スイングマンの外言

一日の終わりに、お酒を飲みタバコを吸うと、頭の中にいろんな事が浮かんで来ます。でも次の朝には忘れているので・・・・

信州紀行

2017-08-19 16:54:11 | 日記

信濃路と言っても見どころ満載てんこ盛り、限られた環境の中、また、天候も考慮して今回は松本市観光一本に絞って出かけることに、東北道、岩舟JcT~北関東道、高崎JcT~関越道、藤岡JcT~上信越道、更埴(こうしょく)JcT~長野道、松本Icまで約550キロ、休憩を入れて八時間のドライブでした、特に群馬~長野にかけてはトンネルに次ぐトンネル、よくもま~こんなに掘ったもんだ。

 

 

こんな感じです、出口の見えないトンネル、なんか他人とは思えません  HI   HI

 

 

姨捨Ic、何て、もの悲しいネーミングなんでしょう、昔話がありそうな・・・・

今度、うちの婆ちゃんを連れて来なくちゃ、

 

 朝、六時頃の風景です、雨は降っておらず、そんなに熱くもありませんでした。

 

 

 

このIcから見える夜景は、日本夜景〇選に選ばれているそうですが、当局が着いた時にはすっかり夜が明けてました、ザンネン、  町の名前はチョットわからず、千曲川市の近くだと思います。

 

 

 

松本Icから約30分渋滞も無くスイスイ朝八時頃、着きました、松本駅、長野市に次いで県内第二の都市、長野市は善光寺の門前町、宿場町なのに対して松本市は城下町、期待しましょう。

 

 

なかなかの立派な駅前です、車は駐車場に止めてバスの周遊券で観ることにしました。

 

 タウンスニーカーと言う、松本電鉄運営の周遊バス一日フリーパス券これがおすすめですそれと、市内主要観光施設六箇所ぐらいの入場券がセットになっているチケットを揃えればバッチリです。 AM9時 それでは、いざ、出発で~す。

 

 

まずは、なんと言っても国宝松本城、                                                

 

 

その歴史は、鎌倉時代にさかのぼると言うのですが、初期の頃の歴史は、本当はよくわかっていないとの事でした。    

                                                   

 

何か、渋いですわ~ その後 歴史上の名だたる武将は、ほぼ全てこの城に関わっています、要するに中日本の要衝だったんですね。

 

 

それぞれの時代の城主、もちろんその背後には、信長、秀吉、家康、武田、上杉、・・・と言った人物がいたようです。

 

 

 

 

 

どうですかこの風格、実物見たら圧巻です。同じく、国宝の姫路城と並び称されるだけのことはありますね、しかし、かつてこの城、大きく傾いた事があるのだそうですがどうやって修復したんでしょうか、その技術力たるや、感心させられます、いま熊本城が大変な事になっていますが、その、卓越した技術力できっと復元すると思います、そう感じました。

 

 

 

ここから観るお城は、優雅さと美しさを感じました。

 

 

中は、こんな感じです、

 

 

 

 

お城の中全体が展示館になっています、

 

 

 

天守閣から見た松本市内、   次は、お城を離れて時計博物館に行く事に、

 

 

中央付近の時計のある建物がそれです、

 

ここの時計、動作するものを動作させて展示するのが基本的な方針だそうで、よく見るとみんな動いてます、ゆらゆら、揺れる振り子を見ていると、何故か気持ちが落ち着き懐かしさを覚えます。また一斉に鳴る時報も別世界に誘(いざな)われているような・・・・

 

 

 

国内外のアンティークな時計が所狭しと何百と言うほどおいてありました。

 

 

 これが、個人のコレクションだと言うから驚きです、ここは、現セイコーエプソンの発祥の地(現本社は諏訪市)そんな関わりもあるのだろうと思います。

 

 

右側が、1854年 ウォーターベリー社製(アメリカ) 現在アメリカに本籍を置く唯一の時計メーカー〝タイメックス〟の前身です。 

左側が、1892年 精工舎(現セイコーエプソン社)の製作、そっくりですやはりコピーから始まったんですねえ、しかし、二つを見比べているとアメリカ製の歯車がとても滑らかに回っているのが分かります、日本製は、少し歯車が引っかかるように見えます、これ以降の技術への追求の始まりを見たような気がします。

