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壮絶!子宮頸がんワクチン被害>真っ青で横たわり、目の玉が激しく揺れ・・痙攣が全身に拡がり、呼吸にまで

2014-06-02 13:23:11 | 未分類

<壮絶!子宮頸がんワクチン被害>

真っ青で横たわり、目の玉が激しく揺れ・・痙攣が全身に拡がり、呼吸にまで

http://blogs.yahoo.co.jp/kawachikakekomian/12337155.html より抜粋引用

「1から10まで数えられない」ほどの記憶障害、

       知的障害に苦しむ少女たち
              ~子宮頸がんワクチン被害者の声
 
2014/05/29↑より抜粋引用↓文字強調管理人
 
 
たった1回の接種で40もの症状
 
Aさんは子宮頸がんワクチンが
定期接種化されて間もなくの
2013年の5月に、
ガーダシルを1回だけ接種した。
たった1度の接種ではあるが、現在、
約40ほどの症状に苦しんでいるという。
 
 「その中でも
深刻な症状が記憶障害です。
自分の名前が分からない
家族のことも分からない、
漢字やカタカナが書けない、
1から10まで数えることができません
 
 佐藤さんは、
子宮頸がんワクチンが
まだ任意接種だった頃、
市の保健センターから案内が来ても
接種は控えたという。
 
副反応被害が
海外で報告されていたことを
知っていたからだ。
 
しかし2013年4月、同ワクチンが
定期接種化されたことで、
「高校1年生までに必ず接種をしてください」
とか書かれた通知が
保健センターから届いた。
 
佐藤さんは
それでも受けさせたくないという思いで
保健センターを訪ねると、
「高校1年生が(接種対象の)
最後なので受けていただきたい」
と担当者に告げられたといい、
納得できないまま
Aさんに接種させた。
 
 しかし、予防接種法には
「受けるよう努めなければならない」
と書かれているだけで、
ワクチン接種は義務ではない
 
「必ず」という表現は
ミスリードではないだろうか
 
接種後、
「義務」ではなかった
ことを知った佐藤さんは、愕然とした
と話し、悔しさを滲ませた。
 
 
 
知的障害という副反応
 
さらに、Aさんは重度の
知的障害に認定されているという。
 「知能指数が
これだけ低ければ、高校には入れません。
でも娘は確かに高校を受験し、
合格し、入学しました。
なぜ突然、記憶障害になり、
果てには知的障害になるのでしょうか」
 
 40の症状を抱えているAさんだが、
髄液検査の結果、
脳炎の状態との診断も受けている。
 
炎症を抑えるために、現在、
副作用が伴うステロイドパルス療法を
受けているというが、
効果がすぐに現れるわけではなく、
根治治療でもない
 
それでも「1日でも、1分1秒でも早く、
元の身体に戻し、
青春時代を過ごさせてやりたい」
という
母親の願いがそこにはある。
 
 
 
ワクチンとの関連性を疑わなかった
 
次に登壇したのは、
同じく北海道から来た金澤千世さんだ。
金澤さんの娘、Bさんは現在17歳。
2011年に2回、翌年3月に1回、
計3回サーバリックスを接種している。
 
