散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

5月9日 アラビアのロレンスがオスマン帝国軍と戦端を開く(1917)

2024-05-09 03:27:31 | 日記
2024年5月9日(木)

> 1917年5月9日、「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスは50人ほどのアラブ人と共に砂漠を1000キロ横断するという強行作戦で、オスマン帝国軍との初めての戦闘を開始した。ロレンスは、イギリス軍の情報将校として、アラブをオスマン帝国の支配から独立させようとしていた。しかもイギリス軍の軍事介入ではなく、アラブ人の力で独立を成し遂げるのが彼の目標であった。
 しかし、帝国との戦力差は甚だしく、ロレンスはゲリラ戦で対抗し、自らアラブ人に同化して諸部族に働きかけ、この年7月6日、ついに重要な軍事拠点アカバの攻略に成功した。
 アラビア語に堪能で彼らの習慣にも精通していたロレンスは、自ら志願してこの任務についたと言われる。自分の危険を顧みず先頭に立って戦う姿は、多くのアラブ人から信頼と尊敬を得た。
 一方イギリスはこの時期、アラブ独立を承認する密約と中東を分割統治する協定を同時に行う二面外交を展開していた。その上、バルフォア宣言によってパレスチナにユダヤ人国家の建設も約束していたのだ。結果的に、アラブ独立を信じ、命をかけて戦ったロレンスは母国に裏切られたことになるのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.135

Thomas Edward Lawrence
1888年8月16日 - 1935年5月19日


 もちろん、映画『アラビアのロレンス "Lawrence of Arabia"』(1962)で初めて知った。1971年、中学三年の夏休みに向かいの家の八ちゃん他一名と、名古屋の映画館で見たのだ。作品の魅力は圧倒的だったが、主題や意味合いとなると分からないことだらけで、その後しばらく八ちゃんと顔を合わせてはあれこれ見当違いの議論を重ねたものである。
 数年前にBSか何かで放送されたのを見直して、半世紀ぶりにようやく腑に落ちることが多々あったが、外堀に関することばかりである。内堀から本丸に至るべく、当ブログ上で悪戦苦闘した記憶が確かにあるのに検索しても出てこない。イギリスの三枚舌外交についてだけ、別の文脈で10年以上前に触れている。
 仕方がない、他のことはいずれあらためて。

 
Peter Seamus O'Toole
1932年8月2日 - 2013年12月14日

 
左:アンソニー・クイン Anthony Quinn    1915年4月21日 - 2001年6月3日
右:オマー・シャリフ(オマル・シャリーフ) 1932年4月10日 - 2015年7月10日

Ω

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。