そんな訳で、そろそろ次ぎへ移動する事に、

 

 

 

 

旧開智学校校舎と言う所です、もちろん、初めて知りました。 明治の初めの頃に出来た初等教育の草分け的な学校のようです、やはり城下町、教育にはかなり力を入れたようです、ちなみに、ここの近くに開智小学校と言うところがありました。普通の鉄筋コンクリート三階立てです、名前だけはいまでも存在しているんですね、

擬洋風建築と言うのだそうですが明治の人々にはかなりのインパクトがあったでしょうね、文明開化、新しい時代の幕開けを実感出来、さぞやワクワクとした気持ちになったでしょうね。

 

 

 

当局も子供の頃は木造の校舎だったんですが、チョット、クオリティーが違いますね。

と、言う訳で、次は町の反対側に移動です

、その前に、チョット遅れましたが昼食を取る事に、何を食べましょうか、やはり、ここは〝そば〟でしょう、(さすが今回はカップめん持参ではありません)チョット待った、ラーメンがいい、結局多数決でラーメンに・・・(代わり映えの無いメニュー)でも、やはり味噌ラーメンにギョーザとライス、スペシャル三点セット美味しかったですけどね、

 それと、来た時からチョット気になっていたのですが外国人がとても多い、テレビでは見たり聞いたりしていましたが、改めて実感しました、二、三人のプライベートから五十人くらいのグループまで、まるでここが日本か?と思えるほどの光景でした、もちろん食事をする時も、そば屋でも、ラーメン屋でもその半分くらいは外国人でした(商売繁盛で何よりですけどね)しかも大体はトレッキングスタイル、やはりここ松本市は〝岳都〟を称するだけあって、日本アルプスの玄関口になっているのかも知れませんね。

さて、お腹もいっぱいになったので、観光に戻ります。

二十分ほどバスに揺られて着いたのが、

 

 

ここです、

 

 

やはり、当然のごとく〝学都〟松本市を唱(とな)えているので、歴史を感じますね、

 

 

旧制松本高校、たぶん今の信州大学だと思うのですが、

 

 

大正初期の校舎が現存しています、それとは別に旧制松本中学がありましたが、その後旧松本高校になり今は、松本深志高校(県内屈指の進学校)になっているのだそうです、その他、近くに、松商学園があり、この辺は学園エリアになっているみたいです。折りしも会館ロビーのテレビでは、甲子園、松商学園対盛岡大付属の試合が映っており、沢山の人が応援していました。もちろん松商学園を、・・・さて当局は、どちらを応援しましょうか・・・? 

 

 

さて、各局、現在のわかる校名いくつあるでしょうか・・・? 当てずっぽうで言っても結構当たると思うのですが、

 

 

 

何だこれは、誰だ、謎の〇〇人・・・? しかし、似あわねえなあ~ これが〝オチ〟かよ、 ここまでの編集の出来が台無しじゃないか~、  おおよそ学問とは縁がないようです。 とっとと次ぎへ移動します。   HI    HI

 

 

 

新しい、かなり立派な建物でした、

 

 

夏休み中、色々なイベントが企画されてましたが、残念ながら、館内は写真撮影一切禁止こう言う場所は常識ですかね、一時間くらい見て出て来ました。

という訳で、残り三箇所見れるチケットだったんですが、とても時間が足りません、諦めて宿に向かう事にします。

最後に、町を見た印象なんですが、やはり、城下町の雰囲気を感じました、当局が訪ねた城下町の中では(そんなに沢山観てはいないが)間違いなくナンバーワンでした。今回訪ねた場所以外にも、バスの車窓から見える、蔵の町の通りとかお店が並ぶ通りとか、それぞれに、魅力のある町でした、また、町の背後に見える、アルプスの山々とのコラボレーションもみごとなそうですが、残念ながら曇で見えませんでした、また来たい、もっと観たいと言う気持ちにさせてくれました。

