俳人山口誓子が昭和二年、「憧れの長崎」 で訪れたのは大浦の天主堂でした。
「大浦の天主堂へ行ったのはその日のゆふぐれちかくであった。介という字の形
の、真白な建物でその上の尖塔は空に十字架を捧げていた」
夕焼けて磔刑の主あり花圃の中 誓子
大浦天主堂は、67年前の今日、原爆によって破損したが爆心地から比較的離
れていたため焼失は免れ、今日も介の字の形を見せてくれたことでしょう。
麦秋の中なるが悲し聖廃墟 秋桜子
ほぼ原形を留めぬまでに破壊された浦上天主堂が再建されたのは昭和34年で
すから、水原秋桜子がこの句を詠んだ昭和27年は、廃墟となった天主堂のまわ
り一面麦畑であったのです。
この一年で新たに亡くなった長崎の被爆者は3305人、原爆死没者はあわせて
15万8754人、被爆者の平均年齢は77.5歳。
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