<いわき市で、原発が爆発したときの体験談>
放射線量460倍に。現在、私達母子3人ともに、甲状腺に異常有
★外の放射線量は10cm違っても様々に異なる値
2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍・・
★3月12日1回目の爆発。23μSv/h 普段の460倍
屋内退避等の広報車もなく、爆発を知らずに外に2時間居た。
★子供たちのホールボディカウンター
・事故直後に受けさせようとしたが、どこに問い合わせしても不可。
・東京まで行って受けた人いたが、データを渡してくれない。
・データを渡してくれるところを探したがなかった。
★甲状腺の血液検査
電話したが、いわき市内一斉に「検査しない」という耳を疑う結果
★福島県に問いあわせ
Q「どこで被曝した証拠を残せるか」 A「ない」
★事故から5か月後
・いわき市発表の放射線量は0.12μsv/h
・私が測ると0.24~ 22.14μsv/h
・有志で検査20000bq/kg
★事故後に家族、友人に実際おきた体の変化
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの
★行政の対応
・ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を
見たいというと、「市民が混乱する」という理由で
詳細なデーターを出さず。
・学校は生徒、児童を守らない。
放射能を怖がらないように私が指導をうけた。
★避難することを許してもらえず。
夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難
★九州の産廃、セメント工場では『福島の石炭の焼却灰』を受け入れ、
リサイクルしている。瓦礫受け入れ以前から今も粛々と・・!!
**以上、本記事の要約。詳細は以下。
ひなん者お話会 in 糸島 vol.1
http://ameblo.jp/kitakyu-mamoru/entry-11559344816.html より一部転載
2013-06-24 08:05:13
糸島「ひなん者お話会」から、mikoさんの話ーーーーーーーーーーーーーー
3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、私が見てきたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。
福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。
私は、そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子供2人と生徒たちに囲まれて、毎日、楽しい時間を過ごしていました。
さて、3.11後私たちの生活は一変しました。
いわき市の北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」という言葉をつくり、圏内からはずしました。
事故前は1時間あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23マイクロシーベルト。460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころには、
学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。
尚、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、給食を食べさせていました。先生や学校に言っても無駄でした。
外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が放射能汚染から子供を守らなかったことです。
さて、原発が爆発したときのことを、話しましょう。
3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。ただ、いわき市の水道が20日間とまりました。
水道が止まったので、次の日、給水車に2時間ほど子供と一緒に並びました。
3月12日1回目の爆発がありました。あとで測定データを見ると、23マイクロ普段の460倍でした。
この時、「危ないから屋内退避しなさい」 という広報車もなく、私たちは、爆発したことも知らず、2時間外にいました。
日本は安全といっていましたが、今現在私達母子3人ともに、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。
今、報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいわないと思います。
私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。
東京まで行って、受けてきた人がいましたが、データーを渡してもらえませんでした。
私も、何箇所か電話で確認しましたが、データーを渡してくれるところはありませんでした。
では、甲状腺の血液検査と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に甲状腺の検査はしないと、耳を疑う結果になりました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。
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私の主人は市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってましたが、結果は爆発も知らされず、母子ともに外で被曝しました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識は0ですが、国から与えられた文書を丸暗記するほど、電話対応に追われていました。
事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μsv/hでした。私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、0.24~ 22.14μsv/h。また、有志で土壌検査や剪定した木の測定をすると、20000bq/kgありました。
行政は私たちを守らないと、主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。
例えば、水道水NDといわき市のホームページで発表されています。
それで、ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいというと、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。私たちの無知に付け込んで、本当に腹が立ちます。
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私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変で判断しました。
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に実際おきたからだの変化です。放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。
国の発表と事実はちがう。国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の言いなりにしか動きません。文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、書かせない、時間をかせぎます。
学校は生徒、児童を守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
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私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。
放射能を防御することを周りの空気が許しませんでした。
私は、それでも、いわきで暮らせる方法をたくさん探し、行政に文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。
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年老いた両親と共に避難を説得しましたが、今更ふるさとから離れたくない。と言われ、夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。
結局、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子供を1番に考えなさいと言われ、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。
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今、話したように、報道と事実は違います。
先日、産廃の中間報告書を文書公開したら、福岡県のある企業では、福島、茨城、山形、神奈川からも汚泥、ばいじんを受け入れ、北Q瓦礫受け入れ以前から今も処理しています。瓦礫受け入れ騒動のかげで、粛々と放射性物質の焼却をバグフィルターのない状態で処分しています。
今報道では、PM2.5は中国からやってくると、大キャンペーン中ですが、
本当にこのPMは中国産でしょうか?
九州の産廃、セメント工場では、福島の石炭の焼却灰を受け入れ、リサイクルしています。
北九州の公文書を見ると、PM2.5が昨年4月に230超え、他の月でも100超えがよくありました。国産、九州産PM2.5で間違いありません。
(転載終了)