 

 

 

松本市内から約四十分、国道158号線を山に向かって走ります(とは言っても周りはみんな山ですけど)この路を行くと、飛騨高山、乗鞍岳、上高地、・・・その他モロモロへと向かいます。宿に行く前に、温泉、露天風呂に入っていきました、写真はありませんが山奥です、時々サルが出てくるとの事ですが、雰囲気はバッチリでした。

 

 

そして、ようやく宿に着きました、

 

 

食事は、ありません、純和風、古民家のような感じ、炉辺風の共用スペースがあり、共用のキッチンが有り、食器もあり、水道光熱設備も有り、全て勝手に使ってよいとの事、只、使ったらきれいに、洗ってくださいとの事、要するに自炊宿です、それでも部屋数だけは(全和室)結構あって、四十人位泊まれるみたい、部屋での飲食は一切禁止ですので、外食をするか、自炊して共用スペースで食べるしかありません、当局らは、食材を持参していきましたので、宿で食べる事にしました、

しばらくすると自炊派が・・・・

 

 

何と、ここでも外国人、後ろにいるのがオーナーなんですが、オーナーいわく、今日も、外国人の方のほうが多いですよ、えっ、〝今日も〟どうやら外国人観光客の〝口コミ〟になっているらしい、最初は、お互い、よそよそしていたんですが、だんだん打ち解けて、とうとうお酒の混みかわしが始まりました、こうなったら占めたもんです、

 

 

ところで、どうやって話すんだ~、え~いめんどくせ~い、お互い、メチャクチャな英語とメチャクチャな日本語で・・・それでも何となく通じるから不思議、お酒の力ってすごいですね~, 当局、一番の傑作英語は、〝強風〟を”ストロング、ウインドウー〟と訳しました、(通じませんでした)、セカンドからは、親父そりゃ~ね~だろう、いかにも、和製えいごじゃん、 

お前はなせんのか~、おい、学生、・・・  後ろで聞いていたマスターがわらってました。近寄ってきて、何と英会話のすごい事、ああ見えて(失礼)語学力堪能だったんですね~、「なんだや~、んだらマスターも、こっちゃまじゃったらいいべっちゃ~」(この方言が通じたかどうかは、さだかではない)   と、いつの間にかこんな感じに・・・ 

 

 

 

スイスから初めて日本に来たという、マスターが入ったのでかなり会話がスムーズに・・

カップめんを食べながらこんなにうまいものが世の中にあったのかと、ガバガバ食ってました

ここで、話は、ちょっとマスターに変わりますが、脱サラをして今年の五月に、ここを立ち上げたと言う、この建物は、以前、手打ちそば屋と旅館一緒になっている、旅籠のような、使っていない建物を、安く借り上げてはじめたそうだが、宿泊業の基準をクリアーするために、衛生設備、内装設備、防犯設備、防火設備、その他モロモロの経費で有り金は。ほとんど使い果たしたとの事、それでも意志は固かったと言う、

マスターやるね~、 きっと全てが上手く行きますよ、他の人には無いものを持ってますもん。

以前の仕事は、聞きませんでしたが、英語の語学力からすると、チョット光るものを感じます。

 

と、言う訳で、話は、またスイス人(名前は教えられたが、酔っ払って覚えていない)に戻りますが、

 

 

お願いも、していないのに、パスポートと国際免許証を出し始めました、二人共スイスで銀行員(スイス銀行???)をしていると言う、一ヶ月の休暇を初めての日本旅行に当てたと言う、昨日、仙台を発って今日ここに来たという、仙台と聞いてまたもや息統合 

しかし、酒飲みの会話に、通訳っていうのはどうも味気ないので、やはり元に戻す事に、やはり、心が通うっていうか、最初は、ひっこみじあんだった、セカンド達も、打ち解けて積極的に・・・   日本の若者らしいですね~、今度は、パソコンとスマホを取り出して、通訳アプリを開いてやんの、

 

 

 

