一度立ち戻ろうとするのは、自分自身にあるものを気付かされた場合だと思います。鏡を見ることで気付くことがあるように受けとる情報の中に自分を見出だす、
私にとってはそういう情報が良い情報なのです。
を受ける権利を社会=国家が保障するためには障害の
あるないによる格差を無くすことはもちろん、所得による格差も無くさねばなりません。
しかし競争原理を根底にしている社会では、格差を無くすためには当事者を中心とした運動が欠かせません。今回の「てんがらもん」はその運動の深さを示してくれました。