2017年初日、つらく楽しい「お弓祭り」の稽古が始まる朝。地区の世話役をおおせつかっているわたしは、テレビの撮影があるというので、4時半に起床して川へ。禊の現場に立ち会う。当事者である弓引きさんたちにとっては、「つらく楽しい」稽古期間のなかで、唯一「つらいばかりで楽しくもなんともない」水垢離だが、端で見ているぶんにはどおってことはない。
とはいえ、これまでに4回弓引きとなり、2回その後見役を務めたわたしは、4×8日+2×1日、都合34回、冬の西谷川に身をゆだねているのだもの、あの身を切るような痛みは体感として染みついている。まことにもってご苦労さま、と感謝しつつ家に戻り、きのうから読んでいる『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)を読む。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書) | |
内山節 | |
講談社 |
歴史は結びつきのなかに存在している。現在との結びつきによって再生されたものが歴史である。現在の知性と結びついて再生された歴史。現在の身体性と結びついて再生された歴史。現在の生命性と結びついて再生された歴史。
1965年頃を境にして、身体性や生命性と結びついてとらえられてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられた歴史だけが肥大化した。広大な歴史がみえない歴史になっていった。(Kindke版位置No.1617)
この里の生命の世界と神としての生命の世界とが重なり合うかたちで仮託されたものとしては、村の人々の通過儀礼や里の儀式、作法などがあったのだと思う。それらは一面では神事というかたちをもち、他面では日々の生命の営みとともにあった。
そして最後に、日々の生命の世界のあり様を仮託していくものとして、人々はさまざまな物語を生みだしていた。この村が生まれたときの物語。我が家、我が一族がこの地で暮らすようになった物語。さらには亡くなったおじいさんやおばあさんの物語。
生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。
そして、この生命性の歴史が感じとられ、納得され、諒解されていた時代に、人々はキツネにだまされていたのではないかと私は考えている。だからそれはキツネにだまされたという物語である。しかしそれは創作された話ではない。自然と人間の生命の歴史のなかでみいだされていたものが語られた。
それは生命性の歴史を衰弱させた私たちには、もはやみえなくなった歴史である。(No.1650)
明治末年生まれのわたしの祖母は、よく「タヌキにだまされた」(※)人だった。少年時代、本人の口からその話を繰り返し聴かされたものである。1957年生まれのわたしは、残念ながら「タヌキにもキツネにもだまされた」ことがない。平成29年の老年であるわたしにとってすら、「キツネにだまされた」というのは、もはや伝承のなかにしかなかった。
そう考えると、ひょっとしたら終焉はすぐそこまで来ているのかもしれない。だが、平成29年という今このときの「お弓祭り」がたとえ残滓に過ぎないとしても、わたしは、延喜の御代から連綿とつながるパスandレシーブの鎖のなかに身を置いているというたしかな実感を持って、その一員となっている。
さあ、張り切ってやってみようではないか。
※ もっとも地域差はあるらしく、四国ではもっぱらタヌキが中心で、キツネにだまされたという話はないらしい。(同、位置No.110)
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