1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た子供が育つ可能性が高いは、当然の事。

2024-05-19 22:18:29 | 法話

【5月20日投稿分】


先週の日曜日、檀家の親子(度々法話に登場)が納骨堂参りに。小学生の男の子が父親に「住職の法話に『雨が降ってない時は、納骨堂の全ての窓を開けて、1日中空気の入れ替えをしています。堂内の空気がどんよりしてたら、故人(遺骨)さん達も鬱陶しいだろうから』と書いてあったのに、今日は窓が開いてないじゃん。こんなに晴れてるのに」と納骨堂の入り口で父親に不満を言ってる姿を偶々拙僧、本堂の中から。それに対し、父親が穏やかな口調で「今日は、風が強いだろ。窓を開けっ放しにしていたら、恐らく、黄砂かなんかで堂内が埃(黄砂)だらけになるんじゃないかと思うよ。住職の法話で時々『人がそう動くからには、そう動くだけの理由がある。文句言いといわれる人達は、案外に知識の乏しい人(それその物の本質を理解してない人)が多い』と書いてあったろ。まず、何でもがそうだが『何故、この場所はこういう風にしてるんだろ。何故、この人はこんな事をしてるんだろ。何故、この人はこんな事を言ってるんだろ』と、口に出して文句を言う前に1度、心の中で考えてみる事が必要だぞ」と、父親がこの小学生の息子に。


この親子ですが、納骨堂参りの後は必ず、境内の掃除をして帰ってくれます。拙僧はその光景に遭遇した時はいつも、楽しみにその様子を本堂内からじっと眺めています。ある時には、父親が「おい、こっちに来て、その垣根の裏側を見てごらん」と小学生の息子に。するとその子が「あっ、すごい落ち葉」と。「掃除というは、見えている所だけすれば、いいってもんじゃないぞ。その落ち葉をそのままにしておいたら、腐葉土化して、後々掃除が大変になるんだよ」と父親が。ある時には、釈迦堂の前でその子が座り込んで、じっと何かを見つめている姿が。拙僧、遠目で確認すると、そこには大きなミミズの亡骸が。父親はその様子をしばらく見ていたが、何も言わず、他の場所へ掃除に。『この子、どうするのかな』と拙僧、興味深く見ていると、塵取りに取らずに、ミミズの亡骸を箒(ほうき)で端の方に追いやった。『ほう、そっちを選択したか』と。時期は梅雨明け、蟻さん達が冬に備えて懸命に食料集めを。恐らく父親も、わかっていたものと。この父親ですが、まだ30代そこそこながら、素晴らしい子育てをやっておられます。いつも感心して見ています。


この30代の父親ですが、偶にお寺で話す機会が。「境内地の掃除をされている時、息子さんに対する指導、興味深く拝見してますよ」と告げると、その父親が「SNS の普及で、何もかにもが身近(目の前で起こってるかの様な、勘違いをして)に感じてしまって、口喧しい人は、ついつい口を出してしまうんでしょうね。140字という短い言葉の奥に、何が含まれているかも考えずに『自分が知っている事だけが正解』かの様に。私の息子にも少なからず、そんな世相の流れが影響を与えてますよね。子供の生活の基盤は、家の外にもありますので、この世相の流れを子供から断ち切る事は、絶対に出来ませんもんね。せめて、家庭の中だけでも、子供の心を濾過出来る場所にしておきたいものです」と。


対し、拙僧「この世の中に、これ簡単、と言われるものは、何1つもないですもんな。『そんなの、簡単や』と言う人達は、簡単と思えるところまでしか、勉強や経験をしてないだけで。世の中に教授や研究者が必要とされているは、なんぼでも深掘りが出来て、なんぼでも新たな発見が、得られるからであって。ある研究者が『研究すればする程、私はこんなにも無知だったのか、というを、思い知らされた』と言われておりましたが、人間の深みというは、こうした考えを持つ事によって、得られてくるんでしょうね」と。


【余談】

時折、学校での講演を依頼された時には、次の話(逸話)をする事が。徳川将軍家の兵法指南役であった柳生但馬守宗矩公に、京都大徳寺住持の沢庵和尚が、幅約60センチ、長さ5メートル程の足場板を、高さ50センチ程の縁側に置いて、沢庵和尚が但馬公に「この板を歩いて渡れるか」と。すると但馬公が「わしを馬鹿にしているのか。こんなもの、子供でも渡れるわい」と言って、渡ってみせた。「おお、さすがじゃのう。では、これなら、どうじゃ」と今度はその板を、高さ40メートルある天守閣の屋根に置いて「あれを歩いて渡ってみなされ」と。「うっ」と怯んだ但馬公に沢庵和尚が「お前さま、先ほど、子供でも渡れるわい、と言わなんだか。同じ物でも、置く場所が変われば、別物になる。この世の中に『これ、簡単』と言われるものなど、何もないわ」と喝を。


人間(子供、弟子、部下、生徒)は、誰に育てられるか、誰が育てるかは、非常に大事。親が作った家庭環境で、その親が育てる。親に似た人間が育つ可能性が高いは当然の事。


下記で過去の法話を読む事が出来ます。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月25日になります。添付の投稿写真は、本文に出てくる釈迦堂。






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