私がこれまで最も神経が太い人を誰か一人あげよと言われれば、自信を持って言える人がおります、今回は、その人のお話をします。私が高校球児だった頃夏休みになると合宿がありました、死の合宿と異名をとる合宿です、当時合宿所もなく教室を合宿所に変えて寝泊りをしていました、その中の一人に簡単に説明できない理由により野球部に入ってきた〝しげる君〟と言うやつがいました、しげる君は温和な人柄で怒ったところを見たことがありません、私は、枕が替わっただけで眠れなくなるタイプなので眠れなくてイライラしている時などぐっすり眠っているしげる君を起こしてトランプの相手をしてもらった事が何回もありますが、彼も寝ているのを起こされるにもかかわらず、嫌な顔を一度もした事がありませんでした。又、マージャンのメンバーが足りないときも寝ているしげる君を起こして加わってもらいましたが、まったく嫌な顔をしないで加わってもらいました、よほどトランプやマージャンが好きだったのでしょう、逆にマージャンのメンバーが足りなくて、しげる君が私に参加してくれと言ってきた時、私は、したくないと言って無情にも断っていましたが、その時も彼は嫌な顔をしませんでした、よほど、断られるのが好きだったのでしょう。そんな、合宿中の、ある夜の出来事でした、周りのやつらが、目がしみる、喉が痛いなどの異常を訴えて目を覚ましました、あわてて明かりをつけてみると教室は、真っ白な煙が充満しています、明らかに異常です、隣の教室で寝ていたやつらも気ずいた程でした、何事が起こったかと分からないまま廊下に出るとみんな騒ぎ出しました、確かに何かが燃えています、煙の中を調べてみると、燃えているのは、しげる君の掛け布団である事がわかりました、布団はモウモウと勢いよく煙を出して、すでに五分の一ほどは黒くなってくすぶっています、煙を通して残りの五分の四の布団に包まってしげる君がすやすやと眠っているのが見えました、全員が起きて騒ぎになっているにもかかわらず、只一人しげる君だけが煙をあげて燃えている布団の中で眠っていたのです、よっぽど気持ちよく寝ていたらしく、起こされても一瞬目を開けたあと再び眠り込もうとしたほどでした、その時は煙でよく見えなかったのですが近くに蚊取り線香を置いていて、それが布団に燃え移った様子でした、燃えている布団を皆で廊下に出しバケツで何杯も水をかけました、それでもくすぶりつつ゛ける布団をみんなで叩き土足で踏みつけました、火が消えた後もしばらくの間この作業はつつ゛きました、私達は、土足厳禁と書いてある廊下で布団を土足で踏みつける快感を味わいました、その快感を味合わなかったのはしげる君只一人だけでした、これでもかこれでもかと言うくらい水をかけられてぐしょぐしょになり土足で踏みつけられて汚れきった布団五分の一くらい失いあわれな焼け焦げた姿で廊下に転がっていました、その後布団はそのままの姿で廊下の片隅にうち捨てられていました、誰もがそれをゴミに出す物と思っていましたがしげる君はそれをゴミと見てないことが判明しました、数時間後びしょぬれの布団の残骸をいとおしむように抱えて屋上の物干し場に行くしげる君の後姿を目撃されていたからです、当時我々は洗濯に非常に時間をかけていました、洗濯機が一台あり、ここに大量の洗剤と共に洗濯物を入れてスイッチを入れたまま二~三日放置していたのです、そして、洗濯物を干すのにはそれ以上に時間をかけていました、屋上の物干し場には四~五日放置していたでしょうか、その間、洗濯物は風雨にさらされ砂埃をがぶり最終的に取り込む頃には洗濯前より汚れていたほどでした、しげる君も布団の残骸を物干し竿にかけそのまま放置していました、するとしげる君が布団を取り込もうとして屋上に行って見ると布団がどこにも無いと言うのです、盗まれるはずは無いと思い調べてみると、布団をかけていた物干し竿まで無くなっています、さらに調べると物干し竿の両端の部分がコロンと転がっていて付近に灰が散乱しています、原因は明らかです、布団が竿もろとも跡形も無く燃え尽きてしまったのです、しげる君の落胆は大きい物でした、彼の仲では、あの残骸はまだ立派な布団だったのです、散乱している灰に包まって寝られるものならそうしていたでしょう、それにしても驚きでした、あれほどグショグショになって叩かれた布団が内部でもえつつ゛けていたのです、これほどのしぶとさは、私自身、妻を知るまで一度も目にした事がありません、それ以上にくすぶっている布団の中で熟睡するしげる君の神経の太さが驚きでした、人間はそこまで鈍感になれるものかと思いました、これほどの鈍感さは妻を知るまで一度も目にした事はありません、話の冒頭、簡単に説明できない理由で・・・云々・・・・と話しましたが、彼のフルネームは〝ながしましげる〟と言います、そう、あの長嶋茂雄と一字違いなのです、入学式当日教室に入りたまたま私の後ろの机に座っていたのが、しげる君でした、名前を聞いた私は、なかば強引に強制的に野球部に引きずり込んだのです、この名前だったら野球しかないだろうと・・・・話しを聞くと両親をはじめ家族は誰一人野球には興味がないと言っていました、ですから、なんの意識も無く普通にこの名前をつけたらしいのですが、どうやら、しげる君の鈍感さは両親の遺伝なのかもしれません、入部当日しげる君が自己紹介をした時、先輩達が爆笑したのは言うまでもありません、あの事件があってから約四十年、その間、時々仲間が集まってお酒を呑む関係はつつ゛いていますが、いつの頃だったか、ちょうどバブルがはじけてリストラ旋風が吹き荒れていた頃、私が、リストラされる心配はないのかと聞くと、心配はないと答えました、でも、自分の寝ている布団の燃えているのに気ずか無いような人ですからリストラされても気ずかないに違いありません、又、それからしばらくしてリーマンショックなどと言う言葉が巷ではやっていた頃にお前の所は大丈夫なのかと聞くと、大丈夫だと言ってました、しかし、あのくすぶっている布団の中で、起こそうとしたにもかかわらず一度目を開けまた眠り込もうとした人ですから大丈夫でなくとも気ずくはずがありません、そして今年、しばらくぶりに会いました、しげる君は中年太りもせず髪の毛の量も変わらず、当時と同じ体型を保っていました、彼の場合太れないのは心労と言うのは考えられませんから、ろくな物を食べていないのか病気だったのではないかと思います、よく聞くと、今は、町の会社の重役になっていました、その時私は、アベノミクスによる景気回復の恩恵はまだまだ遠いなと確信しました、部活の合宿生活の中でこの最大の事件である〝布団焼失事件〟に話しが及んだときその場で只一人しげる君だけがその事件を覚えていませんでした。
話しはまったく変わりますがこんな物を取り付けました。
効果あるでしょうか、実証実験してみます。
ではまた・・・・VA・・・E・・・E・・・END