答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

身体性を伴った行為としての「三方良しの公共事業」

2017年01月26日 | 三方良しの公共事業

ちょっとした気づきがあったので備忘録として書き留めておく。

昨年11月25日、『「接待」というマインドから「三方良しの公共事業」を考える』というお題でテクストを書いた。わたしにしては、かなり長文のテクストだが、意味がつながらないので全文に近いものを引く。再掲、と表現してもいいようなものになるが読んでほしい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

我々は、公共事業を通じて国民の安心と国土の安全を守り、より良い社会を築くことに貢献するという重責を、改めて強く心に刻む。

発注者と施工者が、社会に最大の利益をもたらすために、「良いもの」を「より早く」提供することを目指して、一致協力し、全力を挙げて公共事業に取り組む。これによって、住民、発注者、施工者の三方に利益をもたらし、ひいては財政の健全化にも貢献する。

我々は、この「三方良しの公共事業」を力強く推進していくことを、ここに宣言する。

 

2007年、「三方良しの公共事業改革フォーラム」で以上の宣言が出された(じつはわたし自身も事例発表者として末席におりました)。これだけでは、なぜ「財政の健全化にも貢献する」のかわからない。

岸良裕司氏の『新版三方良しの公共事業改革』(日刊建設通信新聞社)に、Future Reality Tree の手法を用いて分析したその因果関係ロジックが書かれているので引用する。やや長いが我慢して読んでほしい。

 

新版・三方良しの公共事業改革

岸良裕司

三方良しの公共事業推進研究会

日刊建設通信新聞社

 

もしも、One Day Response プロジェクトを行い、発注者が迅速に建設業者に対して問題解決策を実行するなら、公共事業の成果物がより早く完成する。また、建設業者も無駄な手待ちがなくなり、厳しいなかでもより利益を出せる方向になる。さらには、1日で返事するためには、発注者の担当の監督官が迅速に対応しなければならず、これが行政に携わるものとしての実務能力向上につながる。さらに、より早く成果物としてのインフラが完成すれば、納税者・住民も喜ぶ。納税者・住民が喜べば、建設業者も喜び、行政マンとしてのやりがい・はりあいが増す。さらにより早くインフラが完成すれば、経済効果が早くあらわれ、地場の経済も活性化する。One Day Response プロジェクトによって発注者と建設業者の連携が強くなれば、成果物の品質が高まり、また建設業者の施工品質が上がる。建設業者の施工品質が上がれば、質の高い工事を行うことによって、実績が積み重ねられ、『公共工事の品質確保の促進に関する法律』(略称『品確法』)時代の新しい入札方法に対応できるようになる。建設業者が新しい入札方法への対応について問題がなくなれば、提案力と実績で発注者が建設業者を選択できるようになる。良質なインフラがより早く提供され、より早く経済効果を発現し、かつ建設業者が利益を上げられるようになれば、税収が増え、良質なインフラを提供しながら、財政再建が実現されるということになる。(P.106~108)

 

ふ~っ。

ちなみに2007年にわたしが初読したときの感想は「そんなウマイ話はないやろ~」だったが、ともあれこれが「三方良しの公共事業」の、いわば原点である。つまり、その成立時点で「三方良しの公共事業」と近江商人の「三方よし」との関連性は直接その理念で結びついたわけではなく、このロジックを、近江商人の「売り手よし買い手よし世間よし」に習い「住民よし企業よし行政よし」と呼び「三方良しの公共事業」と名づけたということだろう。

いずれにせよ画期的なことには違いない。

何より、発注者と受注者という二項対立的関係に「住民」を登場させたことは特筆すべきだ。

だが、いささかこのロジックは我田引水的だ。「望ましい未来」なのだからそれでも構わないのかもしれないが、それではわかりにくい。

ということでわたしが一貫して引用してきたのはこっち。

 