チャットで会話も出来るんですが、これもちょっとあじけないな~、このへんあたりから当局は、着いていけず、ただボーッと飲んでました、 するとスイス人の一人が、突然、当局に向かい、私は、日本の歴史に興味があります、織田信長と、豊臣秀吉と、徳川家康の関係をどう思いますか・・・?とたずねて来ました、当局は、思わず呑みかけていたビールを噴出しそうになりましたが、気を取り直して〝来たー〟俺の〝ネタ〟だあ~

いいかあ~よく聞けよ~、秀吉、あいつはサルだ、信長、あいつは、躾の悪い、犬だ、家康あいつは、タヌキの太っちょ叔父さんだ、セカンド達とマスターは腹をかかえて笑ってましたが、通訳アプリでも、どうも上手く通じません、こまったなあ~、それじゃあ~こう言う話はどうだ、日本の昔噺に、桃太郎と言うはなしがあるんだ、フルーツから突然子供が生まれ、やがて大人になって、鬼が島に鬼を退治しに行くと、言う噺なんだが、一人で行くのは自信がないので、きび団子与えて、キジと、サルと、犬のブレーンを従がえて、目的を完結したという噺なんだが、日本人には古来から忠誠心の精神文化があって、戦国武将はみな、その忠誠心溢れるブレーンによって天下人になれたんだ。セカンド達とマスターは、相変わらず腹をかかえて笑ってましたが、セカンドからは、やめろオヤジむりだわ、マスターは、いや、素晴しい、お話ですよ~、と、語学力を駆使して完璧に伝えました(これがすごいんですけどね)すると、スイス人たちは、とても喜んで感心してました、が、しかし質問が・・・ところで、その、きび団子、とはどう言う物なんだ、命を懸けるぐらい価値のある物なのか・・・その質問は想定してなかったなあ~、さあ、各局ならどう答えますか、・・・当局は、苦し紛れに、そうだ、人をとりこにするような、麻薬のような物なんだ、・・・今は、ないのか・・・?、そうだ、今は、法律で禁止されているんだ、、この辺あたりから話しは怪しくなって行くのですが、何とか逃げ切らなくては、・・・すると今度は、ところで、鬼は、いったいどんな悪い事をしたんだ、・・・・いや、・・・こまったな~、その質問も想定してなかったわあ~、さあ~、各局ならどう答えますか、・・・・、え~い、これで、オチだあ~、鬼は、そのきび団子を、奪い取って、自分で食ったからだ。・・・やめろ、。もうやめろ、この噺が、スイスで広まったら・・・・  でも、彼らは、真剣に、感動して、聞いてましたよ、その他にも、伊達政宗の、仙台城には、なぜ天守閣が無いのか、とか、そのたモロモロ、その全てに、真剣に、誠意をもって(?)答えてやりましたよ。そのたびに、セカンド達と、マスターは、爆笑なのですが・・・?  いや~、ホント、文化、と歴史と、その、経緯を伝えると言うのは、本当に、難しいですわあ~

そんな、こんな、一時間位していると、また、他国籍軍が、・・・

 

 

今度は、インド軍です、えっ、こんなにいたの・・・  こうなるととことん盛り上がるしかありません、彼らは、ス〇キの自動車屋で、静岡の浜松から来たらしい、自動車のデザインからエンジンの設計、自動車のコンピュータープログラム、そして、組み立てまでのかなりスキルの高いチームらしい、日本に来て一年半スイス人達よりは、日本語が出来そうです、(これは使える)、インターナショナル、ザ、飲み会の始まりです、政治、経済、宗教、文化、芸能、スポーツ、食生活、風俗に至るまで・・・、インドには何十もの言語が有るらしい、スイスには基本的に、純然たるスイス語と言うのはないそうで、大きく分けて四つの言語でなりたっていると言う。(英語圏、フランス圏、イタリア圏、ロシア圏)彼らは、フランス圏らしい、(移民で成り立っている)、それに比べて日本のような、国が、一つの言語で成り立っている方が、不思議だと言う、だから、逆に言えば、無理して英語を、覚える必要が無いんですね、やっと、謎が解けました。

