散日拾遺

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羊飼いの手すさび

2015-10-14 07:13:53 | 日記

2015年10月14日(水)

 牧師先生方には、長年にわたって本当にお世話になってきた。

 ・・・違うな、この言い方では伝わらない。もっと親しくて、もっと感情に満ち、少し絡んでみたい気持ちもあったりする、複雑な感謝のストーリーである。いずれゆっくり言葉にするとして。

 これは実名で構わないだろう、そうした先生方の中に、二人の野村先生がいらっしゃる。兄弟とか縁者とかではないはずだし、風貌なども似てはいないが、何か非常に似たものを僕の方が感じてしまう。お二人とも四国に縁が深いのも不思議である。そしてお二人とも、似合いのご夫人と見事な二人三脚を続けてこられた。言ってみれば霊的な風貌が酷似しているのかもしれない。出会ったときに自分の胸の奥に起きる懐かしい気持ちが、お二人そっくりなのである。

 和正先生は外地で生まれ、帰国後に高知で育たれた。高松で牧会なさったあと長原教会に招かれ、今は三里塚の小さな群れをあずかっておられる。空の鳥や野の花の写真を撮り、HPに挙げるのを楽しみとされる。

 忠規先生は若い頃、僕らの教会で教職修行をなさった。つい先日まで伊予松山の教会を牧され、そこから埼玉の東松山教会へ移られた。松山から松山という洒落かたが、落語をこよなく愛し御賀状にも小咄を満載なさる先生に似つかわしい。もちろん御自分が選んでなさったことではない。

 次の日曜日は和正先生のお手伝いに行けるので、遠足を前にした子どものようにわくわくしている。先日のアーモンドの会では、130名を数える出席者の中に忠規先生のお姿を見て破顔してしまった。その忠規先生から、当日、渡し忘れたからとプレゼントがわざわざ送られてきた。先生お手製の絵はがきである。

 一覧、絶句した。こんな描き方は見たことがない。素朴にして輝きあり、小紙面に激しい躍動が漲り、描かれたものがそこで生きて動いている。湖が荒れ、星が輝き、人が泣き、羊が甘え、主が語る。技ではない、魂で描かれたのである。

 せっかく絵はがきとしてくださったのに、とても切手を貼って出す気になれない。手許に永久保存、ごめんなさい先生、その代わりここに掲げて皆に共有してもらいますから。

  安心しなさい、私だ (マルコ 6)

  わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている (ヨハネ 10:14)

  人は倒れても打ち捨てられるのではない、主がその手をとらえてくださる (詩編 37:24)

  人の子は、仕えるために (マルコ10:45)

  人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは (詩8)

 

 シャローム・・・

 

 

 

 


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