かれこれ、50年以上前の頃でしょうか、当局の幼少のみぎり、石巻の橋通りにあったデパートの”丸光”
最上階の催事場で行われていた個展、山下清展、当時の当局には、なんのこっちゃ、全く理解できていませんでしたが
今思えば、たぐいまれなる異才な画家、山下清がブレイクし始めていたんでしょうね、おやじに連れられていった記憶が
あるのですが、・・・ 勿論、本人も来ていまして、黙々と絵をかいていた姿が印象的でした、
石巻で開催していたという事は、おそらく全国ツアーをしていたんだと思います、本人は各局もご存じの通り
チョット、感覚がスローモーと言うかボーっとしていると言うか、周りのことが全く見えないと言うか・・・・
少なくとも計算高く、欲深く、儲けに執着するタイプとは程遠い訳で、今思えば
それを取り巻くやつら、・・・身内か、マネージャーか事務所か、きっとぼろ儲けしたんでしょうね、
それ証拠に当時会場には沢山の人がいた記憶があります、
時は、昭和40年代前半、まだ板垣大輔の百円札とか五百円札は誰でしたっけ・・・
それはともかく、聖徳太子の貫禄ある万円札を出して買ってきたのがこの絵なんですが、
当時の公務員の給料が一万円とか一万二千円とかの時代です、そう考えると高度経済成長とはいったい何だったんでしょうかねえ
二回目、言いますが、それはともかくとして、
うちの,おやじ、突然、万円札出し始めるんですよねえ、どこに隠してあるのか,
畳の下に敷いていたのか、はたまた、甕に隠して庭に埋めていたのか、何か何処からかわからないけれど、宵越しの金は持たない系でしたねえ
やはり、昭和一桁生まれ戦争に行けなかったお父さん、戦前全中戦後を生き抜いた世代は今日を生きている感覚とはチョット違うんでしょうね
そんな事を感じる父君でした、
これは、なんのお話しでしょうか・・・・
そうそう、
何か、こ、こ、こ、この絵、い、い、い、いいんだなあ~(芦谷雁之助さん、裸の大将風言い回し)
さんざん前置きが長くなりましたが、ここからが本題です、
この絵、俺にくれとリクエストしたのですが、母君とお兄様、口を揃えてこれは ダメと却下されました, ちくしょう、
これだったらいいぞと差し出されたのが
これなんですが・・・・・・? チョット微妙・・・・・・?
今日は、このくらいにして帰るか・・・・
でも、まだ諦めてないぞ、何せ、宵越しの金を持たない系ですから、
こんなものもあるし
こんなものもあるし、
この辺の分野は図書館に寄付した方がいいんじゃない、
読んでも理解できませんww
まだまだ, これは序の口です、多分,普通の人が見たら、その尋常じゃない光景に驚くでしょう、
一番、ホッとしているのは多分、母君でしょう、バカは死ななきゃ治らないとは昔の人はうまいこと言ったもんですww
と、言う訳で今日の収穫は・・・・?
まだ ,諦めていません、そのうちビックなものをゲットしてこようと思います、
ではまた・・・VA・・・E・・・・E・・・END