工事目標をしっかりと「すり合わせ」をして、

「住民の安心・安全」のために、

みんなの知恵を使って「段取り八分」の工程表をつくり、

「責任感」を共有し、

発注者と建設業者が「チームワーク」で、

手遅れになる前に、早めはやめに手を打つ「先手管理」で、

「お互いに助け合い」ながら、

「良いモノをより早く」つくっていく。

(同、P.129)

 

「住民よし行政よし企業よし」の三方の最上位に公共事業の真の発注者たる住民を位置づけている。その上でわたしは、「わたしたちのお客さんは住民です」と宣言することによって、「何のため誰のため」という対象を明確にして公共工事をしていこうと呼びかけてきた。

だが、具体的に落とし込んだつもりでも、まだまだそれは理念にすぎない。理念はたいせつだが、このわたしでさえが、日々それを意識しつづけて公共土木という仕事をしているわけではない。三方良しの公共事業をさらに広く展開していくためには、もっとくだけた具体的な落とし込みが必要だ。

「どうしたもんじゃろの~」とぼんやり考えていたとき、こんな話を聴いた。「三方良しの公共事業推進カンファレンスin四国2016」での寿建設森崎社長の発表だ。当時、わたしが当ブログに記した見聞記の一部を引っ張り出してみる。

 

 

森崎さんいわく、

発注者や住民のみなさんを「喜ばせる」という考え方が結果的に「三方良し」につながる。

わたしは、この言葉に「凄み」を感じたのだ。

そしてその社内展開としては、たとえば毎月実施する幹部パトロールで現場の取り組みを喜んであげる、それをイントラネット上の掲示板にアップして社内で共有する、その繰り返しが習慣となり訓練となり、「発注者や住民のみなさんを喜ばせる発想を養う」。

もちろんそういうわたしとて、

 

 

こんなふうなことを繰り返し言ってきた。

だがこれはあくまでも、本業であるモノづくりを通じて「たくさんの人に喜んでもらう」であって、「泣かす笑かすびっくりさせる」挙句に「喜んでもらう」などという発想は毛の先ほどもない(毛もない)。

ご本人はそのキャラクターそのままに、笑みを浮かべながらひょうひょうとそれを語るが、聴いているわたしは背筋にぞくぞくっという感覚が走るのを感じていた。

 

 

そしてこの発想をもっと具体的にさせるのが、きのうの話。

「接待」である。

 

「ない仕事」の作り方
みうらじゅん
文藝春秋


文中何度か「接待」について書かれている。

いわく、

 

雑誌の仕事の場合、編集者に気に入らなければ、仕事はきません。

最初に単発の仕事を頼んでくれた編集者がいたとします。当然、自分の何かを面白がってくれたから依頼がくるわけです。だとしたら、自分のやりたいことはとりあえずさておき、その編集者が喜ぶような仕事をしなければなりません。

仕事は読者や大衆のためにやると思う人もいるかもしれませんが、前述した通りそれでは、逆に仕事の本質がぼやけます。

そして編集者が最初の仕事を面白がってくれれば、やがてそれが連載へと繋がるかもしれません。

そのためにも必要なのが接待なのです。(P.85~86) 

 

みうらさん言うところの「接待」は、飲ませる食わせるを含んだ実際の行為であると同時に、「接待」という概念でもあるとわたしは読む。

それは例えば、こういうセンテンスに表れている。


余談ですが、このとき、面接は「接待」だと思い、面接官を気持ちよくさせることを考えながらしゃべったことを、覚えています。もしこれから就職や転職の面接を受けるという方は、「面接=接待」だと思って挑んでみてください。(P.154) 

 

現場監督の山岸さんは、現場の近所の森崎さんや◯◯土木事務所監督職員の阿部さんを喜ばせる(気持ちよくさせる)。

◯◯土木事務所監督職員の阿部さんは、現場の近所の森崎さんや現場監督の山岸さんを喜ばせる(気持ちよくさせる)。

「なんでわざわざそんな面倒くさいことを考えて仕事をしなきゃいかんのよ」とお思いのそこのアナタ。日々の業務多忙のおり、ご腹立ちはごもっともだが、それが君やアナタや彼や彼女の仕事をうまく進めていく基となる。

