*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。27回目の紹介
被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎
はじめに
私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。
私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかっ た からです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされていません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱 が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。
だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。
----------------
**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介
前回の話:『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎<孤立無援の被爆者たち> ※26回目の紹介
11 ぶらぶら病
同じ1955年の暮れのことでした。私が市議会で被爆者の例をあげて市の社会福祉行政をただした発言がどこをどう回って伝わったのか、妻沼町(現・熊谷市)にいた広島の被爆者が私を訪ねて来ました。順番が来て診察室に入ってきましたが、妙にまわりを気にしてそわそわするので、すぐ被爆者と察し看護婦に席をはずしてもらいました。思った通り被爆者でした。被爆者であることを絶対に話さないでくれと妻から言われているので医者にも言わなかったのですが、結核でかかっている深谷市の日赤病院の主治医が詳しく診察してくれないので、思いきって広島で被曝していて心配だと話したところ、「そんなことはあなたの病気に関係ない」と取り合ってくれません。行田には被爆者をよく診てくれる先生がいると聞き、受診しにきたと言います。
彼は私のいた広島陸軍病院のすぐ隣にあった西部2部隊の兵隊でした。あの日、彼は兵舎の水道管がこわれたので、縁の下にもぐって水道工事をしていたそうです。そこに突然、足元の地面がドスンと跳ね上がり、建物が崩れ落ちます。爆心から6百~7百メートルの近距離ですから、ほとんどの兵隊が死にました。彼は工具で隙間をこじあけ、やっとはい出ると、もうもうとした埃でなんにも見えません。だんだん晴れてくると、兵舎もなければ街もない。何人かの呻き声を聞いたが、恐ろしさが先立って、死体と負傷者の街を走りぬけます。中山峠をこえて、西条(現・東広島市)にあった親戚の家まで逃げます。2日後から下痢、発熱が始まり、2週間寝ついているうちに戦争が終わりました。その後、岡山県の実家へ帰ったそうです。
岡山では実家の農家の手伝いをしていたけれど、疲れが酷くて仕事になりませんでした。埼玉の妻沼町から遊びに来ていた兄嫁の妹と縁あって結婚。いつまでも兄のところに厄介になっているわけにいかず、1949年に妻の実家がある妻沼に越してきて、実家の瓦づくりを手伝いました。疲れてだるい体調は変わらず、身体が思うように動きません。日赤病院で結核と診断され、現在、通院しているとのこと。最近、同年兵のなかに白血病で死ぬ人が多く、心配なので相談に来たというのでした。
色々調べましたが、私にはどうも結核とは思われず、いわゆる「ぶらぶら病」、原爆病のように思われました。「ぶらぶら病」というのは、寝こむほどではないが、具合の悪い状態が続く症状で、医師の診察を受けても、裏付けになる所見や検査結果をえられないことが特徴です。原因不明でだるい。疲れやすい。結果、「ぶらぶらしていて働かない」、あるいは「働けない」という患者の家族が、いつの間にか誰とはなしにつけた病名が「ぶらぶら病」なのです。
この患者は胸部エックス線写真でも、腸の検査でも結核の病巣ははっきりしませでしたし、喀痰や尿の培養でも結核菌は検出されませんでした。最後は下血を繰り返して日赤病院に入院し、結局、亡くなりました。病名は腸結核でした。当時はまだ現在のような精密な血液検査ができない時期でしたが、放射性起因の慢性血液疾患だった疑いが濃厚だったのではないかと思います。
(「11 ぶらぶら病」は、次回に続く)
※続き『被爆医師のヒロシマ』は、10/8(木)22:00に投稿予定です。