*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。50回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第16章 官邸の驚愕と怒り
「えっ、全員退避?」 P255~
(前回からの続き)
東電が撤退―? 菅は、突然の報告に仰天した。「撤退」したら、「日本」はどうなるのか。
それまで、最悪の事態が片時も頭から離れたことのあかった菅は、この時のことをこう振り返った。
「私は、事故が起こってから、ずっと最悪の事態を考えてきました。ふつうの火力発電でも、コンビナートでも、そりゃあ、燃料タンクに火が付いたら大変だけど、どこかでは燃え尽きるんだ。そこが原発とは、全然違うんです。ある意味では一定以上危なくなったら、逃げたっていい。だけど、原発というのは、燃え尽きない。燃え尽きないうえに、制御する人がいなくなれば、一つアウトになったら全部がアウトになっていくんだからね。つまり、福島の第一と第二の10の原子炉と10の核燃料プールが全部アウトになるというのが、私の基礎数字ですよ」
一国の総理が想定した「最悪の事態」とは、どんなものだったのか。
「そもそも格納容器の爆発っていうのは、世界に例がない。チェルノブイリは格納容器のない型ですからね。放置したら、量的にチェルノブイリどころでない、というのが私の認識です。チェルノブイリの事故は、冷却機能が止まったんじゃなくて、核反応が暴走して、ボンっといってますからね。そして、黒鉛炉だから、火がついて燃えてるわけで、一挙の出たわけですよ。しかし、この福島の第一と第二のすべての原発とプール、つまり10の原発と11の使用済み燃料プールにある放射性物質の量っていうのは、事故を起こしたチェルノブイリ4号炉の10倍じゃきかないんですよ。そうなった時はどうなるか。その時に日本がどうなるか。私は、ずうっと考えてましたよ」
国家のリーダーとしての孤独を、菅はこう語った。
「あの一週間は、すぐ隣の公邸にも帰らずに、夜も総理執務室の奥の応接室のソファに、防災服のまま毛布をかぶって寝ていました。一人になった時は、こう頭に浮かぶわけですよ。日本はどうなるかな、と。まさに背筋が寒いですよ。チェルノブイリは、結局、軍隊を出して、それで、みんなにセメントを持たせて、放り込んで石棺をつくるわけですよ。それで、相当の人が亡くなっている、軍隊を投入して、相当の犠牲者を出して抑え込んだわけですよね。そういうことは、私も知ってますから、どこまでいくんだ、あそこから逃げたらどうなるんだと、ずっと考えてましたよ」
もし、そいういう事態になったら、いうまでもなく首都・東京もやられる。
「当然です。(原子炉を)コントロールできなくなるほど怖いものはない。日本には戒厳令はないし、避難までの時間的な長さも、どの程度になるわかわりません。これは、私もそれまでうかつに言えなかったですしょ。たとえば、それは個人個人の問題にもなるし、その時は陛下も含めて皇室のこともありますからね。だから、撤退問題が起きた3月15日にそういう議論になった時、私は閣僚なり補佐官の前で初めてそのことを話したんですよ。撤退なんてありえない、逃げたらどうなるかわかってるのか、と。それまでは、あまりにもことが大きすぎて、言葉に出せなかったですよ」
菅は、当時の苦しい胸中をそう振り返った。
「近藤さん(注=近藤駿介・内閣府原子力委員会委員長)が試算したのは、(避難対象)が250キロですよ。これは、青森を除いて、東北と関東全部と新潟の一部まで入っています。そうなったら、どうなるのか。(250キロというのは、人口5000万人ですからね。・・・(略)
(次回は「逃げてみたって逃げ切れないぞ!」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/4/27(水)22:00に投稿予定です。