 子宮頸がんを
防げるワクチンが公費で受けられると、
学校を通じて案内を受け取った金澤さんは、
何も迷わず、Bさんにワクチンを受けさせた。
 
 2回目の接種後からBさんは、
激しい頭痛を起こすようになったという。
小児科を受診するも、
医師は検査もせず、「肩こり」と診断。
 
金澤さん自身も、受験のストレスが
原因かもしれないと受け止めていた
程度だったというが、
実はその頃からBさんには
「夜尿症」が始まっていた。
 
「年頃でもある娘は、
そのことを私に隠していました」。
 
娘の症状に
気づいてあげられなかった自分を、
金澤さんは悔やむように話した。
 
 
 看護師になるのが目標だという
Bさんは、難関だった学校に合格し、
下宿しながら高校に通い始めた。
 
3回目の接種後から1年後の
2013年の3月に、
Bさんが通う学校から
金澤さんに連絡が入った。
 
車を2時間走らせ学校に到着すると、
真っ青になったBさんが横たわり、
目の玉が激しく揺れていたという。
 
その後、病院を受診。
メニエール病の疑いがあるとして
薬を処方されたが、
症状が改善することはなかった。
 
 同年7月、Bさんに
大きな症状が現れるようになった。
部長を務めていたというBさんは
テニスの部活中、
手が大きく動く痙攣が
4時間止まらなかったという。
 
翌月8月には
痙攣が全身に拡がり、
呼吸にまでおよんだ。
 
それでも看護師を目指すBさんは、
松葉杖をつき、ぬいぐるみを抱えながら
なんとか学校に通い続けた。
 
しかし、学校に行けば
発作が起き、倒れ、運ばれる状態を繰り返す。
 
 そして秋になった10月、
「これ以上、がんばらせるのはやめましょう」
と先生と相談した金澤さんは
Bさんの休学を決意した。
高校2年の半ばのことだった。
 
 
「私消してほしい」
   と叫ぶ娘
 
「全身を痙攣させながら、娘は
『自分を消して欲しい、消して欲しい、
こんな身体はいらない』と
自分を叩いて叫んでいました。
 
それを、主人と一緒に
泣きながら抑える、そんな毎日でした」
 
 
 金澤さんは、なぜ、Bさんに次々と
不可解な症状が起きるのか分からなかった。
 
子宮頸がんワクチンを
初めて接種したのは、すでに2年前。
ワクチンとの関連性を
疑うことはなかったとう。
 
しかし、自身も精神的に
不安定になっていた金澤さんは、
ある日、
安定剤を処方してもらっていた医師から、
子宮頸がんワクチンを受けた?」
と聞かれた。
 
 
これがきっかけとなり、
子宮頸がんワクチンの
被害者である母親のブログに辿り着いた。
 
 「このブログに出会い、読み漁りました。
被害者の女の子の症状が、
娘の症状と一緒だった。
何でもっと早く
気づかなったのかと、悔しかった」
 
 その時のことを
振り返った金澤さんは、
涙を抑えられず、言葉に詰まった。
 
(抜粋引用終わり)
 
 
 

 
 
1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった! 
 
予防接種を受けていない市民と比較して、
予防接種を受けている兵士の方が7倍も病気に罹っていた。
私が、海外から1912年に帰国したある兵士から聞いた話によると、
の病院が小児麻痺の症例でいっぱいになっていたとのことだった。
その兵士は何故成人した男性が乳児のかかる病気に罹っているのかが
不思議だと言っていた。このことにより、私は、
それらの麻痺がワクチンによる中毒の後遺症だということが分かったのだ。
 
 
当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が

 予防接種であったことを隠すため、「スペイン風邪」などという

 訳の分からない病名を付けてごまかしていた。

 

★1979年以降の小児マヒは、全て『小児マヒワクチン』自体が

 引き起こしたものである(ワシントンポスト誌)

 

小児マヒの強制予防接種が行われた地域では、

 小児マヒ発生率が、行われなかった地域に比較して7倍増加

1950年代の後半、小児マヒの世界的流行に伴い、何千匹ものサルが

米国に輸出され、長い針で小児マヒのウィルスがサルの腎臓に注入された。

当然ながらサルは発病し、非常に苦しみ始めた。

その苦しみが最高潮に達した時点でサルは殺され、腎臓が摘出された。

その膿が分離・培養されて、めでたく小児マヒのワクチンが完成した。

 

確かにワクチン中、小児マヒのウィルスは死んでいるのだが、

シュヴァイツァー博士が最も恐れていた、サル特有のウィルスが

サルの腎臓からワクチンに紛れ込んでいた。

この恐るべき新ウィルスが混入している知る者はいたが、沈黙は守られた。

 


【ワクチンは生物兵器】WHOの極秘文書が、

パトリック・ジョーダンという勇気あるジャーナリストにより暴露

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/7ca75d0e239e87a00af58984db204f1b

 

<子宮頸がんワクチン被害深刻!!>

現在車椅子の生活。

こんなにひどい副作用出るなら、どこの親も接種しない
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/4bebd87098a584d8d7895261d3304fb5
2013-09-16
「頭をトンカチで殴られたような割れんばかりの激しい痛み」が

全身に及び、通常の社会生活さえ営めない

 


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