*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。11回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介
前回の話:ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※10回目の紹介
事態がようやく動いたのは99年、後に改革派知事として名を知られることになる片山善博氏(62)が鳥取県知事に就任してからのことだ。片山氏は方面地区を訪れて住民の意見を聞くと、住民側が動燃を相手どって訴訟を起こすことについて、「訴訟費用や手続きなどで全面的に支援する」と、異例の表明に踏み切った。政治のバックアップを受けた住民らは2000年、残土の約束どおりの撤去を求め、旧動燃を鳥取県地裁に提訴した。
前出の元共同通信記者の土井氏は、当時の様子をこう振り返る。
「裁判の途中、文部科学省の役人が方面地区を一軒一軒回って、『残土の撤去は無理だから和解案をのめ』と、住民の切り崩しにかかってきた。結局、住民の半数ほどが和解案に賛成しましたが、自治会の議決には3分の2の賛成が必要なため通らず、裁判は続行されました。いま思えば、彼らは住民の詳しいデータを知っていた。問題の極秘資料が提供されていたとしか思えない」
最高裁で残土の撤去を命じる判決が確定したのは、04年のこと。特に放射線量が高い3千立方メートルのうち、よりひどい290立方メートルの残土はアメリカのウラン採掘血に移され、そのほかは約145万個のレンガに加工され、県外へ運びだされた。
「片山知事の決断がなければ、とても実現しなかったでしょう。結局、政治がリーダーシップをとらない限り、動燃側は自力で問題を解決することができなかったわけです。歴代の動燃幹部は2、3年で東京へ帰るまでに問題をおこなさなければ出世できるため、そもそも解決しようという意思が感じられなかった」(土井氏)
※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/17(水)22:00に投稿予定です。