今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」欄です。
日本共産党員でプロレタリア作家だった小林多喜二は、81年前のきょう、特高警察の野蛮な拷問に29歳の命を奪われました。戦前、彼が書いた『蟹工船』は今も若 者の心をつかんでいます▼現在、共産党の国会対策委員長を務める穀田恵二さんも影響を受けた1人です。高校生の頃、政治や経済の仕組みと土台を勉強するようにと、父親から渡された数冊の本。なかの1冊が『蟹工船』でした。若き穀田さんは、労働者の視点に身を置くことの大切さを思い知ったといいます▼最近出版された『日本共産党の深層』で知りました。丹念な取材によって作家の大下英治さんが人物に焦点をあてながら描き出した、一 味 違う党の紹介。売れ行きはよく、早くも重版が決まりました▼昨年の躍進以来、マスメディアをはじめ共産党への注目がつづいています。本紙でも報じたように長野県や高知県では党⇨の会議に多くの報道陣が集まり、地元紙に大きく取り上げられまし た。赤旗編集局にも新聞や雑誌、テレビの取材が相次いでいます▼ほかの野党が安倍自公政権になびくほど“自共対決”を鮮明に打ち出す共産党の存在が浮き立ってくる。福岡では保守系の政治団体から初めて党に講演依頼がきました▼自共のぶつかり合い。自民党は党員拡大のノルマを国会議員に課し、下回れば罰金をとるそうです。日本の未来を切り開くため、自覚的に党員を倍加し、世代の継承にも意気高くとりくむ共産党。結党91年。多喜二らが命がけで守りぬいた、党の姿です。
文中の『日本共産党の深層』が近くの書店にありませんでしたので、Amazonから画像を転写
しておきます。なお、Amazonの紹介文ではベストセラー1位(カテゴリー・イデオロギー)だとのことです。
ここでは、多喜二の死に寄せられた作家・志賀直哉の言葉を記しておきます。
多喜二の母に香典とともに送られた手紙から。
≪御令息御死去の趣き新聞にて承知誠に悲しく感じました。前途ある作家として
も実に惜しく、又お会ひした事は一度でありますが人間として親しい感じを持って
居ります。不自然な御死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました。≫
志賀直哉の日記(1933年2月22日)。
≪小林多喜二捕へられ、悶死の記事あり≫
同25日「MEMO」として
≪小林多喜二 二月二十日(余の誕生日)に捕えられて死す。警官に殺されたるらし、
実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり アンタンた
る気持ちになる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気がする≫
知りました。 蟹工船は知っていても・・小林多喜二を
知っても・・そこまでは・・もっと学ばねばなりませんでした
明日から上田・・お気をつけて 雪は大丈夫でしょう
今若者の中で「蟹工船」が読まれていると聞きましたが、日本の労働者の歴史や、国家権力が
繰り返してきた真実を、語り継いでいくためにも、立派な教科書ではないかと思います。
がインフルエンザで寝込み、22日の法事を延期したいとの
こと、日程はおっての連絡となりました。
積雪の中を行くより、後日いくらか春めいた時期の方はこちらも有難いと承りました。
映画「蟹工船」を観て、目覚め始めて社会的関心を一層深めたのは上田での少年期でした。春泥の道を歩き
つつ藤村の詩を読んだりして時代の青春と人生の青春
を季節の春の中に感じたふる里のリンゴ畑です。
よってさまざまな状況を呈するでしょう、今回の大雪もそ
のひとつに違いありません。
とはいえ、春の到来を疑う者はいません。来るものは
来ると誰もが思います。多喜二の時代、少数ではありま
したが、「来る時は来る」の確信をもっていた人々がいた
ということ、何がそれをもたらしたか、振り返り考えること
は現代を生きている者として価値のある事かと思いま
す。