まずは、他人を喜ばせることを考える。他人とは姿かたちを持った個人としての森崎さんや阿部さんや山岸さんだ。そしてそのことによって自分もよくなる。

「誰のため」と問われたら「自分のため」

「何のため」と問われても「自分のため」

と答えても何らかまわない。


もちろんわたし自身はこうありたい。

近江商人の「三方よし」も、まさに「まず、人を喜ばせよう」なのです。初めての土地で商売をさせてもらうときに、まず、自分の利益を優先していたら信用してもらうことはできません。それより、“先に”お客様を、世間を喜ばせることを考え、実行する。これが大事なのです。(『他助論』清水克衛、Kindle版位置No.1218)

 

他助論
清水克衛
サンマーク出版

 

だが、「自分のため?うん、そんなんもアリですよ」という鷹揚な問題提起も、三方良しの公共事業に広がりを持たせていくためには重要なことなのではないだろうか。

まずは具体的な姿かたちと具体的な名前をもった目の前の人に気持ちよくなってもらう(喜んでもらう)。その先に「住民のため」があり、「住民よし行政よし企業よし」がある。

 

きのうの最後、

「接待」という言葉の含意を読み解いて行き、自分自身の行動に落とし込む。

その先に新たな展開が開けてくる(かもしれない)。

と書いたその「新たな展開」を書き留めておこうと、朝もはよから起きて勢い込んで書き、夕方になってまた書き、けっこう力を込めて書いたつもりが、結局ごくごく当たり前の結論になってしまったような気もする。すでに到達していた考え方でもある。似たようなことは今までも言ってきたし書いてきた。今までと異なるのは、

現場監督の山岸さん

現場の近所の森崎さん

◯◯土木事務所監督職員の阿部さん

という具体的な姿かたちを伴った人を喜ばせる(気持ちよくさせる)。

というところだ。そこがわたしの考え方に欠けていた部分だということに気がついたのだ。

繰り返すが、ごくごく当たり前の結論なのかもしれない。だが、ない頭で考え、それを出力し、ときには堂々めぐりをしながらそれを何年も繰り返してきた上での、今現在のこの結論がわたしにとっては有用だ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

具体的に落とし込んだつもりでも、まだまだそれは理念にすぎない。理念はたいせつだが、このわたしでさえが、日々それを意識しつづけて公共土木という仕事をしているわけではない。三方良しの公共事業をさらに広く展開していくためには、もっとくだけた具体的な落とし込みが必要だ。

とわたしが言う場合の「理念」は、身体性を伴っていないものだ。「理念」、というもののすべてが身体性を失っているとまでは言わないが、身体性を失いがちになるものだ。そして、身体性を失った理念は広がりも説得力も持ち得ない。平たく言えば「ピンとこない」のである。

それに対して、「具体的な落とし込み」という言葉で表現しようとしたものは、身体性を伴った行為である。

その具現化が、現場監督の山岸さん、現場の近所の森崎さん、◯◯土木事務所監督職員の阿部さん、という具体的な姿かたちと具体的な名前をもった目の前の人であり、その人たちに気持ちよくなってもらう(喜んでもらう)その先に「住民のため」があり、「住民よし行政よし企業よし」がある。

 

う~ん・・・

「ちょっとした気づき」とは、「身体性を伴う(失う)」という言葉の発見だった。あることがキッカケで降りてきたこの言葉に、喜び勇んで書いてみたはいいが、別にあってもなくてもイイような、ないほうがより平易でいいような、そんな気もしてきた。

だがこれもまた、ない頭で考え、それを出力し、ときには堂々めぐりをしながらそれを何年も繰り返してきた上での、ただ今現在の到達点。一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。堂々めぐりで終わってしまっては何にもならないが、俯瞰すればきっと螺旋で上がっているのだろうとオジさんは信じている。

以上、ちょっとした気づきがあったので備忘録として書き留めておいた、の巻。



 

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