そんな訳で、この辺あたりから、母国語、英語、日本語が入り乱れて、もの凄い、盛り上がりになりました、年齢のはなしになったら、みなさん、二十台の後半から三十台の前半でした、(顔つきは、当局と同年代かと思ったら)、むしろ、彼らの父親と同年代でした、あげくのはてに、お父さん、お父さん、と呼ばれてました。(そんなに悪い気はしない)、お酒もすぐになくなるので、スイス人に、お金渡して、三回くらい近くのコンビニへ、つかいっ走りで、酒と、つまみを買わせましたわ、

話題は、いつの間にか、お国自慢のスピーチ合戦、やはり、彼らは、自分の考えを前に出すと言うか、はっきりと、主張するんですよねえ、しかも、あまり、影口めいた愚痴は、言わない(少しは言いますが)そして、国に対する、アイディンティテーが強い事を感じました、やはり、他民族国家なので、国に対する、誇り、というものが、一つのキイワードになるんでしょうねえ、当局も、日本代表(?)として精一杯主張しました。  HI    HI

すると、インド人の一人が、突然、私の話を聞いて下さい、と、自分の身の上話を始めました、彼は、インド北部の、貧しい農家の出身だと言う、幼い頃から勉強が好きで、家の手伝いもせずに、よく親から叱られていたと言う、大きくなって、村の偉い人から自分の努力が認められ、最終的に国の、奨学金で日本に留学することになった、しかし、奨学金だけでは足らず、家に、お金が有る訳もなく困って、家族会議を開いた、しばらく、何も言わず下を向いていた父親が、牛を売ろうと言い出した、私達、農家にとって、牛は家族と同じ位大切なものなので、その、父親の気持ちを思うと、いつも心が痛むと言う、そして、牛は、家族みんなに見送られて、日本の商社の人に、引き取られて行った、 

日本に出発する日、父親は、私に、一つ頼みがある、と、牛の話を持ち出した、日本に行ったら、牛が今どうしているか調べてきて欲しいと言う、私は、わかった、必ず調べてくると、かたく約束を誓った、その後、日本に着いて半年後、ようやく、牛の行方をつきとめた、すると、何と、もうすでに、ペットフードになっていたと言う。

その事を、父親にどうしても言えず、たまに、家に帰った時は、牛は、日本の農家に引き取られ、皆から、かわいがられて幸せに暮らしている、と、言ってあるんだ、 しかし、自分自身、一生本当のことを隠し通して生きていくのは耐えられない、かと言って、父親には本当のことは言えない、だから、こういった、お酒の席で本当のことを話すんだ、と、涙ながらに語っていた。

その瞬間、会場(?)は割れんばかりの、拍手、大喝采でしたわ、  やはり、人それぞれ、背負っている物とか、背景はみんな違いますよね、ましてや、それが、途上国とか先進国となればなおさらな事、少なくとも日本人同士の飲み会では、絶対にありえない話ですね、いろんな国の人の、人間模様の裏側を、チョットだけ、垣間見たような気がしました、セカンド達も、面白かったのか、そこにいたので、刺激的な、よい体験になり、何かを感じとってもらえたら、来てよかった、と、言う事になるんでしょうが・・・・?

かなり、酔って、ほとんどの話しは覚えていないのですが、牛の話しは強烈に記憶に残っていたので・・・・・

という訳で、pm7:00から始まりもうpm0:00になりますので、当局はギブアップです、彼らは、まだまだやる気のようですが、

 

一番左の、アディダス、黒のテーシャツが、牛の話を・・・ 

 

そんな訳で、二泊三日(一日、車中泊)の旅も、無事終える事が出来ました、飲み会のインパクトが強すぎて、市内観光が、どこかに吹っ飛んでしまいましたが。今度は、アルプスの山々を是非とも観たいと思います。 チョットした、信州ファンになれるかも・・・

 

久しぶりのブログで、長めに書き込んでみました、ご清覧いただければ幸いです。

だはまた    VA・・・・E・・・E・・・・END